505話 夏雪
――王都タレイアン中央区の火の見櫓。
世界一発展した都市であると言っても過言ではない王都タレイアンの、最も華やかな地区である中央区では、火事の発生を監視する監視員が火の見櫓に常駐していた。
「慰霊祭が始まるころだな」
ベテラン監視員がそう呟くと、若い監視員はその言葉に含まれている意味を理解して言った。
「また怪獣が出るでしょうか」
今年の春、警視庁が怪火事件で騒がれていたとき、悪魔祓いが行われる時間に合わせて警視庁では怪奇現象が起っていた。
火の見櫓の監視員たちは、警視庁に現れた終末竜バハムートや大海獣リヴァイアサンの姿を見ていたが、しかしそれらは集団幻覚であるとされた。
「慰霊祭でも出るかもしれんな。悪魔祓いではないが同じ宗教儀式だ。出るかもしれん。しかし気にするな。幻覚だ」
怪獣たちが幻覚か本物かはさておき、悪魔祓いが終われば怪獣は霧のように消え、被害もなかった。
そのため異常現象は集団幻覚という答えに落ち着いていた。
「あっ!」
警視庁の周辺が、霧が発生したように白く煙り始めたのを見て、若い監視員は声を上げた。
「幻覚が始まったか」
ベテラン監視員は落ち着いた声でそう零したが、次の瞬間、顔色を変えた。
「な、なんだ……?!」
「こっちまで?!」
警視庁周辺に現れた白いモヤが、あっという間に視界全体に広がった。
過去に起った幻覚は警視庁周辺だけだったが、今までとは違う、広範囲におよぶ異常現象の事態に二人の監視員は狼狽えた。
二人の監視員が戸惑っている間に、はらはらと、天から白い欠片が降り注ぎ始めた。
「雪?!」
――聖ハウラ大聖堂の展望台。
慰霊祭の観覧をするためにこの展望台に集まっていた群衆は、突然に降り出した雪に茫然としていた。
神の奇跡を感じて両手を祈りの形に組み合わせる者、幻想的な光景に陶然としている者、あまりの異常気象に目を見張っている者など様々だ。
「こんな季節に、雪が降るなんて……」
マークウッド辺境伯令嬢オクタヴィアは、手にしていた遠眼鏡から顔をあげ、不思議な風景にうっとりと見入った。
「まさか、そんな……」
シェリンガム伯爵家の令嬢ラヴィニアも観劇用眼鏡を持ったまま、驚愕の表情で呟いた。
夏に雪降る不思議な風景に見入るようにしていたラヴィニアは、急に気付いたように、はっとした表情をした。
「や、やはり、ファウスタ様が精霊の愛し子だから……?!」
「ラヴィニアさん、ファウスタが精霊を呼ぶことをご存知なの?!」
問いかけたオクタヴィアに、ラヴィニアはしかつめらしい顔で頷いた。
「存じております。ファウスタ様は精霊様を召喚して私を助けてくださいました。それに、私が作法学校を退学できたのは猫妖精様が助力してくださったおかげなのです」
「そうでしたのね」
オクタヴィアとラヴィニアが和気藹々としている隣で、マークウッド辺境伯令息オズワルドとロスマリネ侯爵令息シリルもまた茫然として雪降る景色を眺めていた。
「夏に雪を降らせるなんて……。小さい若様より凄いかも?」
シリルが言う小さい若様とは、シリルの従弟であり、太陽をもたらすジンクスを持つレイナルド王子のことだ。
まるでファウスタが雪を降らせたかのように言ったシリルの言葉に、オズワルドは疑問を呈した。
「偶然じゃないかな。今年は異常気象が多かったから……」
「彼女は精霊の愛し子なんだろう?」
「どうかなあ……。霊視は凄いけど、他はわりと普通の子だよ」
――王立パルム作法学校。
学生たちが住む寮の部屋では、少女たちが黙祷を捧げていた。
かつてこの学校の生徒であった、今は亡きヘレン・エスクデイルの死を悼んでいる少女たちだ。
「ヘレンさん、どうか安らかに」
警視庁前で撮影された心霊写真に、ヘレンの幽霊が写っていることを確認した少女たちは、ヘレンの霊が今でも警視庁前を彷徨っていることを知った。
ヘレンが天国へ行けるように、少女たちは警視庁で行われる慰霊祭に合わせて黙祷を捧げた。
「……?!」
黙祷を捧げ終わり、目を開けた少女たちの何人かが、窓の外に何かが降っていることに気付いた。
「え……?!」
「雪?!」
天候の異変に気付いた少女たちは、次々と窓辺へと寄り、降りしきる雪を眺めて茫然とした。
