27話 箱の中の悪魔
「マダム・グラトニーがお肉を全部食べちゃってたから、ファウスタたちの分が無くなっちゃったんだね。怖いねー」
「孤児院の食材を盗んだわけじゃないわよ。横取りするとしたら運営費ね」
厨房での洗い物の仕事を終え、アメリアとテスはおしゃべりをしながら次の仕事に向かうべく地階の廊下を歩いていた。
「でもタレイアン公爵夫人が孤児院の運営費の横領なんて、そんなケチな事するかしら。タレイアン公爵家は次期国王の家なんだから年金もたっぷり貰ってるはずよ」
「えー、じゃあマダム・グラトニーが王妃になるの?」
「そうよ。タレイアン公爵夫人は王太子妃だもの」
「七つの大罪が王妃になるなんて、なんだか怖いねー」
「ただのあだ名よ。本物の七つの大罪じゃないわ」
「うちの姉様は知ってるかな、マダム・グラトニー」
「男爵夫人なら社交界の噂は聞いてるかもね」
テスには三人の姉がおり、長女はすでに結婚していて男爵夫人となっている。
「今度姉様に会ったら聞いてみよーっと」
「家族に話すくらいならいいけど、この事は外で言ったら駄目よ」
「え? どうして?」
「タレイアン公爵夫人が王太子妃だからよ」
不思議そうな顔をしているテスに、アメリアは忠告した。
「王太子妃の悪口を大っぴらに言ったら、不敬罪で逮捕されるかもしれないわ」
「あ!」
テスは両手で自分の口を塞いだ。
「もし孤児院の運営費の横領が本当にあったとしても、タレイアン公爵家が相手じゃ警察にはどうにも出来ないんじゃないかしら」
「そっか、次の国王のおうちだもんね……怖いね……」
「私たちに出来るのはファウスタを太らせる事くらいよ」
アメリアは冷めた顔で肩をすぼめてみせた。
するとテスはふと気付いたように笑顔を零した。
「ねえ、アメリア、ファウスタを太らせる作戦で、私たちも今日また肉詰めパイが食べられるのかしら」
主人たちの午餐に出された料理の残りが、その後に使用人たちに提供されることを見越しての期待だった。
「きっと出て来るわね」
アメリアは淡々と答えた。
「小さいファウスタが一人で肉詰めパイを丸ごと一つ食べるのは無理だもの。絶対に残るわ。前菜やスープにまで肉を入れる肉づくしの献立なのだし、それに旦那様たちは最近小食よ。何かしらの肉料理が私たちまで回って来るわね」
「旦那様たちずっと食欲が無いよねー」
テスは再び顔を曇らせ、アメリアはテスとはまた別の意味で渋面になった。
「早くお元気になって欲しいわね。旦那様たちがいらっしゃるからこそメイドの仕事があるんですもの。旦那様たちがいなくなってしまったら私たちも職を失ってしまうわ」
「そうだねー」
「皆さんパンやスープを少し召し上がるだけで、このままでは栄養不足になってしまうって、マクレイ夫人もハミル夫人も献立に悩んでいらっしゃるみたい」
「そのうちみんな倒れそうで心配だねー」
「奥様は昨日もうお倒れになったわよ」
「あ、そうだった」
テスは自分の物忘れを笑って茶化した。
アメリアはそんなテスのお道化た仕草には乗らず、真剣な眼差しを向けた。
「テス、もっとしっかりして。気を張らなきゃだめよ」
「ごめん、ごめん。私すぐ忘れちゃうから」
テスはあっけらかんと笑ったが、アメリアは深刻な表情をした。
「私がいなくなったらテスが見習い女中のリーダーになるんだから、これからはテスがしっかりしないと駄目なのよ」
「え、アメリア、辞めちゃうの?」
アメリアの不穏な発言に、テスの表情も深刻に変わった。
「辞めないわよ。家政婦長になるまでは」
出世の野望を宿した眼差しでアメリアは答えた。
「昇格して家女中になったら見習い女中じゃなくなるでしょう。私が昇格したら、テスが地階で見習い女中たちを取り仕切る第一見習い女中になるんだから、もっとしっかりして欲しいのよ」
「……見習い女中に第一とか無いよね?」
初めて聞く役職名にテスは不思議そうに首を傾げた。
家女中や厨房女中には第一、第二の役職があるが、見習い女中にはそういった役職は無い。
「役職は無いけど、実際には有るわよ。一番職歴の長い見習い女中がマクレイ夫人に直接仕事を言いつけられて新人の面倒を見たりするんだから。事実上のリーダーは存在するわよ」
