506話 現象についての考察
「まさかこの季節に雪を見ることになろうとは……」
ロスマリネ侯爵は呆然として言った。
ほんの数分、降りしきった雪は、夏の陽射しの下ですぐに跡形も無く消えた。
慰霊祭が終了し、交通規制が解除されて元通りになった通りは、すっかり夏の風景に戻っている。
つい先程、ここに雪が降っていたなど到底信じられない。
「まるで夢でも見た気分だ」
「雪には浄化の作用があります……」
有閑紳士ロット卿はしかつめらしい顔で推測を語った。
「先頃、天使が新聞を売り、天使が王都知事を暗殺から救ったのです。ここ最近の王都には天使が出没しています。先程の雪も天使の業ではないでしょうか」
ロット卿の推測にルース子爵は唸った。
「少なくとも雪が降ったのは現実です。これは奇跡と言えるでしょう。王都タレイアンの夏に雪が降るなど、イングリス王国の歴史上で初のことです」
「プロスペロー、見事だった」
魔物たちによる降雪の演出が終了した後。
降雪の演出の指揮を執った魔道士プロスペローは、総指揮官であるユースティスから労いの言葉をかけられた。
「お褒めにあずかり恐悦至極にございます」
プロスペローは恭しくユースティスの言葉を受け取ったが、少しだけ表情を曇らせた。
「しかし此度の演出の最大の功労者はバジリスクス様でございます。私の力は微々たるものでした……」
雪を降らせる演出を提案したのはプロスペローだった。
当初のプロスペローの計画では、警視庁周辺に雪を降らせるのみだった。
雪を降らせるには氷魔術を使う。
氷魔術の使い手が多ければ多いほど、雪を降らせる範囲を広げられるため、プロスペローはティムの後押しを得てバジリスクスに協力を願い出た。
ギルド全体から氷魔術の使い手を募るためだ。
しかしプロスペローが警視庁周辺に雪を降らせるという計画を説明すると、バジリスクスはティムに媚びるように微笑みかけて言った。
――みんなを驚かせたいというティム様のお考えにバジリーは賛成です。
――ティム様の親友としてバジリーは協力します。
――警視庁周辺といわず街中に雪を降らせましょう。
――街中に雪が降ったらきっとみんな吃驚しますよ。
――バジリーはとっても頭の良い魔道士です。できますとも!
バジリスクスのその言葉に、お祭り好きのティムは大喜びだった。
だがプロスペローは、バジリスクスがティムの機嫌を取るために調子の良いことを言ったのだと思い、即座に盛大に難色を示した。
プロスペローにはそれは不可能に思えたからだ。
氷魔術は水属性魔法の高度な術であり、使える者は少ない。
氷魔術師のもともとの絶対数が少ないため、魔道士ギルド全体から氷魔術師を募ったとしても、街全体と言えるような広範囲に雪を降らすことができるほどの人数はいないのだ。
降雪計画の指揮はプロスペローに任されていたため、豪語したことが実行できなかった場合にはプロスペローが失敗の責任を取ることになりかねない。
失敗した場合、ティムとユースティスの不興を買うのはプロスペローだ。
プロスペローは危険を回避するために即座に不可能を指摘した。
しかしバジリスクスは事もなげに言った。
――雪を降らせる程度のこと、氷魔術が使えずとも出来るわ。
――最初から氷を持って行け。
――氷を砕いて風魔法で散らせばよかろう。
プロスペローはバジリスクスの発想に瞠目した。
その場で水を凍らせて雪を作らずとも、最初から氷の塊を持って行けば、その氷を風魔法で細かく砕いて雪にして、吹き飛ばせば降雪の演出ができる。
その程度の風魔法であれば使い手は多い。
風魔法で氷を砕けない者も、道具を使えばできる。
極端な話、氷を雪のように砕いてまき散らす事は、道具と人手さえあれば、魔術が使えない人間にもできることだ。
気付いてしまえば他愛もないことだった。
だがプロスペローはそれに気付けず、その一方で、バジリスクスはさらりと妙案を出した。
バジリスクスの柔軟な知性にプロスペローは内心で驚嘆した。
誰しもがその頭脳明晰を認めている魔道士ギルド会館長、六つ星魔道士ルゴバロスが、バジリスクスを師と仰いで妄信している理由が初めて理解できた。
そして中央区全域に雪を降らせるという大規模な作戦は成功した。
氷塊を砕いて作る雪は粗削りで、氷魔術の使い手たちが作るような繊細な粉雪ではないが、それでも雪は雪だ。
「中央区全域への降雪が可能となりましたのは、バジリスクス様の頭脳あればこそでございました」
「ねえ、ファウスタ、雪が降ったのは精霊の仕業だったのかしら?」
慰霊祭を終えて帰宅したファウスタは、すぐにオクタヴィアからお茶に誘われ、質問攻めにされた。
(魔法は精霊がやったことにしておけば良いのよね?)
かつてのユースティスの助言に従い、ファウスタは答えた。
「はい。精霊がやっていました」
「やっぱりそうだったのね!」
オクタヴィアは目を輝かせてファウスタに更に質問をした。
「どんな精霊だったの?」
「え……と……」
質問に答えられず、必死に言い訳を探そうと記憶を総動員したファウスタの頭に、屋根の上でぴょんぴょん跳ねていたタニスの姿が思い出された。
「……ね、猫、みたい、だったかもしれません」
「猫妖精の仕業だったの?!」
「い、いいえ、猫みたいに屋根の上にいて……よく見えなかったので、見間違いかもしれません……。旦那様は天使かもしれないとおっしゃっていて……」
ファウスタは曖昧に言葉を濁したが、オクタヴィアは猫妖精の話で盛り上がった。
「マグス商会に飾られているファウスタの写真に、猫妖精が写っていたのでしょう? ねえ、ファウスタ、どうして教えてくれなかったの?」
(え……知らない……)
オクタヴィアが突拍子もないことを言い出したのでファウスタは面食らった。
(バジリーさんの看板しか知らないのだわ……)
「私は、記念写真は見ていないので解らないです」
「そうだったの?!」
オクタヴィアは、ファウスタが知らないことを次々と語った。
「今日ね、シェリンガム伯爵家のご令嬢ラヴィニア様にお会いしたのよ。それで色々とお話しを伺わせていただいたの」
「ラヴィニアお嬢様に?!」
呪われて病気になっていたラヴィニアのその後を気にかけていたファウスタは、彼女が元気になっていたという話にほっと息を吐いた。
(良かったのだわ)
「こちらでも雪が降っておりました」
給仕をしている家女中デボラが、オクタヴィアにこちらの天気はどうだったのかを質問されて答えた。
「突然の雪に、庭師たちは大騒ぎだったようです」
「冷夏を通り越して、雪ですものね」
「はい。ですが一時的なものでしたので、庭木に大事はなかったようです」
(プロスペローさんは凄いのだわ)
屋敷にも雪が降ったと聞いて、ファウスタはプロスペローの魔法の凄さに感心した。
プロスペローが魔法で雪を降らせるという作戦を、ファウスタはユースティスから聞いて知っていた。
バジリスクスのお茶会に招待されたとき、プロスペローが美味しい氷菓を作る仕事をしていると聞いていたファウスタは、プロスペローはきっとアイスクリームを作るように雪を作ったのだろうと思った。
沢山の謎の機械が並んでいる工場で、アイスクリームのように雪が生産されている様子をファウスタは想像した。
(さすがはアイスクリーム屋さんなのだわ)




