61話 吸血鬼の巣
王都を見下ろすがごとく、時計塔がレイテ川河畔にそそり立つ。
巨大な時計が設置された塔を持つこの壮麗な建築は、イングリス王国議会の議事堂でもあるレツニム宮殿である。
「マークウッド卿、実に素晴らしい発言でした」
今日のイングリス王国議会では奴隷禁止法改正案の最終決議が行われた。
「馬と鹿に例えるとは、感服いたしました」
「マークウッド卿のおっしゃる通り、馬と鹿は別種族だが、種族の優劣などつけられない。また仮に優劣があったとしても、劣っているものが隷属する決まりもないのです。目が覚める思いでした」
議会が閉会すると、幾人かの貴族院議員たちがマークウッド辺境伯の周囲に集まり、今日の議会での彼の発言を褒め称えた。
「いやなに、当然の事実を言ったまで」
マークウッド辺境伯はバネのような髭を指でビヨンと撫で、貴族院議員たちの賞賛を受けた。
そして内心で、彼らが賞賛する馬と鹿の例え話の創作者に敬意を表した。
(さすがはアルカードなのだよ!)
「マークウッド卿、素晴らしい弁舌でした」
「おお、ルース卿、貴殿の支援に感謝するのだよ。体の方はもう大丈夫なのかね」
「おかげさまで大分良くなりました」
マークウッド辺境伯は、弱々しい笑顔を浮かべるルース子爵と固く握手した。
マークウッド辺境伯令息とルース子爵令嬢は一時期婚約関係にあった。
その婚約は令嬢の駆け落ち騒動により破談となったため、子爵が辺境伯の顔に泥を塗る事態となり、社会的にも家庭的にも衝撃を受けたルース子爵は心労のため一時は床に伏していた。
和気藹々としている彼らを、憎々し気に睨む貴族たちも居る。
だが多数決で改正案は議会を通過し、もはや結果は覆せない。
「マークウッド卿、事業家である君がまさか賛成してくれるとは……。感謝する」
マークウッド辺境伯にそう話し掛けてきたのは、この改正案を推し進めていたロスマリネ侯爵である。
連日の激しい質疑応答の疲労のためか、その学者風の顔は疲労の色が濃く、以前より大分やつれたように見えた。
お互いの息子が学院で騒動を起こして以来、ロスマリネ侯爵とは気まずい関係となっていたので、私的な会話を交わすのは久々であった。
「ロスマリネ卿、礼など不要なのだよ。王国を正しき道へと導く事は、貴族たる者の責務である。私は自分の信念に従ったのだ」
キリッとした顔で、マークウッド辺境伯は答えた。
「事業家が皆、卿のように高潔であったらと思うよ。卿は社会の希望だ」
「ははは、大げさなのだよ」
「中立だった者たちの心が、卿の舌鋒に刺され動いた事は間違いないだろう。まったく大した弁舌だった。感動したよ」
「いやいや、なになに、それほどでも、はっはっは!」
他の貴族たちも交え、二人はしばし歓談し、決議の結果を喜び合った。
「ところで……マークウッド卿、実は折り入って相談したいことがあるのだ。うちの愚息に関係した事でね」
「むっ……!」
ロスマリネ侯爵の言葉に、ご機嫌だったマークウッド辺境伯は少し顔色を変えた。
共に歓談していた他の貴族たちも、ロスマリネ侯爵の言葉に口を閉ざし、二人の会話に水をささぬよう配慮して目配せをし合った。
マークウッド辺境伯令息とロスマリネ侯爵令息が、王立ゴドウィン学院を脱走し退学したことは、社交界では知らぬ者がいないほど有名な話である。
二人の間の極めて個人的な、深刻な話題である事を、周囲の者たちは察したのだ。
「二人で話す時間を持てないだろうか」
「うむ、承知したのだよ」
「『吸血鬼の巣』とは……風変りな店名だね」
マークウッド辺境伯に案内された珈琲館の看板を見て、ロスマリネ侯爵は微妙な表情を浮かべ、もごもごと感想を述べた。
煉瓦造りのその建物には、重厚な扉の他には鎧戸の小さな窓しかない。
その鎧戸の窓もぴったり閉じられており、秘密めいた雰囲気を醸し出している。
マークウッド辺境伯はにやりと口の端で笑った。
「『悪魔卿』の隠れ家が『吸血鬼の巣』なのだ。エスプリだろう」
「……」
『悪魔卿』というのはマークウッド辺境伯を影で罵る者たちが使う蔑称である。
マークウッド辺境伯の自虐的な物言いに、ロスマリネ侯爵は戸惑うように言葉を濁した。
「実はね、ここはアルカード氏の店なのだよ」
「なんと。アルカード氏はついに引退したのかね?」
老齢の家令という存在が珍しいため、マークウッド辺境伯家の白髪の老家令アルカードは社交界に知名度があった。
老齢であるがゆえに、いつ引退してもおかしくない存在である。
そして使用人が引退後に店を始めるというのはよくある事だ。
「引退などしていないのだよ。彼を引き留めるために、彼の望みを最大限に叶える努力をしているのだ」
「アルカード氏は引退を希望しているのか」
「いつまでも我が家に居て欲しいのだよ」
珈琲館の扉を開けると、珈琲の香りと煙草の煙が漂う空間に、人々の会話する声がさんざめいていた。
