711話 古竜
(森の奥深くに居るという古竜がこんな場所に?)
タニスは内心で首を傾げた。
いくら速足だったとはいえ数十分しか歩いていない。
ヒュペルボレア村からそれほど離れていないはずだ。
だが徒歩数十分の場所に、地図に載っていない深い洞窟があり、その洞窟の奥には巨大な竜が居た。
竜の伝説は数多あるが存在はほとんど幻だ。
竜は世界に何匹も居るものではない。
マークウッドの森に竜がいたら、それはマークウッドの森の主。
マークウッド同盟の盟主、古竜で間違いないだろう。
(村から然程離れておりませぬのに。やはり此処は異次元ですかな)
「爺さん、緊急事態だ!」
暗闇の中で光る大きな目玉に向けて、ティムは言った。
「ファウスタとユースティスが遭難した! 捜索を手伝ってくれ!」
ひんやりとした洞窟の中に、ティムの声が反響した。
小山のような大きな黒い影となって洞窟の中でうずくまっていた古竜は、爛々と光る目にティムを映していたが、目玉をギョロリと動かしてタニスに視線を向けた。
(……!)
そして古竜は深い溜息のような息を吐いた。
古竜の息吹にほんの少しの風が起こる。
古竜は視線をティムに戻すと、魔力で空気を振動させて人語を発した。
『……童、また約束を破ったな……』
不思議な響きで苦言を言った古竜に、ティムは言い返した。
「緊急事態なんだ!」
『約束は守れと言うておるに』
「事件が起こっちまったんだから仕方ないだろ。事故なんだ!」
『それに……随分と邪悪な小娘を連れて来たな……』
「ん?」
『童の後ろにおるその娘だ』
「ああ、タニスのことか。俺の友達だ」
『森を焼いた魔女だろう』
(……っ!)
タニスは過去のやらかしを指摘され、自分が窮地に陥っていることを認識した。
慌てて自己紹介と謝罪をした。
「森の主よ、お会いできて光栄に存じます。私はペレグのタニス。過去の過ちは反省しております。二度といたしませんゆえお許しくだされ。お望みとあらば誠心誠意をこめて森に植樹をいたします!」
『植樹はもう足りておる』
「じゃあもう良いな」
ティムがさっさと終わらせようとすると、古竜がまた不満を述べた。
『その邪悪な小娘を追い出せ。話はそれからだ』
「意地悪するなよ。タニスは役に立つ奴なんだ」
『森を焼いた、森の敵だろうが』
「俺が役に立つって言ってるんだ」
ティムは尊大な態度で古竜に向かって言った。
「俺の判断のほうが爺さんより正しい」
(なんと恐れ知らずな……!)
古竜を「爺さん」呼びして反論するティムを見て、タニスは内心で冷や汗をかいた。
洞窟の中には古竜のエーテルが満ちている。
タニスはエーテルを感知できることは当然として、戦闘に長けているがゆえに古竜が圧倒的な強さであることも直感で覚っていた。
ティムがタニスを弁護してくれることはありがたく、タニスなりに感謝している。
だがティムは同時に古竜の機嫌を損ねている。
もし古竜が怒り、攻撃してきたら、とてつもなく頑丈だという噂のティムは平気かもしれないが、タニスは非常に危うかった。
防御魔法の準備はしているが、古竜に出会ったのはこれが初めてで、相手の素早さも攻撃方法も未知だ。
解っていることは、古竜が圧倒的に強いということだけ。
非常に分が悪かった。
「いつだって俺のほうが爺さんより正しかっただろ。森はまだあるんだから」
ティムが堂々とそう言い放つと、竜はまた深い溜息のような息吹を吐いた。
『……そうだな……』
(森がまだある?)
ティムの意味深な言葉にタニスは興味を持ったが、森の主である古竜の前で『森』について不用意な発言をするほど愚かではなかったので沈黙を守った。
「遭難者の捜索を頼むよ」
ティムは話を戻した。
「行方不明になったのは俺の弟分と妹分なんだ」
『童の妹分は、例の魔眼の子か?』
「そう、ファウスタだ」
『では、致し方ないな……』
古竜はのっそりと巨体を起こして、ティムとタニスに背を向けた。
『乗れ』
「おう」
ティムは返事をすると、ひらりと古竜の背に乗った。
そしてタニスを振り返った。
「タニス、行くぞ」
「はい」
タニスは箒を浮かべると搭乗した。
「ちがう。タニス、俺と一緒に爺さんの背中に乗るんだ」
「ふぁっ?!」
『童……』
タニスと古竜が同時に声を上げた。
『儂の背中に邪悪な魔女を乗せる気か?』
「そうだよ。乗らなきゃ一緒に行けないだろ。役に立つから連れて行く」
ティムのその言葉に、タニスは箒の上で震えた。
「お、お、恐れ多いことであります。私には箒がありますゆえご遠慮申し上げまする」
「はぐれたら面倒だから。乗った方が確実だ」
「そ、それは古竜様に無礼でありましょう。私は箒で行きまする。ぴったり付いて行きますゆえ」
タニスは古竜の機嫌を損ねることに危険を感じて丁重に辞退した。
「そうか? はぐれたら探しに行かなきゃいけないから二度手間だぞ?」
ティムはぼやいたが、古竜は首をもたげ翼を広げた。
『離れなければ行けるだろうよ』
「付いて行きまする。箒には自信があるのです」
「じゃあタニス、俺の近くに来い」
「了解であります」
箒に乗ったタニスは、古竜の首のあたりに乗っているティムに接近した。
『行くぞ』
古竜は大きな翼を羽ばたかせた。
(ここで飛ぶのですか?! この穴倉の中で?!)
ここは洞窟の中だ。
古竜の巨体でどうやって洞窟から出るのかがタニスにはまず疑問だったが、古竜はその場で羽ばたいた。
疑問を抱きながらタニスは箒でぴったりと古竜に寄り添い、ティムの隣の位置を維持しながら古竜の動きに合わせた。
それなりの広さがあるとはいえ、ここで飛翔したらすぐ天井にぶつかるだろうと思われたが……。
「……?!」
カーテンを潜るようにして、難なく天井を抜けた。
(すり抜けた? 岩を? いえ、これは……)
洞窟の天井を抜けると、そこは夜空だった。
古竜に寄り添っているタニスは、夜空を飛行していた。
(世界を渡った?)