一人の少女が瞠目したまま、自問自答するかのように呟く。
「今……夏よね?」
――マーグンキブ宮殿の女王の居室。
女王は親友であるオルロック伯爵夫人と、気の置けないひと時を過ごしていた。
「陛下、そろそろ慰霊祭が始まる時刻ですね」
「そうね。私たちも黙祷しましょう」
女王とオルロック伯爵夫人は黙祷を捧げた。
そして黙祷を捧げ終わった女王は、想いをはせるかのように、窓の遠くへと目をやった。
「……何か、降っていて……?」
「あら……?」
女王とオルロック伯爵夫人は、目と目を見交わし合い、ほぼ同時に椅子から立ち上がると窓辺へと寄った。
「まあ……!」
「なんてこと!」
窓の外、マーグンキブ宮殿の庭には、しんしんと雪が降っていた。
(なんてこったい……)
音も無く天から降り注ぎ、風に舞う小雪を、ダフは見つめていた。
「す、すごい……」
ダフの隣りにいるジョニーは目を輝かせて、思わずといったように感嘆の声を漏らした。
(夏だってえのに、本当に雪が降っちまった……)
ダフもジョニーもプロスペローの弟子として、雪を降らせるという魔道士たちの作戦を聞いていた。
魔法が使えて空を飛べる魔道士なら可能だろうと、二人は思っていた。
ジョニーは俳優の経験があったので、舞台に雪を降らせる演出を知っており、きっと舞台演出のようになるのだろうとダフに予想を語っていた。
しかし魔道士たちによる降雪の演出は、ジョニーとダフの予想をはるかに超えたものだった。
まるで本当の雪の日のように、視界のすべてに雪が降っているそれは、神の手によるがごとくあまりにも大規模だった。
ひやりとする雪が顔に落ちて来るにまかせ、ダフは空を見上げていた。
降りしきる雪は、ダフにとっての忘れられない日である半年前の聖誕祭の少し前の小雪の日を思い出させた。
トンプソン警部補の姿を見た最後の日の、あの小雪の日だ。
(トンプソンの旦那……)
はらはらと雪が舞い散る風景の中に、ダフは雪の中に消えた懐かしい笑顔を見たような気がした。
(旦那の仕事、終わったさあ)
そこには居ない懐かしい笑顔に、ダフは心の中で呼びかけた。
「どうよ! みんなが吃驚してるぞ!」
雪が降りしきる中を、空飛ぶ絨毯で飛行しながら、ティムは得意気な顔で歓声を上げた。
絨毯を運転しているのは狼男ドリーだ。
新聞の制作を終えた吸血鬼ダミアンも、ティムに付き従い同乗している。
絨毯で通りや広場の上空を飛びながら、眼下で人間たちが瞠目している様子をティムは楽しそうに眺めていた。
通りを歩いている者や、広場にいた者たちが、茫然として空を見上げている。
建物の窓という窓には、人々が顔を貼り付けて、驚愕の表情で外の雪を眺めている。
建物から飛び出して来る者もいる。
「みんなをあっと言わせてやったぞ!」
空中を前進し続ける絨毯の上で、進行方向からの風と雪とを受けながら、ティムは満面の笑顔で勝鬨を上げた。
「しかし、凄いですね……。まさかこれほどの規模になるとは……」
ダミアンは雪降る風景をしみじみと見回しながら感心するように唸った。
(本当に雪が降ったのだわ)
ファウスタは内心で呟いた。
黙祷を捧げる前は、夏の晴天の日だった。
しかし黙祷を捧げるために目を閉じ、そして黙祷を捧げ終わって再び目を開いたら、もう雪だった。
(平常心で、堂々と……)
ファウスタの隣りでマークウッド辺境伯は瞠目している。
夏の雪という今までに見た事のないこの景色を、ファウスタも本心ではよく見たかったが、ユースティスに注意されていたので平然を装った。
それがこの慰霊祭でのファウスタの仕事なのだ。
(旦那様、動いてくれないかしら……。声を掛けるべきかしら……?)
付き添いのマークウッド辺境伯が固まってしまっているので、どうするべきかファウスタはしばし悩んだ。
「……ファウスタ様、マークウッド卿……終わりましたら、お戻りください」
それまで茫然としていた案内係が、驚愕の色を浮かべたままではあったが動き出した。
その日、王都タレイアンでの降雪は、中央区一帯に及んだ。
ほんの数分の降雪だったが、前代未聞の異常気象として、王立天文台の記録に刻まれることとなった。




