42話 バネ式の科学
「ファウスタ、私ね、妹か弟が居たらいいなって思っていたの」
侍女ミラーカに付き添われ、ファウスタはオクタヴィアと一緒にマークウッド辺境伯夫人ヴァネッサの待つ部屋へ向かい廊下を歩いていた。
魔物の彫刻やおどろおどろしい絵が飾られている見せかけの地獄のような二階の廊下を歩きながら、オクタヴィアは楽しそうに微笑んだ。
「ファウスタはファンテイジ家の末裔なんですもの。本当に血が繋がっているんだから本物の妹みたいなものよ」
オクタヴィアは夢見るようにうっとりと語っていたが、ファウスタは内心で首を傾げていた。
マークウッドの領民の半分くらいがファンテイジ家の末裔だと聞いていたからだ。
(私がお嬢様の妹だとしたら『領民の半分』も兄弟になってしまうのだわ。家族にしては多すぎるから違うんじゃないかしら……)
オクタヴィアは扉の前で歩を止めると、もう一度ファウスタを振り返った。
「お母様が何か言っても、ファウスタのことは私が守ってあげるから安心して」
オクタヴィアは年長者らしく堂々と言った。
(お嬢様はお優しい方なのだわ)
妹かどうかはさて置き、ファウスタはオクタヴィアを頼もしく思った。
ミラーカが扉をノックすると、中から返事があり、それを聞いてファウスタは少し緊張した。
ミラーカが扉を開けると、部屋の中にはヴァネッサと数人の女性使用人たちがいた。
部屋は地獄のような廊下とは全く雰囲気が違い、他の部屋に比べると地味にも思える部屋だった。
落ち着いた内装の部屋の中で、壁に飾られているいくつもの風景画が色鮮やかに映えている。
「ファウスタ、貴女は明日から彼女たちと一緒に仕事をする事になります」
ヴァネッサがそう言い、女性使用人たちを改めてファウスタに紹介した。
オクタヴィア付きの家女中デボラ。
ヴァネッサの侍女ヘンリエタ、ミラーカ、ネル。
「午前中はデボラの手伝いをなさい。絵画の先生が決まるまでは、午後はミラーカの指示に従って侍女の仕事や作法のお勉強よ」
「はい、奥様」
「ファウスタのお部屋は二階に用意させるけれど準備に少しかかるから、それまでは今まで通りでお願いね」
(に、二階……!)
二階に移り住む話が急に出て、ファウスタは崖から突き落とされたような衝撃を受けた。
見習い女中は地階の仕事なので、大失敗するような仕事は無いとアメリアに言われた。
しかし高価な品々が並ぶ二階はどうなのだろう。
大失敗の可能性があるのではないだろうか。
もし置物に傷をつけたり、万が一にも壊してしまったりしたら……。
(二階に住んで、もし失敗したら大変な事になるわ……!)
オクタヴィアと秘密の取引をしたので、侍女見習いという仕事に関しては、難しい仕事でも頑張ろうとファウスタは前向きに考えている。
だが住むとなると話は別だ。
起きているときは気を張れていても、寝ぼけているときに無意識に何か壊してしまったらと思うと、怖くて怖くて膝が震えた。
ヴァネッサの話をしっかり聞こうと決意していたが、高価な品々が並ぶ二階に住むなどと、さすがにファウスタには無理難題すぎた。
「ファウスタの部屋は三階にして!」
ヴァネッサの決定にオクタヴィアが異を唱えた。
「私の部屋の隣りがいいわ」
「ファウスタはまだ来たばかりで知らない事が多いのだから、侍女たちの部屋に近い方が何かと面倒を見て貰えて都合が良いのよ」
「私がファウスタの面倒をみる」
「メイドたちの朝は早いの。メイドたちが働き始める時間、貴女はまだ寝ているでしょう」
「明日から私も早起きするわよ」
オクタヴィアはヴァネッサと言い合いを始めたが、ファウスタはそれどころではなかった。
(二階も三階も……住むのは無理だわ!)
