83話 人形の悪夢
(あの黒いモヤは眼鏡をしていても見えたのだわ)
ロスマリネ侯爵夫人に纏いついた何匹もの大蛇のような真っ黒なモヤを見た時、ファウスタは眼鏡を掛けたままだった。
エーテルを遮断する眼鏡を掛けていても見えたということは、あの黒いモヤは魔力ではなく呪力だったのだろう。
ここに並べられている霊感商品が纏う灰色は、眼鏡を掛けると見えなくなる。
この灰色はおそらくエーテルなのだ。
黒いモヤとは色だけではなく性質も違うのだ。
「ここにある品の灰色のモヤは全部エーテルですが、奥様に憑いていた黒いモヤはアストラルだと思うのです」
「なるほど!」
神秘学の専門用語を知るマークウッド辺境伯は即座に理解して声を上げた。
ロスマリネ侯爵とシリルは意味が解らないようだったが、それでも他に不吉な品物がある可能性について思案し始めた。
「帳簿に記載されていない買い物があるという事か」
「贈答品なのかも……あっ!」
急に気付いたように、シリルは家令クラークに振り返った。
「母上が僕の部屋に置いた天使の人形、どこへ片付けたか知ってる?」
「人形ですか?」
「ディーンに片付けるように言ったんだけど」
「人形だと!」
「人形!」
マークウッド辺境伯とオクタヴィアがそろって声を上げた。
「我が家にあった呪いの人形と同じものかもしれん!」
「その人形は知恵の天使だとかで、部屋に置けば勉強が出来るようになるからと、母上が僕の部屋に置いたんです。怪しい品を部屋に置くのは気がすすみませんでしたが……それで母上の気が済むならと、了承しました。ですが、そのころから体調が優れなくなりました。そしてある日、まあ、変な話なのですが、その天使人形が夢に出て来たんです」
従僕ディーンに片付けさせたという天使人形を持って来るよう、シリルは使用人に命じた。
使用人が天使人形を持って来るのを待つ間、シリルは人形にまつわる話を皆に語った。
「それで……何と言うか、その、あまり良くない気がして、従僕に人形を片付けてもらったんです」
「その夢というのは、悪夢だったのでしょうか」
オクタヴィアが質問すると、シリルは少しばつが悪そうにもじもじした。
「……ええ、まあ……あまり良い夢ではありませんでした。別に悪夢が怖いというわけではありませんが、気持ちの良いものではなかったので。気分的なものです」
(夢の中まで怖いお人形が追いかけて来たら……恐怖なのだわ)
ファウスタは悪魔人形やナスティ人形が夢に出て来る可能性を考えてしまい、怖くなって身震いした。
(怖くて眠れなくなるのだわ)
今まで怖い人形が夢に出て来たことは無いが、そういう事もあるのだと知ってしまったらファウスタは急に怖くなった。
(お人形が夢に入り込めなくなる結界ってないのかしら。帰ったら魔物の皆さんに聞いてみよう)
「人形を母上に返却すると、とやかく言われると思い、こっそり目につかない場所に片付けてもらったんです」
「どんな悪夢だったのかね?」
マークウッド辺境伯が真剣な表情でシリルに質問した。
「夢の中に事件の手がかりがあるやもしれん」
「夢にも意味があったりするのですか?」
「うむ。夢の中で霊からメッセージを受け取るのはよくある事なのだ。精霊や神が夢に降りて来て未来を教える事もあるのだよ。この屋敷にはデュランやサイラス殿の霊がいる。彼らが君に夢を見せて、何か伝えようとしたのではないかね」
マークウッド辺境伯は、心霊現象を肯定した前提での珍妙な推理を語った。
「大した夢ではないのです。子供が争っているような声が聞こえて夜中に目覚めると、人形が動いてしゃべっていた、という夢です」
シリルが夢の内容を説明すると、オクタヴィアは首を傾げた。
「それは本当に夢なのですか?」
「人形が動くはずはありませんから、夢でしょう」
シリルは淡々と答えた。
「もともとその人形に良い感情を持っていませんでしたので、そのせいでそんな夢を見たのではないかと思いました。夢により自分がその人形を嫌悪していることを自覚しましたので、片付けさせました。体調を崩していましたから、気分の悪いものを排除してなるべく落ち着ける環境で過ごしたかったのです」
「人形をお持ちいたしました」
従僕が両手で抱えられるくらいの大きさの箱を持って来た。
「それです!」
従僕が抱えているその箱を見るなりファウスタは声を上げた。
「黒いモヤが出てます!」
その箱は濃淡の黒い染みだらけだった。
黒い染みから蛇のようなものがうねうねと飛び出して蠢いている。
不気味な黒い蛇が何匹も生えている箱を前に、ファウスタは後退った。
「人形はこの箱の中にございます」
従僕は少し不安そうな顔でそう言うと、声を上げたファウスタを気にした。
「この箱の中に呪いの人形があるのか!」
マークウッド辺境伯は興味津々で身を乗り出したが、ルパートがすっと前に進み出てそれを制した。
「閣下、危険です。近付いてはなりません」
「少し見るくらい……駄目かね?」
「なりません。呪いの人形の危険性は、閣下ご自身が重々承知しておられるはずでございましょう」
「それはまあ……知っているのだが……」
「私が中を確認いたします」
ルパートはそう言い、一同を振り向いた。
「安全のため、皆さんは離れた場所でご観覧ください」




