37話 ギルド会談(3)
(してやられた!)
駐在を言い出した手前、バジリスクスは撤回する事ができなかった。
魔道士が吸血鬼ギルドに駐在するのに、逆を断る事は、不平等であり借りを作る事になってしまう。
また吸血鬼ギルドには許容できる事が、魔道士ギルドには許容できないというのは、ギルドの威信に関わることでもあった。
何よりもこの流れで駐在を拒否する事は、セプティマスに不信感を抱かせる危険がある。
(おのれツェペシュ……!)
吸血鬼ギルドと魔道士ギルドの話し合いにより、双方のギルドに三名ずつ連絡員を派遣する事に決まった。
常時勤務とするため、交代要員の必要を見越して三名という人数に落ち着いた。
それぞれのギルド会館に駐在員のための部屋を用意し、駐在員三名のうち一名以上が常にそこで待機する事となった。
一見平等に見えて、魔道士ギルドにとっては不利な取り決めである。
吸血鬼ギルドの本拠地は暗がりの森にある。
このタレイアン支部は、その名の通り一支部でしかない。
しかし魔道士ギルドは王都タレイアンの貧民街にある会館が本部であり、本部がギルドの全てであった。
魔道士ギルドの本部に吸血鬼を招き入れるという事は、心臓に剣を突き立てられたも同然だ。
また幾つもの不動産を所有する吸血鬼ギルドにとって、タレイアン支部に一室を用意するくらいは大した事ではないだろう。
しかしギルド会館を一軒しか持たない魔道士ギルドにとっては痛手である。
元は豪商の商館だった建物なので決して小さくはない建築物だが、何といっても本部がギルドの全てなのである。
本部以外には『マグス商会』としての店舗が五軒あるが、それらは本当にただの店舗だ。
魔道士ギルド唯一の館、本拠地の中に、吸血鬼のための部屋を用意しなければならない。
重要機密が保管されている部屋からは遠ざけたいのは当然として、一体どの部屋を空ければ良いのか、バジリスクスは館の間取り図を思い浮かべ苦悶した。
(いいだろう、今年は負けを認めよう。天蝎宮に木神星がいる間は耐えてやろうではないか。しかし来年は見ておれよ。木神星が天蝎宮を去った時こそ我らが反撃の時よ)
バジリスクスは善人面に笑顔を張り付けたまま、心の中で歯ぎしりした。
「では、この件については以上となります」
『異能者』への接触および詮索の禁止についての取り決めは、双方に駐在を置くという魔道士側に不利な状況を作りながら終了した。
魔眼ではなく『異能者』として、魔道士ギルドは魔眼の噂の否定に努めることも了承した。
進行役のブラックモアは出席者を見回し、会談の締めに入る。
「他にご意見ご質問などおありの方はいらっしゃいますか」
すでに意見は出尽くしていた。
よって発言する者はいないはずで、このままブラックモアが終了を宣言するのだろうと誰もが思った。
――そのとき。
(……!)
すっと挙手した白髭の老人、魔道士トリテミウスが皆の視線を集めた。
「……トリテミウス殿、どうぞ」
ブラックモアが一瞬の戸惑いを見せ、トリテミウスを指名する。
「発言の場をいただきありがとうございます」
今までの話し合いの中、トリテミウスはずっと無言で座っていた。
セプティマスに媚びを売るバジリスクスにも、魔道士ギルドへの吸血鬼の駐在の件にも、顔色一つ変えず、全く興味なさそうに置物のように座っていた。
(そう言えばこやつ最初に挙手しようとしていたな。何かあるのか?)
バジリスクスは胸騒ぎを覚えつつトリテミウスを見た。
魔眼について思うところがあるならば今までの流れのどこかで発言すべきであり、参加者全員の賛同により全ての決定が終わった今、言うべき事など無いはずである。
「皆様は魔眼について如何ほどご存知でしょうか」
(魔眼と言うな! 『異能者』と言え!)
