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お化け屋敷のファウスタ  作者: 柚屋志宇
第1章 ファンテイジ家の使用人たち

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25話 レイス

「不審物を見つけたなら知らせて欲しかったですね」


 溜息交じりにアルカードがそう言うと、ティムは不服そうに抗議した。


「俺は悪い事はしてないだろ。人形を動かしただけじゃん」

「結果的に調査を攪乱しただろう」


 ユースティスは眉間に皺を刻んだ顔で、自分の灰金色の髪を苛立たし気にぐしゃっと搔きむしり、そしてすぐに乱れた髪を手櫛で整え直した。


「一昨日くらいから悪魔が大人しくなったとお嬢様がおっしゃっていたけれど、ティムが人形を移動させた事が原因かしら」


 ミラーカが微妙な笑顔を浮かべて言った。


「お部屋から遠くなった分、呪いの到達に時間がかかるようになったのかもしれないわね」

「そうなの? じゃあ俺のおかげで良くなってるんじゃん。お手柄じゃん」


 非難の眼差しに後退っていたティムは、ミラーカの言葉で息を吹き返し、堂々と胸を張った。


「でも不思議よね。廊下から人形部屋に移動したらどうして急にしゃべり始めたのかしら」


 ミラーカは指で自分の顎を触り、思案気に言った。


「あの、すみません、一昨日の夜の人形部屋で聞こえた声って、あの怖いおじさんの声だったんですか?」


 ファウスタの問いに、ミラーカとアルカードが答えた。


「ええ、そうよ」

「同じ声です。声の主はあの人形で間違いないでしょう」

「お人形がどうしてしゃべれるのでしょう?」


 ファウスタはまだ子供だが、人形がしゃべれない事くらいは知っている。

 人形は人間の形に似せて作られているだけで、声を出す喉も舌もないのだ。


「声のように聞こえているだけで実際には声ではないのです」

「幽霊と同じよ。霊感が強くないと聞こえない声なの」


 従僕見習い(ホールボーイ)の金髪の少年ルーイが人形部屋で声を聞いた話をしてくれた事をファウスタは思い出した。


「ルーイさんは霊感が強かったから人形の声が聞こえたんでしょうか」

「ええ、おそらく。ルーイは勘が良い子ですから聞き取れたのでしょう」


 アルカードのふわっとした答えに、ユースティスが補足した。


「ルーイは普段は霊感があるようには見えないけど、たまにすごく勘が冴えてる時があるんだ。精霊を見た事があるらしいから何かの加護持ちかもね」


 ファウスタたちが廊下で話しているところへ、狼男ワーウルフのラウルと竜族ドラゴニュートのエルマーが合流した。

 人形部屋をざっくりと片付け終わったらしい。


「月齢が関係しているのではないでしょうか」


 狼男のラウルが言った。

 彼はアルカードに報告するエルマーの傍らに立っていたが、人形がしゃべり出した原因について考察するミラーカたちの方に興味深げに振り向くと自分の考えを述べた。


「一昨日はちょうど満月でした。月齢に比例して力が増減するタイプなのであれば満月の夜に活性化しても不思議ではありません」


(ラウルさんは狼男だから月の魔力に詳しいのかしら)


 ラウルの狼の顔を見上げてファウスタは思った。


「月光の魔力が作用しているなら私たちにも何か感知できたんじゃないかしら」


 ミラーカが呈した疑問に、ラウルは「なるほど」と頷いた。


「確かにさっぱり感知できませんでした」


 そう言いながらラウルは飾り棚をしばし眺め、棚に片手を近付けてかざした。

 毛むくじゃらだが人間のような形の手だった。

 中指より人差し指の方が長い不思議な手だ。

 灰色の毛むくじゃらの指先には色を塗ったような黒い爪がついている。


(狼だけど肉球は無いのね)


