403話 夏の夜のお茶会(3)
「警視総監補の写真は他にもあったから、エグバート王子が写り込んでいる写真も証拠として一緒に提出したかどうかは解らないわ」
少し面白そうに微笑してそう言ったミラーカに、ヘカテは笑いながらも哀れむように眉を下げた。
「ああ、それなら、出さなかった可能性はあるわね。王位継承権に関わる写真だから、畏れ多いと二の足を踏んだかしら。どのみち警視庁には王族を逮捕する権限はないから、エグバート王子が汚職に関わっていたとしてもどうにもできないものね」
「あのお方は、呼び出されて、訳も解らず参加したのだと思うけれど」
ミラーカは困ったような顔をして微笑んだ。
「私もそう思う」
ヘカテは眉を歪めて、嘲るように言った。
「考える力があったら、あの女と結婚してないわ。好みの女性のタイプを周囲に知られていたことが敗因だったとは思うけれど。そもそも人並みの知性があったら、ああいった立場で、好みの女性のタイプを大っぴらにしないわよ」
エグバート王子が学生時代に、舞台女優アイリーン・アボットのファンであったことは有名であった。
エグバート王子が観劇に赴いた際に、アイリーン・アボットの楽屋に花束を届けたことはゴシップ紙の記事にもなり『未来の王妃か?!』などという見出しがついた。
「要人が、好みの女性を大っぴらに公表していたら、色仕掛けしてくださいって宣伝しているようなものよ。格好の的だわ。不用意な行動を窘める者もいたでしょうに」
「エグバート王子は華やかな顔立ちの活発な女性がお好きと、世間に知られてしまっていたものね」
「そうよ。だから連中は、数多くいる教祖の子たちの中から、派手な顔立ちの娘を選んで、王子の身辺に送り込んだのよ。それで選ばれたのが、よりによって、あの女よ」
両手の掌を天井に向けて、投げ出すような仕草で肩を窄めたヘカテに、ミラーカは同意するように微笑みながら頷いた。
「私も、あの女が選ばれたときは驚いたわ」
「よりによって、あれですものね。はっきりした目鼻立ちとお化粧の効果で、顔はアイリーン・アボットに少し似ていないこともなかったけれど。立ち姿はだらしないし、所作はみっともないし、中身は似ても似つかない。エグバート王子は顔だけで選んだわね。お化粧なのに」
「顔だけじゃないわよ?」
「そうかしら?」
「ええ、そうよ。あのお方は、弟君の上を行く花嫁が欲しかったのだもの」
ミラーカは小昏い微笑を浮かべた。
「ご結婚で人気者になった弟君ご夫妻に、引け目を感じていらしたのだと思うわ」
「ああ……」
当時を思い出したヘカテは、ふっと笑いを漏らした。
「弟君の結婚式は盛り上がったものね」
エグバート王子の弟、第二王子シグルドは予定通りにロスマリネ侯爵家の娘と結婚した。
君主の直系の結婚式は数十年ぶりとあって、国中が第二王子の結婚の話題で大いに盛り上がった。
第二王子であるためパレードは予定されていなかったが、婚儀が行われたレツニム大聖堂からマーグンキブ宮殿までの道筋に、結婚を祝う国民たちがみるみる集まり大群衆となり、馬車で移動する新郎新婦を歓喜の声で祝福した。
エグバート王子が予定通りに結婚していれば、弟王子より先に結婚して、数十年ぶりの君主直系の結婚を祝う国民の歓声はエグバート王子のものとなるはずだった。
だがエグバート王子は、それまで婚約者だったシモンズ伯爵令嬢と婚約を解消していた。
そのため結婚は弟に先を越されることになった。
「地味だからと遠ざけた令嬢が、弟の妻になって、国民的な人気者になったのですもの。心穏やかではなかったはずよ」
「逃がした魚が大きかったように思えたのかしら。大事なタイミングを逃したことが一番の原因なのに」
第二王子シグルドの妃となったラーラは、由緒正しいロスマリネ侯爵家の娘で、もともとエグバート王子の妃候補の一人だった。
年頃になったエグバート王子に、両親である女王と王配は、侍従たちとも相談を重ね、家柄や年頃が釣り合う令嬢を妃候補として幾人か選んだ。
そして行事の折々につけエグバート王子に紹介した。
ロスマリネ侯爵令嬢ラーラは有力候補と見なされていたが、早い段階で、行事でエグバート王子と交流する姿が見られなくなり、妃候補から脱落したことは一目瞭然となった。
有力候補として注目を集めていたロスマリネ侯爵令嬢が、早々に妃候補から外された理由について、エグバート王子本人が「地味でつまらない」と嫌がったのだという噂が社交界でまことしやかに流れた。
ロスマリネ侯爵令嬢は、由緒正しい伝統貴族の令嬢の多くがそうであるように、慎ましい女性で、派手に人目を引くような華やかさはなかった。
またエグバート王子が華やかな舞台女優に熱を上げていることは周知であったので、大抵の者がこの噂に納得した。
やがてエグバート王子とシモンズ伯爵令嬢との婚約が発表された。
シモンズ伯爵令嬢は当時まだ十代だったが、大人びた華やかな顔をしていた。
社交界の夫人たちは「彼の令嬢は、エグバート王子の好みを研究して化粧しているのでは」と密やかに囁きあっていた。
ともあれ王太子の婚約は国中の祝福を受けた。
しかし、ほどなくして、第二王子であるシグルド王子とロスマリネ侯爵令嬢との婚約が発表された。
すると国中がシグルド王子とロスマリネ侯爵令嬢の話題で持ち切りとなった。
行事でエグバート王子と同席していたシグルド王子が、ロスマリネ侯爵令嬢ラーラに一目惚れしたのだという噂が流れはじめ、シグルド王子とロスマリネ侯爵令嬢は恋愛の末に婚約したという憶測が飛び交った。
エグバート王子がロスマリネ侯爵令嬢をつまらないと評していたという社交界での噂話も世間に漏れ出したため、特に女性たちがロスマリネ侯爵令嬢に同情し、第二王子との婚約を祝福した。
その後、エグバート王子はシモンズ伯爵令嬢と婚約を解消して婚約者不在となり、弟であるシグルド王子が先んじて結婚することとなった。
「たしかにあの状況では、弟の妻の上を行く女性を見つけなければ、恰好がつかなかったわね。身から出た錆なのだけれど」
蔑むようにヘカテがそう言うと、ミラーカは優雅に微笑んだ。
「女性の身でタレイアン大学を卒業した優秀な才女なら、ラーラ妃の上を行けると思ったのよ」
「ハリボテなのにね」
「ハリボテの学歴でも、新聞はあれを才女と持て囃して、世間もすっかり騙されていたのですもの。勝った気になってしまったのよね」
ひとしきりタレイアン公爵夫妻についての雑談に花を咲かせた後、ヘカテは仕切り直すようにミラーカに質問した。
「エグバート王子の写真はどうするの? 公表するのかしら?」
「さすがにあれは、しばらくは表沙汰にできないわ。下手をすると女王陛下のお命が危ないもの」
「そうよね。廃太子される前に女王が崩御すれば、順当に国王になれるものね」
暗い眼差しで、ヘカテは三日月のように微笑んだ。
「ところで、ミラーカ、ファウスタ様がお聞きになったという王位継承権にまつわる歌について、貴女はどう思っているのかしら」