丸くおさまったところへ再び波風を立てかねない物言いをしたトリテミウスに、バジリスクスはたじろいだ。
吸血鬼側の面々がにわかに不快そうに表情を揺らす。
しかしトリテミウスは平然と続けた。
「魔眼が消耗品であり、失明する事など、ご存知でしょうか」
「まじか!」
セプティマスが驚愕の表情で、またしても場をわきまえず大声を上げた。
(魔眼が失明するだと?!)
バジリスクスもトリテミウスの話に驚愕した。
(昨日の会議では何も言わなかったではないか!)
前日、吸血鬼ギルドの参加者を決める会議が魔道士ギルドで行われ、魔眼についても議論がつくされていた。
トリテミウスは吸血鬼ギルドとの会談に参加する意志を強く示していたが、魔眼については何も言っていなかった。
「『異能者』が魔眼であった場合、三年後に仕事を受けるとおっしゃいましたが、三年を待たずに失明する危険もあります」
トリテミウスは今日の天気について語るかのように、あるいは本を読むように、ゆったりとしたおだやかな口調で語った。
「二百年前に魔眼が登場した時、私は魔眼について古今東西のあらゆる資料を収集いたしました。この世界において私ほど魔眼の資料を持つ者はいないでしょう。それらは私が個人的に集めた資料であり……」
「細かい話はどうでもいい!」
セプティマスは苛立たし気に言った。
「なんで失明するんだ?! 治してやれないのか?!」
セプティマスの問いに、トリテミウスは少し困ったような顔をした。
「私は取引がしたいのです」
「卑怯だぞ!」
セプティマスは叫んだ。
吸血鬼ギルドの面々もトリテミウスを静かに見つめていた。
(抜け駆けか!)
ただの本の虫だと思っていたトリテミウスに、こんな駆け引きが出来た事にバジリスクスは驚かされた。
(だがここで魔眼を要求するのでは遅い。すでに全てが決定しているのだぞ)
「魔眼は渡さないぞ!」
セプティマスは断言した。
「い、いえ、ち、違います。誤解です」
トリテミウスは少し慌てた素振りで否定する。
「私は魔眼が欲しいのではありません。私が求めている物はブラックモア卿が持つ緑玉版です」
緑玉版とは、十二の錬金術の奥義が記されているという伝説の碑文である。
名前を出されたブラックモアがにわかに挙動不審になり、トリテミウスとツェペシュの顔を交互に見やる。
「緑玉版そのものが欲しいわけでもありません。拝見させていただき、写本を作らせていただきたいのでございます。複写をお許しいただけるなら、私が持つ魔眼の全資料を吸血鬼ギルドに提供いたします」
この場にいる全員が、トリテミウスが資料と引き換えに魔眼との接触を要求すると予想していたが、全員がその予想をあっさり裏切られた。
皆が肩透かしをくらい、それぞれ微妙な表情を浮かべた。
「それに、ファンテイジ殿はご存知のはずではありませんか。ファンテイジ殿が私に教えてくださったのですぞ」
「え、俺?」
トリテミウスの言葉に、セプティマスはポカンとして間抜け顔を晒した。
吸血鬼たちが一斉にセプティマスを振り向く。
ツェペシュは表情を崩さなかったが、ヴァーニーは呆れ顔、エゼルワルド十三世は明らかに怒り心頭、ブラックモアは不幸を告げられたような顔だった。
トリテミウスは少し恨めしそうな顔でセプティマスを見た。
「そうです。ファンテイジ殿が私にご提案くださったのです。ブラックモア卿のお仕事を手伝えば緑玉版を拝見させていただけるかもしれないと」
――何、お前、魔眼に興味ねーの? 魔道士なのに?
――これが緑玉版だったなら私も浮かれているでしょうなあ。
――あ、それ、ブラックモアが持ってる。
――な、な、なんですと! ぜひ、ぜひ、拝見させていただきたい!
――ブラックモアはがめつい蒐集家だから絶対渡さないと思うぞ。
――何とか拝見させていただく方法はありませぬか!
――あいつ物欲凄いから無理じゃね?
