504話 慰霊祭の奇跡
(あの人たちがみんな偉い人たち……)
ファウスタはマークウッド辺境伯とともに警視庁前に到着した。
警視庁前にいる立派な服装をした紳士たちや、何人かの聖職者を見て、ファウスタは軽く緊張をした。
警視庁前の大通りには簡易な柵が張り巡らされていて、群衆が要人たちに近付けないようになっていた。
群衆たちより少し手前には、やはり柵が置かれてそれ以上は近付けないようになっていたが、写真機を構えた新聞記者たちらしき一団がいる区画もあった。
柵の前や通りの両脇のあちこちには警官が立っている。
「ファウスタ様だ……!」
「猫妖精も来ているのだろうか……?」
群衆たちの目はファウスタに向いていて、彼らの話声がざわめきの波となってファウスタのところまで届いた。
(猫妖精はいないのだけれど……)
ファウスタは今までの心霊探偵の仕事のときの変装と同じく、肩までの長さの白髪の鬘に、顔の半分を隠す保護眼鏡を付けていた。
そして今日のために仕立てた黒いドレスに黒いつばなし帽子、帽子の上からは頭をすっぽり隠す肩までの長さの黒紗という出で立ちだった。
ドレスは大人のように丈が長いが、ここ数日、ファウスタは丈の長いドレスでの立ち居振る舞いを練習したので、楚々と歩くことが出来るようになっていた。
「シェリンガム卿、彼女がファウスタなのだよ」
ファウスタはマークウッド辺境伯により内務大臣シェリンガム伯爵に紹介された。
「ファウスタ様、先日は我が孫が大変お世話になりました」
「お役に立てて嬉しく思います」
(この人があの呪われていたお嬢様のお爺様……)
ファウスタはシェリンガム伯爵と握手をした。
シェリンガム伯爵は学者風の老人でひょろりとした体形だったが、意思の強そうな顔立ちの中にある目には思慮深い光があった。
(悪い警視総監とナスティを『バッサリ』やった内務大臣……)
以前、アメリアが痛快そうに、内務大臣シェリンガム伯爵が警視総監グロスと元メイドのナスティ・グロスを『バッサリ』やってくれたと語っていたことをファウスタは思い出した。
(権力者なのだわ)
「お嬢様の早い快復をお祈りしております」
「孫娘のラヴィニアはすっかり元気になりました。ファウスタ様のおかげです」
シェリンガム伯爵は穏やかな笑顔でファウスタに礼を述べた。
「ファウスタ、こちらは王都知事ジャスティン・ミラー氏だ」
マークウッド辺境伯は王都知事にもファウスタを紹介した。
(美味しいパンの粉屋さん!)
にこにこと愛想の良い笑顔を浮かべている王都知事ジャスティン・ミラーは体格の良い紳士だった。
(きっと毎日、美味しいものを食べているのね)
「ファウスタ様、本日はご足労いただき誠に感謝しております」
「こちらこそ、お会いできて光栄です」
ファウスタは王都知事とも握手をした。
「ファウスタ様、ご紹介いたします。彼は警視総監のサザランド氏です」
王都知事が新しい警視総監サザランドをファウスタに紹介した。
「お会いできて光栄です」
その後もファウスタは次々と王都の名士たちに紹介され、握手をした。
王都議会の議員たち、中央区の区長と区議たち、保安局長。
大抵が威厳のある壮年の紳士だったが、議員の中には若者もいた。
少し離れた距離にいる新聞記者たちの集団が、要人と挨拶を交わすファウスタを写真撮影している。
今日の慰霊祭をとりしきる中央区の教会の司教もファウスタに紹介された。
司教は典礼用の、冠のような丈の長い帽子をかぶっている。
その帽子は司教の頭より長い丈で、白地に金の縁取りがあり、帽子の正面には金糸でヤルダバウト教の光の印が描かれていた。
「神があなたと共にあらんことを……」
司教はそうファウスタに言った。
聖職者が挨拶のように口にするその言葉は、天罰に怯えていた少し前のファウスタであったら地獄への招待状のように受け取り、縮み上がっていただろう。
だが今のファウスタには後ろめたいことなど一つもない。
(今の私は正直者だもの。神様が来ても大丈夫なのだわ)
子供ながら堂々としているファウスタの隣りで、マークウッド辺境伯はどこか誇らしげでもある満足そうな表情で、終始にこやかにしていた。
(青空……)
魔物たちの作戦が気になっていて、ファウスタは快晴の空を見上げた。
ヴェール越しでも日差しが眩しい。
(……!)
ファウスタの視界の中で、何かが動いた。
その動いたものは、警視庁の向かいの建物の屋根の上にいた。
動物のような頭の人型で、黒マントを付けている。
(魔物?!)
ファウスタはそれを見た瞬間、狼男のような動物の頭の魔物かと思った。
だがすぐにその考えは打ち消された。
(タニスさん……?)