「ファウスタには壁紙が黒ずんで見えるのよね?」


 ミラーカの問いにファウスタは頷いた。


「はい。棚の周りの壁紙が煤けたように黒ずんでいます」

「周りですか」


 ラウルは少し首を傾げ、その金目でファウスタを見た。


「棚の中に人形があったんですよね。棚の中は黒くないのですか?」

「えっと……」


 ラウルの指摘にファウスタはもう一度よく棚を見た。


 硝子扉がついたその飾り棚は、ファウスタの背より少し低いくらいの高さだ。

 棚の上にはドワーフを題材にした置物が置かれていた。

 銀細工なのか、黒ずんだ灰色の金属のようなそれは、尖がり帽子をかぶっているドワーフ三人が大きな茸の椅子に座って休んでいる置物だ。


 棚の硝子扉の中にもドワーフの置物がいくつかあり、上にあるものと同じく灰色の金属のような材質の彫刻だった。

 置物のドワーフたちはやはり尖がり帽子をかぶっていて、ツルハシを持っていたり台車を押していたり、踊ったり休んだりしている。

 そして鉱山の情景をイメージしているのか、岩についた水晶の原石のような形をした石炭のように黒い鉱石がドワーフたちと一緒にいくつも置かれていた。


(たしかにあのお人形はこの棚に全然合ってないわ)


 棚の中にぽっかり空いている空間を見てファウスタは思った。

 悪魔人形は鮮やかな色合いの髪やドレスだったので、この黒灰色の置物と黒い鉱物の中にあったらさぞかし違和感があるだろう。


(他の人は気付かなかったのかしら)


 そこで、ふと、ファウスタの中に疑問が湧き上がった。

 自分が見ている色は、皆と同じなのだろうかと。


 銀細工が黒く変色することや、黒い宝石があることをファウスタは知っていたので、黒灰色の彫刻や黒い鉱石を疑問に思わなかった。


 だが黒と灰色で統一された中に目立つ色彩の不審な人形があったら、ティムではなくても誰でも気付くのではないか。


 掃除が行き届いているこの屋敷は、おそらくメイドたちが小まめに掃除しているのだろう。

 目立つ不審な人形にメイドたちはどうして気付かなかったのだろうか。


「あの、すみません、この棚のドワーフの置物は黒っぽい灰色で、水晶みたいな石は黒でしょうか?」


 ファウスタがそう言うと、一同は少し驚いたような、何かに気付いたような微妙な表情をした。


「置物は銀細工と彩色された木彫りです。水晶は黒ではなく透明と紫です」


 アルカードが笑顔で答えた。


「ファウスタには水晶が黒に見えるのですか?」

「はい。ここの水晶はぜんぶ真っ黒です」

「なるほど」

「そういう事なのね」


 魔物たちは何か腑に落ちたという顔をしてそれぞれが頷いた。

 何がそういう事なのか解らずにポカンとしているファウスタに、アルカードが説明した。


「水晶はエーテルやアストラルをよく吸い込む鉱石で魔除けや浄化に使われます。ここの水晶は黒いアストラルをたっぷり吸い込んだのでしょう」

「ああ、本当に適当に、人形を放り込んだね」


 ユースティスが呆れたような顔でそう言うとティムが反応した。


「失敬な! 俺は適当に放り込んだんじゃないぞ。人形だから人形部屋がふさわしいと思ったんだ」

「君の事じゃないよ。この棚に人形を放り込んだ女の事さ」

「あ、もしかして性悪メイド?」

「そう」

「その女が犯人で確定なのか」

「こんな雑な仕事はあの女以外に考えられない。メイドとしても刺客としても雑すぎて呆れる」






「準備はいいですか?」


 アルカードはファウスタに確認をした。


「はい」


 ふかふかのソファに座りファウスタは返事をした。


 ファウスタはエプロンとキャップは新品だが、服は孤児院から着て来た服だ。

 持っている中で一番良い服ではあるが、オクタヴィアの部屋に置かれている綺麗なソファに座るにはふさわしくない服だったので少し申し訳ない気持ちになった。

 しかし座り心地の良いふかふかのソファの魅力に囚われてしまい、ファウスタは遠慮を忘れて背もたれに深く身を沈めた。


(なんて素敵なソファなのかしら)


「では皆様にお目覚めいただきましょう」


 アルカードが目配せすると、ルパートが頷いた。

 ソファでぐったりして眠っているマークウッド辺境伯たちの周囲を覆っていたごく薄い霧のような青いエーテルが消えた。


 そしてアルカードは眠っているマークウッド辺境伯に気付け薬を嗅がせた。


「……おや? 私は一体……」

「お目覚めですか、閣下」


 マークウッド辺境伯が目覚めると、アルカードは気付け薬をミラーカに渡した。

 ミラーカはその気付け薬でヴァネッサとオクタヴィアを順番に目覚めさせる。


「人形部屋で気を失われたのです」


 アルカードがマークウッド辺境伯に説明する。


「そうだ……あれは何だったのだ?! 飛び出してきたあれは……人形が飛び出したように見えたが……まさかっ!」

「はい。人形が飛び出してまいりました」


(ありのまま説明するのね)


