71話 灰色が漂う
使用人階段から一階に上ると、ファウスタは眼鏡を少しずらしてみた。
外から屋敷を見た時に、灰色のモヤモヤは一階の辺りが一番濃かったからだ。
(モヤモヤがモックモク……)
眼鏡をずらして視ると、一階の廊下には灰色の薄いモヤが煙のように充満していた。
霧の濃い日のように廊下の先が煙っていて見えない。
眼鏡を元にもどすと灰色の煙は全て消え、絢爛豪華な廊下が先の方まで見通せた。
金色の額縁の絵画がいくつも飾られている薄いクリーム色の壁。
天井からはシャンデリアが吊り下がり、足元は鮮やかな深紅の絨毯。
神話を題材にしたものだろうか、雪花石膏の彫刻が飾られている。
まるで宮殿のように明るく豪華な廊下だが、眼鏡をずらすと途端に煤けた廃墟のように色褪せて灰色にくすんだ。
(……あれ?)
ファウスタはファンテイジ家の三階を霊視したときにミラーカに教わった呪いの特徴を思い出した。
(どうして廊下や外まで煙ってるんだろう)
ファンテイジ家の三階にあった呪いの人形が吐く呪いは黒いモヤで、廊下には溢れていなかった。
呪いというのは、呪った対象に向かってゆっくり進むから、外へは散らないのだとミラーカは言っていた。
(決まった方向に進むんじゃなくて、お外にまでモクモク溢れてるってことは呪いじゃないのかしら)
そして呪いというのは呪力であり、魔力とは違うのだとも教わった。
(この眼鏡ってエーテルを遮断するから、エーテルが見えなくなるのよね。眼鏡を掛けたら見えなくなるってことは、モクモクはエーテルなのかしら)
エーテルだとしたら、吸血鬼たちは感知しているのではないだろうか。
ファウスタはちらりと吸血鬼たちを振り返った。
ミラーカとルパートがまたにっこりと微笑み返して来た。
ユースティスも上機嫌だ。
(皆さんもう何か気付いているのかしら。でも人間がいる所では吸血鬼の目で何が見えるかは聞けないのだわ)
吸血鬼たちが呪物の存在を疑っていると聞いていたので、呪物があるのだろうという先入観がファウスタにはあった。
だから灰色のモクモクは呪いだと最初に頭から決めつけて考えてしまったが、特徴からするとこれは魔力ではないだろうか。
(灰色のエーテルもあるのね)
ファンテイジ家の魔物たちの纏っているエーテルは全て青系の色だった。
アストラルに白と黒があったように、エーテルにも別の色があるのかもしれない。
ファウスタが歩きながら逡巡していると、目の前に急に、ぬっと顔が現れた。
隻眼の黒騎士デュランではないかという眼帯の戦士の霊が、ファウスタの前に顔を突き出し、間近で覗き込んだのだ。
「ふぎゃっ!!」
ギョロリとした隻眼と目が合い、ファウスタは驚いて思わず叫んだ。
ファウスタの奇声に、皆が一斉に振り向いた。
「何か視えたのかね?!」
即座にマークウッド辺境伯がファウスタに問いかけてきた。
そして問い終わると同時に、ファウスタの答えを待たずロスマリネ侯爵の方を振り向いて言った。
「ロスマリネ卿、ファウスタに自由な発言を許してやって欲しいのだよ。ファウスタの目で何が視えているのか、気付いた事を何でも言ってもらうことが事件の早期解決に繋がるのだよ」
「もちろんだ。許可するとも」
「……すみません、幽霊が急に出てきて、吃驚してしまいました」
ファウスタは眼帯の戦士が急に目の前に飛び出して来たことを説明した。
そして彼が一つの扉を指差している事も。
(あの扉のことを私に知らせようとしたの?)
ファウスタが眼帯の戦士の幽霊を見やると、幽霊はファウスタの視線に微笑んで頷いた。
自信に満ち溢れているような、堂々とした微笑みだった。
「こちらは居間でございます」
男性使用人は戸惑うような表情を微かに浮かべてそう言い、指示を仰ぐかのようにロスマリネ侯爵を見やった。
「居間を見て貰おう」
すかさず令息シリルが言った。
「この子は幽霊でも魔術でも不思議なものが何でも視えると聞いている。気になるものは何でも見て貰おうよ」
シリルの言葉に、マークウッド辺境伯も乗った。
「その通り。ファウスタには幽霊が視えるのだ。我が家でも幽霊が呪いの発生源を教えてくれたのだよ。ファウスタのおかげでそれが解ったのだ。隻眼の黒騎士が何か知らせようとしているのかもしれぬ」
ロスマリネ侯爵は何か考えているような曖昧な表情のままではあったが、シリルとマークウッド辺境伯の意見に同意した。
「よし、ではまず居間を見て貰おう」
(若様はご友人を通じて、この少女に何か伝えているのだろうか)
マークウッド辺境伯の一行を案内しながら、家令クラークは疑問を膨らませた。
令息シリルが、マークウッド辺境伯令息オズワルドや小姓ユースティスを通じて、霊感少女にあらかじめ何か入れ知恵をしているのではないかと。
――居間に何かいます!
