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お化け屋敷のファウスタ  作者: 柚屋志宇
第3章 心霊探偵

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217話 メヌエット

 ――ポロロ、ポロロ、ポロロ……。


 音楽室にはオクタヴィアの弾くピアノの音が響いていた。


 うっとりと聴き入っていたファウスタは、その演奏が終わると熱い尊敬の眼差しをオクタヴィアに向けて拍手をした。

 今日何度目かの拍手である。


「お嬢様は凄いです!」

「このくらい、別に凄くないわよ」


 満更でもない顔でオクタヴィアは堂々とファウスタの賛辞を受けた。


「これは簡単な練習曲(エチュード)よ。誰でも弾ける」

「本当にきれいな小川のような曲です!」


 ファウスタは楽譜に書かれている『清い流れ』という曲の題名が読めたので、演奏を聴いている最中ファウスタの脳裏には絵本で見た森の小川の光景が浮かんでいた。


「こんなに美しい曲を弾けるなんて……凄いです!」


 ファウスタは今日、初めてピアノの演奏を聴いて一瞬で魅了された。


 それはオクタヴィアのつたない演奏であったが、今までピアノを知らなかったファウスタにとっては神の国の美であった。


 そしてファウスタはオクタヴィアの午後のピアノのレッスンを見学した。

 そこでピアノ教師のラローチャ先生の演奏を聴かせて貰い、きらきら輝くような音の洪水に更なる大衝撃を受けた。


 ラローチャ先生の演奏はまるで神の奇跡だった。


 ラローチャ先生の指が鍵盤の上を目にも止まらぬ早さで動く様子を見て、ファウスタは魔力(エーテル)を疑ったが、ピアノの演奏家であれば皆が出来ることなのだという。


 すっかりピアノに心を奪われているファウスタの反応に気を良くしたオクタヴィアは、レッスンの後も音楽室で色々な曲をファウスタのために弾いてくれた。


「もう弾ける曲は全部弾いてしまったわ。練習以外には弾いていなかったから、あまり曲を知らないのよ。ラローチャ先生に私が弾けそうな曲の楽譜をお願いしたから、来週になればまた違う曲を聴かせてあげられるわよ」


 オクタヴィアはそう言い、一瞬考えるような顔をすると、何か思いついたように少し悪戯っぽい微笑みを浮かべた。


「ねえ、ファウスタも弾いてみる?」

「わ、私が! ピアノを!」


 ファウスタは今日一日の音楽体験でピアノへの憧れが頂点に達しており、ピアノに触ってみたい願望はあった。

 オクタヴィアやラローチャ先生のように、自分もピアノが弾けたらどんなに素敵だろうと思った。

 だが憧れが強いだけにピアノが神々しく思えて、何もできない自分がピアノに触るなど、何か大それた禁忌である気がしてしまうのだ。


「最初は右手だけ。私の真似をしてみて」


 オクタヴィアに促され、ファウスタは心中に葛藤を抱えながらもおずおずとピアノの椅子に座った。


「この音を親指で押さえて」


 オクタヴィアに言われた通り、ファウスタは指示された鍵盤を親指で押した。


 ――ポーン……。


(な、鳴った……!)


 控えめな音ではあったが、自分の鳴らしたピアノの音が音楽室に響き、ファウスタは感動に満たされた。


「親指はそこに置いたままで、手を広げて、次は小指でこの音を押さえて」


 オクタヴィアに教えられた通りにファウスタは次の鍵盤を押さえた。

 指示された鍵盤を押すと、先程オクタヴィアが弾いていた曲と同じ音が鳴る。

 もちろん同じ演奏ではないが、それでも同じ音が鳴るのだ。


 ――ポ、ロ、ロ……ポ、ロ、ロ……。


(同じ音なのだわ……。私にも弾けるのだわ……!)


