382話 あちこちの神
「自然の調和から外れて集まった陰の気、負の力を、穢れと言います。人間たちに呪いと呼ばれているものは、穢れが多く集まり周囲に負の作用をまき散らす状態のことです」
馬車の中で、赤毛の魔女ヘカテはファウスタたちに呪いについて説明をした。
(あの真っ黒のモヤモヤが穢れなのね)
ヘカテの話を聞いて、ファウスタは今までに視た黒いモヤを思い出した。
「穢れを分解して自然の調和を戻すことが、浄化と言われているものです。穢れの分解には、日光や清水など、自然の陽の気を使います。穢れが多ければ多いほど、分解には沢山の陽の気が必要となるため、呪いと呼ばれるほど濃度の高い穢れを分解するには時間がかかります。一瞬で分解することなど出来るものではありません。呪いを一瞬で分解するには、雷や嵐に匹敵するような、強力で大量の自然の気が必要です。もしそんな自然の気を操れるのだとしたら……」
ヘカテは冗談に呆れるかのように曖昧な微笑を浮かべ、肩を小さくすぼめた。
「神です」
「……っ!!」
ヘカテの回答に、ファウスタは大きく驚愕した。
「御姫様が神様だったのですか?!」
ファウスタの振り子占いに、御姫様は二回答えてくれた。
オクタヴィアの助力があってのことだったが、御姫様はファウスタの話を聞いてくれたことがある。
(御姫様が、天罰を下してる神様なら……)
誠心誠意の謝罪をして、贖罪としてこれから善行を積むことを誓えば、御姫様は天罰を許してくれるのではないだろうかとファウスタは思いついた。
良く知っている身近な幽霊が神であったことを知らされ、ファウスタの世界に一条の希望の光が差し込んだ。
だがその希望の光はすぐに掻き消された。
「おそらくは土地神。高位の精霊でしょう。ファンテイジ家は八百年続いている家系ですから、祖先の霊が守護霊となったものかもしれません」
「……?」
(ファンテイジ家の守護霊はティムさんだけど、御姫様も守護霊なの? 神様じゃないの?)
神なのか精霊なのか幽霊なのかティムなのか。
ファウスタはわけが解らなくなった。
ファウスタが混乱している理由を見透かしているかのように、今まで黙っていたユースティスが口を開いた。
「ファウスタが知っているヤルダバウト教の神の他にも、昔はたくさんの神がいたんだよ。子孫が七代続いたら、先祖の霊は霊格が上がって、子孫が住む土地を守護する神の一柱になるという言い伝えがある。現代と違って、昔は、生まれた土地で一生を過ごすことが当たり前だったから、祖先が土地を守る神になっているという信仰があったんだ」
(神様ってたくさんいるの?!)
どうやら神様が大勢いるらしい話に、ファウスタは危機感を抱いた。
人間の罪を監視する神様が、一人ではなく大勢いて、お屋敷の使用人たちのようにあちこちで分担作業をしていたら、ファウスタの罪などすぐにも発見されてしまうのではないか。
(でも、土地の神様は、守ってくれる神様なのよね?)
土地神が、子孫が住む土地を守るという部分に、ファウスタは希望を持った。
「あの……、土地の神様は、人間を守ってくれる神様ですか?」
「そうだね。その地域の守り神だよ」
「天罰を下す神様とは違う神様なのですね」
「さあ、どうだろう」
ユースティスは少し面白そうに微笑を浮かべた。
「何か災害があると神の怒りだと言われることもあるから、土地神なら天罰を下さないという保証はないかな」
(え?!)
ユースティスの答えに、ファウスタの不安は膨れ上がった。
「で、では、ふつうの神様も、土地の神様も、天罰を下すのですか?」
「そういうことになるね」
「……」
(は、早く、正直者にならないと、やっぱり、私の身が危ないのだわ……!)
「ファウスタ様、ご気分が優れないのですか?」
天罰を下す神があちこちに大勢いるらしい話を聞いて、挙動不審になっているファウスタに、ヘカテが問いかけた。
「い、いいえ、大丈夫です」
ファウスタは頑張って笑顔を浮かべ、平気な素振りをした。
「神様が、たくさんいると聞いて、少し吃驚しただけです」
ファウスタの必死の言い訳に、ヘカテはおだやかに微笑すると神について語った。
「現代ではヤルダバウト教が普及していますので、神はヤルダバウト神のみ、唯一無二の存在とされていますが、古い時代にはたくさんの神がいたのですわ。そういった古い神々は、現代では精霊と呼ばれていたり、魔王と呼ばれていたりするのです」
「精霊も魔王も、もとは神様だったのですか?」
「ええ、そうです。七十二柱の魔王も元は土地神です。ファンテイジ家のお屋敷には屋敷精霊という精霊がいるとお聞きしておりますが、古い時代には家神と呼ばれていた存在ですわ」
(屋敷精霊様も神様だったの?!)
マークウッド辺境伯の屋敷にファウスタが来た最初の日、ファウスタの前に料理の皿を運んでくれた婦人がどうやら神様だったらしいと聞き、ファウスタは神様に親近感を持った。
(屋敷精霊様はとても優しそうだったもの。……天罰はしないよね?)
ファウスタの心には、屋敷精霊の優しさを信じたい気持ちが湧き水のようにこんこんと湧いて溢れかえった。
「呪いを一瞬で吹き飛ばしたというそのお方は、呪文を唱えていたとおっしゃいましたが、歌っていらしたのではないかしら。歌には呪力が宿ります」
ヘカテは少し遠い眼差しをした。
「古い時代、人々は願いをこめて、歌っておりました」




