515話 ファウスタのやりたいこと
「大魔術師プロスペローというのは、ジョンディ・プロスペローさんのことでしょうか」
ファウスタがそう質問すると、オクタヴィアは嬉々として答えた。
「そうよ。宮廷魔術師だったジョンディ・プロスペローのことよ。彼が行った魔術儀式の記録は王室が保管していて、代々の宮廷魔術師が儀式を継承しているの」
(お嬢様もプロスペローさんをご存知だったなんて)
ファウスタはプロスペローから、彼の業績について何度か聞かされていた。
だが孤児院出身のファウスタは、歴史や神秘学はおろか、世間の常識にすら疎かったので、プロスペローの話はどこがどう凄いのかよく解らず、ほとんど耳をすり抜けていた。
(プロスペローさんって本当に凄い魔術師だったのね)
オクタヴィアがプロスペローを知っていたことで、プロスペローが本当に有名な魔術師であったのだということをファウスタは初めて実感した。
「もし本当に宮廷魔術師が今でも存在しているとしたら……」
ピコが難しい顔でそう言うと、オクタヴィアが即座に反応した。
「存在するわよ!」
「あ、えーと……」
ピコは曖昧な笑顔を浮かべてオクタヴィアに質問した。
「宮廷魔術師は、表向きは王立天文台の天文官なんですよね?」
「そうよ」
「学位を持っていない孤児が、天文官になれるのでしょうか。王立天文台の天文官って、国家のお役人ですよね」
「女王陛下の推薦があればなれるのではなくて?」
「なるほど。女王陛下の勅命か……」
ピコは一瞬深く考え込むような顔をしたが、すぐに顔をあげてファウスタを振り向いた。
「もしファウスタが天文官になったら大出世だよ」
「そうなの?」
何も解っていないファウスタが首を傾げると、ピコは全て解っているような顔ですらすらと説明をした。
「だって天文官って、お役人だよ。つまり雇い主はイングリス王国。イングリス王国がある限り一生安泰の職場だ。超一流の勤め先だよ」
ピコは眼鏡を指先でくいっと掛け直すと、しかつめらしい顔で言った。
「もしファウスタが天文官になれたら、家を買っても大丈夫だよ。ついでに名誉もついてくる」
「え?!」
つい先程、家を買っても生活の維持ができないと言われ、今はまだ家を購入できないことを理解したファウスタだったが。
天文官になれば大丈夫と言われ、話の急展開に混乱した。
「天文官になれば、家を持っても大丈夫なの?!」
「国家のお役人として安定した収入が得られるからね。真面目に働いて定年まで勤め上げれば、退職金も出るし、年金も貰える。安泰だよ」
ピコの話に、ファウスタは新しい可能性に気付いて興味を刺激された。
しかしその傍らでオクタヴィアは少し顔色を悪くしていた。
「や、やっぱり、いくら才能があっても、子供のうちは天文官になるのは難しいかもしれないわね。役人ですもの……」
「そうですよねえ」
ジゼルがオクタヴィアに相槌を打った。
「子供が役人になったら大事件ですよね」
「たしかに大事件だ」
ジゼルの言葉に、ピコもうんうんと頷いた。
「王立天文台が職員を募集したら、多分すごい人数が集まるよ。自然科学の学位を持っている人たちがわんさか集まると思う。官職だから貴族の子弟も来るんじゃないかな。学位持ちや貴族の子弟を押しのけてファウスタが天文官になったら、間違いなく大事件だよ」
「お役人になれれば一生安泰だものね。競争率も凄そうだわ」
「基本的に官職は競争率が高いからね」
「じゃあやっぱり、お役人になる人はみんな学校を出ているのかしら」
「当然さ。文官を目指す人はみんな大学まで行って学位を取ってるよ。よほど田舎の役所なら、学位を持っていなくても就職できるかもしれないけれど。王都ではまず無理だろうね。学校も出ていない子供が王都で天文官になったら、不正を疑われるような大事件だ」
「新聞に報道されるかもしれないわね! 世の中が大騒ぎになるかも?!」
「うん、大騒ぎになる。女王陛下の勅命での採用だったとしても、孤児が天文官になるなんて前代未聞だ。大、大、大出世だ。確実に新聞に載るね」
ジゼルとピコが面白そうに軽口を言い合っている中、オクタヴィアは考えを巡らせるような表情で無言でお茶を口に運んでいた。
「まあ、本当に宮廷魔術師が存在すればの話だけど」
ピコは面白そうに笑いながらも、冷静に言った。
「普通に天文官になろうと思ったら、大学で自然科学の学位を取ってから、天文台の職員の募集に応募して、試験や面接に合格する必要がある。霊視だけで女王陛下のお墨付きをもらえる宮廷魔術師みたいな抜け道でもない限り、ファウスタには難しいと思うよ。夢物語さ」
