63話 それぞれの思惑
「ファウスタはもう起きたかね?」
マークウッド辺境伯は目を覚ますと、朝の紅茶と新聞を持って来た執事のバーグマンに問った。
「はい。いつも通り、すでに朝の仕事を始めているかと」
「そうか」
マークウッド辺境伯はベッドの上で紅茶を飲みながら、寝起きのしょぼしょぼしている目に片眼鏡を掛けると、新聞に目を通した。
新聞には昨日の議会の決議の結果が、一面に大きく取り上げられている。
「……これからヴァネッサを説得せねばな」
新聞から顔を上げると、マークウッド辺境伯は独り言のように呟いた。
「バーグマン氏、何か良い知恵はないかね?」
昨夜、マークウッド辺境伯は帰宅すると、ロスマリネ侯爵邸へファウスタを連れて行く約束をしたことを妻ヴァネッサに知らせた。
そして朝一番にロスマリネ侯爵邸を訪ねるつもりでいることを告げ、ヴァネッサに大反対された。
ロスマリネ侯爵とは昨夜、意気投合して大親友になった。
すでに気の置けない親しい間柄になったのだから、格式ばった細かい事は気にする必要はないとマークウッド辺境伯は説いたが、ヴァネッサは納得しなかった。
「恐れ入りますが、閣下、それについて、実はオズワルド様からお手紙を預かっております」
「何だとっ! オズワルドからだと!」
マークウッド辺境伯の寝ぼけ眼が、かっと見開いた。
「何故すぐに言わないのだ!」
「申し訳ありません。新聞の後にお渡ししようと思っておりました」
バーグマンは後ろに控えている従僕のラウルに目で合図した。
ラウルは手紙を乗せた銀の盆を掲げ、マークウッド辺境伯の前に歩み出た。
マークウッド辺境伯は期待と不安が入り混じった表情で、長らく部屋に引きこもっている息子オズワルドからの手紙を受け取った。
そして手紙に目を通すと唸った。
「オズワルドは天才なのだよ!」
「今日は何とかリンデンを止めなければね……」
侍女に髪を結われながら、ドレッサーの鏡をぼんやりと見つめ、マークウッド辺境伯夫人ヴァネッサは今日の一番の大仕事と言うべき事柄について呟いた。
「相手はロスマリネ侯爵ですもの……」
彼女の夫リンデンことマークウッド辺境伯は、朝からロスマリネ侯爵邸を訪ねるつもりでいる。
本人は親友になったと言い張っているが、話を聞けば、昨夜少し親しく話したというだけである。
ロスマリネ侯爵は由緒正しい伝統貴族で、王族の外戚だ。
一度や二度、親しく会話したからといって、馴れ馴れしく礼を欠いた接し方をして良い相手ではない。
その辺の子爵や男爵とは格が違うのだ。
しかも過去に、息子同士が結託して学院を脱走し退学するという不祥事を起こしている。
一人なら、賛同者がいなければ、息子は学院を脱走しなかったのではないか。
何故相手は止めてくれなかったのか。
お互い口には出さなかったが、両家とも思うところはある。
その事件以来、両家はここ一年ほどお互いに距離をとっていた。
過去を水に流して交流を再開するにしても、その最初の訪問が、無礼な朝一番の突撃であって良いわけがない。
親子そろって一体何をやらかすのかと。
マークウッド辺境伯のおおらかな性格は、物事を深刻にとらえる傾向のあるヴァネッサにとって、時には救いにもなる。
困難の中でも重く沈むことなく、けろっとしている彼は、ヴァネッサの心を幾度となく支えた。
それが彼の長所である事をヴァネッサは知っている。
だが、今回のおおらかは、駄目なおおらかだ。
ロスマリネ侯爵は、気まぐれの勢いで押しかけて良い相手ではない。
「本当に霊視を頼まれたのかしら」
マークウッド辺境伯はロスマリネ侯爵から霊視を依頼されたと言っている。
だがヴァネッサは訝しんだ。
大好きな神秘主義に目が眩んで、相手の遠回しな拒否を理解せず、相手が望んでいると思い込んでいる可能性はないか。
