40話 タロット占い
「これから話す計画は、絶対に秘密よ」
オクタヴィアは真剣な顔でファウスタに念を押した。
「はい、お嬢様。絶対に秘密を守ります」
神様とオクタヴィアを天秤にかけ、神に背いてオクタヴィアを選ぶという大決心をしたファウスタは、覚悟を決めて答えた。
「私ね、サロンを開きたいの」
「……サロンとは何でしょう」
知らない単語にファウスタは戸惑い、混乱した。
秘密にしなければいけないと言われているので、あまり良くない事のような気がするのに、サロンが何なのかサッパリ解らないので、悪い想像が膨らんで不安が黒雲のように渦を巻いた。
「サロンというのは人が集まっておしゃべりをする場所よ」
オクタヴィアの話からファウスタは噂に聞くお茶会というものを想像した。
貴族のご婦人たちは、優雅にお茶を飲みながらおしゃべりをするお茶会というものをお屋敷で行っているのだと聞き知っていた。
「お茶会でしょうか」
「そうね、お茶会に似てるわね。でもお茶会と違うのは、目的がお茶じゃないって事かしら。詩の朗読をしたり、演奏家の音楽を聴いたり、政治の議論をしたり、サロンには何か企画があるの。もちろんお茶を飲んだりもするけれど、お茶会よりクラブに近いわね」
「クラブ……」
クラブという紳士たちの集まりがある事もファウスタは聞き知っていたが、紳士たちがクラブで何をしているかまでは知らなかったので再び混乱した。
「私は占いのサロンを開きたいの。ロンセルのヴァランタン皇帝に仕えて政治を左右した大占い師マダム・ルリアンも、最初はサロンで名を売ったのよ。私もサロンを開いて名を売る事から始めようと思っているの」
銀色にも見える灰色の目に野望の火を灯して、オクタヴィアは語った。
レイスという大物幽霊らしいお姫様の幽霊が、いつの間にかオクタヴィアの傍らに従者のように寄り添っていて、にっこり微笑んでいた。
「ファウスタが私のサロンに協力してくれたら、きっとすぐに評判になるわ」
「お嬢様、私は幽霊が視えるだけです。占いはできません」
ファウスタは悲愴な顔で訴えた。
さあ占ってみせろと紳士淑女たちが自分に詰め寄っている場面を想像してしまい、まだ何も起こっていないのに窮地に立たされた気分になった。
「占いをするのは私よ」
オクタヴィアは堂々と答えた。
「私がカードを使って運命を読むの。人の運命を過去から未来まで観て、色々な助言をするの」
「人の運命を?!」
オクタヴィアの要求は犯罪ではなさそうな雰囲気だったのでほっとする半面、人の運命を観るなどという不思議な事が出来るのかという好奇心がファウスタの中にむくむくと湧きあがった。
マークウッド辺境伯が、天眼鏡は人の運命が観える眼鏡だと言っていた。
オクタヴィアは眼鏡がなくても運命を観ることができるのだろうか。
「お嬢様は人の運命を観ることができるのですか?!」
「ええ、カードを使って、人の運命を過去から未来まで観る事ができるわ」
吃驚しているファウスタを見て、オクタヴィアは少し悪戯っぽく笑った。
「説明するより見せた方が早いかしら」
そう言いオクタヴィアは席を立つと、部屋の隅にある物書き机の方へ行った。
そして物書き机の引き出しを開け、掌より少し大きいくらいの小さな木箱を取り出した。
「ファウスタ、こっちのソファに座ってくれる?」
「はい」
ファウスタは席を立ち、指示されたソファに座った。
オクタヴィアはファウスタとテーブルを挟んで向かい合うように、反対側のソファに座った。
お姫様の幽霊もこちらに来て、ファウスタとオクタヴィアの間に立った。
「これが占いに使うカード、タロットカードよ」
オクタヴィアは木箱を開けて、中に入っているカードを出すとファウスタに見せてくれた。
それは色々な絵が描かれている美しいカードだった。
「すぐに結果が出る方が、解りやすくて良いわよね」
オクタヴィアは自信満々に言った。
「貴女の一週間から一ヵ月くらいの間の運命を観てあげる。一ヵ月後くらいには、私の占いが当たっていたかどうかの結果が出るわ」
そう言いオクタヴィアは、テーブルの上にカードを伏せて広げると、両手でぐるぐると円を描くようにかき混ぜた。
「私が今やったように、貴女もカードを混ぜてみて。時計回りに混ぜるのよ」
「はい」
ファウスタはオクタヴィアの真似をして、カードを両手で混ぜた。
するとお姫様の幽霊がすっと手を出して、ファウスタが混ぜていたカードの一枚を弾き飛ばした。
「あっ!」
オクタヴィアが弾き飛ばされて表を向いたカードを拾い上げ、宝物を見つけたかのような笑顔を浮かべた。