「宮廷魔術師は、いるわよ……?」
顔色を悪くしているオクタヴィアが口を開いた。
「でも子供のうちは、まだ、難しいかもしれないわね……。役人として働くのだからお勉強しなければならないわ。女王陛下の前に出られるように、お作法も覚えなければならないし……」
オクタヴィアは言い訳を探すように、目を泳がせながら語った。
「……天文台で働いている人たちは全員が学者ですもの。自然科学のお勉強をしておかなければ話が合わないと思うわ。宮廷魔術師になるなら占星術も学ばなければならないのだし……。それに……家を買うとしたら、家の切り盛りの仕方とか、色々とお勉強しておくことは多いのではないかしら……?」
「そうですよねえ」
ジゼルがお茶のカップを置いて、気楽な笑顔で言った。
「家を持つってことは女主人になるってことですから。奥様の仕事ができないと家の切り盛りができないですよね」
「そ、そうよ。ジゼルの言う通りよ」
オクタヴィアがすかさずジゼルの話に乗った。
「家を持つのなら、女主人の仕事の見習いをしなければならないわ。子供にはまだ無理よ。家の切り盛りは大変だもの」
(家の切り盛り……)
ファウスタは家の切り盛りと聞いて、女主人であるマークウッド辺境伯夫人ヴァネッサや、家政婦長のマクレイ夫人を思い浮かべた。
(私には、まだ、無理なのだわ……)
とても難しい仕事をしていそうな、賢い大人の女性であるヴァネッサやマクレイ夫人と同じことを、ファウスタは今すぐにやれる気がしなかった。
ファウスタはまだ、契約や交渉の仕方も解らないのだ。
「ファウスタは宮廷魔術師を目指すの?」
ジゼルが軽い調子でファウスタに質問した。
「え?!」
「もしファウスタが宮廷魔術師として天文官になったら大出世よ。ラシニア孤児院にファウスタの銅像が立つかもしれないわね」
半分くらいは冗談であるかのようにジゼルは言ったが、ファウスタは真正面から受け止めて真剣に答えた。
「目指すかどうかは、まだ、解らない……。私はまだ、やりたいことがないから……。何を目標にすれば良いのか、まだ解らないんだ……」
「でも肉詰めパイは食べたいんだろう?」
真剣に思い悩みながら語ったファウスタに、ピコが真顔で、しかし冗談のような言葉を投げかけた。
「肉詰めパイは、食べたいよ……!」
ファウスタが素直に答えると、ピコは眼鏡の奥の賢しい瞳を輝かせた。
「やりたいこと、あるじゃないか」
「え、えー……」
ファウスタはがっかりするような気持ちになった。
「肉詰めパイが、私のやりたいことなの……?」
「だって食べたいんだろう?」
「そ、それは……そうだよ。肉詰めパイは食べたいよ……!」
ジゼルは騎士爵を目指していて、ピコは学位を取ろうとしていて、オクタヴィアは占い師を目指している。
みんな立派な目標があるのに、自分の目標が肉詰めパイとは。
ファウスタは、ただのファウスタではなく、肉詰めパイが食べたいファウスタだったのだ。
ファウスタはとても残念な気持ちになったが、肉詰めパイを食べたいという気持ちは本物だったので、ピコの指摘を否定することもできず複雑な気分のまま言葉を失った。
「……」
「そういうのも目標だよ。旦那様だって、やりたい事をやるために、マークウッド辺境伯っていう仕事をしているんだから」
「たしかにそうね」
オクタヴィアが感心するように言った。
「お父様がやりたいことは神秘学の研究だわ。爵位や事業を継いだのは、やりたい事じゃなくて、やらなければならなかった仕事ね」
「でも……肉詰めパイは好きだけど……そういうのじゃなくて……」
しどろもどろになったファウスタに、ジゼルが静かな眼差しを向けた。
「ファウスタ、やりたいことなんて、そのうち自然に見つかるわよ。ゆっくり考えれば良いわ。やりたいことが見つかるまでは、働いて稼いでいれば良いのよ」
ジゼルはきらりと瞳を輝かせた。
「やりたいことが見つかったら、その時には、きっとお金は絶対に必要になるんだから。その日のために稼げるだけ稼いで、貯金よ!」
「貯金も大事だけど、その前にファウスタは勉強をしたほうが良いんじゃないかな」
ピコが思慮深い面持ちで言った。
「世の中にどんな仕事があるのか、何があるのかを知らなきゃ、選ぶことなんて出来ないよ。ファウスタがまだやりたい事が見つからないのは、やりたい事に出会っていないからだと思う。まずは勉強だよ。知識を増やして世の中に何があるかを知っていくうちに、やりたい事に出会えると思う」




