35話 ギルド会談(1)
吸血鬼ギルドのタレイアン支部である館の一階の一室。
大きな窓に昼間の陽光がたっぷりと溢れる明るい部屋で、夜の住人である不死者たちの会談は始まった。
吸血鬼ギルド代表四名と魔道士ギルド代表四名は、長テーブルを挟んで向かい合っていた。
「まずは、この会談の主旨についてご説明いたします」
時代錯誤の貴族の装いに盛り上がった巻き髪のブラックモアは言った。
彼は会談の進行役として吸血鬼ギルドと魔道士ギルドの間の席に座っている。
「魔道士ギルドの各方よりお問い合わせいただいている魔眼の件に関して……」
ブラックモアは魔道士たちが吸血鬼ギルドに押しかけたことを『問い合わせ』と言い換えて表現した。
最初から魔道士側に非がある不利な状況でのスタートにバジリスクスは苦い思いを噛みしめたが、表面上は温和な顔を崩さないよう努力した。
バジリスクスの正面にマークウッドの悪魔セプティマスが座っていたので、親友として普段以上に善人面を維持する必要があった。
(何故今回に限ってマークウッドの悪魔を引っ張り出したのだ)
バジリスクスは温和な表情の裏で思考を巡らせた。
(マークウッドの悪魔は駆け引きなどからっきしの無能の愚か者だ。出席させてもボロを出しまくって足を引っ張る以外の事はせぬだろう。だが出して来たということは、その損害を差し引いても余る明らかな利益があると言うことか。一体何を企んでいる)
セプティマスがいなければ、いつもの会談がそうであったようにギルド長同士、バジリスクスと串刺し公が向かい合っていただろう。
だが今回はバジリスクスはセプティマスと向き合っている。
セプティマスは吸血鬼側で最も地位が高いため、ツェペシュが上座を譲っているからだ。
今までセプティマスは盟主代理として、全てが決定した後の調印式などには出て来たが、その前段階である話し合いなどの場に出て来た事はなかった。
しかし今回はまだ駆け引きの段階にある場にセプティマスが出て来た。
そこには必ず何か思惑があるはずだ。
(今更、教育が成功したとも思えぬが……)
二日前に会ったセプティマスが、相変わらずの様子だった事をバジリスクスは知っている。
地位に見合った教養も作法も何一つ身に着けていない、何の進歩も成長も無い、いつもの愚か者だった。
(直前に指導を入れるにしても限界があろう。挨拶一つでボロを出して簡単に手玉に取られるような奴だ。賢い立ち回りができるとは思えん。会談の場で弁舌以外にどんな手があるというのだ)
「吸血鬼ギルドの正式回答を魔道士ギルドに表明し、個別にお問い合わせいただくお手間を取らせないようにとの主旨で、吸血鬼ギルド・ギルド長ドラキュリア殿の発案でこの会談が開催されることとなりました」
ブラックモアが滔々と語る声が室内に響き渡る。
「まずは魔道士ギルドの各方にお問い合わせいただいている件について、吸血鬼ギルドとしての正式回答を発表いたします。ご質問などございましたら発表後に挙手にてお知らせください。では、吸血鬼ギルド・ギルド長ドラキュリア殿、回答をお願いいたします」
串刺し公こと竜公に魔道士たちの視線が集まる。
「お問い合わせいただいた件について、吸血鬼ギルドを代表して私ヴラディスラウス・ドラキュリアが回答いたします」
ツェペシュは穏やかな声でゆったりと語り始めた。
その姿は数々の宗教画に描かれている悪魔そのものであった。
「まずは真に魔眼であるかというご質問ですが、真偽については未確認です。よってお答えすることができません」
魔道士ギルドの面々の表情が微妙に揺らいだが、ツェペシュは淀みなく語った。
「魔眼を発見したのは我がギルドの名誉理事セプティマス・ファンテイジ殿ですが、彼がそれを魔眼と判断したのはあくまでも私見。ファンテイジ殿の姿を確認できる眼力を持った人間であったため、彼はそれを根拠に魔眼であると判断しました。しかし実際の魔眼と同一のものであるかどうかは確認がとれておりません」
(いや、それ魔眼だろう。間違いなく)
バジリスクスは内心でツェペシュに反論した。
かつて華やかなる社交を繰り広げた中で、『魔眼であれば貴方の姿をも見ることができるでしょう』とセプティマスに語ったのはバジリスクスであった。
バジリスクスとの会話からセプティマスは教養を得て魔眼を発見したのだ。
(儂のハイセンスな会話が、敵に塩を送ってしまう事になろうとは……)
バジリスクスの中に複雑な感情が荒れ狂った。
(いや、見極め方を奴に教えなかったとして、儂らが魔眼を発見できていたかどうかは確率の低い賭けだ。発見の確率を上げたのだから、知恵を授けた事は決して間違いではなかった……)
「真の魔眼かどうか確認が取れておりませんので、魔眼の可能性が発見されたその者を『異能者』として今後の話を進めさせていただきます」
(魔眼の否定から始めるつもりか?)