それは幾つかの星が煌めく夜空の下、泉のほとりで水瓶から水を流している女性が描かれているカードだった。
「やっぱりファウスタは私の幸運の星だったのね」
オクタヴィアは目を輝かせた。
「これは星のカード。とっても良いカードよ」
「お嬢様、そのカードは今、幽霊が弾き飛ばしたのです」
「そうなの?!」
少し吃驚したようにオクタヴィアは目を見開き、何か考え込むように手にしたカードを見つめた。
「カード占いでは、今みたいに飛び出したカードにも意味があるのよ」
「幽霊が悪戯してもですか?」
「むしろそれを歓迎しているから、飛び出したカードに意味を持たせているとも言えるわね。カード占いで一番必要なものは霊感なの。霊感を使った占いだから、カードが飛び出すのも意味がある霊現象の一つとしてとらえるの」
オクタヴィアが何を言っているのかファウスタにはさっぱり解らなくなった。
しかしそれはきっとオクタヴィアが自分よりずっとずっと賢くて、難しい事を知っている人だからだろうと思った。
「最近私が自分のことを占うと、この星のカードがよく出たの。もしかしてレイスが占いの手助けをしてくれていたのかしら……」
オクタヴィアは独り言のように呟き、そして考えを巡らせているのか沈黙した。
ファウスタはオクタヴィアの反応を神妙に待った。
「レイスの事を考えるのは後にしましょう」
オクタヴィアは顔を上げ、気持ちを切り替えたかのように、さっぱりした笑顔を浮かべた。
「レイスが中世からこの屋敷に居た幽霊なら、悪霊ではないと思うの。だって中世から今まで何ともなかったんですもの。……霊現象が無かったわけではないのだけれど……」
オクタヴィアは少し皮肉っぽく笑った。
「ここ一ヵ月くらいの五月蠅い騒霊現象の原因が悪魔人形のせいだったかどうかは、これからしばらく観察すれば解ることよ。今考えても答えは出ないわ。観察しながら、人形の鑑定結果を待ちましょう」
「観察で解るのですか?」
「ファウスタが悪魔人形を見つけてくれたおかげで、騒霊現象が起こらなくなったでしょう。あれからずっと静かよ」
そう言われて、ファウスタはあらためて部屋を見回してみた。
悪魔人形を捕まえた後は、この部屋の壁から黒いモヤは出て来ていない。
モヤが出て来ないので、それが魔法陣に触れて音を鳴らす事もない。
(隣の部屋の黒いモヤモヤはお姫様が魔法陣で全部吹き飛ばしてしまったし、残りのモヤは人形部屋だけね。人形部屋にある黒いモヤが壁をすり抜けて此処へ来るまでにどれくらいかかるのかしら)
「このまま騒霊現象が起きなければ、人形が原因で、レイスは無害だという事になると思うの。だからしばらくは様子見ね」
オクタヴィアはそう言い、手にしたカードを裏返してテーブルに置いた。
「もう一度最初からやるわね」
オクタヴィアはテーブルの上のカードをもう一度混ぜ始めた。
星のカードも他のカードと混ざり、解らなくなっていった。
「さ、次はファウスタが混ぜる番よ」
ファウスタは先程教わったようにカードを時計回りに混ぜた。
「どのくらい混ぜればいいでしょうか」
「自分が良いと思うまで混ぜてみて」
「えと、じゃあ、もう止めてもいいでしょうか」
「ええ、いいわよ」
ファウスタが手を止めると、オクタヴィアは散らばったカードを一つの束にまとめた。
そしてその束を三つの山に分けた。
「この三つの山に分けたカードを、自分が好きな順番に積み重ねてくれる?」
「どんな順番でも良いのですか?」
「ええ、一つの山にもどれば、どんな順番でもいいの」
ファウスタは三つの山に分けられたカードを重ねて、一つの山にした。
「これで良いでしょうか」
「ええ、良いわ」
一つの山にまとまったカードをオクタヴィアは手に取ると、三枚のカードを並べて、残りのカードを脇に置いた。
「ではあなたの間近の運命を観ていくわよ」
オクタヴィアは伏せられている三枚のカードをめくった。
踊っているような人のカード、暗い場所にいる三人の人たちのカード、そして後ろ向きで木の棒を持っている人のカードの三枚だった。
「これがファウスタの過去。愚者よ」
オクタヴィアは踊っているような人のカードを指差した。
「愚者……」
ファウスタはいきなり図星をつかれて驚いた。
(当たっているのだわ。私は物知らずで浅はかな子供だったんですもの)
「そんなに悪いカードじゃないから安心して」
盛大に顔を曇らせたファウスタを心配してか、オクタヴィアは優しく言った。
「このカードは自由とか、旅立ちの意味があるの。貴女は孤児院を出て、人生と言う旅に出たのよ。不安もたくさんある旅だけれど、自分の人生を歩み始めたの」
(当たっているのだわ!)