 人形が暴れた事を正直に言うのか、それとも誤魔化すのか、ファウスタは気になっていた。


 ファウスタなら誤魔化してしまうだろう。

 孤児院でティムが視えたときに、虫が居たと嘘を吐いたように。

 何故なら正直に言えば言うほど、視えていない人たちには嘘つきと言われてしまうからだ。


「皆、大丈夫かね? 怪我はないかね?」


 マークウッド辺境伯は周囲を見回して家族や使用人たちの安否を気遣った。


「ファウスタも大事は無いかね?」

「はい。大丈夫です」


 マークウッド辺境伯は、うんうんと頷くとアルカードを振り向いた。


「それで、あの人形はどうなったのだ」


 マークウッド辺境伯はアルカードの言葉を全く疑わず、人形の行方を尋ねた。

 ファウスタはそのやり取りをみて、何かすっと胸がすく思いを感じた。


「捕らえております」

「すぐに持って来てくれたまえ」

「なりません」

「何故かね?」


 マークウッド辺境伯は叱られた子供のような顔でアルカードに尋ねた。


「危険な物だからです。安全の確認が取れるまではお持ちできません」

「そうよ、お父様、あれは危険よ」


 眠りから覚め、意識を取り戻したオクタヴィアが言った。


「あれは悪魔よ。いくらお父様のご趣味でも、あれに触れては駄目」

「悪魔かどうかは調べてみなければ解らないのだよ」

「おっしゃる通り、あれは調査の必要があります」


 マークウッド辺境伯の言葉にアルカードはひとまず同意してみせた。


「これから専門の業者に依頼してあの人形を調査させます。然る後に、安全が確認されましたら閣下のお手元にお持ちいたします」

「な、何だとっ?!」


 マークウッド辺境伯はかっと目を見開き、声を上げた。


「専門の業者だと?! 一体何の専門なのだ?! 悪魔の専門かね?!」


 興奮気味にまくしたてはじめたマークウッド辺境伯にアルカードは淡々と答えた。


「呪物や魔道具などいわくつきの品の鑑定を行う業者でございます」

「そんな素敵な業者がいるのかね!」

「はい。古物商ですが魔術や心霊現象に明るい者でいわくつきの品の調査に長けた者です。呪物の処分などの実績もございます」

「ぜひお会いしたい」


 アルカードの説明にマークウッド辺境伯は、つい先ほどまでぐったり眠っていたとは思えないほど生き生きとした表情で目を輝かせた。

 一方でヴァネッサとオクタヴィアは顔を曇らせた。


「鑑定料は如何ほどかしら?」


 ヴァネッサが警戒するような厳しい表情でアルカードに質問した。


「いわくつきの物品の場合、相談料が二ドログ、詳細の鑑定は十ドログですので合計十二ドログとなります」

「まあ!」

「十二ドログだと!」

「嘘でしょう?!」


 貴族にとっては驚愕の安値に、ヴァネッサほどの金銭感覚を持たないマークウッド辺境伯やオクタヴィアも驚きの声を上げた。


「呪いや悪霊の障りがある品の処分を望む場合は別料金となり、そちらは五十ドログ前後で引き取っているようです」

「呪われた品をたった五十ドログで引き取るのかね?!」

「はい。処分まで望む場合、相談、鑑定、処分の合計金額となりますので六十二ドログとなります」


 アルカードがマークウッド辺境伯にそう説明するのを聞いて、ヴァネッサは「六十二ドログくらいなら」と小さく呟き、表情をゆるませた。


「桁が二桁ほど間違っていないかね」


 マークウッド辺境伯は驚愕の表情のまま、バネのような髭をびよんと撫でながらアルカードに問いかけた。


「庶民を対象に商売をしている古物商ですので、呪物の鑑定や処分も庶民が支払える金額に設定しているようです」

「なんと高潔な……まるで聖人ではないか……」


 マークウッド辺境伯は非常に感じ入ったようで声を震わせた。


「ぜひとも投資したい」

「株式会社ではございませぬゆえ投資はできませぬ。個人の請負業者です」


(六十二ドログ!)


