48話 飛び出すナスティ
ファウスタはデボラと一緒に朝の一通りの仕事を終えた。
仕事といっても、ファウスタがやったのは窓を開けたり、本棚にはたきを掛けたり、テーブルを拭いたりという簡単な仕事ばかりだった。
「見習いのうちは火を扱ってはいけないの。暖炉は私がやるわ」
「はい」
部屋をざっと掃除した後、食卓テーブルにリネンのテーブルクロスを掛けていると、部屋の中にあるもう一つの扉が開いた。
「ファウスタ、おはよう」
「おはようございます」
「まあ、お嬢様!」
扉を開けて現れたのはオクタヴィアだった。
フリルとリボンのゆったりした豪華なワンピースに、やはりフリルとリボンのモブキャップのような室内帽を被っていたが、夜着なのだろうという事はファウスタにも解った。
(お嬢様は帽子をかぶって寝ているのかしら)
「申し訳ありません、まだお茶の用意が整っておらず……」
デボラは少し慌てたようにそう言ったが、オクタヴィアは気にしていないようで軽い口調で答えた。
「ああ、いいのよ。私が勝手に起きて来たんだから。仕事を続けてちょうだい」
「只今、お部屋の準備が整いましたので、急ぎお茶をお持ちします」
「お茶はファウスタに煎れてもらっていいかしら」
オクタヴィアが目を輝かせてそう言うと、デボラは困ったように眉を歪めた。
「申し訳ございません、お嬢様、見習いには茶器を扱う事は許されておりません」
「ユースティスはやってるじゃない」
「彼は給仕として充分な作法や技能を習得しております。給仕の経験の無いファウスタには練習が必要でございます」
「ここで練習すればいいわ。茶器が問題なら、使用人用の茶器でいいわよ。使用人用の茶器ならファウスタにも出来るわよね」
「お嬢様にお出しするお茶に使用人の茶器を使うわけには……」
「私が使用人の茶器でかまわないと言っているのよ。他に問題あるかしら?」
「……紅茶は高価ですので、見習いは最初は香草茶や花茶で練習をいたします」
「じゃあ香草茶でいいわ。これで問題はないわよね」
デボラは一瞬考えるように言葉を詰まらせたが、すぐに考えがまとまったのかオクタヴィアの申し出を了承した。
「では、マクレイ夫人に許可をいただいてまいります」
「お願いね」
デボラが掃除用具など一式をワゴンに乗せて退室すると、オクタヴィアはファウスタににっこり微笑みかけた。
「やっぱり薄紅色がよく似合ってる。貴女の髪の色には薄紅色が似合うと思ったのよ」
「あ、あの、とっても素敵なドレスをありがとうございます」
ファウスタはお茶の話に不安を覚えつつ、オクタヴィアの帽子も気になっていたが、まずはドレスのお礼を言った。
「気に入ってもらえたかしら?」
「はい。素敵すぎて……私などには勿体ない可愛いドレスです」
「瞳の星の色に合わせた空色のドレスもあるから楽しみにしていてね。二、三日あれば全部仕上がるってネルが言っていたわ」
「えっ!」
(まだ他にもドレスがあるの?!)
ファウスタの驚きになど気付いていないのか、オクタヴィアはファウスタの身支度を上から下まで検分した。
「靴も用意しなければね。靴屋を呼びましょう。キャップにはリボン飾りを付けた方がいいわね。服の色に合わせたリボンをつけましょう」
お人形の着せ替え遊びに熱中する少女のように、オクタヴィアは楽しそうにファウスタの装いについてあれこれ考えているようだった。
「私の頭にまた何か視えているの?」
ファウスタの視線に気付き、オクタヴィアはファウスタに問いかけた。
「あの……帽子が……」
「私の夜帽子がどうかして?」
(夜帽子?!)
