84話 呪いの天使人形
(御姫様は来てくれないのかしら)
ファウスタは部屋の中を見回した。
幽霊の御姫様は魔法で黒いモヤモヤの呪いを吹き飛ばすことが出来る。
彼女が此処へ来てくれれば、また魔法で助けてくれるのではないかと思ったのだが、どこにも姿が見当たらない。
(どうして来てくれないのかしら)
「手伝います」
ユースティスが進み出て、従僕から人形が入っているという箱を受け取った。
「箱はこちらへ」
霊感商品が置かれている台の横でミラーカがにっこり微笑んでいた。
台の上はいつの間にか整理整頓され、箱が置けるくらいの空間が作られていた。
ミラーカの隣りでは、手袋をしたロスマリネ家の従僕が幸福そうな笑顔で控えている。
(……何かしら)
ファウスタは、何かそわそわとした空気を感じた。
誰かが何か焦っているような感じだ。
霊感商品が並ぶ台の上にユースティスが箱を置くと、そのそわそわ感がさらに大きくなった。
どこか苦しそうでもある。
(悪魔人形のときと似ているのだわ)
ファンテイジ家の三階の人形部屋で、アルカードが人形に近付いたとき、ファウスタは人形が何か焦っているような雰囲気を感じた。
その時の空気に似ていた。
「もう少しお下がりください」
ルパートが一同に箱から距離をとるよう声を掛けた。
悪魔人形の大暴れを知っているマークウッド辺境伯家の面々は、すすっと後ろに下がった。
マークウッド辺境伯は後退しながらも、首だけを伸ばして箱に大注目していた。
ロスマリネ侯爵家の面々は状況がよく解っていないようだったが、それでもマークウッド辺境伯たちと同じ位置まで下がった。
「では、開けます」
ルパートはそう言うと、すぐ傍に立つユースティスとミラーカに目配せした。
三人の吸血鬼に包囲された状態で、ルパートにより箱の蓋が開けられた。
ルパートが箱の中から人形を掴み出す。
箱から出された人形は、白い天使の人形だった。
白っぽい金髪に、白い服、白い翼。
「ふむ!」
マークウッド辺境伯は片眼鏡に手を掛け、人形を良く見ようとしているのかさらに前のめりになり首を伸ばした。
(何だか……病気みたい……)
ファウスタは何故か人形がぐったりしているように感じた。
そのとき。
「……ぐぎぅ……」
突然、呻き声が聞こえた。
「今の声は……」
金属が軋むような、女性か子供のような高い声だったので、その場にいた人々はファウスタやオクタヴィアや女性使用人たちを見回した。
何人かの視線を受け、ファウスタもオクタヴィアも首を横に振って否定した。
「まさか! 今の声は人形かっ!」
常識にとらわれないマークウッド辺境伯が興奮気味に叫んだ。
シリルは何か恐ろしいものを見たかのような顔で固まっている。
「あっ!」
人形からおもむろに黒い煙がブシューッと吹き出した。
「呪いの人形です! 黒いモヤを出しました! その人形が呪いです!」
ファウスタは声を上げた。
人形から噴き出した黒いモヤモヤは霧のように漂いながら、何か一つの形を目指しているのかのろのろと動いた。
ファウスタの指摘を受け、ルパートは人形を再び箱に戻した。
だが黒いモヤは人形から切り離されてその場に残って浮遊している。
「モヤモヤが残ってます!」
空気がふっと変わり張り詰めた。
(吸血鬼の皆さんのエーテル?!)
だが黒いモヤモヤは何の影響も受けていないかのように浮遊して蠢いていた。
それは一つの方向を目指しているのか、雲のようにたなびいて、だんだんにナメクジか蛇のように細長くなっていく。
ファウスタはその伸びた黒いモヤの目指す方向を振り返った。
ロスマリネ侯爵が居た。
「逃げてください! ロスマリネ侯爵様に向かっています!」
「……っ!」
ファウスタの声に、ロスマリネ侯爵は驚きと戸惑いの表情を浮かべる。
「ロスマリネ卿、君は安全のためにひとまず別室へ避難したまえ」
マークウッド辺境伯の言葉に、ロスマリネ侯爵は戸惑うように辺りを見回した。
「何が起こっているのだ? 危険とは?」
(どうすればいいの?!)
ファウスタは必死に考えた。
ファウスタは親友のジゼルとピコのために、ロスマリネ侯爵を助けなければならないのだ。
ロスマリネ侯爵に、子供の労働者を守る法律を作ってもらうために。
(御姫様はいらっしゃらないし、ユースティスさんたちのエーテルでは捕まえられないみたいだし、どうすればロスマリネ侯爵様をお助けできるの?!)
黒いモヤモヤは壁をすり抜け、呪った対象を追いかける。
ロスマリネ侯爵を別室に避難させれば時間稼ぎはできるだろう。
だがそれでも呪いはゆっくりとロスマリネ侯爵を目指して移動する。
ここはロスマリネ侯爵の屋敷だ。
この屋敷に住んでいる限り、いずれ呪いはロスマリネ侯爵に辿り憑く。
もしくは侯爵の家族に憑く。
(御姫様が魔法で吹き飛ばしてくれればいいのに……)
ファウスタは祈るような気持ちで再び部屋を見回したが、御姫様の姿はどこにもなかった。
親友たちの人生を左右する重大な危機に、必死に考えるファウスタの頭には今までの記憶がぐるぐると巡った。
「そうだ! 水晶!」
ファウスタは三階の飾り棚の水晶が真っ黒だったことを思い出した。
水晶は呪いを吸い込むのだと魔物たちに教えられた。
「水晶! 水晶はありませんか!」
「あるわ」
オクタヴィアはハンドバッグからペンデュラムを取り出した。
「これは紫水晶よ」
「お借りしてよろしいでしょうか!」
「もちろんよ。何か考えがあるのね」
「はい!」
ファウスタはオクタヴィアからペンデュラムを受け取ると、黒いモヤモヤに駆け寄った。
黒いモヤモヤは触りたくないとても嫌なモヤだ。
しかしファウスタには冬の寒い日の野菜洗いや洗濯の経験があるのだ。
嫌な気持ちを制圧して、冷たい水に手を入れる勇気がファウスタにはあるのだ。
(ジゼルとピコの人生がかかっているのよ!)
黒いモヤに接近すると、真っ暗闇に躊躇するような本能的な恐怖に体が一瞬固まった。
走馬灯がくるくると映し出す影絵のように、今までの人生の色々な場面がファウスタの頭の中を巡った。
(こんなモヤモヤより貧民街の方が百倍怖いわ!)
ファウスタは論理で恐怖心をねじ伏せ、黒いモヤに更に一歩踏み出した。
(視えるのは私だけなんだもの! 私がやらなきゃ!)




