51話 ファウスタの悪魔箱
その日もファウスタは驚きに満ちた忙しい一日を過ごした。
「アルカード氏より言付けを預かっております」
ファウスタがオクタヴィアと一緒に三階の部屋に戻ると、デボラが扉の前で待っていてそう告げた。
昨日オクタヴィアが、悪魔人形の鑑定結果を知らせて欲しいと依頼していた件だった。
「人形は呪われた品であった事が判明いたしました。害を及ぼす危険な品であるため、鑑定業者に処分を依頼したとの事です」
「呪いだったの? 悪魔ではなくて?」
オクタヴィアがそう問い返すと、デボラは淡々と答えた。
「はい。強い呪いが込められていたようで、怪奇現象も呪いの効果によるものであろうとの事でした」
「そう……」
オクタヴィアは釈然としない表情になったが、デボラの次の言葉でその表情は薄曇りから雷雨に変わった。
「それから、ファウスタですが、本日は午前十一時よりポラック先生にお勉強を見ていただくことになっております」
「ええっ!」
声を上げたオクタヴィアに、デボラはにっこりと微笑んで言った。
「お嬢様もご一緒なさいますか?」
「……えっと……そ、そうね、どうしようかしらね……」
ファウスタはオクタヴィアと一緒に家庭教師のポラック先生の指導を受けることになった。
ポラック先生は優しそうな年配の夫人だった。
ファウスタはポラック先生が持って来た教材で、書き取りや本の音読、計算問題をやった後、ヤルダバウト教の聖典についていくつか質問された。
作法の勉強のため、今日から昼食はポラック先生も同席することになり、オクタヴィアは微妙な表情をしていた。
ファウスタは午後はオクタヴィアとは離れ、侍女たちの休憩室を兼ねた裁縫室で、何着ものドレスを試着させられたり帽子を被せられたりした。
上等な服の数々に目が回りそうだった。
試着を終えた後、師匠になるはずの侍女ミラーカはネルと一緒にファウスタの服のお直し作業があり忙しいとの事で、ファウスタは侍女ヘンリエタに預けられた。
ファウスタはヘンリエタと会話の練習も兼ねて色々な話をした。
ヘンリエタに尋ねられ、ファウスタが孤児院での生活の事などを話すと、ヘンリエタは時折涙ぐんでいた。
(きっと私は哀れまれているんだわ)
孤児院での生活は今までのファウスタにとっては『普通』であった。
だがファンテイジ家の使用人の生活に比べると、孤児院は食事も衣服も扱いも劣るものであったという事が解ったので、哀れまれても仕方ないと思った。
(このお屋敷の生活に比べたら天国と地獄だもんね)
一昨日、ファウスタが孤児院出身だと知った侍女ネルは、ファウスタが地獄を見て来たかのように言っていた。
そのときファウスタは違うように思ったのだが、今はネルの意見が正しいように思えるのだった。
ここでの生活に比べたら、たしかに孤児院は地獄と言われても仕方がない。
孤児院での生活は辛い事も多かったが、それでもずっと暮らして来たところで、兄弟同然の友達だっているし慣れ親しんだ家とも言うべき場所だ。
それが実は地獄だったなんて、ちょっと寂しい気がするのだが、分厚い肉詰めパイや鹿肉のステーキが出て来るファンテイジ家には敗北を認めざるを得ない。
ふわふわの焼き菓子も美味しかった。
(でも一番の地獄は貧民街よね。孤児院は地獄の入口くらいで、貧民街はきっと地獄の一番深いところにあるのだわ)
午後四時からの使用人たちのお茶の時間に合わせて、ファウスタはバネ仕掛けのナスティ人形の箱を持ってオクタヴィアと一緒に使用人食堂へ行った。
デボラの「上の三人が退室した後が良いでしょう」という進言を受け、アルカードたちの退室を見計らって行った。
「ナスティに生き写しじゃないの!」
「カップが割られてしまいそう」
「箱にちゃんと鍵を掛けないと、安心して眠れないわね」
「ネルさんの才能は本物だわ。軍艦の次はナスティよ。只者じゃないわ」
使用人たちは、箱から飛び出したナスティ人形に驚いた後、興奮気味に感想を述べた。
煉瓦色の髪をした給仕見習いのドムだけは、飛び出す人形に驚いた後、別の驚きがあったようで、人形のバネを見て愕然としていた。
「僕が昨日買いに行ったバネだ……バーグマンさんが大至急っていうから、蒸気自動車の修理か何かに必要なのかと思って、必死に走ったのに……オモチャを作るためだったのか……!」
「いいじゃないの、ドム、貴方は芸術のために走ったのよ。立派なお役目よ」
脱力しているドム少年を家女中のポリーが慰めた。
アメリアがナスティ人形の箱をずいっとドムの前に差し出し、変な声で言った。
「私の伯父はグロス男爵よ! 貴族に逆らうっていうの!」
アメリアがそう言うと、みんながどっと笑い転げた。
「ナスティが言ってたんだよー」