 それは一般的には弾けていると言えるか微妙な状態ではあるが、オクタヴィアが弾いた曲と同じ音が鳴ったことでファウスタの心は舞い上がった。


(私にも出来たのだわ!)


「もう一度最初から弾いてみて。左手は私が弾いてあげる」


 最初の数小節ほどではあったが、ファウスタが右手で奏でるメロディーに、オクタヴィアが左手の伴奏を付けてくれた。


(私にも音楽が出来た!)


 先程聴いた曲の冒頭部分が再現されたことにファウスタは大いに高揚した。

 オクタヴィアの助けが大きいが、少し触っただけで曲になったことで、自信のようなものが湧き上がって来て夢が膨らんだ。


(私もたくさん練習すれば、お嬢様やラローチャ先生のようにピアノを弾けるようになるのかしら……?!)


 ファウスタが自由自在にピアノを弾く自分を想像したとき、音楽室のドアを誰かがノックした。


「どうぞ」


 オクタヴィアが返事をすると、開いたドアの向こうにいたのは灰金髪の小姓ユースティスだった。


「あら、ユースティス、帰って来たのね。裁判はどうだったのかしら?」


 ユースティスが裁判の傍聴へ行ったことを知っているオクタヴィアが質問した。


「ジュード・カニング氏の刑罰は懲役七年に決まりました」


(院長先生が、ちょうえき……)


 ピアノで夢見心地だったファウスタは、一気に現実に引き戻された。


 ファウスタは懲役という単語を知らなかったので、地下牢のような暗い場所で覆面をした看守に院長が鞭打たれている恐ろしい場面を想像してしまった。


「すみません、ちょうえきとは、どんな刑罰でしょうか」


 恐る恐るファウスタが尋ねると、ユースティスはにっこり笑った。


「七年間、刑務所に入れるってことだよ」

「刑務所で……鞭打ちとかあるのでしょうか……」

「鞭打ちは無いよ。刑務所の決まりを守って真面目に過ごしている限り、そういう暴力を受ける事はない」


(大丈夫かしら……)


 ファウスタは賢い院長を尊敬していたが、院長の素行については手放しで褒めることができなかったため不安に顔を曇らせた。


 院長は怒りん坊ですぐに声を荒らげる人だ。

 ヤルダバウト教は『憤怒』を七つの大罪の一つとしているので、院長の日頃の行いは不徳と言える。


(院長先生、刑務所で叱られないといいけれど……)


「そのことについてファウスタに話があるのですが……」


 ユースティスはオクタヴィアに許可を求めた。


「少しお時間をいただいてもよろしいでしょうか」

「いいわよ。その話、私も聞くわ。どんな話なのかしら?」

「ジュード・カニング氏が刑務所に出立する日、見習いのピコとジゼルは見送りに行くそうです」


(ピコとジゼルが?! 院長先生のお見送りを?!)


 親友たちが院長を見送りに行くと聞いてファウスタの心は跳ねた。


「ファウスタも同じラシニア孤児院出身です。もしファウスタが希望するのであれば、ピコとジゼルと共にカニング氏の見送りに行けるよう予定を調整いたしますが、如何いたしましょう」


 ユースティスはオクタヴィアにそう言うと、伺うようにファウスタを見た。

 オクタヴィアもファウスタを振り向いた。


「ファウスタ、どうする?」

「私もお見送りに行きたいです!」


 オクタヴィアの問いかけにファウスタは即答した。


「院長先生にもう一度お会いしたいです!」


 ファウスタの言葉にオクタヴィアは頷くと、ユースティスに指示した。


「そういう事だから、ファウスタの予定を調整してちょうだい」

「かしこまりました」


 ユースティスは恭しく礼をして下がろうとしたが、オクタヴィアはそれを呼び止めた。


「ちょっと待ちなさいよ。貴方も一曲弾いて行きなさい。私はもう弾ける曲は全部弾いてしまって持ち札がつきてしまったの」

「ピアノですか?」

「そうよ。ファウスタはピアノが好きなの。何か聴かせてあげて」

「教養程度には習いましたが……。お聞かせできるようなものではありません」

「練習曲でいいのよ」

「ピアノ演奏でしたらアルカード氏にお願いしたほうがよろしいかと」

「そうね。そう言えば今年はまだアルカード氏のピアノを聴いていないわね」


(アルカードさんもピアノが弾けるの?! みんな弾けるの?!)


