210話 前奏曲
「今日、ユースティスは裁判の傍聴に行くのよね。ファウスタは一人で心霊探偵のお仕事に行くことになるのかしら?」
ラシニア孤児院元院長ジュード・カニングの裁判が行われる日。
朝食の席で、オクタヴィアはファウスタに質問した。
ファウスタはこんがり焼かれた腸詰肉をナイフとフォークで一口分の大きさに切り分ける作業の手を止め、カトラリーを皿の上に置くと、オクタヴィアに顔を向けた。
「今日は心霊探偵のお仕事はお休みなのです。探偵社の皆さんも今日はご用があるらしくて。お休みの日になったのです」
「まあ! じゃあ今日の午後は久しぶりに二人でのんびり過ごせるのかしら」
ファウスタの答えにオクタヴィアは喜色を浮かべ、給仕をしている家女中のデボラを振り向いた。
「デボラ、午後のピアノのレッスンをお休みしたいの。ラローチャ先生に連絡をお願い」
「申し訳ございません、お嬢様。ピアノのレッスンをお休みになるには、奥様のご許可が必要かと」
少し困ったような笑顔で答えたデボラに、オクタヴィアは不服そうな顔をした。
「もう……。解ったわよ。お母様にお願いしてみるわ」
(お嬢様はピアノが弾けるの?!)
大抵の貴族の子女は教養として幼い頃から楽器を習っており、ピアノは最も人気のある楽器であった。
音感を身に付けるにはピアノが最も適していると言われているため、弦楽器を選択した者もピアノを少し習う。
そのため貴族であれば初級のピアノ曲は誰もが弾けて当たり前であり、ピアノは共通の話題でもあった。
ゆえに上流の仲間入りを目指す裕福な庶民たちも、こぞって子女にはピアノを習わせる。
だが孤児のファウスタにとって、それは遠い世界の話であった。
大抵の貧しい者たちは衣食住を整えるだけで精一杯であったので、高価な楽器やらその演奏やらには縁がない世界で暮らしているのだ。
「お嬢様はピアノを習っていらっしゃったのですか?!」
ファウスタは驚きと尊敬が入り混じった眼差しでオクタヴィアを見た。
「ピアノはもう充分だと思うのだけれど、一応続けているのよ。しばらくお休みしていたから、今は週に二回、先生に来ていただいているの」
(やっぱりお嬢様は凄いのだわ!)
「ファウスタはピアノが好きなの?」
ファウスタが目を輝かせている様子を見て、オクタヴィアは質問した。
「ピアノはまだ見た事も聴いた事もないのです」
「あら? ファウスタはピアノは見た事あると思うわよ。音楽室に置いてあったでしょう」
かつてファウスタはオクタヴィアと共に、幽霊を探して屋敷中を見て回った。
そのときに音楽室も見ており、実はピアノを見ていた。
だがピアノには布が掛けられていたので、ピアノに縁のないファウスタは気付かなかったのだ。
「ピアノがあったのですか?!」
「ええ、そうよ。気付かなかった? じゃあポラック先生がいらっしゃる前に、ピアノを見に行きましょうか」
オクタヴィアは少し得意気に言った。
「何なら音も聴かせてあげるわよ?」
「ユースティス様、暗殺者とおぼしき者を発見いたしました」
――王立裁判所。
その門の内には今日の裁判の傍聴を希望する者たちが列を成し、門の外にも野次馬たちが集っていた。
人々は今日の裁判について議論を交わし合っている。
門の外の人だかりから少し離れた場所で、認識阻害の外套を羽織った少年吸血鬼ユースティスは報告を受けていた。
「やはり狂人が用意されておりました。武器は拳銃です。あちらの物陰に潜んでおります」
報告をしているのは黒づくめの装束に身を包んだ死霊騎士団の一人、キシュであった。
キシュは子供ほどの背丈しかなくユースティスより小柄だが、死霊騎士団の中でもトップクラスの実力者であり『闇討ちのキシュ』の異名を持つ。
