91話 魔法を習うには
大階段を上り二階へ行くと、廊下には従僕たちにより作業台のワゴンが水晶と共に準備されていた。
(あの辺りなのね)
作業用のワゴンの位置でファウスタは場所を把握した。
そのとき。
「……!」
女性の悲鳴が聞こえた。
案内役のシリルもアボット夫人も、作業用ワゴンの横に控えていた従僕も、皆が顔を上げて周囲を見回した。
ミラーカの視線が鋭くなった。
(あ……)
幽霊の御姫様が壁からすっと抜け出て来た。
(御姫様が何かなさったの?)
「様子を見て来ます」
シリルはファウスタとミラーカにそう言うと、アボット夫人に目配せをして声のした部屋の方へと歩を進めようとした。
するとシリルが歩を進めるより早く、部屋の扉が勢いよく開いた。
「どうした?!」
血相を変えまろぶように扉から出て来たメイドに、シリルは声を掛けた。
アボット夫人が眉を歪める。
「無礼ですよ。控えなさい」
アボット夫人の厳しい言葉に、メイドは弾き飛ばされるように謝罪した。
「も、申し訳ございません!」
メイドは何かに酷く怯えたような顔をしていたが、ファウスタたちがそこに居た事にも驚いたようで混乱した様子だった。
「あの、すみません! 怪奇現象でしょうか」
ファウスタは声を上げ、混乱しているメイドに問いかけた。
怯えた表情のメイドは射貫かれたように目を見開いてファウスタを見た。
「大きな音が鳴ったり、風が吹いたみたいに物が動いたりしたのでしょうか」
二階の怪奇現象が起こったという部屋に、呪いの残滓があるのだろうと予想してファウスタたちは来ているのだ。
その二階から、呪いを魔法で吹き飛ばす御姫様が出て来て、メイドが吃驚した顔で飛び出して来た。
(御姫様が呪いを魔法で吹き飛ばして、皆さんを驚かせたんじゃないかしら)
「……は、はい。お、おっしゃる通りで、ございます」
動揺を露わにしたメイドは、つっかえながら答えた。
ミラーカはいつもの微笑を浮かべると、案内役のシリルに言った。
「お部屋の様子を拝見させていただいてよろしいでしょうか。私共は怪奇現象の解決のために来ております」
「このお部屋はきれいです。黒いモヤはありません」
ファウスタは室内の様子を確認した。
眼鏡をずらしてみたが、モヤモヤも幽霊も何も無かった。
「大きな音は、幽霊が魔法で呪いを吹き飛ばしたときの音だったのではないでしょうか」
黒いモヤも幽霊も存在しない綺麗な部屋に、ファウスタはほっとすると同時に少し寂しい気持ちにもなった。
掃除に熱意を燃やしていたのに、肩透かしを食らってしまったからだ。
御姫様に掃除の先を越されてしまった。
(やっぱり御姫様は凄いのだわ)
ファウスタが水晶で呪いをせっせと掃除するよりずっと早く、一瞬で、御姫様は呪いを掃除してしまうのだ。
ファウスタが地道な労働をしなければ成し遂げられない仕事を、御姫様は詠唱しただけであっさり達成してしまう。
天地ほどの能力差を目の前に、ファウスタは階級社会の身分差を見た気がした。
ただのちっぽけな孤児である自分と、王侯貴族のような御姫様とでは、こんなにも能力に差がある。
(私も魔法が使えたら良いのに)
「御姫様が呪いを掃除してくれたんだと思います」
「ファンテイジ家の守護霊って本当に居たんだね」
ファウスタが話した幽霊の御姫様のことを、シリルはファンテイジ家の守護霊と勘違いしているようだった。
(本物の守護霊も来ていたけれど……幽霊違いなのだわ)
ロスマリネ邸に到着したときに、空中でバタバタしていたティムをファウスタは思い出した。
あれから彼の姿をどこにも見かけない。
(ナジさんに連れ戻されたのかしら)
結局、二階の部屋は全てきれいになっていた。
黒いモヤの通り道になっていたと思われる部屋には、残りの水晶を置き、呪いの残滓の汚染に備える事になった。
天井にまだ黒いモヤが残っている一階の部屋のすぐ上の部屋には、特に多めに水晶が設置された。
ファウスタの仕事は、最後はあっけなく終わった。
「何かあればすぐに再調査するのだよ」
探偵業者の変装はすでにほとんど意味を成していないように思われたが、騒動が落ち着いたらマークウッド辺境伯は変装していたことを思い出したらしい。
探偵業者らしく振る舞っていた。
しかし見送りは使用人用出入口ではなく、正面玄関で行われていた。
