06話 アメリアの仕事
「はい、どうぞ」
部屋の扉がノックされたのでファウスタは返事をした。
扉を開けて入って来たのは、ファウスタより少し年上の少女だった。
「はじめまして。私はアメリア・リード。あなたと同じ見習い女中よ」
アメリアは暗金色の髪をすっきりまとめて家事作業帽に納め、青灰色の服に胸当て付きエプロンをしていた。
「私があなたに仕事を一通り教えることになったの。部屋も一緒よ。これからよろしくね」
「ファウスタ・フォーサイスです、こちらこそ、よろしくお願いします」
ファウスタはあたふたと挨拶をした。
「ではまず、あなたの寝床を作りましょう」
そう言うとアメリアは部屋の扉を大きく開けた。
扉の外の廊下には、マットレスやリネンのシーツを乗せた車輪付荷台があった。
アメリアが荷台からマットレスを下ろし始めたので、ファウスタは「手伝います」と言って一緒に作業をした。
「荷物の整理はもう終わったのかしら?」
ベッドを作り終えると、アメリアはファウスタに質問した。
「はい、終わりました」
「そう。ではこれから、あなたの家事作業帽を作ります」
そう言うとアメリアは、寝具と一緒に持ってきた布切れを小さなテーブルの上に置き、自分の物入箱からバスケットを出した。
フリル付きの布の蓋がついたバスケットは裁縫鞄のようだった。
「針仕事をした経験はある?」
「少しならあります」
「あら」
アメリアは驚いたように少し目を見開いた。
「どの程度、出来るのかしら」
「えと、服の継ぎ当てならできます」
「継ぎ当てができるならリボンくらいは縫えるよね。……うーん、家事作業帽くらいなら作れちゃうかな。丸く縫うだけだし。丸く縫うのって難しいかな……?」
アメリアは思案するようにぶつぶつと呟いた。
「自分の裁縫道具は持ってる?」
「いいえ、持っていません」
「じゃあ私のを貸してあげるわ」
アメリアは裁縫鞄をファウスタに差し出した。
「作り方を教えるから自分で縫ってみて。出来ないところは私が手伝うわ」
「はい」
「出来るじゃない!」
ファウスタの仕事ぶりを見たアメリアは満足気に言った。
二人は小さなテーブルに向かい合って座り、ファウスタの家事作業帽を縫っていた。
アメリアに教えられてファウスタはキャップ部分を縫い、アメリアがリボン部分を手伝った。
「その年でそれだけ縫えれば大したものよ」
「あ、ありがとうございます」
そのとき、ファウスタのお腹がぐうと鳴った。
「あ、す、すみません」
ファウスタはお腹が鳴ったことが恥かしくて顔を火照らせた。
「お腹が空いているの? ……そういえば此処に来てから、この部屋にいたのよね。お昼はいただいた?」
「えと、孤児院で朝食を摂ってから来ましたが、そのあとはお茶を一杯いただいただけで……」
「食べてないの?!」
家政婦長のマクレイ夫人から、ファウスタの複雑な立場について聞かされていたアメリアは顔色を変えた。
「何か食べる物があるか下で聞いて来るから、あなたはここで待ってなさい」
「はい、すみません」
アメリアは静かに、しかし迅速に、屋根裏から地下まで一気に階段を降りると家政婦長室に向かった。
「すみません、マクレイ夫人、アメリアです」
「お入りなさい」
「失礼します」
アメリアが扉を開けると、家政婦長のマクレイ夫人は両袖机で書類仕事をしていた。
「何事です」
「あの子……ファウスタがお昼をいただいていないようなので、何か食べさせた方が良いと思うのですが、厨房で何か見繕ってもらってよろしいでしょうか」
「そういえば……そうね、ごめんなさい、バタバタしていて失念していたわ」
マクレイ夫人は羽根ペンを置いた。
「誰かに部屋まで運ばせるわ」
「はい、お願いします」
「あの子の様子はどうかしら」
「ご指示通り、家事作業帽の作り方を教えていますが、針仕事の経験があるようで手際が良いです」
「針仕事もできるのね」
マクレイ夫人は感心したように言った。
「ラシニア孤児院は随分しっかりとした教育をしているのね。さすが王立孤児院といったところかしら」
マクレイ夫人が言った『王立孤児院』という聞きなれない言葉にアメリアは興味を持ったが、仕事に必要のない個人的興味からの質問は不躾なので黙っていた。
「他に問題はないかしら? 霊能力とやらはどうなの?」
「今のところ特に変わったところはありません。普通の子です」
「そう、解りました。軽食はすぐに運ばせます。戻りなさい」
「はい、マクレイ夫人」
屋根裏の使用人部屋にアメリアが戻って来てからしばらくすると、部屋の扉がノックされたので、針仕事をしていたファウスタは顔を上げた。
同時に顔を上げたアメリアと、一瞬、目と目を見交わす。
「どうぞ」