掃除道具を用意しながらアメリアは語った。
厨房で朝の洗い物を終えた後、お昼まで地階や使用人階段の掃除をするのが見習い女中たちの日課だ。
「そろそろこのブラシは変え時かしらね」
床を磨くブラシがかなり傷んでいる様を見つめてアメリアは呟いた。
「うん、そろそろだねー」
「テス、あなたがマクレイ夫人に報告して新しいブラシを用意してもらって」
「うん、いいよー。でも急にどうしたの?」
そういった報告などは、アメリアがいつも自分に課せられた責務であるかのように率先してやっていた事だ。
いつもと違う流れにテスは戸惑いの表情を浮かべた。
「あなたが立派な第一見習い女中になるためよ。私がやっている仕事を覚えて欲しいの。あなたを私の後継者として一人前の見習い女中に育てる事が、私の見習い女中としての仕事の総仕上げよ」
そもそも見習い女中は半人前だからこそ見習いなのであって、一人前では無いことが前提なのだが。
第一見習い女中という役職は存在しないのだが。
アメリアは固い決意を秘めた真剣な眼差しでテスに語った。
「テスが一人前の見習い女中になれるように今日からビシバシ鍛えるわよ」
「うん、解ったー」
テスは深く考えていないのか、普段通りにふんわり返事をした。
「アメリア、テス、ちょっとおいでよ」
アメリアとテスが地階の廊下をブラシで磨いていると、使用人たちの休憩室であり待機室でもある使用人食堂のドアから家女中のポリーが顔を覗かせた。
そして悪戯っぽい笑顔で二人を手招きした。
明るい茶色の巻き毛をぴっちりと結ってモブキャップにおさめているポリーは、家女中の中で一番若い少女だ。
彼女は去年までは見習い女中として働いていたので、アメリアやテスとは気安い間柄だった。
アメリアとテスは顔を見合わせ、ポリーに招かれるままに使用人食堂に入った。
「皆さんどうなさったんですか?!」
「なんでー?!」
使用人食堂の光景を見てアメリアとテスは声をあげた。
この時間、家女中たちは上階の掃除をしているはずだ。
しかし使用人食堂では家女中たちがテーブルに菓子を並べ、出がらしの茶葉で薄いお茶を飲みながらまったり休憩していた。
「上階が立ち入り禁止になったの。だから家女中は全員お昼まで待機なのよ」
「ああ、ファウスタの霊視で?」
「そうそう、それよ」
ポリーは気安い口調で語った。
「はい、これ。あなたたちの分。後でこっそり食べなさいな」
ポリーは紙に包んだビスケットをアメリアとテスに渡した。
「蒸留室からいただいたの。今日また新しいビスケットを焼くから古い物は食べてしまっていいって」
「でも……」
「大丈夫よ。今日はマクレイ夫人はデザート作りで忙しいから午前中は蒸留室から出て来ないわ」
ポリーは片目をパチリと瞬いてみせた。
「急に午餐のデザートの注文が増えたんですって。それでマクレイ夫人とクレアさんは蒸留室で大忙し。メリンダさんとデボラさんもその手伝いでいないの」
メリンダは第一家女中、デボラは第二家女中だ。
マクレイ夫人のみならず年長の上役が誰もいない状況で、メイドたちは解放感を満喫しているようだった。
「ほーらテス、お食べ」
ポリーが、ビスケットをつまんでテスの口元に持って行った。
テスが口を開けてそれにパクリと食いつく。
「テス、はしたないわよ」
「まあまあ、アメリア、今日くらいはいいじゃない」
ポリーは悪戯っぽく笑いながらアメリアをなだめた。
テスはそんな二人を交互に見やりながら笑顔でビスケットをモグモグした。
「あ、そうか。ファウスタのためにデザートも増やすんだ」
先ほど厨房にヘンリエタが現れた一件との繋がりに気付きアメリアは呟いた。
「それって……ファウスタが上階の食卓に招かれたってこと?」
アメリアの呟きにポリーが問いかけた。
「そうです」
「じゃあお客様の正体はあの子なのね」
「あー、あの子かー」
アメリアがポリーの推測を肯定すると、それを聞いていた他のメイドたちも話に加わって来た。
デザートを突然追加するという日常とは違う事態に、彼女たちは来客を予想していたのだ。
「この時期に急なお客なんて、一体誰なのか不思議だったのよ」
