507話 怪奇現象の見者たち
「私もあの雪は、天使による奇跡だと思うね」
王都タレイアン中央区にある珈琲館『吸血鬼の巣』では、煙草の煙と珈琲の香りが漂う店内で、今日も紳士たちが熱い議論を交わしていた。
「マークウッド辺境伯はともかく、他の人々も言っているのだ」
夏の王都に雪が降るという異常現象について、大手新聞は異常気象だと報道していた。
しかしいくつかのゴシップ誌はこれを天使の奇跡であるとして、その日に警視庁で行われた慰霊祭の参列者たちの談話を掲載していた。
新聞社の質問に対して、王都知事と内務大臣は天使の奇跡を肯定していた。
「あの二人は、政治的思惑があっての発言だろうよ」
「天使の加護があったという話は、馬鹿々々しくはあるが、迷信深い大衆の支持を得るには効果的であると言えるね」
「王都知事と内務大臣は、この珈琲館で密談をしていたのだろう? 口裏を合わせるための密談だったのかもしれんな」
「密談があっても、さすがに降雪は予想できなかったはずだ。夏に雪が降るなど、誰が予想できるものか」
慰霊祭の現場で霊能者ファウスタが天使を見たという、マークウッド辺境伯と中央区教会の司教の談話も、いくつかのゴシップ紙に掲載されていた。
それはいつも怪奇現象を面白おかしく掲載しているゴシップ紙たちだ。
「中央区の司祭は、春の集中豪雨のときに亡霊の言葉を聞いたと言っていたな」
「そういえば中央区教会は警視庁の悪魔祓いを行っていたね」
「天文官たちも説明ができない異常現象だと言っている。あの日の雪は、超自然的な現象であると言えよう」
「私は、あの日、見たのです……」
それまで紳士たちの会話を聞いていた一人の若い男が、珈琲カップを置くと語り出した。
「警視庁から、雪雲が発生して、あっという間に街中に広がったのを……」
「なんだと?!」
「警視庁から雪雲が?!」
「それは本当かね?! どこで見たのかね?」
周囲の男たちの注目の視線を浴びて、若い男は語り出した。
「実は私は、火の見櫓の監視の仕事をしています」
「中央区のあの火の見櫓かね?」
「はい。あの慰霊祭の日、私は、火の見櫓の上から見ていました。警視庁本部に白いモヤが発生して、そのモヤがぱあっと街中に広がって、雪が降り出しました」
火の見櫓の監視員だという若い男の話に、周囲の男たちはどよめいた。
「私の他にも、監視の仕事をしている者たちが目撃しています。一緒にいた先輩や、他の火の見櫓の者たちも見ています」
「おお!」
「なんと……!」
「警視庁で起こる怪奇現象は、公式には集団幻覚ということになっていますが、あそこで悪魔祓いが行われる時間に連動して奇怪な現象が起っていたのは事実です。火の見櫓の監視員の間では有名な話です」
「そうなのかね?!」
「あの火の見櫓からなら、確かに見えるな……」
「最初の怪奇現象は、警視庁の火事騒ぎでした。あの日、警視庁が青い炎で燃え上がっていたとき、火の見櫓で鐘を鳴らしたのは私です。その後も、警視庁の上にだけ雨雲が発生したり、怪獣が火を吐いて空を真っ赤に焼いたり……。それらを全てこの目で見ました。ファウスタ様の奇跡の浄化の日に、二匹の怪獣も見ました。黄金の柱が怪獣を消し、不思議な虹が出た光景も見ました。それらは今まで全て集団幻覚とされていましたが……しかし今回の降雪は、現実であったことを王立天文台が認めています」
若い監視員の男は、考え込むような顔をした。
「私は思うのです。今まで幻覚だと言われていたことは、幻覚ではなく、本物の超常現象だったのではないかと……」
この日からしばらく後のこと。
ゴシップ紙に『火の見櫓の監視員は見た!』という特集記事が掲載された。
「あの降雪は、何らかの心霊現象であったと愚考いたします」
広大なマーグンキブ宮殿の中の、王族の居住する区画。
口髭のある紳士、霊能者シャールラータンは、その女王の私的な生活空間にある客間に通された。
シャールラータンは、女王とその従妹オルロック伯爵夫人と向かい合ってソファに座っていた。
「空に、異様な気配が満ちておりました」
私的な生活空間にある客間とはいえ、女王の部屋だ。
広々とした豪奢な部屋であり、通される客たちも身分がある者たちや社会的に一流と言われる地位にある者たちばかりだった。
謎の霊能少女ファウスタが登場するまでは、国一番の霊能者との呼び声が高かったシャールラータンは、慰霊祭の日の降雪について女王に問われ、その見解を述べていた。