アメリアが扉に向かいそう返事をすると、扉を開けたのは黒いドレスに白いエプロンをした大人の年齢のメイドだった。
すらりとした立ち姿に、薄い金色の髪、薄い青色の瞳。
思わず見惚れてしまうような、色素が薄い儚げな美人だった。
彼女は軽食を乗せたワゴンを押して部屋に入って来た。
「おやつを持って来たわ」
「クレアさん?! ありがとうございます」
クレアというそのメイドが来たことが予想外だったのか、アメリアは驚いたように慌てて椅子から立ち上がった。
アメリアが立ち上がったので、ファウスタも真似をして椅子から腰を上げた。
「あなたがファウスタね。私はクレア・ノリス。よろしくね」
クレアはファウスタににっこりと笑いかけた。
「ファウスタ・フォーサイスです。よろしくお願いします」
ファウスタは今日何度目かの自己紹介をした。
「慣れないうちは大変かもしれないけれど、頑張ってね」
クレアは優しい口調でそう言ったが、別の事を考えているような目をしていて、ファウスタを観察するように上から下まで見た。
そしてクレアはワゴンを小さなテーブルの脇まで運んだ。
「すみません、クレアさん、あの、これは二人分あるように見えますが……?」
ワゴンに乗せられた軽食が二人分あるのを見てアメリアは首を傾げた。
「マクレイ夫人のご指示よ。作法の手本を見せるために、あなたの分も必要だろうとおっしゃられたの」
「あ、……固クリームの……作法ですか?」
「そうよ」
アメリアの理解に、クレアは満足気に頷いた。
「じゃあアメリア、これは置いていくから、片付けはお願いするわね」
「はい」
「では私はこれで失礼するわ。ファウスタ、またお茶の時間に会いましょう。お茶の時間にお作法の勉強の成果を見せていただくわね」
クレアはそう言って微笑むと部屋を出ていった。
パタンと扉が閉まると、アメリアはふうっと息を付いて緊張を解き、ファウスタの方を向いた。
「テーブルを片付けましょう。道具はあちらの机に」
アメリアはてきぱきと針仕事の道具を物書き机に移動させた。
ファウスタもアメリアの後に付いて、布と道具を移動させる。
先ほどまで針仕事をしていた小さなテーブルの上が片付けられると、アメリアはワゴンに乗っている軽食を机に並べ始めた。
皿の上には狐色にこんがりと焼かれた拳大の固焼きパン。
赤い宝石のようなジャムや、ぽってりした固クリーム。
そして厚ぼったいカップに入ったミルク。
そのカップは孤児院で使っていたものより白くてつやつや輝いていたが、厚ぼったい食器にファウスタは親近感が湧いた。
テーブルに軽食を並べ終えると、二人はまた向かい合って座った。
アメリアが説明を始める。
「固焼きパンはね、まずこうして……横から半分にするの」
アメリアは拳大の固焼きパンに手を付けると、横に二つに裂いた。
「やってみて」
ファウスタもアメリアの真似をして、固焼きパンを二つに裂いてみた。
「やわらかい!」
固焼きパンは名前の通り、もっさりとしていて重く固いパンだ。
だがこの固焼きパンはやわらかく、大した手ごたえもなく二つに裂けた。
「ふふ、驚いた? このパン、さっきのクレアさんが焼いてるのよ」
「すごいです! こんなやわらかい固焼きパン初めてです!」
「貴族の方々が召し上がる固焼きパンはやわらかいの。このお屋敷では使用人もやわらかい固焼きパンをいただけるのよ」
アメリアが得意気に説明した。
「次に一口で食べれる分を千切って……ここからが大事な固クリームの作法よ。まずジャムを塗る。そしてジャムの上に固クリームを乗せる。この順番が大事なの。やってみて」
ファウスタはアメリアに促され、二つに割いたパンから一口くらいの大きさを千切り、そこにスプーンで赤いジャムを塗り、その上に固クリームを乗せた。
「うんうん、良いよ。じゃあ、いただきましょう」
「はい」
固クリームとジャムをぽってりと乗せた一口大の固焼きパンを、ファウスタは口に入れた。
香ばしいパンと、甘酸っぱいジャムと、濃厚な固クリームが掛け合わさった絶妙の味わいが口の中に広がる。
いくつでも食べられそうな美味しさだった。
「丸ごと齧り付いたり、最初からバラバラに千切ったりするのは駄目なの。二つに割いてから一口分ずつ食べていくのよ」
「はい!」
ファウスタが作法に従って固焼きパンを食べる様子をチェックしながら、アメリアは説明を続けた。
「ジャムを塗ってから固クリームを上に乗せるのは北部の作法よ。王都ではジャムを上に乗せる作法が主流だけど、このお屋敷の旦那様は北部の貴族だから、使用人も北部の作法で固焼きパンを食べるの」
ここまで話して、アメリアはミルクをもう一口飲んだ。
そして少し微妙な笑い方をした。
