44話 ミラーカの機知
侍女たちの裁縫部屋であり休憩室でもある二階の一室。
侍女ミラーカとネルはその部屋で、オクタヴィアが選んだドレスをファウスタに合わせて丈直しをしていた。
もう一人の侍女ヘンリエタはヴァネッサに相談事があり不在だ。
「ずっと孤児院で不自由な暮らしをしていて、これからようやく幸せになれるというのに、失明するかもしれないなんて……なんという悲劇でしょう。お可哀想なファウスタ様……!」
ネルはファウスタの哀れな身の上に同情した。
「まだ決まったわけではないわ。そんな顔をするのはおよしなさい。ファウスタを不安にさせてしまうわよ」
「はい、ミラーカ様。申し訳ございません」
泣きそうな顔でネルは返事をした。
ネルのその様子を見てミラーカは苦笑した。
「目に星型の模様が出ても失明しなかった者の方が多いのよ。奥様は最悪を想定なさって事前に対策していらっしゃるだけ。悲観するには大分早すぎてよ」
「ミラーカ様はファンテイジ家のご当主の手記をご存知なのですか?」
「ええ、いくつか読んだわ。確かに失明した当主がいたけれど、大昔の話よ。一概に遺伝のせいとは言えないと思うの。昔はろくな医療がなかったし、眼鏡だって無かったんですもの」
「ではきちんとお医者様に診ていただけば、防げる可能性もあるのでしょうか」
「ええ、そうよ。だから奥様は眼科医に相談すべきとお考えになったのでしょう」
――ふいに扉がノックされ、侍女たちは顔を上げた。
ネルが立ち上がり応対をする。
来訪者は執事のバーグマンだった。
「急ぎの用件で、ネルに縫って欲しいものがあるんですが、時間を融通していただけませんか」
バーグマンは部屋の中にいるミラーカに伺いを立てた。
吸血鬼ギルドにおいて、ミラーカはネルの主人であり、ミラーカの仕事を手伝うためにネルはファンテイジ家に派遣されているからだ。
「今日は縫物が多いの。明日では駄目かしら」
「ネルなら多分、十分もかからず作れると思います。簡単なものです。十分くらい融通してもらえないでしょうか」
「解りました。十分なら融通します。ネル、聞いてあげなさい」
「はい」
ミラーカの了承を得たので、バーグマンはネルに依頼の内容を語った。
「ファウスタにバネ式を説明するのに片手使い人形が必要でね。端切れでいいから適当に、ぱぱっと作って欲しいんだ」
「ファウスタ様に!」
今まさに同情を寄せていた人物の名が出て、ネルは心臓を撃ち抜かれたかのごとく目を見開いた。
「全身全霊をかけ誠心誠意を込めてお作りいたします! どんな意匠でも何なりとお申し付けください!」
ネルは非常に真剣な顔で応じたが、バーグマンは少し慌てたように両手で「ちょっと待って」の身振りをした。
「あ、いや、そんな大げさなものじゃなくていいんだ。バネ式でどうやって人形が飛び出すのか知りたいらしいから、仕組みを見せるのに人形が必要なだけなんだ」
食い入るような眼差しで話を傾聴するネルに少し辟易としながら、バーグマンは説明した。
「バネを仕込むから片手使い人形の形が良いんだ。手を入れる部分にバネを入れるつもりだ。見た目は適当でいい。案山子や雪だるまみたいな単純な物でいいんだ。ぱぱっと頼むよ」
「バネ式の人形というのは、奥様がファウスタにお話しされていた物ね」
ミラーカが少し面白そうに、興味を引かれたように口を挟んだ。
「あ、そうなんですか?」
「悪魔人形は機械仕掛けで、飛び出したのはバネ式だったからと奥様がファウスタに解説なさったの。ファウスタはそれを聞いて不思議そうな顔をしていたわ」
「ああ、なるほど。いつもの奥様の科学的解釈でしたか」
バーグマンは事情を把握して頷いた。
「仕組みをファウスタに説明するようにとお嬢様に頼まれたんですが、子供には言葉で説明するより実際に見せたほうが早いと思いまして」
「まあ、お嬢様に?」
「はい。ファウスタに解るようにバネ式を説明せよと、お嬢様より仰せつかりました」
「それで科学実験をしてみせようというのね」
「ええ、まさに科学実験です。人形をバネで飛ばす実験です」
「そういう事ならば、人形は悪魔っぽい方がいいわよね?」
ミラーカはすっと、何か裏のありそうな怪しい微笑みを浮かべた。
「悪魔人形の飛行をバネ式で再現する実験ですもの。当然人形は悪魔でしょう」