「嫌な予感しかしないわ……」
「恐れながら、奥様」
侍女ミラーカが進言した。
「ロスマリネ侯爵邸で怪奇現象が起こっているという噂は以前から出ております」
「あら、そうなの?」
「はい。怪奇現象を恐れ、メイドが何人か辞めたそうです」
「何だかどこかの新聞で読んだような話ね」
マークウッド辺境伯邸の悪魔憑きを恐れ使用人が辞めた、という新聞記事を、ヴァネッサは皮肉った。
「ご相談を受けた事それ自体は真実であるかと存じます」
「そうだとしても、朝から押しかけて良いわけないわ。先方のご都合を確認して、せめて午後よ」
ヴァネッサは難しい顔をすると、押し黙った。
「申し訳ありません、奥様、お嬢様には何と申し上げればよろしいでしょうか」
「……それも頭が痛い問題ね……」
マークウッド辺境伯はファウスタに霊視をさせるつもりでいる。
それを話せば娘のオクタヴィアはきっと同行すると大騒ぎするだろう。
ロスマリネ侯爵は軽んじてはならない大貴族である。
招待されていないオクタヴィアの望みを優先させる事はできない。
オクタヴィアには告げずに出発させれば、その時だけはやりすごせる。
だが後でオクタヴィアがそれを知れば、両親に裏切られたと激怒するだろう。
難しい年頃の娘の信頼を失う事は、非常に危険だ。
一時の感情と勢いで、家出や駆け落ちをされたら、娘の人生は取り返しがつかないものとなる。
中身はまだ子供でも、そんな暴挙が実行できてしまう年頃なのだ。
すでに息子のオズワルドは学院を脱走するという暴挙を実行し、貴族としての経歴に盛大な汚点を残した。
慎重にならざるを得ない。
「……きちんと話し合うしかないわ」
ヴァネッサは深い溜息を吐いた。
「あら、ファウスタ、眼鏡が出来たのね」
デボラと共に朝のお茶を運んで来たファウスタを見て、オクタヴィアは声を弾ませた。
「はい。届けていただきました」
「眼鏡の調子はどんな感じかしら?」
「良く見えるようになりました」
「それは良かったわ」
眼鏡を掛けているのは大抵が大人だ。
身分の高い者の前で眼鏡を掛けていることは失礼に当たるという理由もあり、若者や庶民にはあまり普及していない。
本や新聞を読むためには手持ちの拡大鏡を使う者が圧倒的に多い。
ましてや眼鏡を掛けている子供など、オクタヴィアは今まで見た事がなかった。
丸眼鏡を掛けているファウスタは、特別な子供に見えて、オクタヴィアは非常にそれが気に入った。
「とてもよく似合っている。素敵よ、ファウスタ」
オクタヴィアは自分の侍女の特別な見た目に、朝から上機嫌になった。
こんな特別な侍女を持っている者は、同世代には誰もいないだろう。
誰かと勝負しているわけではないのだが、オクタヴィアは勝利した気分になった。
オクタヴィアが身支度を整えた頃、部屋の扉がノックされた。
来訪者は侍女ミラーカだった。
話があるので、ファウスタと一緒に居間へ来るように、今日は朝食もそこへ運ばせるから、という両親からの指示を持って来たのだ。
「一体、何の用かしら……」
オクタヴィアは目を泳がせた。
大抵の貴族令嬢は年頃になると王立パルム作法学校へ入学する。
作法学校で二年間勉強し、卒業後に社交界デビューするのが慣習であった。
交友関係を広めるためにも、それが良いとされていた。
下位貴族の令嬢などは、作法学校でどこそこの令嬢と親しくなっておけと家から命じられている事もある。
だがオクタヴィアはその作法学校を拒否した。
両親の理解を得たとはいえ、後ろめたさがあるので、両親からの呼び出しと聞くとどうしても構えてしまうのだ。
「本日のファウスタの予定についてのお話かと」
挙動不審になったオクタヴィアに、ミラーカは微笑んだ。
「ファウスタの?」
オクタヴィアは首を傾げ、傍らで顔を強張らせているファウスタを見やった。