――拝見したいだけなのです。無論、相応のお礼もいたします。
――お礼かあ。そういやあいつ仕事の手伝いにはお礼とか渡してるな。
――ほほう!
――沈むか泳ぐか、試しに仕事手伝ってお礼にねだってみればいいんじゃね?
――なるほど、ブラックモア卿は労働力をお求めになっておられるのですね。
――そそ、あいつ仕事が忙しいからいつも手伝い募集してる。
――一体どのようなお仕事をなさっておいでなのですか。
――しらねーよ。
――な、何か、ヒントを、手がかりを何か……。
――今日は魔眼を調べてると思うぞ。俺が命令したからな! あっはっは!
「そういえば、そんなこと言ったかも?」
セプティマスが曖昧な記憶を手繰るように言った。
「二日前、魔道士ギルドの玄関広間にてお話した時にございます。ファンテイジ殿のご提案に従い、私はブラックモア卿にご提供すべくすぐさま魔眼の資料を集めました」
トリテミウスはセプティマスに説明した。
「翌日には吸血鬼ギルドと魔眼についての会談が行われる事を知らされました。渡りに船とは正にこの事。これほど早くブラックモア卿にお会いできる機会を得るとは、強い運命の導きを感じずにはおれませぬ」
(何故トリテミウスが……)
セプティマスとトリテミウスの意外な邂逅に、バジリスクスは首を傾げた。
二日前というと、セプティマスが朝一で魔道士ギルドを訪ねた時だろう。
基本、私邸に引きこもっているトリテミウスが何故その場に居たのか。
(そういえば今月の当番だったか? しかし何故、朝から居たのだ。泊まり込みで読書でもしておったか?)
幾つかの確率の低い偶然が突発事故のように重なっていく様相に、バジリスクスは改めて『マークウッドの悪魔の法則』を畏怖した。
「少し状況を整理したいのですが、よろしいでしょうか」
ツェペシュが重々しく口を開いた。
一同がツェペシュに注目する。
皆が無言で注目する様をぐるりと見回し確認すると、ツェペシュは話し始めた。
「まず、ブラックモア氏」
「はい」
ブラックモアが姿勢を正し返事をする。
「緑玉版という品を所持しているのですか?」
「はい。しかし、あの、精密な鑑定は行っておりませんので贋作やもしれませぬが。古代文字が彫られたエメラルド板は確かに所持しております」
「おお……」
トリテミウスは喜びの声を漏らし、熱く語った。
「贋作でもかまいませぬ。贋作であれば、それはそれで、そういう贋作が作られていたという資料になるのです。私が求めているのは資料です。ぜひ複写させていただきたく存じます」
「贋作でもかまわないとおっしゃるのですね」
ツェペシュがトリテミウスに確認する。
「はい。私は古今東西の文書を集めております。贋作であれ資料は資料。私には価値があるものなのでございます」
「吸血鬼ギルドにとって魔眼の資料をご提供いただけることは大変ありがたい事です。しかし緑玉版はブラックモア氏の私物です」
そう言い、ツェペシュはブラックモアに顔を向けた。
「ブラックモア氏、ギルドのために私物である緑玉版を貸与していただけるでしょうか?」
「え、ええ、貸すだけであれば、問題ありません。喜んでお貸しします」
「おおお!」
トリテミウスは両の拳を握りしめ、今にも泣き出しそうな顔で歓喜の雄叫びを上げた。
「感謝、感激にございます! 魔眼に関する全資料を吸血鬼ギルドにお譲りいたします!」
「ご厚意痛み入ります」
ツェペシュはトリテミウスに感謝の意を示すと、バジリスクスの方を見た。
「魔道士ギルドはこの取引に賛同していただけるでしょうか」
「はい、もちろんです」
バジリスクスは善人の笑顔で快く答えた。
セプティマスの視線があるので、バジリスクスは『親友の善い魔道士』の演技に気を抜いたりはしなかった。
