38話 温室の午餐
(ここはまるで楽園ね)
温室での午餐。
それはファウスタの今までの人生における幸福の価値観が、大きく塗り替えられる驚くべき出来事だった。
マークウッド辺境伯夫妻に午餐に招待されたファウスタは、温室と呼ばれる不思議な部屋へ案内された。
辺境伯令嬢のオクタヴィアも一緒だ。
温室は骨組みに硝子が張られた部屋だった。
壁も屋根もすべて透明な硝子なので、部屋の中に居ながら空が見え、庭の風景も見通せた。
まるで水晶の中にいる気分だ。
そして不安にもなる。
(硝子の部屋だなんて……割れたりしないのかしら)
ファウスタが生まれた頃にはすでに、水晶宮という鉄と硝子の建築が王都タレイアンにはあったのだが、孤児院育ちのファウスタは知る由もなかった。
庭の木々や、咲き誇るロゼリアの花々が、ときおり春風に揺らされている。
でもファウスタは硝子の部屋の中なので風に吹かれない。
硝子に守られて、庭の緑の美しさを満喫していた。
そして目の前のテーブルには次々とご馳走が運ばれてくる。
「カトラリーは外側に置かれているものから使うのよ」
ファウスタが不安だった作法は、隣に座るオクタヴィアが優しく教えてくれた。
マークウッド辺境伯夫妻はずっとおだやかな笑顔と口調で、料理の説明をしてくれたり、ファウスタに感想を求めたりした。
マークウッド辺境伯一家は全員黒髪で悪魔や魔女の雰囲気がある容姿をしていたが、威厳を備えていながら気さくで優しく、ファウスタは彼らをとても立派な人々だと思った。
テーブルに並べられる料理はどれも芸術品のように美しく、そして信じられないほど美味しい。
前菜に入っていた冷製の鳥肉はさっぱりとした美味しさで、ファウスタが今まで知らなかった鳥肉の食べ方だった。
とろとろのミルクシチューには野菜や芋の他に肉も入っていて、それは口の中でほろほろと溶けた。
蜂蜜漬けのロースト肉はしっとりと柔らかく甘く、香草の爽やかさが効いていた。
美しい風景、居心地の良い空間、美味しい料理、優しくて立派な人々。
全てが上等で、良い事づくめだ。
今までファウスタが想像していた幸福の光景を遥かに大きく上回る、極上の幸福な世界が此処にはあった。
(もしかして私はもう死ぬのかしら)
分厚い肉詰めパイが切り分けられて自分の前に置かれたとき、あまりに幸せすぎてファウスタは人生の終幕すら予感した。
(あのマッチ売りの少女のように……)
路上のマッチ売りの少女が凍死してしまう前に、暖かい部屋やご馳走の幻覚を見て幸福に浸った物語をファウスタは思い出していた。
この幸福もそれと同じく、死の直前に見る幻覚なのかもしれないと。
(見た事もない両親が天から舞い降りて来たりするのかしら)
物語のマッチ売りの少女は、亡くなった祖母が天国から迎えに来て、祖母に付き添われて昇天した。
孤児の自分を天国へ引率してくれるのは一体誰なのだろうかと、ファウスタは少し考えた。
(見た事もない人に親だって言われても、本物の親かどうか解らないし、誘拐犯かもしれないんだから付いて行く子なんていないよね。やっぱり知ってる人が派遣されて来るのかな。院長先生……は、まだ生きてるから違うか。パトリシア王女かしら。でも王女様が孤児の引率なんてしてくれるのかな)
身寄りのない孤児には天国への道も世知辛い。
ファウスタは肉詰めパイの美味しさを堪能しながらぼんやり考えた。
「ファウスタの目って、霊視も凄いけれど、見た目もすごく珍しい目よね」
オクタヴィアがファウスタの顔を覗き込むように見て言った。
「星が入っているんですもの」
「えと……星ですか?」
急に意外なことを言われてファウスタは戸惑った。
昨日もテスやアメリアに目の中に空色があると言われて戸惑った。
そして鏡を見て、今までは無かった空色が目の中にあった事に驚いたのだが、今度は星があると言われた。
「私は名前に星を持っていて、ファウスタは目に星を持っている。なんだか運命を感じるわ。星の導きね」
オクタヴィアは夢見るように語った。
「おお!」
占星術に傾倒しているマークウッド辺境伯が星に反応した。
「そうだ、これは星の導きに違いない。私の右目にも星があるからね。星と星は引き合うものだ。星の運命に導かれた出会いなのだよ」
(そういえば私、ティムさんに魔鏡を借りたのだったわ)
マークウッド辺境伯の右目の星型の染みは天眼鏡の副作用だと聞いた事から、ファウスタはもし自分の目に星が現れているなら先程覗いた魔鏡が原因ではないかと思い当たった。
ファウスタはティムに借りた魔鏡を右目に当てて、屋根裏のあちこちやミラーカの姿を見た。
魔鏡にも天眼鏡と同じ副作用があるのだとしたら、魔鏡を覗いた自分の右目は、マークウッド辺境伯のように色が変わってしまったのかもしれない。
「私の右目も閣下のように色が変わっているのでしょうか」
ファウスタの問いに、オクタヴィアは不思議そうな顔をした。
「ファウスタは両目とも同じ色よ。金色の中に空色の星がある。色は変わってないと思うわよ」
「えっ?!」
自分が記憶している目とは違う様子を言われ、ファウスタは声を上げた。
「私、両目に星があるんですか?!」
右目だけではなく両目だった事で、目の色の変化は魔鏡が原因という可能性はあっさり消えた。