意味が解らずにいるファウスタにテスが教えてくれた。
「あの人、そんなこと言ってたの?!」
テスの話を聞き、ナスティの所業を知ったオクタヴィアは憤慨した。
「そんな事があったなら、私に言ってくれれば良かったのに。今度そういう事を言う人がいたら絶対に私に言ってよね。私の父はマークウッド辺境伯よ!」
オクタヴィアは使用人たちと意外に気安い関係なのだとファウスタは知った。
「小さい頃はお兄様と一緒によく地階で遊んでたのよ。家庭教師が付くようになってからは、主人が地階へ行くもんじゃありませんって叱られるようになったけれど」
「旦那様と奥様がお呼びです」
オクタヴィアの部屋での午後のお茶の時間、執事のバーグマンが訪れ、ファウスタとオクタヴィアにそう告げた。
「お父様はもう帰っていらっしゃったの?!」
「はい。議会が終わった後、真っ直ぐお帰りになられたようです」
「珍しい事もあるものね」
「旦那様は今、魔法陣を調べるのに夢中ですから」
「それで真っ直ぐ帰って来たのね」
オクタヴィアは納得したように頷いた。
「じゃあ魔法陣について何か解ったのかしら」
「バネ仕掛けの箱についてお話があるそうです。実は私も呼ばれています」
「貴方も?」
「はい」
オクタヴィアが首を傾げると、バーグマンはお道化たように肩をすぼめた。
「やあ、みんな揃ったね。さあさあ、そこに座ってくれたまえ」
居間にはマークウッド辺境伯夫妻と、侍女のミラーカとネルが居た。
ファウスタはオクタヴィアやバーグマンと一緒に、勧められるままにソファに座り、辺境伯夫妻と向き合った。
「君たちに集まって貰ったのは、他でもない、あのバネ仕掛けの箱についてだ」
マークウッド辺境伯は少し浮かれているような、楽しそうな顔で語り出した。
その隣でヴァネッサは全て解っているような顔で静かに座っていた。
「あの箱は非常に秀逸な一品だ。とても愉快で、バネで動く仕組みを理解する勉強にもなる。子供向けの玩具として非常に優れているのだよ。ぜひとも商品化して売り出したいのだ。そこで、あの箱の権利を売って欲しいのだよ」
(権利……?)
ファウスタは玩具を売り出す、という部分までは理解できたが、次に出て来た権利というのがさっぱり解らなかった。
「権利、と、おっしゃいますと?」
ファウスタの疑問を代弁するかのようにバーグマンが言った。
「箱の権利なのだよ。アイディアごと箱を買い取りたいのだ」
「お父様、あの箱はファウスタの勉強道具なのよ。とっても面白い玩具だからって、お金で取り上げようなんて横暴よ」
オクタヴィアが不服を申し立てた。
「取り上げたりはしないのだよ」
不満そうな顔のオクタヴィアに、マークウッド辺境伯は少し困り顔になった。
「あの箱をたくさん作って売りたいのだ。ファウスタの箱そのものではなくてね、そのアイディアを買い取りたいのだよ」
「恐れながら、旦那様……」
バーグマンが首を傾げつつ口を開いた。
「バネ仕掛けで人形を飛ばすというのは、奥様のアイディアです。我々は注文に従い作成しただけでして、著作権的なものは奥様にあるのではないでしょうか」
「ヴァネッサ、そうなのかね?!」
驚いたように、マークウッド辺境伯は隣を振り返った。
ヴァネッサは軽く驚いたような、不思議そうな顔をした。
「私は注文した覚えはなくてよ」
「奥様の科学理論を、ファウスタに説明するために作った箱でして……」
「どういう事なのかね?」
話が混乱し、状況が整理された。
ヴァネッサの理論を、ファウスタが理解できずオクタヴィアに相談した事。
バーグマンがファウスタへの説明を任された事。
子供には説明するより見せた方が早いだろうと、バーグマンがバネ仕掛け人形を実際に作った事。
仕掛けに必要な人形の制作をネルに依頼した事。
人形のデザインはミラーカであり、そのデザインを見たオクタヴィアがドアから飛び出すように改造を依頼した事。
「バネ仕掛けの人形というのは奥様のアイディア、ドアから飛び出すというのはお嬢様のアイディアですが……しかし……」
バーグマンはさらに盛大に首を傾げた。
「しかし人形が飛ぶという元のアイディアは、三階の呪いの人形であり、ドアから飛び出す元のアイディアはナスティ・グロスという事になるかもしれません。呪いの人形とナスティの動作を合体させ、工作で実現したものがあのバネ仕掛けの人形の箱なのですから」
(恐怖の箱なのだわ……)
バーグマンの説明を聞いてファウスタは戦慄した。
言われてみれば確かに、呪いの人形と犯罪者が合体した仕掛け箱だ。
あのバネ仕掛け人形の箱が何故あんなにも恐ろしいのか、謎が解けた気がした。
「呪いの人形とナスティの権利は、迷惑料って事で帳消しよ!」