「トリテミウスの持つ資料はトリテミウスの私物にございます。私物をどう使うかは当人の自由。ギルドが指示するような事ではございませぬ。賛同いたします」
「バジリー! ありがとう!」
セプティマスの感謝をバジリスクスは笑顔で受け止めた。
「可哀想な子供の助けになるならバジリーは大賛成ですよ」
「さすがバジリー! やっぱり俺たち親友だ!」
(さて、何と説明するかな……)
吸血鬼ギルドとの会談が終わり、帰りの馬車に乗り込んだバジリスクスは窓外に見える死者の都の風景をぼんやり眺めながら考えた。
魔道士ギルドへ戻ったらすぐに七つ星魔道士の会議がある。
そこで一体どう説明したら良いか。
(ヘカテは粛清を喜ぶだろう。問題はミカヤとアブラメリンだな)
馬車の中の三人の魔道士を何となく見回す。
カスヴァドは自然現象の恐怖に晒された疲労のためかぐったりしている。
トリテミウスは上機嫌の笑顔で今にも歌いだしそうなほど浮かれている。
プロスペローは美しい白昼夢でも見ているかのように呆けている。
会議での援護射撃を期待できそうにない面々を見て、バジリスクスの憂鬱は加速した。
「プロスペローよ、そなた魅了されているのではないか」
吸血鬼ギルドの尖塔が、馬車の窓から見えなくなった頃、バジリスクスはプロスペローに声をかけた。
「魅了などされておりませぬ」
「エゼルワルド十三世に会ってからおかしかったであろう」
「あまりに懐かしい面影でしたので……」
プロスペローはうっとりした表情で語った。
「宮廷一の美貌と謳われたユージェニー王妃の面差しを、あれほど色濃く受け継いでおられるお方であったとは……驚きました。吸血鬼となったことで美貌が永遠となったのです。正に奇跡、神の御業、天使の偉業、いやあの方こそ天使」
(こいつは何を言っておるのだ)
プロスペローはエグバート八世の時代、賢者としてイングリス王国の宮廷魔術師を務めた男である。
結婚と離婚を繰り返したエグバート八世の、五番目の妻、ユージェニー王妃とはそれなりに面識はあっただろう。
エグバート八世とユージェニー王妃との間に生まれたリリアナ王女は、エゼルワルド十二世と婚姻を結びルクステラ王妃となった。
リリアナ王女の子であるエゼルワルド十三世の面差しが、祖母ユージェニー王妃に似ていても不思議ではない。
「ああ、神が時をお止めになった。美は永遠となったのです」
プロスペローは詩を吟じるようにうっとりと語った。
(吸血鬼はヤルダバウト教の神や天使の敵ではないか。神に滅ぼされることはあっても気に入られることはないわ。まあヤルダバウト神など存在せぬがな。辻褄くらいは合わせたらどうなのだ)
魔道士ギルドへ戻ったら、会議前にプロスペローに魅了術の解除魔法を施す必要性をバジリスクスは強く感じた。
(魅了であれば解除で正気に戻せるが、まさか本心じゃないだろうな)
プロスペローは天使学に没頭しており、天使召喚が彼の悲願である。
そのため天使的な容姿に弱いという噂は以前からあった。
魔道士ギルドに参加するなりプロスペローがミカヤに急接近したのも、ミカヤの容姿が彼の思い描く天使に近かったからではないかと実しやかに囁かれている。
エゼルワルド十三世は成人前の年齢であるがゆえの華奢な体格に、少女にも見える中性的な風貌であった。
プロスペローが天使的な容姿に弱いという噂が真であれば、エゼルワルド十三世の容姿はプロスペローにとって毒と成り得るのかもしれない。
(あの地獄が天使だなどと、本気で言っているとしたら重傷だがな)
プロスペローは天使に傾倒するがゆえに、天使の敵である吸血鬼をはじめとする魔物を毛嫌いしていた。
吸血鬼嫌いという点においては信頼できる魔道士だったのだ。
(やはり魅了されておるのだろうな。まともな魔道士であれば、あの地獄が天使に見えるなど有り得ん)




