39話 秘密の取引
「これはルーン文字ね」
「失われたルーン文字を知っているとは! オクタヴィア、お前も天才だったのかね?! 一体どこでルーン文字を知ったのだ?!」
「お父様の書斎よ。そういう本ばかり沢山あるでしょう」
「ルーン語に興味があるなら相談して欲しかったのだよ。神秘学を学びたいなら私がいくらでも協力するのだよ」
「たまたま気が向いて……ちょっと調べてみたくなっただけよ。書斎の本を自由に読ませてもらえるだけで充分よ」
午餐の後、ファウスタはオクタヴィアの部屋で再び絵の作業をした。
部屋の中にある魔法陣の書き写しだ。
まず一枚目の画用紙に魔法陣の大雑把な形を描き、二枚目の画用紙に魔法陣の中に書かれている謎文字の書き取りをした。
(このカクカクした文字はルーン文字というのね)
イングリス語ではない、色々な形の木の枝のような文字を、ファウスタは必死で書き写した。
(しっかり働いて御恩を返さなければ)
マークウッド辺境伯とオクタヴィアは、ファウスタの書き取り作業を興味深く見守っていた。
魔法陣に書かれている文字は沢山あったので、一枚の画用紙に全部の文字を書くことが出来ず、ファウスタは二枚目の画用紙を画板から外すと三枚目の画用紙と取り替えた。
「おそらく古い魔法だろう」
マークウッド辺境伯がビヨンとした髭を触りながら、ファウスタが書き上げた二枚目の画用紙に書かれた文字を見つめ、思案気な顔をした。
「大魔術師プロスペローの時代には魔術式は全てナモア文字になっていたのだよ。ルーン文字が使われている魔術式は少なくとも復興期よりは古いもの、中世かそれ以前なのだよ」
「じゃあここにいる幽霊は、中世くらいか、それ以前の人ってことかしら」
「うむ、うむ……とてつもない、信じられない話だが、そういう事になるのかもしれぬ。レイスほどの大物幽霊であれば、何百年もの長い時を経て存在し続けている可能性は大いにあるのだよ」
「ねえ、お父様、中世かそれ以前って、この屋敷はまだ王家の城だったのよね」
オクタヴィアが指摘すると、マークウッド辺境伯ははっとした顔をした。
「おお……そうだ、お前の言う通りなのだよ、オクタヴィア。此処は昔、王家の離宮だったのだ」
マークウッド辺境伯は少し興奮気味に、ファウスタが書き終えた画用紙二枚を手に取るとそれに見入った。
「レイスの正体が中世以前の人物だとすれば、王家と縁のある人物かもしれぬ」
「すみません、閣下……」
この屋敷が中世には王家の城だったと聞いて、ファウスタは何かすとんと腑に落ちた気がした。
お姫様のような幽霊は、本物のお姫様なのかもしれない。
「このお屋敷が王家のお城だったなら、お姫様も住んでいたのでしょうか」
「王族が住んでいたのは此処ではなくタレイアン城なのだよ。ここは別荘のようなものだったのだ。だが最終的にこの城は王女だった人に贈られたのだよ。だからお姫様が住んでいた、と言えなくもない……」
マークウッド辺境伯は記憶の糸を探るように額に手を当てた。
「この館は当時のマークウッド辺境伯セプティマス・リアム・ファンテイジとシアーシャ王女の結婚祝いに王家より下賜された小さな城だったのだ。シアーシャ王女はマークウッド辺境伯夫人となったが、結婚前は王女だからお姫様なのだよ」
マークウッド辺境伯は居ても立ってもいられないという様子で、ファウスタが書き上げた二枚の画用紙を持って立ち上がった。
「私は早速これを調べてみるのだよ。残りは書斎に届けておくれ」
「終わりました。魔法陣の文字はこれで全部です」
ファウスタは画板から顔を上げて、オクタヴィアに言った。
「お疲れ様。何か飲み物を持って来させるわね」
オクタヴィアは笑顔でそう言うと、使用人を呼び出すベルを鳴らした。
「ファウスタはどんなお茶が好きかしら。何か好みはあって?」
オクタヴィアに質問され、ファウスタは困惑した。
ファウスタが孤児院で飲んでいたお茶っぽいものは冷えた麦湯であって、お茶などという高級品はこの屋敷に来るまで飲んだことがなかったのだ。