バジリスクスはツェペシュの言葉の裏を探った。
吸血鬼たちにとっては事前に打ち合わせした通りの発表なのだろう。
居心地悪そうにしているセプティマスを除き、吸血鬼たちは皆平然としていた。
「次にこの『異能者』を魔道士ギルドに引き渡して欲しいというご要望に関してですが、これは了承いたしかねます」
(まあ、そうだろうよ)
予想通りの展開にバジリスクスは頷いた。
予想外の事が続いていたので、やっと予想通りの流れに戻ったと言うべきかもしれない。
「何故なら『異能者』は当ギルドの登録者ではないからです。『異能者』は発見者であるファンテイジ殿個人の部下として合意による契約を結んでおります。しかし当ギルドのギルド員ではありません。よって『異能者』の行動について当ギルドは指示できる立場にありません」
「おお……」
魔眼が吸血鬼ギルドの所有物ではない、という意味の言葉がツェペシュから出て来たためか、プロスペローは喜色を浮かべた声を漏らした。
だがバジリスクスは警戒を強めた。
(そんな旨い話があるわけなかろう。何の罠だ)
「しかし当ギルドはファンテイジ殿から『異能者』の護衛を依頼されております。『異能者』の身辺には当ギルドより護衛を派遣し、安全の確保に全力を尽くしております」
(ほらな)
吸血鬼ギルドの所有物ではないとしても、吸血鬼ギルドが周りをがっちり固めていたら状況に変わりはない。
しかも護衛という正当な理由があるので、吸血鬼を誘拐犯として糾弾するプロスペローの正義論もこれで潰された。
さらに魔眼に近付いた者を不審者として始末できる大義名分も得た。
バジリスクスは大体予想通りである流れを聞きながら、付け入る隙を頭の中で整理した。
(あの下民が魔眼の雇い主で、魔眼の護衛を選ぶ権限があるという事か。では下民が魔道士ギルドにも『異能者』の護衛を依頼したならば、堂々と魔眼に接触できるのではないか)
可能性を見出したバジリスクスは善人面を維持したまま笑みを零した。
プロスペローの言う『魔眼は天然の魔術師』という言葉は間違ってはいない。
魔眼は生まれながらに非常に稀な眼力の魔術を使う魔術師だ。
しかし逆に言えば、魔眼は天賦の才を当たり前に使っているのみの素人だ。
魔術の知識や技術があるわけではない。
天才だが素人なのだ。
魔術師としての高みにいる魔道士が、右も左も解らぬ素人魔術師である魔眼にどれほどの支援をしてやれて、どれほど力となって良き方向へ導いてやれるか。
魔道士の有能、有益をセプティマスに宣伝できれば、魔道士が魔眼の護衛や指導役に選ばれる可能性は高まるだろう。
セプティマスを上手く煽てれば、その場の乗りで即決も有り得るのではないか。
(儂の社交術が火を吹く時が来たようだな)
「そして最後に、魔眼の可能性があるこの『異能者』を吸血鬼ギルドはどうするつもりかというご質問についてですが、先程お答えさせていただいた通り、我がギルドは『異能者』に指示できる立場にはありません。『異能者』の今後は、本人の意志と、雇用主であるファンテイジ殿の意向により決定されます。吸血鬼ギルドとしての回答は以上です」
ツェペシュが発言を終了すると、魔道士ギルドの面々は低く唸るように息を吐いた。
進行役のブラックモアが淡々と会談を進める。
「これにて吸血鬼ギルドよりの回答の発表を終わります。では、ご質問、ご意見などございましたら挙手をお願いいたします」
「はいっ!!」
進行役のブラックモアがそう言い終わるや否や、マークウッドの悪魔セプティマス・ファンテイジは破裂するような勢いで挙手と同時に叫び、ガタンと椅子を弾いて立ち上がった。
「ではファンテイジ殿、どうぞご発言ください」
ブラックモアはその騒々しい不作法にも全く動じずに、セプティマスを指名した。
(出たな下民!)