「ファウスタ様が進み出ると、異様な風が吹き、ファウスタ様が花を捧げるやいなや、異様な気配が、まるで蒸気が爆発するかのように辺り一帯に満ち、雪が降り始めました」
「それは、あの雪は、ファウスタという少女が起こした現象であるという意味かしら?」
「ファウスタ様ご本人のお力かどうかは解りかねます。ですが、彼女が切欠であることは間違いないかと。守護精霊のような何かの力によるものか。あるいは……」
シャールラータンは考え込むように目を伏せ、表情を暗くした。
「何かのお役目があり、そういった力を授かっているお方なのかもしれません。……タレイアン公爵のように……」
「……」
シャールラータンのその言葉に、女王とオルロック伯爵夫人は表情を曇らせ、深く悩むように眉を歪めた。
「奇跡と言われたあの警視庁の浄化の日……。終末竜バハムートと大海獣リヴァイアサンをファウスタ様が下したと言われている、あの日、あの時と、同じ圧倒的な何かの気配が大気に満ちておりました」
今年の春、シャールラータンは、怪火現象が起っていた警視庁に除霊を依頼された。
しかし警視庁に赴いたシャールラータンは、あまりにも強大な、次元が違うとも言うべき恐ろしい気配を感じ、力及ばぬと即座に判断して依頼を辞した。
太刀打ちできないという事が理由であったが、何故かそうすべきだという直感も働いていた。
それは禁忌のような何かだ。
例えるなら、ただの石でしかない墓石を、ただの石として足蹴にすることが出来ないような、物質ではなく魂の中にある本能的な忌避感だった。
警視庁からの依頼は辞したが、シャールラータンはその後、警視庁の心霊現象をずっと観察していた。
怪火現象が起っていた当時、警視庁前で情報を売っていた『何でも屋のダフ』から、二回ほど情報を買ったこともある。
教会による悪魔祓いも、政府の怪火現象対策委員会が募集した無償奉仕に応募した霊能者たちの仕事も見学した。
そして、小さな霊能者ファウスタの浄化の奇跡も。
「あの気配こそが、神秘学で魔力と言われている未知なる物質なのかもしれません。怪火現象のときも、同じ気配が生じておりましたゆえ」
「ではあの雪は、鬼火と同じ怪奇現象だと?」
「はい」
「この新聞についてはどう思って?」
女王はテーブルの上に置かれている新聞『天罰報知』を示して、シャールラータンに質問した。
「残念ながら私は、『天使』には出会えませんでしたが……」
シャールラータンは難しい顔をして、眉間に深い皺を刻んだ。
「新聞が売られていたという日、異様な胸騒ぎがありました。例えるなら、どこかで火事が起っているような……恐ろしい殺人鬼が人知れず街を徘徊しているような、何か恐ろしいものが近付いている予感に似た、得体のしれない胸騒ぎです……。ともあれ……」
テーブルの上の新聞の束に手を伸ばしたシャールラータンは、そのうちの一部を手に取った。
それは天罰報知の第二号だった。
シャールラータンはその新聞のページをめくり、警視庁周辺で撮影された心霊写真が掲載されているページを開いた。
「ここに掲載されている幽霊は、本物です。トリック写真ではありません」
「本物のトトメスなのですか?」
心霊写真の中の、世間には知られていない霊能者トトメスの素顔の幽霊について女王は質問した。
「はい。師匠です。そしてこの手前の影……」
トトメスの写真の端に映っている、ピントがぼやけた黒い影を、シャールラータンは指した。
「これはファウスタ様だと思うのです」
シャールラータンのその意見に、女王とオルロック伯爵夫人は写真をもう一度じっくりと見て、そして疑問を呈した。
「……そうなの……?」
「……これで良く解るものね……」
写真に写り込んでいる影は、手前にあった何かがぼやけてにじんで影になったのだろうと思われるもので、人間かどうかも判別がつかない染みだった。
その影は、映り込んだファウスタの体の一部、黒いワンピースの一部であったが、写真撮影したティムですらそれがファウスタだとは気付かなかったものだ。
「直感です。この写真を見た時に、ファウスタ様が閃きました。そして、あの、王冠の歌が聞こえました」
シャールラータンは瞑想的な表情で言った。
「私はファウスタ様に面会できる機会を得ることができました。ファウスタ様にお会いして確かめる所存にございます。師匠のことも、あの歌のことも」