(星って、どんなだろう)
ファウスタの挙動不審に、オクタヴィアは少し心配そうな顔をした。
「目のことで……私、貴女の気分を害するような事を言ってしまったかしら。気に障ったのならごめんなさい。悪気はないの。とっても不思議で綺麗な目だと思ったのよ」
「い、いえ、あの、お褒めいただいて嬉しいです。でも私、一昨日までは茶色い目だったんです。昨日から成長期になったみたいで目の色が変わって。また急に成長してるみたいで……ちょっと吃驚してしまって」
「成長期……? どういうこと?」
オクタヴィアは意味が解らないといった様子で、ファウスタに問い返した。
マークウッド辺境伯夫妻も微妙な表情でファウスタの話を聞いていた。
「はい。成長すると目の色が変わると聞きました。私の目の色が変わったのは成長期のせいだと……」
「ファウスタ、貴女は昨日から急に目の色が変わったのですか?」
マークウッド辺境伯夫人ヴァネッサが、訝しげな顔でファウスタに問いかけた。
「もう少し詳しく教えてちょうだい」
「あの、一昨日までは茶色の目で、昨日此処へ来たら目の中に青色があると言われて、鏡を見たら青色が出てきていました。今日の朝食の後に鏡を見たときは星なんて無かったと思うんですが、それから鏡を見ていないので解りません」
「恐れ入りますが、閣下、ファウスタの目について発言してよろしいでしょうか」
給仕として立っている執事のバーグマンが、マークウッド辺境伯に尋ねた。
「うむ。何か知っているのかね?」
「はい。私は昨日ファウスタに初めて会いました。確かに昨日とは目の感じが少し違っています。昨日はこれほど派手な目ではなかったと記憶しております」
(派手な目?!)
「このように珍しい緑がかった瞳であれば印象に残るはずですが、昨日はもっと、大人しい色でした」
(緑?!)
一体どんな目になっているのだろうかと、ファウスタの不安は膨らんだ。
「そういえば……霊視の前とはちょっと違う気がするのよね」
オクタヴィアも首を傾げた。
「最初に会ったときは目の星に気付かなかったの。今は近くに座っているから目の中の星までよく見えるのだと思っていたけれど。もしかして最初は気付かなかったのではなくて、無かったのかしら?」
「ま、まさか!」
マークウッド辺境伯が声を上げ、やや身を乗り出すようにしてファウスタを見た。
「ファウスタ、君はもしや天眼鏡を持っているのかね?! 天眼鏡を覗いたのかね?!」
「い、いえ、天眼鏡なんて……見たこともありません」
(魔鏡ならさっき見たけれど、魔鏡のせいなら右目だけ変わるはずだもんね)
「ねえ、ファウスタ……」
しばし考え込んでいた辺境伯夫人ヴァネッサが口を開いた。
「貴女はもしかしてマークウッドの出身なのではないかしら」
「……すみません、奥様、私は孤児なので出身が解らないのです」
ファウスタがおずおずと言うと、ヴァネッサは頷いた。
「ええ、解っているわ。でもね、ファンテイジ家の血筋の者には目の中に星型の染みが現れる者がいるの。ファンテイジ家の祖先たちの記録を読むと、歴代当主の何人かは目の中に星型の模様があった事が書かれているわ。他には無い珍しい目の模様なのだし、ファンテイジ家の遺伝的な何かだと思うの」
ヴァネッサの話に、オクタヴィアは目を見開いた。
「じゃあファウスタは親戚かもしれないの?!」
「親戚と言えるほど近いかどうかは解らないけれど……ファンテイジ家の特徴的な目の模様が出たのなら、ファウスタのご先祖にファンテイジ家の者がいたのではないかしら」
ヴァネッサは思案気に語った。
「ファンテイジ家は八百年続いている家系よ。マークウッドには先祖を辿ればファンテイジ家に行きつくという者が大勢いるわ。ファウスタがマークウッドの出身だとしたら可能性は高いと思うの」
「たしかに、ヴァネッサの言う通りなのだよ」
マークウッド辺境伯が感心するように頷いた。
「爵位を継いだ嫡子以外は、家臣になったりファンテイジ商会で働いたりなどして領地に散っていったのだ。先祖代々マークウッドに住んでいたなら、どこかでファンテイジ家の血が入っていても不思議ではないだろう。それに……」
マークウッド辺境伯はしかつめらしい顔で、バネのような髭を触りビヨンと撫でた。
「目に星型の染みが現れた者は、ファンテイジ家の血筋であるという事の他にも共通する状況がもう一つあるのだ。それはファウスタにも当てはまるのだよ」
「私にですか?!」
自分にも当てはまると言われ、ファウスタは軽い驚きと強い興味とを持ってマークウッド辺境伯に注目した。
「うむ。当てはまるのだよ。その共通の状況とは、我がファンテイジ家の守護霊である大セプティマス様のお姿を見た者であるという事だ」
「ティ……守護霊様を……皆さん見ていらっしゃったのですか?」
「そうなのだよ。目に星型の染みが現れた者たちは皆、守護霊様のお姿をその目で見ている。私も天眼鏡を使い守護霊様のお姿を見た右目に星が現れたのだ」
マークウッド辺境伯はかっと目を見開いた。
「ファウスタ、君は守護霊様のお姿を見たと言っていたね!」
「は、はい!」
「星型の染みが現れたのは守護霊様のお姿を見たからであろう!」
(そうかも?!)
