340話 探偵社の部屋で
「……!」
目を開けると、見た事もない部屋にいた。
「ファウスタ様! ……お気付きになられましたか?」
青ざめた顔に、焦がし砂糖水のような褐色の髪の、知らないメイドの女性がファウスタの顔を覗き込んだ。
(吸血鬼……)
どこかで見たことがある気がする吸血鬼の女性だが、思い出せなかった。
「……貴女は……どなた?」
「吸血鬼ギルドより参りました、ファウスタ様のメイドのコニーです。本日、馬車の中で、ファウスタ様の身支度のお手伝いをさせていただきました」
(ネルさんと同じ五等吸血鬼のメイドさん……)
ほんやりした頭でファウスタは思い出した。
今日の仕事の前にユースティスに紹介されたメイドだ。
メイドのコニーは心配そうに、しかしやや緊張した面持ちで、ファウスタに尋ねた。
「ファウスタ様、ご気分は如何でしょうか」
(気分?)
気分と言われても、いつも通りだったファウスタは、どう答えて良いか解らず一瞬考えた。
(普通なのだわ。でも普通なんて言ったら失礼よね)
「とても良いです」
笑顔でそう答えたファウスタに、コニーは困惑の表情を浮かべ、再び質問を投げかけて来た。
「……どこかお具合の悪いところはございませんか?」
「何ともありません」
ファウスタはそう答えたが、そのすぐ後に、ぼんやりした頭にさまざまな疑問が湧き上がって来た。
ファウスタは心霊探偵の仕事着のまま、ソファに横たわり、クッションを枕にして寝ていた。
体の上には外套が掛けられている。
白髪の鬘と保護眼鏡は外されていた。
「私はどうして此処で寝ているのでしょう」
「ファウスタ様はお仕事中にお倒れになられたのです」
そう言われてファウスタは、振り子占いでトンプソン警部補の幽霊と対話した途中からの記憶がないことに気付いた。
「……此処はどこですか?」
「珈琲館の三階です。レグルス心霊探偵社の部屋です」
(探偵社……?)
ファウスタはむくっと半身を起こした。
(見た事がないお部屋だけれど。こんなお部屋もあったのね)
「ファウスタ様、ご無理はなさらず、いましばらくお休みください」
コニーは少しおろおろした様子でファウスタを窘めた。
「えと、でも……眠くないので」
「で、では、エーテル防護眼鏡をお掛けください」
コニーはテーブルの上に置かれていたファウスタの眼鏡箱を手に取ると、蓋を開けてファウスタに差し出した。
ファウスタは差し出されたエーテル防護眼鏡を掛けた。
眼鏡を掛けると、青ざめたコニーの顔が色付いて美人度が増した。
「ファウスタ様がお目覚めになられましたら、回復効果があるロゼリア茶をお煎れするようにと申しつけられております。お茶をお煎れしてよろしいでしょうか」
「ロゼリアの花茶ですか?」
「はい」
「いただきます」
ファウスタがそう返事をすると、コニーは使用人を呼ぶ使用人ベルの紐を引き、鐘を鳴らした。
(このお部屋にも使用人ベルがあるんだ。元は誰かのお屋敷だったのかな)
コニーの様子を見ながら、ファウスタは何となく部屋の中をぐるりと見回した。
その部屋は簡素で落ち着いた雰囲気の部屋だった。
派手さも飾り気もなく、素朴で機能的だが、質の良さそうな家具が並んでいる。
(……!)
部屋を見回したファウスタは、暖炉飾りの上の置時計の針が示す時刻が、五時を過ぎていることに気付いた。
(帰らないと……)
帰宅に考えが及んだファウスタは、更に異変に気付いた。
いつもファウスタの仕事に付き添ってくれていて、屋敷に帰るまで一緒のユースティスがいない。
「ユースティスさんはどこですか?」
ファウスタは少し動揺してコニーに問いかけた。
「ユースティス様はお仕事に戻られました」
「先に帰ってしまったのですか?!」
(置いて行かれてしまったの?!)
「わ、私は、どうやってお屋敷に帰れば良いですか?!」
ファウスタが悲愴な顔でそう問いかけると、コニーは優しく微笑んだ。
「ヴァーニー卿がお屋敷まで送ってくださいます。ご安心ください」
「ヴァーニーさんがいるのですか?」
「はい。事務室にいらっしゃいます。先程ベルを鳴らしましたので、じきにヴァーニー卿がいらっしゃるかと存じます」
見知っているヴァーニーがいると聞いて、ファウスタは少しほっとした。
「あのベルは使用人を呼んだのではないのですか?」
「ベルを鳴らしたら、使用人がヴァーニー卿にもご連絡申し上げることになっているのです」
大分落ち着いたファウスタは、自分が倒れた後にどうなったのかが気になりはじめた。
「あの、コニーさん、私が倒れた後、幽霊がどうなったかご存知ですか?」
「申し訳ございません。ファウスタ様がここへ来る以前のことは存じ上げません」
(幽霊のことはヴァーニーさんに聞けば解るかな)
「他の皆さんは帰ってしまったのですか?」
「はい。皆さんお帰りになられました」
「ティムさんもですか?」
「はい」
(ティムさんが帰るお家って……お屋敷かしら)
ティムはファンテイジ家の守護霊と呼ばれている。
しかし留守がちでファンテイジ家の屋敷にはほとんど居ない。
「ティムさんはお屋敷に戻ったのですか?」
「盟主代理殿はお仕事に行かれました」
「ティムさんはお仕事をしているのですか?!」
ファウスタはティムが仕事をしているところを見た事がなかった。
今日は少しだけ、魔道士ブリギッドに会った時に王様のような挨拶をしていたが、それもすぐにユースティスに投げてしまい、ティムは結局何もしなかった。
ティムは大抵、好き勝手していて、わぁわぁ騒いでいる。
「はい。盟主代理殿は写真家のお仕事をなさっておられます」
コニーは貼り付けたような笑顔でそう言った。
(……ティムさんの写真は遊びよね……)
今までのティムの発言や行動、周囲の者たちの態度から、ファウスタにはティムの写真撮影は趣味としか思えなかった。
(……コニーさんも、ティムさんの写真は遊びだって思ってるよね……?)
コニーの作りものめいた完璧な笑顔をファウスタは訝しんだ。