「ヘンリエタさんが家政婦長室に来てたから、奥様のご親戚の方がいらっしゃるのかと思ってたわ」
「あの子は霊能力の使い手ですもの。旦那様はあの子ともっとお話ししたくなったのね」
「でもどうして霊能者がメイドになったのかしら」
「あの、ファウスタの事なんですが……」
メイドたちがファウスタについて誤った認識を持っているのを見て、アメリアは情報を正さなければと思った。
「ファウスタは霊能力の使い手じゃないです。幽霊が視えるだけの普通の子供です。突然メイドとして雇うからと孤児院から連れて来られて、本人も状況を解ってないみたいでした」
「アメリア、その話は誰に聞いたの?」
「ファウスタ本人から聞きました」
アメリアは昨日ファウスタから聞いたことをメイドたちに説明した。
「あんな小さい子が悪魔祓いなんて、ちょっと変だとは思ってたのよ」
「えー、じゃあ昨日のあれは何だったの? お茶の時間のあれ、私はてっきりあの子の霊能力だと……」
「あれは屋敷精霊様でしょ」
「どこから霊能力の使い手なんて話になったのかしらね」
メイドたちは誤報の出所について思案しはじめた。
「ファウスタが霊能力でお嬢様を治療するという話を私はマクレイ夫人から聞きましたが、あの方は妄想でそういう事をおっしゃる方ではないので、マクレイ夫人も誰かから聞いたんだと思います」
アメリアが推測を語ると、賢しい目をしたセイディが意味深に笑った。
「マクレイ夫人にそんな話が出来る人なんて限られてるじゃない。旦那様か奥様かアルカードさんかバーグマンさん」
セイディの賢さに一目置いているメイドたちは彼女に注目した。
セイディはゆったりとお茶を一口飲むと続きを語った。
「旦那様は昨日までの三日間は午前からお出かけでマクレイ夫人と直接話す機会はなかったわ。旦那様から守護霊様のお告げの話を直接聞いたのは奥様とアルカードさんだけど、この二人は不確かな妄想を語る方々ではない……」
「犯人解ったわ」
「バーグマンさんしかいないじゃない」
「バーグマンさんね」
「あの人、話を膨らませるよねえ」
セイディが全て話し終わる前にメイドたちは口々に答えを言った。
「でもファウスタなら出来ちゃうと思います」
ちゃっかりとポリーにお茶まで出してもらい飲んでいたテスが、満面の笑顔でメイドたちの会話に爆弾を投じた。
「だってファウスタは悪魔を見つけた事があるんですもの!」
騒然となったメイドたちに、アメリアとテスは質問攻めにされる事になった。
「ちょっと休みすぎちゃったわね」
使用人食堂を出ると、アメリアとテスは廊下に戻った。
アメリアは掃除の続きをするためにブラシを手にすると、ぼんやり立っているテスに声をかけた。
「テス、ぼーっとしてちゃ駄目よ。ちゃっちゃと掃除の続きをするわよ」
「うん、でもね、アメリア……」
テスはアメリアの方を見ずに、廊下を見つめたまま言った。
「もう綺麗になってるー」
「……え?」
「廊下ピカピカだよー」
「あっ!」
テスに言われ、改めて廊下を見渡したアメリアは声を上げた。
「ピッカピカじゃないの!」
「廊下の床磨き終わっちゃったねー。どうするー?」
「う……どこまでピカピカなのか、一応チェックしましょう」
掃除道具を置くと、アメリアは廊下の床をじっくり検分しながら歩き出した。
テスもアメリアの後を付いて行く。
「ねね、アメリア……あれ、あれ!」
急にテスがアメリアに身を寄せ、まるで内緒話をするみたいな小声で囁いてきたので、床を見ていたアメリアは顔をあげた。
そしてテスが指差している方向を見た。
「……っ!」
テスが指差した先に、今まさに廊下の角をさっと曲がった人影がちらりと見えた。
暗い色のドレス姿だったので女性だと思われるが、この屋敷では見覚えのない背格好とドレスだった。
人影が曲がった廊下の角を目指し、テスがたたたっと早歩きしはじめる。
「ちょ、ちょっと、テス!」
アメリアは小声で叫ぶとテスを追った。
「テス、危ないでしょ。強盗だったらどうするの。こういう時はまず報告よ」
テスに追いつくとアメリアはそう言ったが、テスは廊下の曲がり角で立ち止まってぼーっとその先を見ていた。