マークウッド辺境伯に指摘されてファウスタは今までの事を思い出した。
目に青い染みがあるとテスやアメリアに指摘される前に、家令室でティムと向かい合って話をしていた。
今日も三階にティムが居て、霊視の直前からティムがうろちょろしていたのをファウスタはずっと見ていた。
(ティムさんを見たせいなの?!)
「そして守護霊様が現れたという事。これぞファウスタがファンテイジ家の末裔である証左なのだよ」
「わ、私が……ファンテイジ家の末裔?!」
神々のようなファンテイジ家の人々と、自分の先祖が繋がっていると言われてファウスタは驚きの声を上げた。
「そんなに驚くほどの事でもないのよ」
ファウスタの驚愕を見てか、ヴァネッサはおだやかに語った。
「マークウッドの領民の半分くらいはファンテイジ家とどこかで繋がっているんじゃないかしら。八百年も続いている家系ですもの」
孤児院が世界の全てだったファウスタには領民の半分と言われても想像がつかなかった。
とにかく人がわちゃわちゃ大勢いる光景を思い浮かべた。
その大勢の中の一人が自分なのだろうと思った。
「おや、リンデンの花茶かね」
「はい、閣下」
「素晴らしいタイミングだね」
執事のバーグマンが食後のお茶を煎れた。
そのお茶を見てマークウッド辺境伯が感心したように言った。
「バーグマン氏、君は予知能力があるのかね」
「いいえ、閣下。この茶葉を選んだのはマクレイ夫人にございます」
「マークウッドの話が出ることを予知していたかのような選択だね」
話が見えていないファウスタに、オクタヴィアが説明する。
「リンデンの花茶はね、マークウッドでよく飲まれている花茶なの。お父様のお名前はリンデンの木にちなんだ名前なのよ」
ファウスタの前にもリンデンの花茶が出された。
お日様の光を溶かしたような蜜色のお茶はほんのり甘い香りがする。
マークウッド辺境伯は少し得意気に胸を張った。
「リンデンの木は材木になり、花や葉は薬としての効能があるのだよ。昔からマークウッドの民の生活を支えていた木なのだ。私の名前には、リンデンの木のように皆の生活を支える有能な男という意味があるのだよ」
名前に意味がある事を知りファウスタは感心した。
そして先程オクタヴィアが名前に星があると言っていたことを思い出した。
「お嬢様のオクタヴィアというお名前は星という意味なのですか?」
「星の意味があるのはセカンド・ネームのステラよ」
ファウスタの問いにオクタヴィアが答えた。
「オクタヴィアは八番目という意味よ。セプティマスが七番目という意味だから、ファンテイジ家ではセプティマスの妹によくつけられる名前なの」
オクタヴィアは微妙な笑みを浮かべて肩をすぼめてみせた。
「長女なのに八番目なのよ」
「ファンテイジ商会の創始者オクタヴィア・ルーシャ・ファンテイジにちなんだ名前なのだよ。彼女はとても聡明な女性だったのだよ」
「ファウスタもとても素敵な名前ね」
ヴァネッサがファウスタに話を向けた。
「あなたが幸運に恵まれ幸せになれるようにという、ご両親の願いが込められているのでしょう」
「私の名前にも意味があるのですか?!」
「もちろんよ。ファウスタという名前には『幸運』という意味があるのよ」
(幸運!)
名前に意味があるなどと今まで考えた事もなく、自分の名前はわりと適当な名前だと思っていたファウスタは驚いた。
見たこともない両親がファウスタの幸運を願ってくれていたなんて、とても不思議な気分だ。
「そうよ……ファウスタはこれから幸せにならなきゃいけないわ」
オクタヴィアが急に涙ぐんで、可哀想な子を見る目でファウスタを見た。
(これから……幸せに……)
オクタヴィアの言葉が、ファウスタに難問を投げかけた。
テーブルにはお茶菓子の皿も並べられている。
一口分くらいの大きさの、たくさんの種類の焼き菓子が皿に盛り付けられていて、それらは一つ一つが花のように、宝石のように美しい。
まるでお菓子の花畑だ。
花茶の甘い香りが漂う、硝子の壁に守られた居心地の良い空間で、美しい庭園を眺め、目の前には色とりどりのたくさんのお菓子。
ファウスタには今が幸せの頂点に思えた。
(これ以上の幸せになるって、とても難易度が高いのだわ)