「怪奇現象が起こったら遠慮なく我が探偵社へ連絡してくれたまえ」
「あ、ああ、よろしく頼む。ありがとう。世話になった」
ロスマリネ侯爵は、マークウッド辺境伯の業者ぶりに若干引いているようではあったが、芝居に付き合ってくれていた。
「君たちも今日はありがとう」
ロスマリネ侯爵はファウスタとオクタヴィアにも声を掛けた。
「君たちのおかげで先祖たちについて考える機会を得た。とても有意義な時間を過ごさせてもらったよ」
ロスマリネ侯爵の後ろに、デュランをはじめ、玄関ホールにいた幽霊たちも並んでいた。
「ん? また何か視えるのかね?」
視線を彷徨かせているファウスタに、ロスマリネ侯爵が問いかけた。
ファウスタの霊視をすっかり信用しているような口ぶりだった。
「はい。デュランさんの他にも幽霊の皆さんが見送ってくださっているのです」
ファウスタの言葉に、皆が一斉に好奇の視線を向けた。
「ほう!」
「ファウスタ、どんな幽霊たちなのかね?! 説明してくれたまえ!」
「はい、あの、先程まで玄関ホールにいらっしゃった方々です」
ファウスタは幽霊たちの特徴を次々と説明した。
老人、老婦人、中年男性、そして最後に少女の幽霊について説明した。
「女の子はデュランさんと仲が良さそうです。にこにこしています」
ファウスタのその説明に、ロスマリネ侯爵とシリルが目の色を変えた。
「何歳くらいの少女だね?!」
「その子はミリアム・ロスマリネ?!」
「名前は解らないです……あっ!」
問いの答えを探すようにファウスタが少女の幽霊に視線をやると、少女はミリアムという名前にうんうんと頷いていた。
「そうかもしれません。頷いています」
「信じられん!」
「凄い!」
驚きの声を上げるロスマリネ親子に、マークウッド辺境伯は興味津々で問いかけた。
「デュランにゆかりのある少女なのかね?」
「デュランの魔石について書かれている手記の作者だ。その手記というのは少女の日記なのだ」
サイラス・ロスマリネの末娘ミリアムの日記に、デュランの持つ魔石や風魔法について、デュラン本人から聞いた話も含め詳しく書かれていたという事だった。
ミリアムは成人前に故人となったが、末娘の日記をサイラスは大切に保管していた。
それが今でも残っているのだという。
「私の母が物語が好きでね。戦場の魔術師とも言われたデュランは、本物の魔術師だったのではないかと、彼女は過去の文献を調べたのだ。そしてミリアムの日記の写本を見つけた。原本は当時の領地館にあったらしい。少女の空想日記だとばかり思っていたが、まさか実話とはね……」
「ねえ、ファウスタ、御姫様は戻っていらしてるの?」
帰りの馬車に乗り込むと、オクタヴィアは周囲を見回しながらファウスタに問いかけた。
「はい。乗っていらっしゃいます」
幽霊の御姫様は来たときと同じように馬車の中に居た。
「やっぱり私に憑いているのかしら?」
「解りません。ロスマリネ家でも自由に行動していらして、二階にもいらっしゃいました」
マークウッド辺境伯がきらりと目を輝かせた。
「二階の掃除が随分と早かったようだが、魔法戦争があったのかね?!」
「はい。御姫様が魔法で呪いを吹き飛ばしたみたいでした」
ファウスタは二階で起こった事を説明し、そして神秘学に造詣が深いマークウッド辺境伯に思い切って質問してみる事にした。
「あの、魔法って、勉強すれば使えるようになりますか」
「何! 魔法の勉強だと!」
「まあ!」
マークウッド辺境伯とオクタヴィアはほぼ同時に声をあげた。
「魔法を習いたいのかね?! 魔術師になりたいのかね?!」
「お父様、ファウスタに魔法を習わせてあげて! フラメール氏に家庭教師になっていただいたらどうかしら?!」
「フラメール氏が家庭教師!!」
マークウッド辺境伯はオクタヴィアの提案に、まるで心臓を掴まれたように鋭く息を吸った。
「尊き聖人であらせられるフラメール氏に家庭教師の仕事などさせられぬ! いやしかし、もし実現したら……ああ! どうすればいいのだ!」
「古物商のお仕事にはこちらからお手伝いを手配して、週に一度くらい講師という事で来ていただけないかしら。私もっとフラメール氏のお話しが聞きたいの」
「私も聞きたいのだよ!」
マークウッド辺境伯とオクタヴィアはフラメールの話で盛り上がった。