 皆が当然のようにピアノを弾けるらしい状況を聞き、ファウスタは内心でひっくり返っていた。


「じゃあアルカード氏を呼んでちょうだい」

「申し訳ございません。アルカード氏はただいま外出中です」

「それならやっぱり貴方が弾いて行きなさいよ。ボイエルでもベルグミラーでもいいから何か弾いて。一曲でいいわ」


 オクタヴィアに命じられ、ユースティスは苦笑するとピアノの椅子に座った。


 ――ポロン、ポロン、ポロン……。


 ユースティスの指が、ゆったりとした、どこか寂しい旋律を奏でた。


 夕暮れ時の斜めの陽射しが差し込む音楽室に、少し怪しく、物悲しいピアノの音色が染みるように響く。


「それって古典よね」


 ユースティスが弾き終わると、オクタヴィアが吟味するような顔で言った。


「ヴァッフォの宮廷舞曲(メヌエット)に似てるけど、ちょっと違うわね」

「ヴァッフォのメヌエットですよ」

「私が知ってるメヌエットはもっと明るい曲よ」

「多分それは長調のメヌエットで、これは短調のメヌエットなんです。ヴァッフォのメヌエットは長調と短調の二種類があるんです」

「教養程度だなんて大嘘ね。随分と詳しいじゃない」


 オクタヴィアが疑惑の半目を向けると、ユースティスは少し困ったように微笑んだ。


「家族が古典を好きだったので、たまたま知っていたんです」

「ふうん……」


 オクタヴィアは訝しむように唸ったが、ファウスタに視線を移した。


「ファウスタ、ユースティスの演奏はどうだったかしら?」

「とても美しい曲で素敵でした。でもなんだか悲しい曲で……悲しくなりました」


 ファウスタがしんみりとした表情でそう言うと、ユースティスは少し面白そうに笑った。


「悲しい曲じゃないと思うよ。だって大勢が楽しくダンスする曲だもの」

「え?! ダンスの曲なのですか?!」

「そうだよ。舞踏会で演奏される曲だからね」


 ユースティスが弾いた物悲しい調べのピアノ曲で、大勢がダンスする様子が全く想像できず、ファウスタは混乱した。


「いつの時代の話よ」


 オクタヴィアがぴくりと眉を上げ、ユースティスの言葉に異を唱えた。


「舞踏会でメヌエットは演奏されないわ。舞踏会といえば円舞曲(ワルツ)よ。ファウスタは素直でその手の冗談は通じないんだから。ファウスタの前であまり適当な事を言わないでくれる?」


 オクタヴィアはユースティスに軽く憤慨してみせると、ファウスタに言い聞かせた。


「ユースティスはよく冗談を言うから、鵜呑みにしちゃ駄目よ。舞踏会でみんながメヌエットを踊っていたのは百年か二百年くらい昔の話。今はみんなワルツを躍っているの」



ベルグミラーの『清い流れ』きっとブルグミュラーの『清い流れ』のような曲で、ヴァッフォの短調のメヌエットはバッハの『メヌエット ト短調』みたいな曲だと思います。

ボイエルはきっとバイエルみたいな作曲家。

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― 新着の感想 ―
[良い点] なるほど、ベルグミラーやボイエルがエチュードの定番として定着してると言うことは、そろそろロマン派後期ですね きっと大陸じゃワルキューレ部隊のテーマ曲で有名な歌劇が書かれてたり、ロンセル首都…
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