当然、お茶の種類など解らない。
「すみません、お嬢様、私はお茶の種類を知らないのです」
「では私が選んでも良いかしら」
「はい。お願いします」
オクタヴィアは少し考えるように小首を傾げた。
「チョコレットは飲める?」
「……それは、何でしょう」
それはファウスタが聞いたことも無い単語だった。
「知らないの?」
「すみません。知らないです」
「では一度飲んでみなければね」
オクタヴィアは少し楽しそうな笑顔を浮かべた。
「侍女になるなら色々な飲み物の種類を知っておかなければいけないもの。これも勉強よ。今日はチョコレットを飲みましょう」
「はい、お嬢様」
ほどなくしてドアがノックされ、家女中のデボラが現れた。
「チョコレットを二人分持って来てちょうだい」
オクタヴィアがそう言うと、デボラはファウスタをちらりと見やり、少し考えるような顔をした。
「恐れながら、お嬢様、見習いの子供にはミルク・チョコレットの方が口当たりがよろしいかと思いますが、如何いたしましょう」
「……そうね」
オクタヴィアもちらりとファウスタを振り返った。
「……ファウスタはまだ子供なのだから、その方がいいかもしれないわね。じゃあミルク・チョコレットを二人分お願い」
「かしこまりました」
「それから、画用紙をお父様に届けて欲しいの」
オクタヴィアはそう言うと、ファウスタが書き上げた画用紙をデボラに渡した。
「お父様は書斎にいるわ。これで全てです、と伝えてちょうだい」
「はい、お嬢様」
デボラは恭しく画用紙の束を受け取った。
(すごい……!)
デボラのメイドぶりを見てファウスタは非常に感心した。
お嬢様に飲み物の種類について進言したところが特に凄いと思った。
(色んな飲み物の種類を知っているから、ああいうやり取りが出来るのね。私もしっかり勉強しなければいけないのだわ)
「どうぞ召し上がれ」
オクタヴィアにそう言われ、ファウスタはミルク・チョコレットなる飲み物に手を付けた。
ミルクをたっぷり入れたお茶のような、焦げ色の飲み物だった。
口元にカップを近付けると香ばしく甘い匂いの湯気が鼻をくすぐった。
(甘い!)
とても甘くミルクのまろやかさがあるのに、焼き物のような香ばしさがある、刺激的で不思議な味だった。
「これはミルクを焼いたのですか?」
新感覚の味にファウスタは目を見張り、オクタヴィアに尋ねた。
オクタヴィアはファウスタが驚く様子が楽しいのか、面白そうに微笑んだ。
「ミルクは温めただけだと思うわ」
「美味しいお焦げのような香ばしい味がします」
「それはたぶん豆の味よ。チョコレットはカカワという豆を使った飲み物なの。女王陛下もチョコレットがお好きで毎日飲んでいらっしゃるんですって」
「女王陛下が!」
女王陛下と同じものを飲んでいることを知らされファウスタは震えた。
とんでもない高級品だと思ったからだ。
「これはミルクで薄めたミルク・チョコレットだけれど、女王陛下が飲んでいらっしゃるチョコレットはこれより濃くてもう少し苦いものよ。チョコレットは疲れがとれて頭がはっきりするから、仕事の休憩にちょうど良い飲み物なの」
オクタヴィアはファウスタにそう説明すると、ゆったりとミルク・チョコレットを口にした。
霊的な金色の冠を頭の上に浮かべ、女王陛下の飲み物を口にしているオクタヴィアの姿は、ファウスタには本物の女王のように思えてきた。
「ねえファウスタ、貴女はやっぱり将来は霊能者になるのかしら? 素晴らしい霊視の才能があるんですもの。きっと凄い霊能者になるわ」
「私のような者には……無理だと思います」
霊能者というのは、雷を呼んだり炎を出したりする、大魔法使いのような凄い力を持っている人なのだという、漠然としたイメージがファウスタの中にあった。
自分がそのような超人になれるとは全く思えなかった。
「霊能者にはなりたくないの?」
「私にはきっと無理なので……」
「無理じゃないわよ。凄い才能よ。もしかして、何か他にやりたい事があるの?」