それは、タニスの背格好で、タニスらしい動き方をしていた。
ファウスタは心霊探偵の仕事でずっと魔女タニスと一緒で、彼女を見慣れていた。
動物のように耳が生えた頭だということを除けば、他はすべてタニスであるその人影は、動物の面をつけたタニスだとファウスタは思った。
黒いマントは魔物たちが使う認識阻害のマントのようであったし、高層建築の屋根の上で平然としていることも空を飛べるタニスならやりそうなことだ。
(やっぱりタニスさんだ)
タニスのようにしか見えない動物の頭の人影が、ファウスタに向けて両手をぶんぶん振って屋根の上でぴょんぴょん跳ねたので、タニスに間違いないとファウスタは確信した。
「ファウスタ、何か視えるのかね?!」
上方を見上げているファウスタに、マークウッド辺境伯が問いかけて来た。
「……いえ、あの……」
ファウスタはどうやって誤魔化すべきか戸惑ったが、すぐに考えが浮かんだ。
(こういうときは精霊がいたって言えば良いって、ユースティスさんが言っていたのだわ)
「精霊がいたような気がしたのですが。見間違いかもしれません」
「精霊?! 天使ではないのかね?!」
マークウッド辺境伯は興奮を耐えるようにして、声を落として言った。
出掛ける前にマークウッド辺境伯は、夫人のヴァネッサから、式典の間はおかしなことを口走ったり叫んだりしないようにと釘を刺されていた。
「いえ、あの、もう視えないので、見間違いかもしれません」
ファウスタとマークウッド辺境伯の会話の内容に、近くにいた中央区教会の司教は少し顔色を変えた。
ファウスタは知らなかったが、かつて警視庁に夜な夜な鬼火が出現していたとき、中央区教会の司教は内務省に設立された怪火現象対策委員会の要請で警視庁の悪魔祓いを行った。
そのとき彼はプロスペローの魔術による集中豪雨の被害を受けていた。
「……」
中央区教会の司教は、不安の色を浮かべて空を見上げた。
――カラーン。
黒い僧服の聖職者たちの一人が、手持ちの大ぶりな鐘を打ち鳴らした。
祈りの儀式が行われる合図だ。
――カラーン。
警視庁前を遠巻きにして観覧している群衆たちのざわめきも、鐘の音が鳴るとぴたりと止んだ。
――シャラーン。
別の聖職者は、鎖で吊られた振り香炉を揺らして、浄化の香の煙を振りまいた。
警視庁前に設営された花台には、ヤルダバウト教の光の印が飾られた大きな花輪と、イングリス王国の国旗とが飾られている。
その花台に向き合うようにして、要人たちは整列をしていた。
それぞれが手に白い花の小さな花束を持っている。
白い僧服に白い冠のような儀式用帽子をかぶった中央区教会の司教が、前に進み出て、花台の前で聖句を唱える。
ファウスタたちは司教の祈りの言葉を静かに聞いた。
(次はお花を捧げるのよね)
ファウスタは聞いていた手順を頭の中でなぞった。
司教の祈りが終わると、参列者が順番に花台に進み、花を捧げて黙祷する。
ファウスタも名前を呼ばれたら、花台の前に進んで、みんなと同じように花を捧げて黙祷をすると説明を受けていた。
「マークウッドのファウスタ様、ならびにマークウッド辺境伯」
霊能者ファウスタはマークウッドの森で発見された身元不明の少女なので、姓が無い。
そこでマークウッドのファウスタという呼び名になったらしい。
ファウスタはマークウッド辺境伯の後について、楚々と歩き出した。
「……!」
小さな霊能者ファウスタが、付き添いのマークウッド辺境伯とともに花台へと向かって歩き始めたとき。
ひゅうっと、冷たい水のような涼やかな風が吹き抜けた。
花台の脇に立つ司教や聖職者たちも、整列している要人たちも、それを遠くから眺めている群衆たちも、はっとした表情になる。
夏の陽射しの下、突然に吹いた水のように涼やかな風に、人々は爽やかさと、そして幽かな不思議を感じながら、花台へと進むファウスタを見つめた。
人々の注目の中、ファウスタが花台へと花を捧げる。
再び、ひゅうっと、清涼な風が吹き抜けた。
「……!!」
そのとき世界は一変した。
「っ……?!」
目を疑うような光景に、皆が皆、息を飲んだ。
大声を上げるものはいなかったが、誰もが驚愕の表情で目を見開いていた。
ファウスタが白い花を捧げたとき、清涼な風とともに、白い花びらのようなものが無数に舞い落ちて来たからだ。
「っ!!」
「……?!」
瞬きした次の瞬間に、突然に雨のごとく、それらは降り注いだ。
風に舞い踊る無数の花びらのような白い欠片たちは、夏の陽射しを受けてキラキラと金剛石のように煌めき、触れれば冷たく、そして消えた。
「……ゆ、雪……」
誰かの小さな呟きが、白銀が舞い落ちる風景の中に溶けた。