オクタヴィアが忌々し気に言った。
「私は自分にあの箱の権利があるとは思わなくてよ」
しばらく考え込むような顔をしていたヴァネッサが口を開いた。
それをきっかけに様々な意見が交わされ始めた。
「私は注文に従って仕掛けを作っただけです。権利など、滅相もございません」
「私共は人形をお作りしただけですので……」
「いや人形は、ドアから飛び出すアイディアのきっかけになった部分ですから、そこは重要だと思います」
(どうして私は此処にいるのかしら)
仕掛け箱の制作者についての意見が交わされている場で、ファウスタは呆然としていた。
「よし、決めたのだよ!」
マークウッド辺境伯が場を仕切るかのように声を上げた。
「売り上げの一割を権利料とする。それを六人で山分けなのだよ」
「五人ではなくて?」
ヴァネッサが問い返すと、マークウッド辺境伯は明言した。
「六人なのだよ。バーグマン氏、ミラーカ、ネル、ファウスタ、オクタヴィア、そしてヴァネッサ、君だ」
「私は経営者側ですから除外してくださいな」
「君が受け取らなかったら皆が辞退してしまうだろう。ややこしくなるのだよ。もう面倒だから全員で良いのだ。細かい事は無しなのだよ」
「またそんな、大雑把な事を……」
ヴァネッサはマークウッド辺境伯に非難の眼差しを向けた。
(六人の中にどうして私がいるのかしら?!)
権利があるという六人の中に自分の名前があり、ファウスタは混乱した。
「すみません、閣下、私の名前があったようですが……」
「うむ、ファウスタにも権利料を支払うのだよ」
「私は何もしていません」
何かの間違えで名前を言われたのかと思ったが、はっきりと権利料を支払うと言われファウスタはますます混乱した。
「ファウスタには権利があるわ」
ヴァネッサが柔和な微笑みを浮かべファウスタに答えた。
「ファウスタがいなかったら、この箱が世に出ることはなかったのよ。貴女がいたからこそこの箱が作られたの」
「そうだとも。君の疑問がこんな愉快な箱を作ったのだ。これからも疑問があればどんどん言ってくれたまえ」
「でも……」
ファウスタは何もしていないし何も出来ていない。
バーグマンの素晴らしい工作技術や、ネルの神がかった裁縫技術と、何もしていない自分が同じに扱われるのは絶対におかしいと思った。
「ファウスタ、権利料は貰っておきなさい」
ヴァネッサが諭すようにファウスタに言った。
「酷な事を言うようだけれど、ファウスタ、貴女は孤児で身寄りがないのよ。だからお金はあった方が良いわ。頼りになる家族がいなくても、お金さえあれば、病気になったときにメイドを雇って世話してもらう事もできるのよ」
ファウスタは知らなかったが、ヴァネッサはファウスタの失明の可能性を危惧していた。
「そうよ、ファウスタ、ちゃんと貰っておきなさい……」
オクタヴィアが同情するように、悲し気な顔でファウスタに言った。
イングリス王国では、貧しい孤児が過酷な労働を強いられ、奴隷のように酷使されている悲劇の物語の本が爆発的な人気を博していた。
そのため本が読めるような良家の子女たちは、孤児や貧しい子供に同情的な者がとても多かった。
そうした社会的風潮もあって、現在議会では貧しい子供たちの過酷な労働状況を改善すべく、労働法の改正案が議論されているのだ。
「よし、決まりなのだよ!」
マークウッド辺境伯が決定を下した。
「早速『ファウスタの悪魔箱』を開発部に作らせるのだよ。楽しみなのだよ」
「それが商品名なの?」
「そうよ」
オクタヴィアの質問にヴァネッサが答えた。
「説明書には十二歳の孤児のファウスタのために作られた物であることを書き添えるつもりよ。そしたら、もしかしたらなのだけれど、それがファウスタのご両親かご親戚の目に留まったら、ファンテイジ商会に連絡を取って下さるかもしれないでしょう?」
ヴァネッサの話に、オクタヴィアは目を輝かせた。
「もしかしたらご両親が見つかるかもしれないのね! 素敵!」
「可能性があるなら試してみる価値はあると思うの」
(もしかしたら、私の両親が……?!)
ファウスタの胸に淡い期待の火が灯った。
その後、『ファウスタの悪魔箱』は約半年後に発売されるのだった。
十二月のヤルダバウト教の聖誕祭には子供に贈り物をする風習があり、聖誕祭の二カ月程前に発売されるこの箱は、時期的なこともあり爆発的に売れる事になる。
ファウスタは田舎の一軒家くらいなら余裕で買えてしまうほどの大金を手にする事になるのだが、この時のファウスタはそんな未来はまだ夢にも知らない。
そして『ファウスタの悪魔箱』という商品名の印象から、ファウスタの名前が悪魔っぽいイメージで受け取られるようになる未来も知る由も無かった。