「固クリームが上かジャムが上かで、北部と南部の貴族はずっと作法論争をしているの。北部貴族の屋敷で固クリームの上にジャムを乗せたりしたら裏切者扱いされるから気を付けるのよ」
「……っ?!」
如何に作法が大切といえど、ジャムやクリームの話で『裏切者』という重い言葉が出てきた事にファウスタは驚愕を隠せなかった。
「貴族のお作法って厳しいんですね」
「作法というか……これは産業の誇りね」
「産業?」
不思議そうな顔をするファウスタに、アメリアは頷いた。
「北部は酪農が盛んだからクリームに誇りを持ってるの。ジャムを上に乗せてクリームを隠してしまうなんて北部では有り得ないらしいわ。逆に南部は果樹園が多いからジャムに誇りを持ってるの。どっちを上にするかは北部と南部の産業の誇りをかけた戦い……なんですって」
アメリアは肩をすぼめた。
「ここの旦那様は固クリームの順番を間違えたくらいで使用人を解雇するような方ではないから安心して。でも地元の産業に誇り高い貴族の家では順番を違えたら即刻解雇、なんて事もあるのよ」
「き、気を付けます!」
「さっきのクレアさんは北部出身の人で、固クリームには特に拘る人なの。あの人の前では注意しなさい」
「はい!」
貴族社会の作法の奥深さに触れ、ファウスタは身を引き締めた。
アメリアはそんなファウスタの様子を眺め、やがてポツリと言った。
「……あなた結構、普通よね」
ファウスタは話が見えず首を傾げる。
「普通……ですか?」
「あなたって霊能力の使い手なんでしょう?」
「え?! ……それは何ですか?」
「え?!」
二人はポカンとした顔で見つめ合った。
「あの、私、多分、そういうの出来ないです……」
「霊能力でお嬢様の治療をするんじゃないの?!」
「治療なんて、そんな……」
あわあわと否定するファウスタを見て、アメリアは「ふーむ」と考え込んだ。
「旦那様が守護霊のお告げを受けて、あなたをお迎えしたと聞いたんだけど……」
「そのお話、アルカードさんからお聞きしました」
ファウスタは、昨日アルカードが孤児院に来たことや、急にメイドの仕事が決まった事、昨日の今日で迎えが来てこの屋敷に来た事などをアメリアに話した。
「めっちゃ急な話だったのね!」
ファウスタの事情を聞いて、アメリアは少しくだけた口調になった。
「アルカードさんの仕事の早さは流石だけど、あなたにしてみたら……そんな急に連れて来られたら訳解らないよね」
「はい。何がなんだか、まだよく解らなくて。すみません」
「普通はもう少し時間の余裕があるものよ。私の時はお話をいただいてから、仕事着を用意したり何やらで、ここに来たのは一週間後くらいだったわ。有り得ないといえば孤児院の子が雇われる事もあり得ないから、色々と異例よね」
「え?! 孤児院の子は雇われないんですか?」
「……貴族の家ではね。そういう風習があるの」
「そうなんですね……」
気落ちしているファウスタに、アメリアは少し同情した。
「心配しなくても大丈夫よ。あなたは旦那様のご命令で雇われたんですもの。それに今は人手が足りないから、よほどの大失敗でもしない限りこのまま働けるわよ。あなたは言葉遣いも悪くないし、てきぱきしてるから大丈夫」
「大失敗……」
ファウスタは顔色を曇らせた。
アメリアはファウスタのその様子を見て、右も左も解らず不安がっているのだろうと思い励ました。
「見習い女中は大失敗するような難しい仕事は任されたりしないから大丈夫! 床を磨いたり野菜を洗ったりする仕事よ。大変だけど単純な仕事ばかりだから失敗するような事はないわ」
「野菜洗いや床磨きなら、孤児院でもやっていたので、出来ます」
「そうなの?!」
アメリアは、ファウスタがミルクのカップに添えている手を見た。
その手荒れを見て水仕事の経験に納得した。
「それならここの仕事にもすぐ慣れると思うわ。あとは口に気を付けるだけ」
「口ですか?」
「そう、余計な事を言わないこと。特に今はね……」
アメリアは肩をすぼめた。
「ゴシップ誌に色々と書き立てられて旦那様もご家族の皆様も神経質になっていらっしゃるの。その手の噂話は厳禁よ」
「あの、その手のって……お化け屋敷の噂の事ですか?」
「それね。それ昔からの噂で、今までご家族の皆様は全く気にしていらっしゃらなくて、むしろ詳しく説明してくださったりする事もあったんだけど……」
アメリアは難問に取り掛かっているかのように腕組みをして眉をしかめた。
「今年雇われた新しい使用人がね、新聞社に有ること無いこと告げ口してご家族の……名誉を傷つけたの。それで……深刻な事態になってしまって……」
アメリアは言いにくい事をぼかすように言葉を選びながら語った。
「だから今は、その手の話は厳禁なのよ」