挙手しようとして、いきなりの叫び声に圧倒されて先を越されてしまったバジリスクスは、心の中で毒を吐いた。
(大声出しおって不作法者め)
こういった会談の場では、挙手は無言で行うものだ。
手と声を同時に上げ、さらに立ち上がるなど有り得ない不作法であった。
ギルド同士の会談の場が、一気に子供部屋か井戸端会議のような安っぽい空気に落ちた。
トリテミウスも挙手しようとしていたのか、呆気にとられたような顔で椅子から立ち上がったセプティマスを見つめ、中途半端な位置まで上げた手を下げていた。
(この道化者にどんな茶番を演じさせるつもりだ)
ツェペシュが何かの思惑で会談に参加させたのだろうセプティマスが、今まさに動き出したことにバジリスクスはぐっと身構えた。
「魔眼について言っておくことがある!」
立ち上がったセプティマスは堂々と言い放った。
(魔眼を『異能者』と呼ぶことを早速忘れておるな)
セプティマスの魔眼発言に、バジリスクスは少し胸がすく思いだった。
ツェペシュは表情を変えないが、細部にまでこだわりのある彼の事だ、セプティマスの間抜け発言に頭痛を覚えているに違いない。
他の吸血鬼たちも表情を崩さないが、内心ではセプティマスを罵倒しまくっている事だろう。
(この下民は吸血鬼の足を引っ張ることにかけては天才よのう)
「魔眼の今後についてだ!」
そう言いセプティマスは、右手を少し持ち上げ、掌をちらりと見た。
その右手の中に小さな紙片があることをバジリスクスは見逃さなかった。
(あれは台本か? いや、下民に文字は読めぬはず)
「私は『異能者』の、こ、雇用主である」
(なるほど、文字くらいは読めるようになったか。台本に『異能者』と書かれているのだな)
台本を書いたのはおそらくツェペシュであろう。
バジリスクスは台本の中にツェペシュの罠があると推測して警戒を高め、セプティマスの一言一句を聞き逃すまいとした。
「『異能者』が魔眼であると確認が取れたら、魔眼で仕事をさせるのも、や、やぶさか、ではない」
セプティマスは右手の中の台本をちらちら見ながら語っていた。
「もし魔眼であれば、吸血鬼ギルドに登録させる。吸血鬼ギルドを通し、三年後から仕事を請け負う。その際には、魔道士ギルドが、吸血鬼ギルドに魔眼の仕事を依頼する事は可能である」
(三年後?)
三年と言う数字が出てきて、バジリスクスは首を傾げた。
吸血鬼ギルドが魔眼の管理をするのだろう事は予測できたが、三年後とすることに何の利益があるのかバジリスクスは思案した。
(時間を稼ぐことに意味があるのか?)
「しかしその時まで、今から三年間、魔道士の魔眼への接触および詮索は全て禁止とする」
(なるほど、約束を必ず守らせるためか。ずっと禁止であればいつかは破られる可能性があるが、三年であれば三年間は守られる確率が高い)
セプティマスは台本の音読に集中して他に気が回らなくなったのか、もはや本を読むように堂々と右手の紙片を読んでいた。
吸血鬼たちは表情を変えないが、失望の色が漂っている気がして、バジリスクスの心は少し躍った。
「もし魔道士が勝手に魔眼に接触を試みた場合、私セプティマス・ファンテイジは個人として魔道士ギルド全体を敵とみなし、魔道士全員と絶交する」
(は?! 敵?!)