 ファウスタもその値段に別の意味で驚愕し、打ちのめされた。


 ファウスタの下手絵をマークウッド辺境伯は一枚百ドログで買い取る約束をしてくれた。

 その一方であのおぞましい悪魔人形の調査や処分を六十二ドログで請け負う者がいる。


 ファウスタは自分が悪徳業者か詐欺師であるかのような後ろめたい気分に襲われた。


(やっぱり二百ドログは貰いすぎなのだわ)


「あの、すみません、閣下」

「何かねファウスタ」

「私、絵のお代は……いただけません!」


 内心に荒れ狂う物欲を制圧し、ファウスタは声を絞り出した。


 孤児院でファウスタたちは何かにつけてヤルダバウト教の教えを聞いたり、聖典の音読をしたりしていたので、ヤルダバウト教に影響を受けていた。

 嘘つきは大罪であるとか、地獄に落とされるとか聞いて育ったのだ。


 ジゼルやピコは嘘も方便だとか処世術だとか言っていたが、ファウスタは幽霊が視えるのに見えていないような嘘をついている事にすら少しの罪悪感がある。

 そして価値のない下手絵を高額で売るのは、もはや方便でも処世術でもない、本物の悪い詐欺師だと思った。


 日頃から嘘を吐いていて、さらに本物の詐欺師になってしまったら、大勢の天使たちが武器を手に手にファウスタを糾弾しに来るのではないか。

 そして嘘つきで詐欺師のファウスタを狩り出して地獄へ連れて行くのだ。

 そんな漠然とした恐怖に襲われてファウスタは怖くなっていた。


「その業者が安すぎるんだから、あなたは気にしなくていいのよ」


 オクタヴィアは察したようにファウスタに言った。


「あなたにはお金は必要でしょう?」

「うむ。オクタヴィアの言う通りなのだよ」


 マークウッド辺境伯は額に手を当てて考え込むように目を伏せ、まるで哲学するように言った。


「呪いの品の処理を霊能者に依頼するなら一千ドログは用意せねばならん。相談と鑑定だけで百ドログくらい当たり前なのだよ。六十二ドログが安すぎるのだ」


 マークウッド辺境伯の霊能関係の値段説明にヴァネッサは眉を歪め、オクタヴィアは呆れ顔でソファに体を沈めた。


「ファウスタ、報酬の二百ドログは受け取りなさい」


 ヴァネッサは努めて笑顔を作り直しファウスタに言った。


「あなたは着の身着の儘でこの屋敷に来たのでしょう。持ち物が殆ど無いとマクレイ夫人から聞いているわ。これから日用品を買い揃えるにもお金は何かと必要よ」


 ヴァネッサの言葉でファウスタが孤児院出身だということを思い出したのか、マークウッド辺境伯とオクタヴィアはひどく同情的な目をファウスタに向けた。


「ヴァネッサ、すぐにファウスタに必要な品を揃えてやってくれたまえ」

「ええ、もちろんよ。でも入用なものは後からも色々と出て来るものよ。メイドたちは細々したものはみんな自分で買い揃えているの。ファウスタもちょっとした買い物くらいは出来るように、少しはお金を持っていたほうが良いわ」


 ファウスタは生きるためにお金は欲しかった。

 しかし自分の下手絵に二百ドログの価値があるとは思えなかった。

 地獄が怖いので悪い詐欺師にはなりたくないのだ。


「奥様、私は自分の仕事が二百ドログに見合うとは思えないのです」

「あら、見合ってるわよ」


 オクタヴィアが笑顔で言った。


「ファウスタ、お父様はね、蠟燭の炎が風で揺れるだけの降霊会にいつも百ドログくらい支払って参加してるの。あなたの霊視で起こった霊現象を考えたら二百ドログじゃ安いくらいよ」

「降霊会は蝋燭の炎が揺れるだけではない。ちゃんと霊が来ているのだよ」


 オクタヴィアにささやかに抗議するようにマークウッド辺境伯は言った。

 そのやり取りをちらりと見やり、ヴァネッサはファウスタに念を押した。


「いいわね、ファウスタ。二百ドログは受け取りなさい」

「……はい、奥様」


 ファウスタは辞退の理由がそれ以上思い浮かばず、押し切られる形で了承した。

 罪悪感に心が重くなった。


「確かにファウスタの仕事には二百ドログの、いやそれ以上の価値があるのだよ。これほどのものとはね。さすが守護霊様にご推薦されるだけの事はある。類稀な才能と言えよう。全く素晴らしい霊視だったのだよ」