「夜帽子というのは、夜用の帽子なのですか?」
「そうよ」
きょとんとしているファウスタに、今度はオクタヴィアが質問した。
「夜帽子を知らないの?」
「はい、すみません。初めて見たもので……」
「まあ、それはいけないわ。眠る時は夜帽子をかぶるものよ。早速、貴方の夜帽子を作らせるわね。可愛いキャップを作らないとね!」
オクタヴィアはわくわくした顔で、楽しそうに声を弾ませた。
デボラがお茶用手押し車を押して戻ってくると、オクタヴィアはもう一度ベッドへ戻った。
ファウスタに仕事の流れを教えるためだ。
本当はお茶の準備を整えてからオクタヴィアを起こし、目覚ましのお茶を出すのだとファウスタはデボラに教えられた。
(このベッドは中に住めそうね)
屋根がありカーテンがついている大きなベッドにファウスタは目を見張った。
このベッドがあれば、小さな家を作れるのではないかと思った。
(お嬢様は本当にお優しい方なのだわ)
もう一度ベッドに戻り、寝たふりをして、ファウスタに起こされる役を演じてくれるオクタヴィアの優しさにファウスタは感動した。
寝たふりをしているオクタヴィアを起こすと、ファウスタは教えられた言葉を言った。
「お嬢様、朝のお茶をお持ちしました」
そしてファウスタはお茶の用意に初挑戦した。
茶器は使用人食堂でのお茶に使われていた無地の陶器とは違う、簡素だが濃紺の模様が描かれた華奢な陶器だった。
(きっと高価な茶器だわ。気を付けなければ)
ファウスタは緊張しながら、デボラに言われた通りにスプーンでポットに茶葉を入れた。
「お湯には充分に注意してね」
お茶用手押し車の上では、スタンドに置かれたすらりとした小さな銀製の薬缶が、下から小さなバーナーの火で温められ、しゅんしゅんと沸き立っている。
ファウスタは緊張しながら、薬缶のお湯を静かにポットに注いだ。
お湯を注ぐと、ポットの中で香草の葉が躍り、何か果実のようなすっきりとした香りが立ち上った。
オクタヴィアとデボラも軽く緊張した面持ちでファウスタの動作を見守る。
天井からはお姫様の幽霊がファウスタたちを観覧していたが、それに気付く者は誰もいなかった。
ファウスタには周囲を見る余裕がなく、オクタヴィアとデボラには幽霊が見えないからだ。
「早すぎると薄く、遅すぎると渋くなってしまいます。色が出た適当な頃合いで注いでください。……そろそろ良いですよ」
デボラに頃合いを教えられ、ファウスタはポットから茶こしで濾しながら、カップにお茶を注いだ。
ゆっくりと、慎重に。
ファウスタがお茶をカップに注ぎ終わりポットを置くと、オクタヴィアとデボラはほっとしたように息を吐いた。
「明日からこれはファウスタの仕事よ。お願いね」
「はい!」
ファウスタは知らなかったが、地階では陶器の管理人であるマクレイ夫人が、オクタヴィアが使う物ではあるがファウスタが触るであろう茶器を今後どうするかについて頭を抱えていた。
「この夕焼け色のお肉は何のお肉ですか?」
「それは肉じゃなくてキータよ」
「キータとは何でしょう」
「魚よ」
ファウスタはオクタヴィアと一緒に朝食の席に着いた。
昨日、使用人食堂での朝食の豪華さにファウスタは驚いたが、今日のオクタヴィアとの朝食はそれの更に上を行くものだ。
ファウスタは葉野菜のサラダの上に乗せられている生肉のようなものに驚いた。
「このお魚は生なのですか?」
「生じゃない、と、思うけれど……?」
オクタヴィアがちらりと給仕のデボラに視線をやると、デボラは得たりとファウスタの疑問に答えた。
「そちらは塩漬けキータの燻製になります。葉野菜と一緒にお召し上がりいただければ、丁度良い塩加減になるかと存じます」
ファウスタは言われた通り、葉野菜と一緒に魚だという謎肉を食べてみた。
そしてもっちりとした食感と美味しさに驚いた。
(まるでお肉のようなお魚なのだわ。こんなお魚があったなんて!)