ヴァネッサの部屋は簡素とはいえ、ファウスタから見たら十分に豪華な別世界だ。
高そうな絨毯が敷かれ、高そうな家具が並び、天井にはシャンデリアがぶら下がっている。
壁に飾られている美しい絵画や、暖炉装飾の上に飾られている硝子細工もおそらく高価な品なのだろう。
「すみません、奥様……!」
ファウスタは意を決して口を開いた。
「私には二階も三階も無理です。立派で綺麗すぎて住めません。今の屋根裏のお部屋がいいです。どうかお許し下さい!」
ファウスタが悲愴な表情で訴えると、一同は哀れむような視線をファウスタに向けた。
特に侍女のヘンリエタとネルは泣きそうな顔になった。
「無理強いをするわけじゃないのよ」
この世の終わりに臨むかのような悲劇的な顔をしているファウスタに、ヴァネッサは戸惑いを見せたが、すぐに優しい笑顔を浮かべて言った。
「それなら……お部屋を移るのはもう少し屋敷に慣れてから考えましょうか。色々と急な事ばかりだったのですもの。しばらく落ち着いて過ごした方がいいかもしれないわね」
「お母様、ファウスタの部屋の家具は私が選ぶわ。私がファウスタの好みをちゃんと聞いてあげて、ファウスタが落ち着ける部屋を作る。いいでしょう?」
小動物の世話を焼きたがる子供のように積極的なオクタヴィアに、ヴァネッサは思案するように難しい表情をした。
「ファウスタ、貴女に確認しておきたい事があるの」
ファウスタの処遇について活発に意見していたオクタヴィアがいなくなり、部屋に静寂が訪れると、ヴァネッサはファウスタにそう切り出した。
オクタヴィアはネルと一緒に、ファウスタに下げ渡す服を選ぶため自分の部屋へ戻って行った。
ファウスタが侍女見習いとして上階で働くために、早急にファウスタの身なりを整えてあげなければならないとヴァネッサが指示したからだ。
オクタヴィアはファウスタも一緒に連れて行くことを望んだが、「貴女は午後のお茶はファウスタと一緒が良いのではなくて? 午後のお茶のためにファウスタはデボラに教わらなければならない事があるの」とヴァネッサに諭されしぶしぶ了承した。
「近くの物がぼやけて見えたり、見え難かったりする事はないかしら」
ヴァネッサは深刻な顔でファウスタに問いかけた。
「いいえ。大丈夫だと思います」
「そう……なら良いのだけれど」
ファウスタの答えに、ヴァネッサは一瞬考え込むように目を伏せたが、すぐにまたファウスタを正面から見て言った。
「もし物が見え難くなったら、遠慮せずに、すぐに言ってちょうだい」
ヴァネッサは言葉を選ぶように言った。
「代々のファンテイジ家の当主で、目の中に星型の模様が現れた者は、その、目を悪くする者が多かったの」
ヴァネッサの語る話に、傍で控えているミラーカは優し気な顔を崩さなかったが、ヘンリエタとデボラは少し不安そうな表情を浮かべた。
(ティムさんを見ると目が悪くなるのかしら)
目に星型の模様が現れた者は、ファンテイジ家の血筋であると同時に、ファンテイジ家の守護霊であるティムの姿を見ているとマークウッド辺境伯が語っていた事をファウスタは思い出した。
その話から繋げて考えると、ティムの姿が目に悪い事になる。
「ファンテイジ家の当主たちの手記を読むと、霊が視え始めるのと、視力の低下は同時に起こっているの。物が見え難くなるにつれて、いないはずの霊が視えるの。これは目の中に傷のような物が生じたために視力が落ちて、視界を遮っているその傷を霊だと思ったのではないかしら。星型の模様がその傷ではないかと思うの」
ヴァネッサは世界の謎を解き明かす科学者のように語った。
「星型の模様を通して見るから、そこに何か居るように見えるのよ」
「星型の模様が、霊に見えるという事でしょうか」
「そうよ」
ヴァネッサの語る理論に、ファウスタは盛大に首を捻った。
星型の模様が霊に見えるのなら、星型の模様がある者にしか見えないはずだ。