「確かに悪魔の人形であれば再現度は高くなるでしょう。しかし実験に使うだけの人形ですので、手の込んだものでなくとも大丈夫です。簡単なものでかまいません」
「解りました」
ネルに代わり、ミラーカが依頼を了承した。
「夕食前までに執事室へお届けするわ。それでいいかしら?」
「はい、充分です。よろしくお願いします」
「さあ、ネル、悪魔の人形を作りましょう。大至急よ」
バーグマンが退室すると、ミラーカはその美貌に非常に楽しそうな、面白い遊びを見つけたような笑顔を浮かべ、声を弾ませて言った。
「急いでデザイン画を描くわ。最優先で作ってちょうだい」
「はい、ミラーカ様」
ネルは吸血鬼ギルドでは最下位の五等吸血鬼である。
五等吸血鬼には吸血鬼としての戦闘力や魔力がほとんど無い。
ただ不死者であるというだけで、ほぼ人間と同じ力しか持たない。
魔物社会における五等吸血鬼は、人間社会で言えば非武装の民間人である。
そんな非力なネルが、上位吸血鬼たちが集う最前線ともいえるファンテイジ家の使用人に抜擢されたのは、ただ偏に裁縫の腕前を買われての事だった。
ミラーカが腕の良いお針子を必要としていたために採用されたのだ。
ミラーカが考案したデザインを、裁縫で具現化するのがネルの仕事だった。
「悪魔と言えば……やはり、あれよね?」
ミラーカは含みのある言い方をすると、艶やかに微笑んだ。
吸血鬼ギルドにおいて、ミラーカとネルは天と地ほどの身分の差がある。
圧倒的な女王の御前に投げ出された非力な農民のように、ネルは思考を必死に巡らせ、ミラーカの気に入る答えを探した。
(悪魔といえば竜公たるアルカード様だけれど……。いいえ、ミラーカ様のお考えはきっと違う。ミラーカ様はとても機知がおありですもの。もっと何か奇抜な答え。ああ、解らない……!)
「申し訳ありませんミラーカ様、愚かな私にどうかお教えください」
ネルはミラーカの前に深々と頭を下げ、声を震わせた。
「あれとは一体何でございましょう」
「まあ、ネル、貴女もよく知っているはずよ? 悪魔と言えばあれでしょう?」
ミラーカは春の女神のように微笑むと、その名を口にした。
「ナスティ・グロスしかいないでしょう」
「ああっ!」
ネルは天啓を授かった芸術家のごとく声を上げた。
ナスティ・グロスとは侍女たちをさんざん悩ませた、性悪侍女の名だった。
彼女の被害に遭ったのは同僚の侍女たちだけではない。
辺境伯夫人の宝飾品が何点か消え失せ、三人の使用人が恐喝され辞職した。
ファンテイジ家の令息と令嬢は名誉を失い婚約を解消され、高価な茶器は砕け、銀器は傷物となった。
「確かに! あの女こそ悪魔です!」
「でしょう?」
ネルの反応に、ミラーカは満足そうな笑みを浮かべた。
「あの女にそっくりな人形を作って、悪魔ですと言って差し出せば、お嬢様はきっとお笑いになってくださるでしょう」
「ええ、ええ、間違いございません。私などアイディアをお聞きしただけで大変なエスプリと風刺に感服いたしております。お嬢様のみならず、彼女を知る全ての者の琴線に触れることでしょう」
感銘を受けすぎてネルはやや興奮気味にまくしたてた。
ミラーカは静かに、しかし圧倒的に命令を下した。
「最高の品を作るのよ」
「はい、ミラーカ様、仰せのままに」
上階の夕食より少し前の時間。
ミラーカは執事室を訪れ、完成した人形をバーグマンに届けた。
「そっくりじゃないですか!」
ミラーカから渡された人形を見て、バーグマンは声を上げた。
布でつくられたその片手使い人形は、かつてこの屋敷で働いていた侍女ナスティの特徴を大げさにとらえていた。
「この曲がった口元、今にも不平不満を言い出しそうじゃありませんか。ナスティに生き写しです。茶器と銀器が心配になる顔です」
バーグマンは人形の出来栄えに惜しみない賛辞を述べた。
「すごい完成度です。この何か狙っているような、つり目もそっくりです。夜中に動き出して宝飾品を盗みそうです」
実際、気合の入った一品であった。
似ているだけではない。
衣装にレースまで使われている手の込みようだ。
「この人形を見たら、お嬢様はきっとお笑いになるでしょう」
ミラーカの言葉に、バーグマンは釈然としない顔をした。
「そうでしょうか。お嬢様は悲鳴を上げるんじゃないでしょうか」
「いいえ、お嬢様はユーモアを理解して笑ってくださるわ」
ミラーカは自信に満ちた微笑みを浮かべた。




