207話 過去の因縁
「ロジャー、会えて嬉しいよ」
「ご無沙汰しております」
高級レストラン『黄金の鹿』の経営者サー・ロジャー・シスレーはアドキンズ子爵と固く握手を交わした。
ロジャーが騎士爵に叙勲されたとき以来の久々の再会であった。
「元気そうでなによりだ」
「おかげさまで無事に過ごしております」
「イングリス料理のおかげだね」
アドキンズ子爵が二人の間で通じる冗談を言うと、ロジャーも笑顔で答えた。
「はい。イングリス料理は魔除けですので」
アドキンズ子爵は眼帯をしており、杖を突いている。
出会った当初は金髪だったアドキンズ子爵の髪は、すっかり白くなっていた。
とはいえロジャーもすでに孫がいる年齢である。
ロスディン城の料理長時代には茶色だった髪にはかなり白い色が混じっていた。
二十年ほど前、アドキンズ子爵は侍従長として、ロジャーと共にロスディン城でエグバート王子に仕えていた。
だがアドキンズ子爵が暴漢に襲われるという事件が起こった。
その事件により重傷を負った彼は侍従長を辞した。
事件後に侍従長の職を辞したアドキンズ子爵は数年の療養生活を送ったが、今は新保守党の議員として活躍している。
暴漢事件により片眼を失明し、足にも障害が残ることとなったが、きりりとした表情は侍従長であった当時のままだ。
「シェリンガム伯爵夫人とも話したのだがね、ロジャーにも一言知らせておいたほうが良いだろうという事になったのだ」
シェリンガム伯爵夫人はかつて侍女長としてロジャーとアドキンズ子爵と共にロスディン城に仕えていた人物だ。
彼女はタレイアン公爵夫人マルシャを虐待したという濡れ衣でゴシップ紙に中傷され、ロスディン城を解雇された。
彼女の夫であるシェリンガム伯爵はアドキンズ子爵と同じ新保守党の議員であるという事もあり、元侍従長と元侍女長の間には交流あるいは情報交換が今でも続いているのだった。
「これから我々はドスト男爵を追い落とす」
「ドストを?!」
アドキンズ子爵の言葉を、ロジャーは驚きをもって受け止めた。
マルシャ妃の実父ドスト男爵は、ロスディン城に仕えていたロジャーたちにとって、主人であったエグバート王子の仇とも言える人物である。
エグバート王子はマルシャ妃との結婚で人が変わり、そしてドスト一家がロスディン城に棲みつくようになって急速に転落していった。
結婚後二年か三年ほどの間に、何度か廃太子論が新聞に掲載されたこともある。
その後は新聞社に圧力をかけたのか廃太子論が紙面に載るようなことはなくなったが、市井には廃太子を望む声が静かに広まっていた。
本来であれば働き盛りの年齢のタレイアン公爵夫妻は、老齢に差し掛かった女王に代わり、外国からの賓客の接待や国内の慰問や臨席など、毎日公務で忙しく過ごすはずである。
だが民間の式典の招待状は第二王子であるパシテア公爵シグルド王子とその妻ラーラ妃に集中しており、タレイアン公爵夫妻のお越しを望む民間団体は皆無と言っても過言ではないだろう。
タレイアン公爵夫妻には新世紀派の息が掛かった団体からの招待が年に数回ある程度だ。
外国からの式典の招待もパシテア公爵夫妻が受ける。
外国王家からの招待があった際、君主が名代を立てるのは普通の対応であり、大抵の場合は若い次代が名代として赴く。
だが議会がタレイアン公爵夫妻を国外に出すことを承認しないため、パシテア公爵夫妻がその役を担っていた。
君主とその直系の王族は議会の承認がなければ国外へ出ることはできない。
もちろん留学や私的な旅行など大抵の場合は認められるが、タレイアン公爵夫妻が外国の式典に出席することだけは議会は承認しなかった。
かつてタレイアン公爵夫妻は、バユヴァール王国の戴冠式に女王名代で出席した際に大恥を晒して来たためだ。
以後、国家に損失をもたらす国辱を防ぐため、タレイアン公爵夫妻が外国の式典に出席する事を議会は断固として承認しなくなった。
新世紀派の息がかかった議員たちがいかにタレイアン公爵夫妻を持ち上げたくとも、バユヴァール王国戴冠式での国辱事件を理由にされては、タレイアン公爵夫妻の擁護は困難であった。
もちろん議員たちは国辱という直接的な言い方はしない。
マルシャ妃のご病気を慮った配慮という方向で反対する。
独身時代には女王の名代を無難に勤めていたエグバート王子は、マルシャ妃という重い足枷を得て、まともに公務を勤めることすら出来なくなっていた。
「ラシニア孤児院の横領事件を知っているかね?」
アドキンズ子爵は目に強い光を宿し、ロジャーに言った。
「はい。新聞で読んだ程度ですが」
「さる人物から密告があったのだ。容疑者のジュード・カニングの後ろにはドスト男爵が居るとね」
「ああ、そういえば……」
ロジャーは遠い記憶の糸を手繰り寄せた。