「ファウスタはキータを知らなかったの?」
「はい。私、お魚はイールしか食べたことがないのです」
「イールって……水に棲んでる蛇みたいな生き物よね。あれって魚なの?」
オクタヴィアは訝し気な顔をして、ファウスタとデボラを交互に見た。
ずっとイールは魚だと思っていたファウスタは価値観をひっくり返される疑問を投げかけられ言葉を詰まらせたが、デボラはすらすらと答えた。
「イールは魚類に分類されます。レイテ川にはイールが多く生息しておりますので庶民にはよく食べられております」
「魚だったのね……」
オクタヴィアは衝撃を受けたような表情をした。
(デボラさんは何でも知っていて凄いわ)
デボラが答えた内容は、料理や食品に関わっている大人なら誰もが知るような常識の範囲であったが、ファウスタはすらすらと答えるデボラに非常に感心した。
そしてイールが魚だった事に安堵した。
「ドアだけでも良いとの事でしたので、こういう形になりました」
朝食後、執事のバーグマンが部屋を訪れた。
人形の家のドアから人形が出て来るようにして欲しいというオクタヴィアの依頼の品を作り、約束通り朝食後に持って来たのだ。
バーグマンが持って来た品は人形の家ではなく箱だった。
昨日見た人形がすっぽり収まりそうな大きさの箱で、蓋になっている上部にはドアっぽい絵が描かれていた。
「この留め金でドアを留めています」
バーグマンは箱の蓋を留めている金属を示した。
ファウスタたちは興味津々でバーグマンが持って来た箱に大注目した。
「留め金を外してみてください」
バーグマンは自信満々といった笑顔で、箱をテーブルに置いた。
「これね」
バーグマンに言われ、オクタヴィアは箱に手を伸ばし、留め金を外した。
――ぱん!
「きゃあっ!」
「ふぎゃっ!!」
「っ!」
オクタヴィアが留め金を外した途端、箱の蓋を弾き飛ばすように押し上げて、ナスティ人形が飛び出した。
ファウスタとオクタヴィアは、驚いて一瞬身を縮めたが、すぐに何が起こったのか理解した。
オクタヴィアが吹き出すように笑い出した。
「傑作よ! 大傑作よ!」
飛び出した不吉な人形は、バネでビヨンビヨンしながら揺れた。
ファウスタはその人形がただただ恐ろしく、しかも急に飛び出して来て酷く吃驚したので、心臓がばくばくしてしまいとても笑えなかった。
デボラは顔の筋肉をひくひくさせ、肩を震わせながら、右手で左手をぎゅっと握りしめ、下を向いてしまった。
「これ完璧よ!」
オクタヴィアはナスティ人形を再び箱の中に押し込めて、蓋を閉じ、そして手を離した。
手を離した瞬間、バネ仕掛けのナスティ人形が箱の蓋を押し上げて飛び出す。
そしてビヨンビヨン揺れる。
「そっくりよ! あの人こうなのよ! 本当そっくりよ!」
オクタヴィアは笑い転げた。
バーグマンは得意気に胸を逸らした。
「お気に召していただき嬉しく存じます」
「お礼に、貴方に何かお酒をプレゼントさせていただくわ。お父様にお願いしておくわね」
「おおっ!」
バーグマンは今にも飛び上がりそうなほどの喜びようで声を弾ませた。
「さすがお嬢様! 解っていらっしゃるぅ!」
「貴方はお酒が大好きだって事くらい、みんなが知ってるわよ」
ファウスタはナスティ人形がとても恐ろしかったが、怖い物見たさの気持ちがあるのか、何故か目が離せずに凝視してしまっていた。
悪意に歪んだ顔は見てはいけない物のような気がするのに、まるで引き込まれるように視線が吸い込まれた。
「さあ、ファウスタ、この箱は貴女のものよ」
オクタヴィアが笑い転げながら、蓋が開いてナスティ人形がビヨンビヨンしている箱をファウスタに差し出した。
「この箱でバネ式の仕組みをじっくりお勉強なさいね」
「……は、はい、お嬢様。ありがとうございます」
(こんな怖い人形、いただいてしまって、どうしよう!)




