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ASDプロセッサ

作者: 鈴木美脳

 ASDの怖さを最も知っているのは、ASDの親を持った子ではないでしょうか。

 究極的には、親がASDであることによってASDの親に殺されてしまった子供達でしょう。

 なぜなら彼や彼女は、ASDの内面に形成された歪んだ世界観から逃げ出せず死んだからです。


 ASDは軽度の自閉症のことであり発達障害とも呼ばれる、育て方によらない先天的な性質です。

 自閉症は1000人に一人、ASDは100人に一人生まれると言われます。

 ASDは、他者の心の痛みに配慮する知的能力が先天的に平均よりも低いです。

 逆に、そのような性質に注目する意味でここではASDという呼称を用いていきます。

 いわゆるコミュ力の低さが俗にASDと見なされることがありますが、単なるコミュ力の低さは、科学的にはASDでも発達障害でもありません。


 他者の心の痛みに配慮する知的能力は、独立したプロセッサなのだと考えてみることができます。

 実際、自閉症や発達障害が後天的に治癒することはありませんし、かえって優れた記憶力や数理的思考力を発揮することがあります。

 共感用プロセッサの演算能力が目立って低い人々がASDだということになります。

 先天的な知能の低さを知的障害と言うなら知的障害ですが、社会の隠された不都合な裏面において、知的障害者による虐待は起こります。


 重度のASDは社会生活に失敗します。

 社会は、心の痛みに配慮し合うことによって成り立っているからです。ひどいことを言ったり行ったりする自分勝手な性格の悪い奴だと見なされて排除されてしまうのです。

 しかしその時、ASDは、社会の側が邪悪であって自分自身には咎がなく正しいと主観します。

 自分は非常に正直で倫理的であって、世間は邪悪なごまかしや嘘に満ちていると感じます。自分が決して行うことのない心理的な技巧に、世間は満ちているからです。

 このことは、記憶力や数理的思考力においてASDが勝ることによって助長されます。ASDは、自分が人々よりも賢く価値ある存在であり、社会一般の人々の知力は自分よりもずっと低いと考えます。

 客観的には知的障害者でありながら、主観的にはむしろ天才的知能を自覚するのです。


 ひいては、社会生活において失敗した心の苦しみを、知能や良心をプライドにして補っています。

 そこではもはや、彼や彼女がASDだという指摘や示唆は、何の影響も持ちません。

 もしも実際にはASDなら、賢さは愚かさに、良心は悪意に評価替えされ、社会生活における失敗は自業自得で、世間には何の罪もなかったことになります。

 そのように客観的に事実を認めて謙虚に生きたほうが社会生活がうまくいくとしても、自尊心の痛みのほうがずっと大きくて割に合わないのです。

 ですから、重度のASDは、自分がASDであることを決して認めません。


 その結果、ASDの内面には歪んだ世界観が構築されます。

 その世界観においては、彼や彼女の正しさこそが前提であって、そのために他のすべてが定義されます。

 自らの自尊心を傷つけないことがその思想の主題であって、そのために不都合なすべてを馬鹿にして否定することで成り立っています。

 ASDは、自分よりも強いもの、政府や世間には表面上は従順です。しかし子供は弱い生き物であり、自由に脅迫し震え上がらせられることを、ASDはすぐに見抜きます。

 子育てにおいては、他者の心の痛みに配慮する知的能力は必要です。ASDの親は、子供を幸せに育てるという意味では、とても挑戦的な立場に置かれていますし、多くの場合、そもそも子育てへの興味が薄弱です。

 子供が自分に従順に、自分をおだて肯定するかぎりにおいて、ASDの親は子を肯定します。しかしそうでない時には、世間的な権威を用いて馬鹿にして否定します。

 ASDの親は、子供の身体的特徴についても、感じた違和感を躊躇なく指摘して笑います。自分が虐待したことによって生じた特徴であっても、不都合に感じれば罪悪感なく侮辱します。

 自己中心的な人間には罪悪感はありません。


 親がASDだとしても子もASDだとはかぎりません。

 子には平均的な共感用プロセッサや、平均以上のそれが備わっていることがあります。

 すると、子がむしろ親の気持ちに配慮して、「子」の面倒を見ているような状況になります。

 ましてや、もし両親がASDなら、生まれたその日から知的障害者を2人介護することになります。

 そして、小さな子供にとっては、腕力でも財力でも社会的権力でも、障害者のほうがずっと上です。

 非常に困難な「子育て」に献身することになり、少なくない人々が潰れて死んでいきます。

 そしてそこまでしても、親がASDである以上は、当の親から感謝を受けることはないのです。

 なぜなら、他者の親切心を理解できるのは、自分も他人に親切にしたことがある人だけだからです。

 そのように、ASDの親に殺されていく子供達は、能力も価値も徹底的に矮小化されます。


 ですから、ASDの怖さを最も知っているのは、ASDの親を持った子だと思います。

 自らの自尊心を守るための認知の歪みによって尊厳を奪う行為の結末を知っているからです。


 ですから、自らの自尊心を守るために認知を歪める機能を持った装置を、ASDプロセッサと呼んでみましょう。

 ASDプロセッサは、ASDにおいて盛んに活躍しています。しかし、ASDの場合ほどではないにせよ、健常者においてもASDプロセッサは大いに活動していると見ることができます。