死霊騎士団は吸血鬼ギルド長である竜公直属の配下であったが、暗殺が得意なキシュであれば暗殺者からの護衛にも役に立つだろうと、今日は特別に貸し出されていた。
「そして射手もおります。おそらくこちらが本命でしょう。バユヴァール王国で開発されたボルトアクション方式の小銃を持っておりました。あの建物の最上階におります」
キシュは王立裁判所の向かい側の建物の一つを指差した。
「狂人を暴れさせて目を引き、射手に確実に仕留めさせる。ネオレイシアの大統領暗殺事件と同じ手口が使われるかと」
キシュが暗殺が行われる手順を推測して述べると、ユースティスは指針を述べた。
「カニングの護衛は最優先だが、暗殺者たちはできれば人間たちに逮捕させたい」
「では奴らが発砲するまで待ちますか」
「そうだな……。先に操っておいて、狙いを外して発砲させるか」
ユースティスが思案気な表情でそう言うと、キシュは問題点を指摘した。
「人間の開発した銃には魔道具ほどの精度がありません。狙った的を撃ち抜くには熟練の者の腕前と集中力が必要です。催眠術で操られた状態で狙い通りの的に当てるのは非常に困難と言えるでしょう。意図しない方向に銃弾が飛ぶ危険性があります」
キシュの指摘を吟味するかのようにユースティスはしばし沈黙すると、傍らに控える魔道士プロスペローを振り向いた。
「プロスペロー、防護魔法で銃弾を防げるか?」
「もちろんでございます!」
プロスペローは喜びを露わに、意気揚々と進み出た。
「防護魔法は私の得意とするところ。お任せください!」
「防護魔法では銃弾が弾き返されてしまい、跳弾が周囲に被害を及ぼす危険があるのではないでしょうか」
魔道士との戦闘の経験があり、防護魔法についても知識のあるキシュがプロスペローに質問した。
「跳ね返らぬようしっかり止めます。配下の者たちもおりますゆえ防護はお任せください」
プロスペローはファウスタと主従契約を結ぶにあたり、魔道士ギルドの七つ星の地位を剥奪され、一つ星に落とされていた。
だが歴史に名を残した大魔術師プロスペローの威光は何ら変わることなく、多くの弟子たちがプロスペローの配下に留まっていた。
今日はその配下の中でも腕利きの者たちをプロスペローは引き連れて来ている。
「銃弾を全て受け止めてご覧に入れます!」
プロスペローは自信満々に答えたが、ユースティスは考え込むような表情でプロスペローに要望を呈した。
「できればカニングを狙って撃ったという証拠が欲しい。銃弾を止めてしまうと証拠にならない可能性がある。人間に当たらないよう銃弾の軌道を逸らすことは出来ないか?」
ユースティスのその要望にプロスペローは困難を感じたのか、ぐっと言葉をつまらせた。
すると反対側に控えていた男装の魔女タニスが、すかさず元気な声を上げた。
「できまする!」
プロスペローのくやしそうな視線を受け、タニスは勝ち誇るような笑みを浮かべた。
「銃弾の軌道を逸らすことなど造作もないこと。我がワルキューレ隊には風魔法が得意な者がおりまする」
タニスは今日、飛空隊ワルキューレを率いて馳せ参じていた。
「人間ごときが作った銃など玩具のようなもの。銃弾を全て逸らしてご覧に入れましょうぞ」
「……風魔法が得意な者というのはブリギッドさんの事ですか?」
プロスペローは眉を歪めてタニスにじっとりとした視線を投げかけた。
「はい、ブリギッド氏です。ミアとエリンもおります」
「ユースティス様、ブリギッドさんは『暴風』の二つ名を持つ魔女でございます。本人に直接お会いになり安全性を確認したほうがよろしいかと」
プロスペローはユースティスに進言した。
『暴風のブリギッド』の異名とその所業を聞き知っていたユースティスは、プロスペローの言葉に頷いた。
後ろに控えている吸血鬼ヴァーニーも、ブリギッドと聞いて半目になり、プロスペローに同意を示すかのように盛大に頷いて見せた。




