421話 月の影に潜むもの
「ファウスタ、次は、そうね、明日の即位記念祭を一枚引きで占ってみましょう」
マグス商会中央区支店が猫妖精事件で大混乱している頃。
ファウスタはマークウッド辺境伯邸で、令嬢オクタヴィアに教わりながら、タロット占いの練習をしていた。
ファウスタとオクタヴィアが即位記念祭の観覧に行く日、二人は日課の勉強を休むことになる。
その予定に重ねて、家庭教師のポラック夫人と絵画教師のピクシー先生は三日間の休暇をとっていた。
休暇で帰省中のポラック夫人が、実家で孫たちが歌う王冠の歌に戦慄していることを、ファウスタもオクタヴィアもまだ知らない。
「明日の即位記念祭がどうなりますかって、心の中で念じながらカードを混ぜるのよ」
「はい」
(明日の即位記念祭はどうなりますか)
ファウスタは心の中で念じながら、全て裏返しになっているタロットカードをテーブルの上で時計回りに混ぜた。
七十八枚のカードを全て使う正式な占い方ではなく、寓意画が描かれている大アルカナのカードだけで占う初心者向けの占い方なので、カードは二十二枚だけだ。
ファウスタはカードを混ぜ終えると一つの山にまとめ、運命の一枚を引いた。
――月のカードが出た。
月のカードは、憂鬱な横顔が描かれた月が夜空に浮かんでいる絵だ。
月下には曲がりくねって遠くの山まで続く道がある。
その道の両脇では狼と犬が月に向かって遠吠えを上げ、泉からはザリガニが這い出して道を進もうとしている、どこか不安な夜の風景だった。
(月は……騙されるカードだわ)
ファウスタは月のカードの意味を覚えていたが、解釈には自信がなかったので、オクタヴィアに問いかけるようにして言った。
「即位記念祭の日に、詐欺師が出るのでしょうか?」
ファウスタが告げた占い結果に、オクタヴィアは少し考えるような顔をすると意見を言った。
「人の未来を占ったなら、騙されるかもしれないと解釈しても良いけれど。即位記念祭を占ったのだから、まだ見えていない何かが原因で、トラブルが起こるって意味じゃないかしら」
オクタヴィアはすらすらとカードを解釈して、その意味を語った。
「月は本当は丸くて、満月の形が本当だけれど、半月や三日月に変わるし、新月にはすっかり姿を隠してしまって、見る者の目を欺くわ。だから月のカードには、欺かれているとか、見えていない真実があるとか、何かが隠されているという意味があるの。月は変わりやすいものの象徴でもあるから、不安定な状況と読むこともあるわ」
(御姫様?)
オクタヴィアが『御姫様』と名付けた幽霊が、カードを解説するオクタヴィアにすうっと寄り添った。
「それに、月明かりだけの夜道は先が見え難くて危険だから、これから進もうとしている道には、見えていない危険があるって解釈するの。これが逆位置だったら、危険に遭遇しても回避できたり、被害が小さくて済んだりするけれど。これは正位置よ。トラブルが起こるって読んで良いと思うわ」
幽霊の御姫様と同じ冷めた表情でオクタヴィアは淡々と語った。
「即位記念祭が、月の正位置だと考えると、即位記念祭に良くない事件が起こるか、もしくは……」
オクタヴィアはすっと暗い微笑みを浮かべた。
「王族の誰かにとって何か良くない事が起こるのかしら。月のカードには、死者とか幽霊とか、霊的な意味もあるもの」
「月は幽霊のカードなのですか?」
「そうよ。ファウスタは幽霊を視ることができるけれど。普通の人は幽霊を視ることができないから、幽霊は視えないものに分類されるの。だから視えていない何かがあるという月のカードで象徴されるのよ」
オクタヴィアはそう言い、少し面白そうに笑いを零した。
「幽霊が夜の影に隠れる視えないものなら、幽霊が視えるファウスタは、何でも照らし出して暴いてしまう、歩く太陽のカードね」
(太陽は成功のカードだけれど。……私は心霊探偵を失業したばかりで成功していないのだわ。破滅もしていないけれど、成功もしていない。今の私は質素倹約の節制のカードじゃないかしら)
「あの、では……、即位記念祭は月のカードだから、幽霊が出るのですか?」
「出る可能性はあるわ。だってトトメスの幽霊はもう出て来ているでしょう」
二十年前に亡くなった占い師トトメスの幽霊を、ファウスタが何回か視たことについてオクタヴィアは言った。
「はい。トトメスさんは出ました」
「トトメスの最後の予言は、王位継承権に関わる予言よ。即位記念祭は即位を祝う行事なのだし、王族が勢揃いするから、何か起りそうな気がするわ」
(何か起こる……?)