使用人たちは口々にそう言い居間を特に怖がっていた。
気鬱の病で辞職した者もいる。
堅物で熟練の執事でさえ、最近のこの屋敷には何か違和感があると顔を曇らせていた。
クラークも疑問を持っていなかったわけではない。
長年この屋敷で働いて来た家令クラークも、執事と同じく、最近の屋敷の様子には釈然としない違和感を覚えていた。
掃除は行き届いているはずなのに、どこか薄暗い感じがするのだ。
家政婦長には念入りな掃除を指示し、隅から隅まで磨き上げさせたが、それでも何か煤けているような印象が払拭されない。
どこか雑然とした薄汚れた雰囲気が、誉れ高いロスマリネ家の屋敷を完璧に整えたいクラークの神経を逆なでた。
特に一番気になっていたのは、やはり居間だ。
いくら掃除しても、調度品を磨き上げても、綺麗になったという気がしない。
居間の窓硝子は毎日磨くよう指示しているが、それでも薄暗い気がする。
老朽化が原因かとも思い、今年の社交期が終わったら壁紙の張替えを主人に提案しようとも考えていた。
(若様が居間にまつわる使用人たちの噂をあちらに伝えたとしか思えないが、しかしそれに何の意味があるのだ)
霊感少女が急に叫び声を上げ、幽霊が居間を指差していると言い出した事について、クラークは何か脚本があるのではないかと疑った。
隻眼の黒騎士については、ロスマリネ家の歴史を調べれば解る事だ。
あらかじめ調べて、さも幽霊がいるかのように言うことは出来よう。
彼女が使用人たちが最も恐れている居間を的確に指摘したことも、使用人たちの話を最初から知っていたとすれば不思議ではない。
(マークウッド辺境伯は大芝居を打って、我々をかつごうとしている?)
クラークは大がかりな茶番を疑った。
しかしマークウッド辺境伯に何の利益があるというのか。
そこにシリルが加担する意味も解らない。
金銭が目当ての霊能者であれば、大がかりな芝居でさも霊がいるかのように振る舞うこともあるだろう。
彼らは除霊で金銭を得ているのだから。
だがマークウッド辺境伯は財産家だ。
霊能者は除霊で高額な収入を得ているが、大貴族にして富豪であるマークウッド辺境伯の財産の前では、霊能者の稼ぎなど塵に等しい。
財産家のマークウッド辺境伯が茶番を演じる意味が解らない。
令息シリルがこの屋敷に幽霊がいるかのように振舞う理由はもっと解らない。
ではこの霊感少女が皆を騙しているのだろうか?
クラークは霊感があるという丸眼鏡の少女ファウスタを見やった。
まだ子供の年齢の小さな少女だ。
霊感商法の脚本を一人で考えつくとは思えない。
脚本に必要なロスマリネ家の歴史や屋敷に関する情報を、この少女が単独で知るのは不可能だろう。
少女の後ろに糸を引く黒幕がいるとしたら?
仮にそうだったとして、それをファンテイジ家の使用人たちが見過ごすだろうか。
ファンテイジ家の王都屋敷には有能な家令アルカードもいるのだ。
クラークはファンテイジ家の家令アルカードを執事クラブで見知っていた。
執事たちの集まりである執事クラブは、執事の経験のある家令も入会を許されているため、執事から家令となったクラークとアルカードも会員として名を連ねている。
アルカードは年に数回しかクラブには顔を出さなかったが、執事時代からの長い年月の中でクラークは彼と直接話す機会を何度か得ていた。
アルカードは非常に知的で教養が高い毅然とした紳士で、執事としても家令としても理想的であり、安っぽい霊感商法に騙されるタイプではない。
むしろそういった詐欺が疑われる事件について鋭く問題点を指摘し、警告や忠告を発する人物である。
(若様は何をお考えになっていらっしゃるのか)
幽霊や魔法は空想の産物であると認識しているクラークにとって、心霊探偵と称するマークウッド辺境伯一行の行動は不思議の連続だった。
そして「何故それを知っているのか」という疑問について、シリルが知らせたと考える以外に答えは見出せなかった。
そうでなければ部外者が知るはずの無いことを、知っているはずがないのだ。