ファウスタが孤児院から来たことは皆が知っている事ではあったが、すばりと言い当てられた気がして、ファウスタはオクタヴィアの才能に瞠目した。
「そしてこれが現在。金貨の3」
オクタヴィアは真ん中のカードを示した。
暗い場所に三人の怪しげな人が集まって話をしている絵だ。
三人のうち一人は前掛けをしているので職人っぽく、もう一人は聖職者のような服装をしていて、最後の一人は頭巾のついたマントをすっぽり着ていてドワーフに少し似ている奇妙な服装をしていた。
「専門的な技術や才能が認められるというカードよ。これは若い職人が教会の建築の仕事をまかされて、聖職者と彫刻家に相談している絵なの」
(変な頭巾のおじさんは彫刻家なのね)
「この若い職人が貴女よ」
オクタヴィアがカードの絵柄の、前掛けをした職人を指差した。
「貴女は才能を見込まれて仕事をまかされたの。そして仕事を成功させるために専門家たちに相談をしているの。このカードは色々な分野の技術や才能を持った者たちが、目的のために協力しあうって意味もあるのよ。今の私たちにぴったりね」
オクタヴィアは不敵な笑顔を浮かべ、得意気に言い放った。
「ファウスタには霊を視る才能があって、私には運命を観る才能がある。私たちが組めば無敵よ」
(お嬢様は凄い才能があるのだわ)
運命を観て次々と紐解いていくオクタヴィアの才能を前に、ファウスタは幽霊やエーテルが視えるだけの自分の特技など到底及ばないと感じた。
「私などがお嬢様のお役に立てるのでしょうか」
「もちろんよ。貴女が協力してくれたら私は凄く助かるわ」
「でも私は視えるだけで、意味も解らず、幽霊退治もできません」
「本物の霊視は凄い才能なのよ。その才能でこれからお金も稼げるって、カードにも出ているわ」
「お金が!」
今一番欲しい物が手に入ると言われ、ファウスタははしたない声を上げた。
「ええ、このカードは金貨のカードですもの。金貨のカードは全部お金が関係しているの。貴女は才能を見込まれて仕事をまかされて、その仕事でお金を得る」
オクタヴィアは目眩く明るい未来を告げた。
「この専門家は私ね。私はカード占いの専門家ですもの。貴女は私に相談して仕事をやり遂げて報酬を得るの」
お金を得るという嬉しい話にファウスタの顔は自然とほころんだ。
まだ何も起こっていないのに、ふわふわとした幸福な気分が満ちて来た。
「最後は未来。棒の3」
オクタヴィアは最後のカードを示した。
荒地のような場所に三本の棒が立てられていて、後ろを向いた男の人が三本の棒のうちの一本を手で掴んでいるカードだ。
「貴女は近いうちに手柄を立てるわ。そしてその手柄が未来への踏み石になる。手柄を立てたことによって、さらなる大きな成功への道が拓けるの」
(さらなる……大きな成功……!)