「マルシャ妃がラシニア孤児院で騒動を起こし、院長が不敬罪の責任を問われて解雇された後、若い男が院長に就任していましたが。あれがドストの子飼いだったという事ですか」
「そのようだ。セドリック・カートライトが詳しく調査してくれた」
「セドリック様が……」
セドリック・カートライトはカートライト侯爵家の三男で、エグバート王子とは親友と言える間柄だった人物だ。
ロジャーは女王の居城であるマーグンキブ宮殿に勤めていた頃、まだ学生だったエグバート王子と連れ立っていたセドリック・カートライトを何回か見かけたことがあった。
エグバート王子はマルシャ妃との結婚後、親友だったセドリック・カートライトを切り捨てたと聞いていた。
実際にロジャーがロスディン城に勤めていた二年間において、セドリック・カートライトがロスディン城を訪ねて来たことは一度もなかった。
セドリックだけではない、高位貴族の子弟から王子の側近として選ばれた学友たちの誰一人としてエグバート王子を訪ねて来ることはなかった。
「ラシニア孤児院事件の容疑者をセドリック・カートライトが弁護する」
「セドリック様は弁護士になられていたのですか」
ロジャーの記憶の中のセドリックはエグバート王子の学生時代のものであるため、セドリックもまた王立ゴドウィン学院の制服を着た学生のままだ。
「そうだ。彼は法学を学び直し、今は弁護士として活躍している」
エグバート王子は大学では文学を専攻したため、学友であったセドリック・カートライトも同じ文学を専攻していた。
王侯貴族にとって文学の大学入学資格は誰でも取得できる最低限の資格であり、大抵の者が文学の学位を持っている。
たが特権階級でも実力のある者は文学以外の学科を専攻した。
セドリック・カートライトは他の学科を受ける学力はあったが、大学でエグバート王子の側近くに使えるために、当時は同じ文学を専攻していたのだろう。
「セドリック様は大変な努力家でいらっしゃるのですね」
卒業後に法学を勉強し直すというセドリックの勤勉さにロジャーは軽く驚いた。
「彼もエグバート王子について思うところが多くあるのだよ。それで弁護士を目指したらしい。弁護士と言う職業は新世紀派に関わることが多いからね」
「まさか……危険なことをなさっておられるのですか……?」
公表されていないが新世紀派が関わる犯罪は多い。
それゆえ被害者の側に立つ弁護士はしばしば不審死を遂げることがあった。
ロジャーは不安の色を浮かべたが、アドキンズ子爵は不敵に微笑んだ。
「セドリックは大貴族の権威と財力と人脈を惜しまずに使い、弁護士として活躍している。彼は自分の立場を良く知り、優位を生かし、庶民にはできない事を率先してやっている。持てる者の義務を存分に果たしているのだ」
「あのセドリック様が……」
ロジャーの記憶の中のセドリックはまだあどけなさを残す学生服姿の少年であったので、彼が頼もしい弁護士として果敢に戦っていると聞き、何とも言えない感慨に胸が満たされた。
「それにしてもマークウッド辺境伯とは不思議な貴族だ」
唐突に、独り言のようにアドキンズ子爵は言った。
「マークウッド辺境伯はいつも王国の危機に必ず彗星のように飛来する」
「辺境芋ですか?」
二百年ほど昔、イングリス王国は酷い冷害に襲われ大飢饉となった。
そのとき彗星のように現れた新しい食材が辺境芋だったという事は、料理や食材に関わる者たちの多くが知るところであった。
マークウッド辺境伯領で栽培されていた外国産の芋で、毒があることから当時は悪魔芋だの貧乏芋だのという蔑称で呼ばれていた。
王侯貴族は元より、庶民ですら悪魔芋を食べるものはおらず、マークウッドの民は変わり者だの悪魔崇拝だのと蔑視されていた。
だが寒冷地で栽培できるその芋が、二百年前の大飢饉に国民を救い、一気に国民食として食卓に躍り出た。
以後、悪魔芋あるいは貧乏芋は、辺境芋と呼ばれるようになり、現在のイングリス王国の食卓に欠かせない国民食となった。
「それ以外にもだよ。マークウッド辺境伯は王朝の交代にも何度か関わっている。今回のラシニア孤児院事件もマークウッド辺境伯からもたらされたものだ」
アドキンズ子爵は瞑想的に呟いた。
「マークウッド辺境伯が動き始めたということは、王朝を揺るがす大きな事件が起るやもしれん」
「それは……廃太子ですか……?」
口にすることが憚られる不吉を、ロジャーはおずおずと口にした。
「解らん」
アドキンズ子爵は言葉を濁したが、しかし強い意志を秘めた眼差しで答えた。
「だが我々はこの機会にドスト男爵を排除するつもりだ。今までどうにも動かせなかったが、ラシニア孤児院の横領事件という確固たる証拠を得たのだ。連中も何か仕掛けて来るかもしれんが……」
アドキンズ子爵は侍従長時代と同じきりりとした顔で宣言した。
「我々は王室の盾として最後まで戦うつもりだ」




