215話 白昼のランタン男
凶弾と鬼火により、王立裁判所の周辺は大混乱の最中にあった。
「あそこに暗殺者がいたんだ!」
幾人かの紳士は通りの向かい側の建物の最上階の窓を指差し、手近な場所にいる警官に暗殺者の存在を知らせた。
すでに窓の人影は消えていたが、射撃の瞬間を目撃した人々は警官に訴えた。
「あの建物の中にまだいるはずだ!」
暗殺者の脅威を叫ぶ人々の頭上を、羽虫の群れのように鬼火が飛び交っている。
「亡霊の呪いだ!」
「神よ、お救いください!」
鬼火に怯えた人々は聖句を唱えた。
皆が皆、異常事態に血相を変えていた。
(これは本当に現実なのか……?!)
霊能クラブの会員であるロット卿は、あまりの急展開に呆然としていた。
「ロットの旦那! 鬼火がおかしいでやんす!」
鬼火にはすでに慣れているダフが空を見上げながらそう言った。
「こ、この動きは……!」
飛び交っていた陽炎のような鬼火たちが、強力な風に流されるかのように、あるいは渡り鳥のように、群れを成して一つの方向に動き始めている。
既視感のある鬼火の動きにロット卿は目を見張った。
「炎の文字が出た時に似ている! あのときも、まず鬼火が集まったのだ!」
ロット卿とダフは鬼火の動きを注視した。
他の人々も異変に気付いたようで声を上げ始める。
「なんだあの現象は!」
「鬼火が集まっている!」
「陽炎……。いやしかし……」
迷信深い者も、そうでない者も、目の前の異様な光景を凝視した。
瞬く間に鬼火が集まり、一つの青白い巨大な陽炎となって質量を増していく。
さながら羽虫が炎に飛び込むように、集合して巨大な陽炎となったそれに、鬼火は次々と吸い込まれ行った。
みるみる青白い炎が濃くなる。
――ぐおおぉぉ……。
その炎の塊は、まるで地の底から響いて来るような恐ろしい声を発した。
「ば、化け物!!」
誰かの絶叫が響いた。
「……何なのだ、あれは……!」
論理的に思考する者も、科学的説明が難しい状況に唸った。
集合した鬼火は人の形をとった。
人間の二倍はあろうかという炎の巨人が、王立裁判所の門前に浮遊していた。
「ランタン男!!」
幾人かが伝説の炎の魔物の名前を叫ぶ。
その叫びに答えるかのように、青白い炎の巨人、ランタン男は人間のように手足を動かし、人々の頭上を疾走しはじめた。
「ひゃあ!」
「た、助けてくれー!」
頭上を走り抜けるランタン男に、人々は悲鳴を上げ、腰を抜かした。
ランタン男は群衆の頭上を一周すると、そのまま通りを渡り、向かい側の建物の壁を一気に駆け上がった。
その建物は、つい先刻、小銃を構えた射手がいた建物である。
「お、おい、あそこは!」
ランタン男はあっという間に建物の最上階まで駆けのぼり、小銃を構えた射手がいた窓に飛び込んだ。
「あれは暗殺者がいた窓だ……!」
ランタン男はメラメラ燃えながら窓の中へと消えた。
しばしの沈黙の後、ランタン男は何かを抱えて再び窓辺に姿を現した。
ランタン男が抱えているそれは、人間で小銃を持っていた。
その人間は恐怖に顔を歪め、何かを必死に叫びながら足をばたつかせている。
「あれは先刻の暗殺者では?!」
「ランタン男が暗殺者を捕まえた!」
「これは幻覚だ……。伝説の魔物が暗殺者を捕まえるなど……」
――びゅうっと風が吹いた。
(この風……!)
暗殺者を抱えるランタン男に目を奪われながら、ロット卿は吹きすぎた風の感触にはっとした。
次の瞬間、ロット卿は浮遊感に包まれる。
「ああっ!」
波間に漂うように、ロット卿は浮遊していた。
ダフも、周辺の紳士たちも、波間に漂う水鳥のように浮いていた。
「うひゃあああ! お助けええー!」
空中浮遊は初体験のダフが動転して叫んだ。
「う、う、浮いてる!」
「なんだこれは!」
ロット卿たち浮き上がった者たちは、目を丸くして異変を叫んだ。
そして浮き上がった人々は波にさらわれるように、空中をすうっと移動した。
人々が移動したことで、王立裁判所の門前にぽっかりと空間が出来る。
「あっ! 飛び降りた!」
誰かのその声に、浮遊状態のロット卿は再びランタン男を見ようと顔を上げた。
だが顔を上げたロット卿の目の前に、青白く燃え盛るランタン男が居た。
「わあっ!」
「ぎゃああー!」
突然、間近に、見上げるような炎の巨人ランタン男がいたのだ。
ロット卿たちは思わず悲鳴を上げた。
ランタン男は暗殺者を抱えたまま、最上階の窓を蹴って飛び降り、浮遊した人々が移動した後の門前の空間に着地したのだった。
「み、見ろ! 溶けて行くぞ!」
着地したランタン男はぐにゃりと溶け始めた。
人の形の炎が、ただの炎となって崩れ落ちて行く。
ランタン男に抱えられている男は、小銃を抱えているが白昼夢でも見ているかのように目を開けたままぐったりとしており、溶け崩れるランタン男とともにゆっくりと石畳に降下した。
「……だ、誰か……!」
思考が追い付かない頭で、ロット卿は声を絞り出した。
「誰か! 警官を呼んでくれ! こいつは暗殺者だ!」
青白い炎が全て溶け崩れて消えた後に、ぐったりとした暗殺者が小銃とともに、石畳の上に投げ出されていた。
「カニング氏! ご無事でしたか!」
外での暗殺騒ぎに、王立裁判所の中も騒然としていた。
暗殺者の凶弾を免れたラシニア孤児院元院長ジュード・カニングが、護衛に守られながら裁判所の玄関から中へと入ると、弁護士セドリック・カートライトが駆け寄って来た。
カートライトは古めかしい髪型の白髪の巻き毛の鬘をかぶり、ひらひらのタイを結び、法廷用の黒い長衣を纏っている。
裁判に挑む弁護士の服装だ。
「何故か、まだ生きているようだ」
何でもないことのようにカニングはそう答えたが、暗殺未遂に動揺しているのか表情はぎこちなかった。
だが運命を受け入れたかのような静かな眼差しだった。
「……裁判まで生きていたのだから、約束を果たさねばな」
そう呟いたカニングたちの脇を、すうっと、灰金髪に黒いマントの少年が通り過ぎて行く。
だがその少年の姿は人間たちの目には見えなかった。




