183話 深夜のお茶会
――夜の帳が下りた頃。
霧が流れる中に、瓦斯灯の光が滲んでいた。
曖昧な光に照らされる石畳の道に、影のような黒い馬車が姿を現す。
その馬車は素朴な煉瓦造りの高層屋敷が並ぶ慎ましやかな住宅街で停止した。
馬車から降り立ったのは、夜色の女性用外套を羽織った白金髪に紫の瞳の優雅な女性。
吸血鬼ミラーカである。
隠れ家の一つである屋敷の前に降り立ったミラーカは、玄関へと続く階段を滑るように上った。
それを迎え入れるかのように玄関扉が開いた。
「では、ヴァーニー卿の担当ではないの?」
「そうなの。ジュード・カニングの護衛を言い出したのはダミアンなのよ。だから指揮を執っているのはダミアンで、ヴァーニーの夜警団の仕事とは別なの」
吸血鬼ミラーカは隠れ家で、赤毛の魔女ヘカテの訪問を受けていた。
女主人の館らしい繊細な意匠の家具が並ぶ居間で、テーブルの上にはロゼリア茶が香気を漂わせている。
「ダミアンって、宵闇時間の編集長ダミアン・エルムズの事よね?」
魔女ヘカテの問いに、ミラーカは艶然と微笑んだ。
「そうよ。もう編集長ではないけれどね」
トワイライト・タイムスは魔物社会では有名な新聞である。
魔物により作られている唯一の新聞だ。
生前に新聞記者であった吸血鬼ダミアン・エルムズが作った手書きの壁新聞がその原型だ。
壁新聞だった初期には、それは吸血鬼ギルド王都支部の一階にある仕事紹介所の壁に貼られていた。
その壁新聞が評判になり、要望が集まったため、やがて活版印刷を使って発行するようになった。
そして人間社会の時事問題に関心を持つ魔物がダミアンの周囲に集まり、トワイライト・タイムスに寄稿する者が増え、今では新聞社のような様相になっている。
マークウッドの森のドワーフ族の協力の元、最新型の輪転印刷機を備えた印刷所も作られた。
魔道士ギルドも情報収集のためにトワイライト・タイムスの定期購読を申し込んでおり、最新号がギルド長室に届けられた後、過去号は談話室に置かれている。
「ダミアンは大分前に編集長を辞めたの。仕事が手広くなりすぎて、自分が取材に行く時間が取れなくなってしまったからって。それで運営や編集は他の者に任せて、自分はただの記者になったのよ」
「そうだったのね。トワイライト・タイムスは目を通しているけれど、編集長の名前までは見ていなかったわ。変わっていたのね」
「今はマーキスが編集長よ」
「じゃあ今回のラシニア孤児院事件は、ダミアン・エルムズの興味を引く事件だったという事かしら」
「そうみたい。ラシニア孤児院の元院長ジュード・カニングは証人としての価値があると言っていたわ」
そう言うとミラーカは、つかみどころのない笑顔をヘカテに向けた。
「ヘカテも、ラシニア孤児院事件に興味があるのかしら?」
「ええ、とても興味があるの」
「ジュード・カニングの護衛の話はどこから仕入れたの?」
「タニスからよ。タニスはプロスペローから聞いて、プロスペローは血の議会から聞いたらしいわ」
「あらあら」
ミラーカは面白そうに口元を綻ばせた。
「まるで伝書ごっこね」
「タニスとプロスペローは、主人である魔眼の子を気にしているのよ。魔眼の子がジュード・カニングが逮捕されたことで心を痛めている事を、それとなく感じ取っているみたい」
「魔術契約の精神への影響があったの?」
「一応あれでも主人の意向を漠然と受け取っているらしいわ」
「二人とも、そんなふうに見えないのに」
ミラーカは苦笑すると、ゆったりとした動作でお茶を口にした。
「それで、ミラーカ、お願いがあるのよ」
「まあ。今度は何かしら」
「タニスがジュード・カニングの護衛に参加したがっているの。魔眼の子の役に立ちたいらしいわ。ダミアン・エルムズに許可を貰えないかしら」
「ええ、いいわよ」
ミラーカがあまりにもあっさりと了承したので、ヘカテは面食らったように真顔になり、訝し気に問い返した。
「そんなに簡単に了解していいの? この間もお願いしたばかりで、私は貴女に借りがあるのよ?」
「タニスと一緒に七つ星のプロスペローまでこちらに寄こしてくれたんですもの。こちらにとっては収穫だったわ」
「あれは血の議会の力だと思うけれど」
「奴隷契約の提案がなかったら実現しなかった事ですもの。貴女のおかげよ」
「そちらにも利益があったなら良かったわ。プロスペローなんかで喜んでもらえるとは心外だけれど」
ヘカテは微妙な表情をしたが、ミラーカは優雅に微笑んだ。
「貴女たちにとっては不用なものかもしれないけれど、こちらにとっては珍しい戦力よ。こちらには魔術の専門家は少ないんですもの」
「……喜んでもらえたなら、良かったわ」
「ええ、嬉しい贈り物だったわ。感謝していてよ」
穏やかな微笑みを浮かべ続けているミラーカに、ヘカテはもう一度念を押した。
「じゃあジュード・カニングの護衛の件、お願いして大丈夫かしら?」
「ええ、大丈夫よ。警視庁は吸血鬼ギルドの持ち物ではないもの。人間に危害を加えることさえしなければ、タニスが警視庁へ行くのは自由よ。タニスをこちらが排除する理由も無いわ」
「それでダミアン・エルムズは承知するかしら?」
「ダミアンには私から伝えておくわ。ダミアンは多分喜ぶわよ」
あまりにも意外性のある言葉がミラーカの口から出たので、ヘカテはしばし何を言われたか意味が解らずに固まった。
「……ダミアン・エルムズが、どうして喜ぶの?」
眉根を寄せてそう問いかけたヘカテの問いに、ミラーカは少し楽しそうに答えた。
「ダミアンはティナス社をとても評価しているの。ティナス社がタニスの会社だったと知って、一度会って話がしてみたいって言っていたのよ。だからタニスに会えたらきっと喜ぶと思うの」
「……会って、失望しないといいけれど」
ヘカテは微妙に引きつったぎこちない笑顔を浮かべた。