『改正案』という言葉がちらほら聞こえて来る。
マークウッド辺境伯の近侍ルパートが、店員に用件を伝えると、案内役なのであろう店員が前に進み出た。
「君たちはここで待っていてくれたまえ。何でも好きなものを頼むと良い」
マークウッド辺境伯は近侍たちに言った。
そしてロスマリネ侯爵を振り向いた。
「ロスマリネ卿、我々は特別室へ行くのだよ」
「ここは議事堂に近く便利なのだよ」
「なるほど」
マークウッド辺境伯の言葉を、ロスマリネ侯爵は「密談に便利」と言う意味にとらえたのだろう。
別邸や懇意にしている店などに、密談場所を持つ貴族は珍しくない。
「アルカード氏の店を資金援助する代償に、私専用の部屋を作ってもらったのだ」
珈琲館の特別な個室で、マークウッド辺境伯は少し得意気に言った。
ロスマリネ侯爵は納得したように頷いた。
「それで店名も、卿が考えたのだね」
マークウッド辺境伯が神秘主義者であることは、彼の事業と関係している事もあり社交界では有名である。
「いやいや、店名はアルカード氏が決めたのだよ」
「ほう。彼に怪奇趣味があったとは意外だね」
「彼は歴史に詳しいのだ。昔、王都に初めて珈琲を提供する店が登場したとき、近隣の住民が珈琲の匂いに『悪魔の匂いがする』と騒ぎ、役場に訴えたのだよ。記録も残っている。彼はその逸話を皮肉った店名にしたのだ」
「素晴らしい教養だね」
二人分の珈琲を持って来た店員の退室を見届けると、ロスマリネ侯爵は個人的な話題を語り始めた。
「卿はルース子爵とは今でも懇意にしているのだね」
マークウッド辺境伯令息と婚約していたルース子爵令嬢は、俳優と駆け落ちをしてしまい、マークウッド辺境伯令息に恥をかかせた。
疎遠になってもおかしくない仲である。
「もちろんだ。彼は大切な友人なのだよ。息子のことでは色々とあったが、彼が悪いわけではない」
「正直、卿の寛大さに驚いている。メクミラン卿のこともある。改正案には反対されると思っていた」
メクミラン侯爵令嬢は、マークウッド辺境伯令息のかつての婚約者である。
マークウッド辺境伯令息が学院を中途退学した際に、メクミラン侯爵側が婚約を白紙に戻す旨を要求したという話は新聞記事にもなっている有名な話である。
メクミラン侯爵とマークウッド辺境伯はそれ以来、疎遠にしている。
そしてメクミラン侯爵はロスマリネ侯爵と共に、改正案を推し進めていた人物である。
メクミラン侯爵を快く思っておらず事業家であるマークウッド辺境伯が、事業家に不利益となる改正案の反対派に回る理由はあれど、賛成する理由はないのだ。
「奴隷や貧困者の悲劇に、多くの国民が胸を痛めているのだ。伝統貴族である我々が立ち上がらねば、一体誰が彼らを救えるというのだ」
きりっとした顔でマークウッド辺境伯は言った。
「奴隷虐待を許すことは国民の悲しみだ。引いては我が国の悪評ともなろう。そもそも奴隷業は一部の事業者の利益でしかなく、国益ではないのだ。安価な労働力としての奴隷が輸入され続けているせいで、国民の失業率は高まるばかりだ。我々は議員として、この国の伝統貴族として、国益を損なう悪循環を正さねばならぬ」
マークウッド辺境伯の言葉に、ロスマリネ侯爵は刮目した。
「君の言う通り、失業率も奴隷の存在と密接に関係している。失業率が高く、職を求める者がいくらでもいるから、事業者たちは労働者を低賃金で酷使し使い捨てに出来るのだ。奴隷が輸入され続ける限り、国民もまた奴隷同様に扱われるのだ」
マークウッド辺境伯とロスマリネ侯爵はしばし政治を議論し合い、そして意気投合した。
「マークウッド卿、今日は話せて良かった。共にイングリス王国の未来のために手を携えて行こうではないか」
「もちろんだとも。共により良い未来を目指すのだよ」
二人はがっちりと握手をした。
「実は卿と話すようにと勧めてくれたのは、息子のシリルなのだ」
「ほう、ご子息が?」
「うむ。卿に相談するのが最善であると」
「私で力になれる事があるならば何でも相談してくれたまえ。労働法の改正案のことかね?」
マークウッド辺境伯は堂々と胸を張り、威厳を持って応じた。
「労働法改正案についてはもちろんだ。しかし実は……政治ではなく、家庭問題についてなのだ」
政治について滔々と語っていたロスマリネ侯爵は、急に歯切れが悪くなった。
「実は我が屋敷で問題が起こっており……。それで妻や使用人たちが、その、心を病んでしまっていてね。怪奇現象が起こるなどと言い出し、すっかり怯えているのだ」
「怪奇現象っ!!」
マークウッド辺境伯はかっと目を見開いた。
そしてぐっと身を乗り出した。
「ロスマリネ卿、詳しくお聞かせ願おうか!」
喫茶店のルビを『カフェ』から『ティールーム』に変更しました。
コーヒーとの同一感が酷すぎる気がしてきたので。