オクタヴィアの話に、ファウスタの心に不安がモヤモヤと渦を巻き始めた。
明日は、真っ黒な蛇を巻き付けたタレイアン公爵夫人を、ファウスタは直接視ることになるのだ。
怖い気がするし、嫌な感じもある。
(でも、魔物の皆さんが一緒だもの。大丈夫よね)
タレイアン公爵夫人は怖いが、頼りになる魔物たちが一緒だ。
魔女ヘカテも来る。
魔女ヘカテは、たくさんの真っ黒な呪いを、ぜんぶ天井に押し上げてしまう凄い魔法を使える魔道士だ。
頼もしい魔物たちが一緒なのだから、きっと大丈夫だろうと、ファウスタは自分に言い聞かせた。
「私もファウスタも王冠の歌を聴いている。あの歌は絶対に心霊現象よ。これだけ揃っていたら、王室に何か霊的な事件が起こるって考えて良いんじゃないかしら」
オクタヴィアはそう言い、瞳を輝かせた。
「もしかしたらトトメスが出て来るかもしれないわ。明日、もしトトメスの霊がいたら、すぐに私に教えてね」
「はい、お嬢様」
「でも、そうね……」
オクタヴィアは少し考えるような顔をして言った。
「どのみち月は良くないカードよ。これは逆位置で出たほうがマシなカードだもの。月が出たときは注意が必要。良くないことに関わらないように、明日は霊視を終わらせたら早めに帰りましょう」
「はい」
そのとき、ふいに、窓ガラスが風に叩かれてガタガタと鳴った。
「今日は風が強いわね。お天気も怪しくなってきたし……」
オクタヴィアが窓の外に目をやって言った。
「月のカードが示すトラブルって、もしかしたら、もっと単純に、お天気のことかしら。雨が降ったらきっと式典は色々と大変だもの。集まった人たちだって雨に濡れることになったら災難よ」
(お天気……)
ファウスタは天気が心配になり窓の外に目をやった。
午前中は晴れ間があった空は、すっかり雲に覆われている。
(……あれ?)
灰色の雲に覆われた空が、少し蒼褪めて煙っているような気がして、ファウスタは目を凝らした。
(ちょっと変な色の雲……)
ファウスタが雲の色に気を取られていると、歌が聴こえた。
――王冠一つ目、転がった。
――滑って、転んで、転がった。
「……!」
それはオクタヴィアの声だった。
オクタヴィアが王冠の歌を口ずさんでいた。
茫洋とした眼差しで窓の外を見ながら、オクタヴィアは歌っていた。
――王冠二つ目、落っこちた。
(お嬢さまはご機嫌なのかしら。明日はトトメスさんが出るかもしれないから?)
人が鼻歌を歌うときは気分が良い時だというイメージをファウスタは持っている。
だからオクタヴィアは機嫌が良いのだろうと思った。
(御姫様も、同じ歌を歌っているの?)
オクタヴィアに重なるようにして寄り添っている幽霊の御姫様も、オクタヴィアと同じように口を動かしていて、二人で一緒に歌っているように見えた。
オクタヴィアの頭上に視える、金色の王冠のようなものが、いつもよりキラキラと輝いている。
「お、お嬢様……」
ファウスタは少し不安になり、オクタヴィアに声を掛けた。
「……!」
オクタヴィアがはっと気付いたような顔でファウスタを振り向いた。
「ファウスタ、どうしたの?」
「今、お嬢様と一緒に、御姫様も歌っているみたいで……」
「御姫様が?」
「はい。お嬢様の歌に合わせて、御姫様も歌っているようでした」
「……?」
オクタヴィアは不思議そうな顔をした。
「私の歌?」
「はい。お嬢様が歌っていらした王冠の歌です」
「私、歌ってなんかいないと思うのだけれど……」
「……え?」
ファウスタは自分の記憶を確かめるかのように、オクタヴィアに言った。
「お嬢様は窓の外を見て歌っていらっしゃいました」
「本当?」
「はい」
「いつ?」
「今です。私が声を掛けるまで、お嬢様は歌っていらっしゃいました」
「……そういえば、私、ぼんやりしていたわ。無意識に歌っていたのかしら?」
訝し気に眉を寄せているオクタヴィアの隣りで、幽霊の御姫様が微笑んでいた。
天上を行く巨大な星々が凶角を形成し、拮抗して火花を散らす。
星々の闘争に火の粉が雨と降り注ぐ中、災厄が笑いながら走り抜けて行く。
破壊の時を知らせる大鐘の音に、嘆きの月はゆっくりと顔を巡らせ、埋葬された死者たちを照らし出した。
ファウスタを乗せた舟は、激動の夏を進んでいた。
第四章、終わりです。
お読みいただきありがとうございました。
ブクマ、評価、レビュー、いいね、感想、誤字報告など、いつもありがとうございます。
全部嬉しいです。
四章の途中でブクマが1000件を超えました。
大勢の方に読んでいただけて嬉しいです。
当初は即位記念祭を区切りにする予定でしたが、あまりに長くなったので、ここで一旦区切りを付けます。
次章は即位記念祭からです。
複数の事柄が同時進行している話なので、どこからどう書くか、どう構成するか迷います。
構成を考えて時間を消費するより、時系列でどんどん書いて更新した方が良いかなと続けていたら、区切りをつけられないままここまで進んでしまいました。
次からは適度に章で上手く区切れるようにしたいです。