 ASDの親を持った子が知っているのは、ASDプロセッサの怖さだと言うべきでしょう。


 例えば、社会的な地位に恵まれた人々ほど、その結果を、環境要因よりも自分自身の努力や能力の結果だと歪めて認知します。

 そのことは、明らかに、自らの自尊心に好都合です。

 ですから、ASDプロセッサというものは、人間という生物の脳において、ほとんど常に活動していると言えます。


 例えば、歴史的なキリスト教では、動物の肉は人間が食べるために神が用意したのだと教えていました。

 そうであるなら、人が家畜の肉を食らう時、良心の呵責を感じる必要はありません。

 ASDプロセッサは、他者に残酷になる権利をもたらす装置なのです。

 そして、権利や尊厳を否定された存在は、利己的に消費され命まで奪われたとしても、倫理的な論点を意識されません。


 良かれ悪しかれ、現実の世界はゼロ和ゲームではありません。しかし利益が互いに独立しているわけでもなく、現世には競争が存在します。

 競争し、攻撃し、奪うこともするのでなければ、一方的に奪われて死ぬだけです。

 そして他者を攻撃する時、人間の脳はその直前に、対象への共感をオフにします。

 それはまさに、ASDプロセッサの機能だと言えます。


 必要に迫られれば、人間は人間を平気で殺せるようにできているのです。


 それを誰よりも知っているのは、実の親に殺されていった人々だと思うのです。


 しかし、近代になって科学が育ち、歴史的な宗教の地位は没落しました。

 それによって人類は初めて、客観という言語を手に入れました。

 争い合って奪い合うよりも、協調によって幸福を増すことを知ったのです。


 しかし同時に、科学は強力な兵器ももたらしました。

 事実ではない言いがかりをつけて一国を事実上滅ぼすことは、現代でも盛んに繰り返されています。


 利益になるなら、嘘をついてもいいのでしょうか?

 もしも私的な利益のために嘘をつけば、自分自身の心に対しても嘘をつく結果になり、自分のASDプロセッサを起動してしまいます。

 ASDプロセッサが起動してしまえば、幸せになる権利がある人々の幸せになる権利を客観的に見ることはできなくなり、主観のために歪んだ世界観の中で思考し生きていくことになります。

 利益のためであっても嘘をつかないことの社会的な合理性が近代的な科学の俎上の上でもしも理解され、良識として共有され通念されたならば、それは非常に根本的なパラダイムシフトになると考えられます。


 自尊心を守りたい、と思うことが、人間の人情です。

 自分に有利な主張をしたい、と思うことが、人間の人情です。

 自分に備わった能力を過大に評価して楽観したい、と思うことが、人間の人情です。

 それらはとても自然なことです。

 しかし、結局はうまくいきません。


 そのために人々は、少し謙虚になれば得られた幸福を逃します。

 必要のない闘争を争い合い、やがて人類は破滅的な苦しみへと沈んでいきます。

 そのことを最も知っているのは、ASDの親を持った子かもしれません。


 ASDプロセッサについて論じることは、誰しもにできることだとは思えません。

 人間の邪悪な内面に目を向けることは、利己的には意味のないことだからです。

 しかし、ASDに殺されていく子供達なら、ASDの親を持った他の子の幸せを望むかもしれません。

 ASDを減らすことはできませんが、ASDによる虐待を減らすことはできるはずです。


 そしてそこには、近代を「解く」力が宿っていると思うのです。

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― 新着の感想 ―
[良い点] きっと、真摯な返信を頂けるだろうな、という欲張り心でした。 が、想像以上に真摯な返信に、恐縮しております。 [一言] まさか、僕の汚濁を読んで下さったとは。 結構、キツいことを書いてしまっ…
2021/11/18 00:33 退会済み
管理
[良い点] 心臓を杭で貫かれたかのような衝撃でした。 ASDを親に持つASDの子の叫びを代弁しているかのようです。 [一言] 僕は、自分の遺伝子を残したくない、そう思っているのです。 子が、あまりにも…
2021/11/16 19:34 退会済み
管理
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