706話 タニスの呼子笛
――翌朝。
ファウスタは朝食を摂った後、メイドのコニーに手伝ってもらい森に行く支度を整えた。
ティムとユースティスと一緒に古竜に会いに行くためだ。
オクタヴィアたち人間が、ファウスタがいなくなったことを不審に思わないように、ユースティスが催眠術を使って誤魔化してくれている。
森へ行くファウスタの装備について、吸血鬼メイドのコニーがティムに相談すると、ティムは「すぐ近くだからいつものままでいい。散歩に行く感じだよ。昼食までには帰れるだろ」と答えたので、ピクニックに行くような軽装だ。
外遊び用の簡素なデザインのワンピースにブーツ。
腰のベルトには、吊り下げタイプの小物入れ。
エーテル防護眼鏡は、いつものエーテルが少しだけ見える眼鏡だ。
「ファウスタ様の髪は私にお任せあれ」
魔女タニスが自信満々そう言い、ファウスタににじり寄った。
タニスはファウスタと同じ侍女見習いになってからはずっとメイド姿だったが、今日は何故か男装だった。
「このタニスが、素敵な髪型に結って差し上げます。森の主に会うのですから特別な髪型にすべきでしょう。誰にも負けない髪型にしますぞ!」
だがタニスの提案は、コニーと、タニス付きのメイドの吸血鬼モリーに即座に却下された。
「私なら、エルフどもにも負けない髪型にして差し上げますのに……」
タニスはくやしそうに呟いたが、コニーもモリーもそれを無視していた。
今日はティムに連れられての外出なので、ファウスタはメイドの仕事をするときのように髪を結う必要はない。
だが森歩きに邪魔にならないようにと、コニーが三つ編みのお下げにしてくれた。
コニーは仕上げにファウスタに帽子をかぶせると言った。
「ファンテイジ様は、近いからすぐ帰れるとおっしゃっていますが……。念のため、これをお持ちください」
コニーは紙に包まれた飴を、ファウスタが腰のベルトに吊り下げている小物入れの中に入れて持たせてくれた。
そして肩に掛ける紐がついているブリキ製の水筒をファウスタの肩に掛けた。
水筒の中には水が入っているのだろう、重みがある。
「ユースティス様がご一緒ですから大丈夫だとは思いますが……。森歩きは体力を使います。水分や栄養が足りなくなると人間は倒れてしまいますから、気を付けてくださいね」
「はい」
「ファウスタ様、これをお持ちくだされ」
先程まで不満げにぶつぶつ言っていたタニスが、男装の上着のポケットをごそごそと探って、掌に収まる大きさの銀色の何かを取り出した。
それは首に掛ける細い紐がついた呼子笛だった。
「以前から作ろうと思っていたものですが、昨夜、大急ぎで仕上げました」
タニスが得意気に言うと、その隣でモリーが「昨晩、箒で出かけたのはそれのためでしたか……」と独り言のように呟いた。
「何かあったらこの笛を吹いてくだされ。タニスがすぐに飛んで行きますぞ!」
「遠くまで行っても、笛の音は聞こえるのですか?」
ファウスタがそう質問すると、タニスは自信満々な笑顔を浮かべた。
コニーは不思議そうな顔で、モリーは怪しむような難しい顔で、タニスがファウスタに差し出している呼子笛を見つめている。
「聞こえますぞ。吹いてみてくだされ」
「はい」
ファウスタはタニスから呼子笛を受け取った。
銀色の小さな笛だが、飾りのような赤い石が付いている。
紅玉のようにキラキラした赤い石だ。
(でもルビーじゃないよね)
小指の先ほどの大きさの石だが、本当にこれがルビーならとんでもない値段になることくらいはファウスタにだって解る。
ルビーのように美しいが、違う石だろうと思った。
「この赤い石は、何の石ですか?」
ファウスタの質問に、タニスはにこにこの笑顔で答えた。
「魔石でございます。私がたーっぷりエーテルを含ませたもので、それが動力原となります」
(動力源……?)
「この笛は、機械なのですか?」
「機械ではありませぬ。魔道具であります。吹いてみてくだされ。吹けば解りますぞ」
タニスにそう促され、ファウスタは疑問符を浮かべながらも笛を吹いた。
――ピーッ!
笛が鳴った。
高い音だ。
だが普通の笛の音だ、と、ファウスタは思ったが。
「……!」
モリーとコニーが、急に頭痛を感じたかのような反応をした。
モリーは眉間に皺を刻んで立ち尽くしているが、コニーは顔色を悪くして怯えるように身を縮めている。
開け放たれている窓の外から、外仕事をしている者たちが騒いでいる声が聞こえて来た。
ファウスタは知らなかったが、外仕事をしている庭師や下男たちはゴブリン族だ。
そして廊下を誰かがバタバタと走ってくる足音。
――ガチャ!
ドアノブが回されたが、ドアは開けられず、廊下で争う声が聞こえた。
――ティム! 女性の部屋だぞ!
――緊急事態に何言ってんだ!
――ノックをしろ!
ティムとユースティスの声だった。
――ドン、ドン!
乱暴にノックがされた。
多分ティムだろうとファウスタは思った。
「おい! 何の騒ぎだ!」
モリーが応対に出てドアを開き、廊下にいるティムとユースティスに答えた。
「ファウスタ様が笛を吹かれたのです」
「普通の笛じゃないだろ!」
「タニスさんが作った笛です。魔道具だとか」
「ファウスタ様がいつでも私を呼べるように作りました呼子笛でございます。笛が鳴ったら、この私がすぐに箒で駆けつけますぞ!」
タニスは得意気に、ティムとユースティスに呼子笛の説明をした。
「一定の強さの風を通すことで作動する魔術式であります。動力源はこの魔石です。音だけではなくエーテルも飛ばすのです。月が出ていれば月面に反射してさらに遠くまで飛びますぞ。遠話機の応用であります」
自慢するかのように説明したタニスに、ティムは不味そうな顔で問いかけた。
「ただのエーテルじゃないだろ」
「この私がエーテルを込めましたゆえ。超高濃度、高品質のエーテルであります」
タニスがそう答えると、ティムとユースティスは謎が解けたとでも言うように、それぞれが不味そうな顔で頷いた。
魔物たちはエーテルを感知することができる。
強者であり攻撃的な性格のタニスのエーテルは、その性格を裏切らないエーテルだった。
外働きのゴブリン族がてんやわんやになったり、非力な五等吸血鬼コニーが怯えたりしたのは、強者の威嚇のような攻撃的エーテルを感知したためだ。
「緊急用の笛ですので……」
タニスは三日月型に目を細めてギチギチと笑いながら言った。
「小物であれば笛の音だけで怯えて逃げ出すでしょう。ファウスタ様を守るための笛ですからな。私の誠心誠意がたーっぷり込められております」