さらなる大きな成功を手に入れ、札束の海でごろごろしている自分をファウスタは想像した。
幸福な夢にファウスタは満面の笑顔になった。
「運命というのは過去から未来まで繋がっているの。過去に原因があって今の状況になっていて、今の行動の結果に未来があるのよ。貴女は過去に孤児院を出て、不安だったかもしれないけれど、それによって世間に才能を認められる機会を得た。そして今はまだ駆け出しの新人だけれど、才能を認められて仕事をまかされて、専門家に助けられて仕事を成し遂げるの」
オクタヴィアは寛大な年長者らしい態度でファウスタに助言した。
「ファウスタはこれから何でも私に相談しなければならないわ。私に相談することで貴女は成功を掴むのよ」
「はい、お嬢様!」
ファウスタは深い尊敬を込めてオクタヴィアに返事をした。
オクタヴィアが語る前途洋々たる未来にファウスタの心は浮きたっていた。
しかし何か引っ掛かりも覚えた。
サロンというものは、どうして秘密にしなければならないのだろう。
悪い事ではないなら秘密にしなくても良いのではないだろうか。
「すみません、お嬢様、どうしてサロンは秘密にしなければならないのですか?」
「理由の一つは、私が貴族の娘だから、かしら」
「貴族がサロンをすることは、いけない事なのですか?」
「サロンを開く事は問題無いの。むしろ貴族は率先してやっているわ。駄目なのは働いてお金を稼ぐこと」
「ええっ!!」
あまりにも予想外の答えが返ってきて、ファウスタは驚愕した。
人々はお金を稼ぐために働いて、稼いだお金で生活しているのではないだろうか。
働いてお金を稼ぐ事が駄目とは一体どういう事なのか。
ファウスタは大混乱した。
「私は占いのサロンで貴族や富豪を占ってお代をいただくつもりなの。占いで商売をしたいのよ。でもそれは貴族の娘としてははしたない事。商売をしてお金を稼いでいる娘なんて上位貴族との結婚は絶望的になるから、お父様やお母様は絶対に反対なさる。だから内緒で準備を進めたいの」
(貴族は働かなくても生活できるんじゃなくて、働いてはいけなかったのね)
貴族の真実を知り、ファウスタは目が覚める思いだった。
(破産する貴族は働かずに遊んでいるから自業自得だと思っていたけれど、働いてはいけない決まりがあったから働けなかったのね)
ファウスタは貴族たちの重い足枷に同情した。
そしてオクタヴィアの話のお金を稼ぐという部分に興味津々になった。
「サロンではお金が稼げるのですか?」
「ええ、稼げるわよ。占いにお金を払う貴族や富豪は多いの。未来が解るってことはそれだけの価値があるのよ。私の占いと貴女の霊視でたっぷり稼げるわ。だって私たちは本物なんですもの」
「霊視に価値があるのでしょうか」
オクタヴィアの未来を予知する才能にとても価値があるという事は、ファウスタにも理解が出来た。
これから起こる事を知り、どうすれば成功を掴めるのかのやり方を知っているという事は、お金を払う価値がある情報だ。
新聞は過去に起こった事を書いて売っているが、オクタヴィアは過去だけではなく未来の事まで解るのだ。
少なくとも新聞の二倍以上の値段にはなるだろう。
だがファウスタには自分の幽霊を視る特技に価値があるとは思えなかった。
幽霊が視えた事を告げると、今までは空想だとか嘘だとか頭がおかしいとか言われ、笑われたり怒られたり哀れまれたりして来たからだ。
「貴女の霊視には凄い価値があるわ。今日だって貴女の霊視で騒霊現象を解決したでしょう。原因が解れば解決できる事件は沢山ある。貴女の才能は大勢の人を助ける事が出来るの。お医者さんだって人を助けて代金を貰っているんですもの。貴女の才能も代金を支払う価値があるものよ」
オクタヴィアに褒められてファウスタの心は舞い上がった。
こういう形で認めて貰えたのは初めてだった。
孤児院でジゼルやピコは、ファウスタを「そういう子」なのだと受け入れてくれていて、幽霊が視える事を笑ったり怒ったり哀れんだりはしなかった。
幽霊が視えることは口に出さない方がファウスタのためだと助言してくれた。
それは至極真っ当な意見だったとファウスタは思っている。
だって他の人には視えないのだから。
いくらファウスタが居ると主張しても、他の人には視えないのだから、どうしようもない事だったのだ。
だがオクタヴィアはそれを才能だと褒めてくれる。
人を助けられるとかお金を稼げるとか、ファウスタが考えもしなかった明るい可能性を示してくれている。
もはやファウスタは、オクタヴィアにすっかり心酔していた。
「もちろんファウスタにはたっぷり給金を支払うわ。メイドの給金と霊視の報酬をたっぷり支払うわよ」
「お嬢様!」
オクタヴィアの壮大な計画と素晴らしい人柄に、ファウスタは大感動した。
ファウスタは神に祈るように胸のあたりで両手を組んで握りしめ、女王に忠誠を誓う騎士のように、尊敬と崇拝の眼差しをオクタヴィアに送った。
「私、何でもやります! お嬢様に何でも協力いたします!」