「やりたい事……」
ファウスタの望みは、死なずに生きていく事だ。
孤児院を出てどうやって生活をしていくか、どうすれば死なないか、家や食べ物を手に入れるにはどうするか。
ファウスタは孤児院で、ジゼルやピコとよくそういう話をしていた。
「私はメイドの仕事をしてお金を稼いで、生きていけるようになりたいです」
「ファウスタはメイドの仕事が好きなの?」
「私のような孤児にはメイドになるか工場の働き手になるかしか道がないのです。工場は怖いので、ここでメイドの仕事を続けられたら幸せです」
「メイドの仕事がしたいなら、私はいくらでも協力するけれど……」
オクタヴィアは少し目を伏せて思案気な顔をした。
しばしの沈黙が流れる。
「ねえ、ファウスタ」
オクタヴィアは顔を上げてファウスタを見つめ、すっと笑みを浮かべた。
「私と取引しない?」
「取引……ですか?」
「ええ、秘密の取引よ」
「秘密の取引……」
オクタヴィアの謎めいた言葉に、ファウスタは拳をぎゅっと握りしめた。
「私はファウスタのメイドとしての生活を一生保障するわ」
「一生!」
オクタヴィアの申し出にファウスタは思わず声を上げた。
あまりに都合の良い話すぎて信じられない思いだった。
ファウスタは昨日からメイドになって、上等の仕事に感動していた。
こんな上等な仕事を一生続けられるなら、一生幸せだ。
そんな美味い話があるのだろうか。
(でも取引って、何か条件があるんだよね)
嬉しすぎて高揚する気分を抑え、ファウスタは必死に平静を保った。
「私が貴女を一生メイドとして雇う。大人になってからもずっとよ。私が大人になったら、貴女を家政婦長にする事もできるわ」
「わ、私が! 家政婦長!」
マクレイ夫人の堂々とした振る舞いを思い出し、ファウスタは恐縮した。
「か、家政婦長は……無理です」
「家政婦長になれって意味じゃないのよ。家政婦長でも侍女でも、貴女がなりたいメイドになって良いって意味よ。その代わり、私のお願いもきいて欲しいの」
「それは……私に出来る事でしょうか」
取引の内容に話題が差し掛かり、ファウスタの緊張は高まった。
メイドとしての一生が保証されるなら、難題であっても頑張ろうと思った。
「ええ、できるわ。今日やった霊視のような事をたまにやってくれればいいの」
「はい、やります!」
「では取引成立ね」
オクタヴィアはにっこり微笑んだ。
「えっ?!」
あっという間に話が終わってしまって、ファウスタは拍子抜けした。
「それだけですか?」
「ええ、それだけよ」
何かもっと重い条件が付くのだろうと思っていたファウスタは、あまりに簡単な条件に混乱し、何が起こったのか解らなくなった。
「あの……本当にそれだけで良いんでしょうか?」
「ええ、あとは、秘密を守ってくれればいいわ」
「はい。取引のことは誰にもしゃべりません」
「これから話す計画のことも秘密にして欲しいの」
「計画……」
オクタヴィアがまた謎めいた事を言ったので、ファウスタは身構えた。
「そう、計画よ。私の計画に貴女の霊視の才能が必要なの。貴女が協力してくれるなら、私は貴女を一生メイドとして雇う。どうかしら?」
(話が美味すぎると思ったのだわ)
計画という不穏な言葉が出てきて、ファウスタは自分がこれから綱渡りをするかのような不安と恐怖を感じた。
一体、何の計画なのか。
(秘密にしなきゃいけない計画って、あまり良くない計画なのかしら……)
メイドという上等な仕事、上等な生活が一生保障されるのはとても魅力的だ。
貧民街で野垂れ死ぬよりは、ずっとずっと幸福で、長生きできるだろう。
しかし秘密を抱えるという事は、正直でも素直でもないという事。
それは神の教えに背く行為だ。
ファウスタの心の中で、天使と悪魔が戦争をした。
そして悪魔が勝利した。
(神様は生活の保証をしてくれないもの。私はお嬢様を選ぶのだわ)
「はい。私は秘密を守り、お嬢様に協力いたします」
ファウスタが答えると、オクタヴィアは満足そうに微笑んだ。