セプティマスの口から出た恐ろしい言葉に、バジリスクスは目を剝いた。
(しかも絶交?! それは完全なる意図的な敵視ではないか!)
「そ、そんなっ!!」
声をあげたのはバジリスクスではなく、カスヴァドだった。
「偉大なるセプティマス様! 私は敵ではありませぬっ! 決して!」
「カスヴァド殿」
進行役のブラックモアが、血相を変えているカスヴァドを諫めた。
「ご意見は発表の後、挙手にてお願いいたします」
カスヴァドは注意され口を閉ざしたが、その顔は恐怖に引きつっていた。
魔道士ギルドの古参であるバジリスクスとカスヴァドは、セプティマスに敵とみなされる事の恐ろしさを知っていた。
一方、戦争を知らず、セプティマスに敵視された経験のないトリテミウスとプロスペローは、セプティマスが何を言っているのか解っていないようでキョトンとしている。
それはジンクスのようなものだ。
しかしただのジンクスで片付けるにはあまりにも確率が完全すぎた。
決して外れることのないジンクスは、もはや法則と言える。
いつでもセプティマスが居る側が勝ち、敵対した側が滅びるのだ。
この法則に最初に気付いたのは自然崇拝の祭司であるカスヴァドだった。
大宇宙の法則からなる自然現象に精通しているカスヴァドは、この恐るべき自然現象に気付き、これを『マークウッドの悪魔の法則』と名付けた。
バジリスクスとて、ツェペシュのように人間の王侯貴族を手駒に使うことを考えなかったわけではない。
過去に何回も王侯貴族を手駒にした。
しかしそれらの王侯貴族たちは、セプティマスが守護するファンテイジ家と敵対した途端に、何もかもが上手く行かなくなり、不自然に不運が重なり、絶え間なく押し寄せる不運の荒波に対処しきれなくなり破滅した。
確率の低い天災が降りかかり、地理的あるいは経済的に常に不利な状況に陥り、信頼していた身内の不幸や裏切りが続く。
天地人まんべんなく問題が生じ続ける。
それは占星術的に大試練と言われている土神星回帰に、大波乱といわれる大十字型が重なったようなものだ。
最初の二、三年は何とか対処したとしても、それが十年続く頃には土台の維持すら困難になり、ファンテイジ家に敵対する力を完全に失う。
ファンテイジ家が仕えるイングリス王国と敵対した諸国は当然のごとく滅亡し、イングリス王国の王家ですらファンテイジ家を疎んじれば王朝が終焉した。
そしてマークウッドのファンテイジ家だけが八百年も続いている。
バジリスクスたち古参の魔道士は、何度も敗北し、何度も他者の敗北を眺め、カスヴァドの主張する法則の発動を検証した。
そして『マークウッドの悪魔の法則』の存在を認めるに至り、自然現象すなわち大宇宙の法則に抗う事は不可能であるという結論に達し、マークウッド同盟との講和を決意したのだ。
恐るべき法則ではあるが、現象の鍵であるセプティマスは単純で無知な田舎の子供であるため、法則発動の仕組みさえ解っていれば防ぐ事はさほど難しくはない。
身近な日常からかけ離れた政治経済を理解したり、水面下の活動を察知したりできる頭はセプティマスには無いからだ。
彼の家族と故郷、すなわちファンテイジ家とマークウッドの地に直接的な手出しさえしなければ敵視される事はない、と言うか、視野狭窄な彼に存在を気付かれる事はない。
(おのれツェペシュ……魔道士を悪し様に言い下民を唆したな!)
魔道士が魔眼を害するという前提で書かれている台本を、バジリスクスは忌々しく思ったが、その前提を否定することは出来ない。
魔道士ギルドは一枚岩ではないので、魔眼を危険に晒す可能性がある魔道士はたしかに存在するのだ。
――死神の大鎌をふるう時だと思うの。
バジリスクスの脳裏に、魔女ヘカテの言葉が思い出された。