「私も驚いたわ。ファウスタは本物よ」

「うむ。シャールラータン先生であれば霊視に五百ドログは必要なのだよ。もちろん絵など描いてはくれないのだよ」


 マークウッド辺境伯はそう言ってから、はっと気付いた顔をした。


「そうだ! シャールラータン先生をお呼びしなければ!」

「リンデン、私は反対です」

「お父様、やめて」


 ヴァネッサとオクタヴィアはほぼ同時にマークウッド辺境伯の言葉に反対した。


「いや、この件は、最強の霊能者であり悪魔祓いの第一人者であるシャールラータン先生にお願いせねばならんのだ。ただの聖職者では無理なのだよ」

「お父様、悪魔はもう捕まえたでしょう。良心的な業者の方に鑑定していただけるんだから霊能者は必要ないわ」


 オクタヴィアの反論に、マークウッド辺境伯は深刻な顔をした。


「悪魔は業者の聖人様におまかせする。だが問題は幽霊の方なのだよ」


 マークウッド辺境伯は重々しい声で語った。


「魔法が使える幽霊など、凶悪なレイスしかいないのだよ」

「レイス?」


 意味が解らないという顔で問い返したオクタヴィアに、マークウッド辺境伯は説明した。


「レイスというのは魔術師の幽霊だ。出会ったら命は無いと言われている。魔術を使うとても強力な悪霊なのだ。そんな幽霊に対抗できる者は世界で数人もおらぬ。この件はイングリス王国最強の霊能者シャールラータン先生にお願いするしかないのだよ」


(出会ったら命がない……?)


 ファウスタは二百ドログの罪悪感に囚われながらも、盛大に首を傾げた。


「すみません、閣下」

「おお、なんだね、ファウスタ」

「レイスに出会ったら命がないとおっしゃいましたが、私は昨日から何度もその幽霊に出会っています。ですが全然平気で、まだ生きています。幽霊は今もこの部屋に居ますが皆さんもご無事です。本当にレイスという幽霊なのでしょうか」

「そうよ、ファウスタの言う通りよ」


 オクタヴィアはファウスタの言葉に追随した。


「出会ったのにみんな生きてるじゃない。レイスっていうのとは違うんじゃないかしら。それに幽霊は悪魔と戦ってたんだから味方かもしれないわ」

「むう……」


 マークウッド辺境伯は腕組みをして考え込んだ。


「たしかに幽霊と悪魔は魔法戦争をしていたのだよ。悪魔の敵なら我々の味方である可能性もあるというのか……。しかし魔法を使う幽霊はレイスしかいないではないか……」

「恐れ入りますが、閣下」


 考え込んでいるマークウッド辺境伯にアルカードが進言した。


「過去の記録だけが全てではありますまい。仮にレイスであったとしても、今までに記録されていなかった新しい事例ではないでしょうか」

「君はこれが新しい事例だと考えているのかね?」

「はい。幽霊といえど元は人間でございましょう。人間の性格が千差万別であるならば幽霊もまた千差万別の性格があるのではないでしょうか。魔術師にも善人と悪人がおります。レイスにも善人と悪人がいる可能性は高いかと。レイスに出会った者は極少数であるためサンプルも極僅かしかありません。数件の僅かな事例だけでは、レイスという幽霊族の全てが人類の前に明らかになっているとは言えますまい。人間とて、二、三人の性格のみをサンプルにそれが人類全体の性格であると言い切ってしまうのは暴論と言えます。それはレイスとて同じではないでしょうか」

「な、なるほど!」


 マークウッド辺境伯の深刻な顔は、春の日差しを浴びた雪のように溶けた。


「確かに幽霊は元は人間だ。善人のレイスが居ないとも限らぬ。これは前代未聞の新しい事例やもしれぬ」


 心霊研究の輝かしい未来を垣間見ているのか、マークウッド辺境伯はほどんど独り言のように呟いた。


「そうだ。過去の記録が全てではない。レイスの、いや、霊の研究はまだまだ発展途上にある。科学と同じく日進月歩だ。新しい事例、新しい発見があっても不思議ではないのだよ」


 マークウッド辺境伯はおもむろに顔を上げ、かっと目を見開いた。


「私は歴史的瞬間に立ち会っているのかもしれぬ」


 そんなマークウッド辺境伯を、ヴァネッサとオクタヴィアは呆れ顔で見ていた。

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