しかしオクタヴィアもヴァネッサも、人形が暴れるのを見たのではないだろうか。
「あの、すみません、奥様やお嬢様は目に星型の模様がなくても、悪魔人形が飛び出すのをご覧になったのではないでしょうか」
ファウスタが問いかけると、ヴァネッサは淡々と答えた。
「あの人形はきっと機械仕掛けよ」
「機械仕掛け……?」
「ええ、悪意のある誰かが……悪戯で機械仕掛けの人形を置いたのでしょう」
ヴァネッサは眉間に皺を刻み、少し不快そうに言った。
「機械仕掛けで、あのように勢いよく飛び回るのでしょうか」
ファウスタも機械仕掛けで動く玩具を見た事くらいはある。
孤児院に寄付される玩具の中にごく稀にではあるが、二年に一度くらい、ネジ巻きで動く高価な玩具が混ざっていた。
そんな玩具があった日には、孤児院の子供たちはお祭り騒ぎになった。
しかしそれらの機械仕掛けの玩具の動きは、もっとゆっくりとした動きだった。
勢いよく空中を飛び回る玩具など見た事もない。
「きっと強力なバネが仕込まれていたのよ。バネ仕掛けよ」
(バネ……)
ファウスタは更に混乱し、大量の疑問符の雨に晒された。
ファウスタが知っているバネは、細い金属がぐるぐるに巻かれていて、ビローンと伸びるものだ。
それでどうして人形が飛ぶのかさっぱり解らなかった。
「あの、人形は上からバネで吊るされているようには見えなかったのですが……」
「上から吊るしていたのではなくて、中に仕込まれていたのでしょう」
「バネで飛べるのでしょうか」
「ええ、バネ式なら、あのくらいの物を飛ばす事は可能よ」
全て解っているという自信に満ちた顔でヴァネッサは語った。
「アルカード氏はとても気が利く人だから、リンデンの夢を壊してがっかりさせないように、バネ仕掛けを暴かずに人形を取り上げたのでしょう」
(バネ……)
ファウスタの頭の中に無数のバネがビヨンビヨンした。
バネで人形が飛ぶ仕組みが全く解らなかった。
「貴女の言うことを疑っているわけじゃないのよ」
ファウスタが難しい顔をしたせいなのか、ヴァネッサは気遣うように言った。
「貴女の目に視えているものも真実よ。でもね、この世界の大抵の事は科学で説明ができるの。子供の貴女にはまだ難しいかもしれないけれど、バネ式はとても威力があるの。馬車にも使われているし、戦争の武器にも使われているわ。バネ式なら、あのくらいの人形は簡単に飛ばせるのよ」
バネが馬車や武器に使われていると聞いて、ファウスタは更なる混沌に陥った。
ヴァネッサの話がまったく理解できなかった。
「……バネ式とは、魔法のようなものでしょうか」
「いいえ、科学よ」
ヴァネッサは全てを見通すような鋭い眼差しで堂々と宣言した。
そして威厳のある微笑を浮かべた。
「蒸気機関車も飛空艇も科学の力で動いているの。人形を飛ばすくらい科学で簡単に出来る事なのよ」
「……っ!」
(たしかに科学には飛空艇を飛ばす力があるのだわ!)
バネ式の謎は理解できなかったが、あんな人形を飛ばすくらいの事は科学の力があれば出来そうだとファウスタは理解した。
「それでね、ファウスタ、話を戻すのだけれど……」
ヴァネッサはまた言葉を選ぶようにファウスタに言った。
「物が見え難くなったらすぐに私に知らせてちょうだい。見え難いようなら、その、眼鏡を作ってあげます。だから見え方がおかしかったら、すぐに私に言うのよ」
「星型の模様はファンテイジ家の遺伝的な眼病だと思うの」
ファウスタがデボラと共に退室すると、ヴァネッサは侍女のミラーカとヘンリエタに語った。
「リンデンは視力が落ちただけで大事は無かったけれど、記録を読むと、何人かは失明しているのです」
ヴァネッサのその言葉に、侍女ヘンリエタは再び泣きそうな顔で眉を歪めた。
「それで、ミラーカ」
「はい、奥様」
「眼科医を呼んであの子の目を検査してもらってちょうだい。万が一という事もあるから、視力が落ちていないかどうか定期健診が必要よ」
「かしこまりました」