「いなくなっちゃったねー」
「まずはマクレイ夫人に報告よ」
「ねえ、アメリア、さっきの人、茶色のドレスだったよね?」
「え?」
「屋敷精霊様だったんじゃない?」
テスは目を輝かせてそう言ったが、アメリアは眉間に皺を寄せた。
「テス、あなたは屋敷精霊様に慣れすぎよ。不審人物がいたらまずは泥棒を疑って対処するものよ。万が一って事もあるんだからね」
「でも泥棒は廊下の掃除はしないよね」
「さっきの人が廊下の掃除をしたのかどうか確証はないでしょう。そういう思い込みが事故を招くのよ」
アメリアはテスに危機管理を諭した。
「マクレイ夫人は蒸留室よね。報告に行くわよ」
「はーい」
アメリアとテスは事の次第を報告すべく蒸留室に向かった。
「今ちょっと手が離せないの」
菓子が焼かれている匂いだろう、甘く香ばしい熱気に満たされた蒸留室でマクレイ夫人はそう言った。
蒸留室の中でクレアは火にかけた鍋をかき回し、メリンダとデボラは菓子の生地を練ったり型抜きをしたりして忙しくしている。
「従僕の誰かに、アルカードさんにその事を伝えるようにお願いして来てちょうだい」
マクレイ夫人にそう言われアメリアとテスは蒸留室を後にすると、今度は執事室を目指して廊下を歩いた。
この時間ならば上階の朝食は終わっているはずだ。
上階での給仕を終えた執事のバーグマンや従僕たちが執事室に戻り、茶器を洗ったりカトラリーを磨いたりしているだろう。
「なるほど、不審人物ですか」
執事室には予想通りバーグマンが居た。
すでに茶器やカトラリーの手入れは終わっているのか、従僕のダミアンはテーブルで小包のような箱を紐で厳重にぐるぐる巻きにする梱包作業をしていた。
「アルカードさんは今お忙しいから、すぐに報告する事はできませんが……」
バーグマンは少し考え込むように言葉を切り、そして思いついたようにダミアンの方を振り返った。
「よし、ダミアン、それはもういいから、この子たちと地階の見回りを頼む」
「え……バーグマンさん一人で大丈夫ですか? こいつ素早いらしいですよ」
ダミアンは不安そうな顔で、小包とバーグマンとを交互に見て言った。
「私を誰だと思っているのかね?」
堂々とした体躯のバーグマンは、自信満々に厚い胸を張り言い放った。
「私にかかれば悪魔の一匹や二匹どうって事はない。安心して見回りに行って来てくれたまえ」
バーグマンの言葉にテスが吃驚して声をあげた。
「あ、悪魔?!」
「そう、悪魔だ。三階の悪魔をついに捕まえたんだよ」
バーグマンは楽しそうな笑顔でテスに答えた。
「あの箱の中に悪魔が入ってるんですか?!」
「ああ、そうだとも。悪魔は捕まえてあの箱に閉じ込めた。もう心配はいらない」
テスは両手で顔を覆い、指の隙間からその悪魔入りだという箱を見た。
「あのファウスタという子はまったく大した子だ。すぐに悪魔を捕まえてしまったんだからね。あの子は本物だ」
「ファウスタが?!」
「あの子が悪魔を捕らえたんですか?!」
これにはアメリアも驚いて声をあげた。
「そうさ。ファウスタは悪魔の正体をあっという間に見破って、すべて解決してしまった。お嬢様もすっかりお元気になられて、今日の午餐はご両親とご一緒するとの事だ。まったく凄い子だよ。旦那様もファウスタは天才だと大感激なさっていらっしゃる」
「……それ、本当ですか?」
わりと適当だとか話を膨らませるとかいう評判のあるバーグマンが、どうにも信じがたい話を得々と語り出したので、アメリアは身分を忘れてうっかり真顔で問い返した。
「本当だとも。現にこうして悪魔を捕らえたんだからね」
「はあ……」
過剰に紐でぐるぐる巻きにされてはいるが、どう見てもただの小包のような箱にアメリアは疑惑の眼差しを向けた。
そんなアメリアの横で、テスはファウスタの偉業に興奮していた。
「ファウスタ凄ーい!」
テスの素直な感想にバーグマンも同意して頷いた。
「ああ、そうさ。ファウスタは凄い子だ」
ファウスタ凄い凄いと、テスとバーグマンが意気投合してはしゃぎ始めたので、アメリアは無言でそれを見守った。
悪魔入りの箱を前にダミアンも懐疑的な眼差しでバーグマンを見ていた。




