145話 プロスペロー
(ここにも幽霊がいる)
ファウスタたちはスクラブ男爵と執事の後に付いて、玄関ホールを抜けて廊下を歩いた。
廊下にも幽霊がいた。
苦悶の顔で立ち尽くしている家令か執事のような黒服の男性の幽霊だった。
(この家の本物の執事だったのかしら)
「プロスペロー様、お待たせして申し訳ありません」
スクラブ男爵の不愉快そうな顔は、応接室の扉を開けた途端に柔和な笑顔に変貌した。
応接室に居たのは、男爵夫人らしいツンとした感じの女性。
給仕の従僕。
客人なのだろう、聖職者風の長衣を纏った三人の男性。
聖職者風の三人のうち一人はひときわ豪華な長衣を纏っていた。
豪華な長衣の男性は、男爵夫人らしい女性とテーブルを挟んで向かい合いソファに腰かけていた。
簡素な長衣の二人はその下座に座っている。
ソファに囲まれている低いテーブルの上には、陶器の壺があった。
その壺が薄い灰色のモヤを纏っている。
(あの壺は、いつもの呪いの壺っぽいわね)
「プロスペロー様、お待たせいたしました。この者たちがマークウッド辺境伯が雇い入れた心霊探偵です」
スクラブ男爵はへりくだった笑顔で、ファウスタたちを聖職者風の男性に紹介した。
(あのおじさんもプロスペローさんなの?)
ファウスタの護衛である狐色の髪の魔道士の名前もプロスペローだ。
(聖職者っぽいけれど何だか違う……)
プロスペローと呼ばれた男性の豪華な長衣は、聖職者風の装いであったが、聖職者とは色々と違った。
ファウスタは孤児院の行事で教会に行ったことがあるので、聖職者を見た事がある。
聖職者は黒い長衣を着てヤルダバウト教の光の印のペンダントをしている。
男性の聖職者は髪を短く刈り上げて鍔のないぺったんこの帽子を被り、女性の聖職者は髪をすっぽり覆い隠す頭巾を被っている。
しかし目の前のプロスペローと呼ばれた男性の長衣は濃紺で豪華な刺繍がある。
帽子は被っておらず、少し長めの茶色の髪はふさふさで広がっており、伸ばしている髭と混じって獅子のたてがみのようにぐるりと顔の周りを縁取っていた。
ヤルダバウト教の光の印のペンダントは聖職者と同じなのだが、指には大ぶりな指輪をしている。
簡素な長衣の二人もやはり聖職者とは少し違った。
光の印のペンダントをつけているが、長衣の色は濃紺で、帽子は被っておらず髪が中途半端に伸びている。
「そのヴェールの子が霊感少女ファウスタかね?」
豪華な長衣の男性プロスペローはファウスタを見て言った。
他の人々の視線もファウスタに集まる。
皆に注目されてファウスタは緊張したが、何も感じていない素振りを維持した。
(平常心。平常心よ……)
「はい。こちらが霊能者ファウスタ様です」
ヴァーニーがファウスタを紹介した。
プロスペローと呼ばれた豪華な長衣の男性は、胡散臭いものを見るようにファウスタを見た後、後ろに控えているユースティスに目を止めた。
「後ろの少年も霊能者かね?」
「いいえ。彼は雑役をさせております使用人でございます」
「ほう」
部屋中の視線がユースティスに集まった。
特に男爵夫人らしき女性は、シャロンそっくりのギラギラした目でユースティスを凝視していた。
もう誰もファウスタを見ていない。
ファウスタは内心でほっと息を吐いた。
(ユースティスさんは魅了術を使ったのかしら。ユースティスさんには助けられっぱなしなのだわ)
「申し遅れましたが私は心霊事件専門の探偵をしております、フラン・ニーヴァルと申します」
ヴァーニーが自己紹介をした。
ニーヴァルというのは吸血鬼ヴァーニーの偽名だ。
フラン・ヴァーニーとジョンディ・プロスペローは名前が知られているらしく、探偵社では自分の名前をもじった偽名を使っていた。
ジョンディ・プロスペローの偽名はジョン・ディーだ。
「こちらは我が探偵社の探偵、魔術研究家ジョン・ディー氏と心霊写真家タニス・ペレグ氏です」
「揃いも揃ってふざけた名前だな。神秘的な雰囲気を演出するための偽名であろう」
豪華な長衣の男性プロスペローは余裕の笑みで探偵社の面々の名前を批判した。
「ジョン・ディーというのは大魔術師ジョンディ・プロスペローの名前のもじり。フラン・ニーヴァルは吸血鬼フラン・ヴァーニーのもじり。タニス・ペレグはペレグ村の悪魔タニス伝説から取ったのであろう」
(凄い! 当たってる!)
鋭い指摘にファウスタは驚嘆した。
ヴァーニーとプロスペローについては大当たりだ。
タニスの本名はペレグのタニスで、ペレグ出身のタニスという意味だ。
悪魔かどうかはともかくペレグ村のタニスという部分は当たっている。
「さすがはプロスペロー様」
スクラブ男爵は豪華な長衣の男性に賞賛を送ると、ファウスタたちを威嚇するかのように居丈高にその男性を紹介した。
「こちらのお方は、かの大魔術師ジョンディ・プロスペローの末裔にして正当後継者、ジョナサン・プロスペロー様である」
スクラブ男爵の紹介を受け、豪華な長衣の男性ジョナサン・プロスペローは、威厳たっぷりにファウスタたちの前に立った。
「私の前で小細工は通用しない。覚悟めされよ」
(プロスペローさんの親戚?!)
ファウスタはプロスペローの末裔を名乗るジョナサン・プロスペローをまじまじと見た。
(全然似てないけど)
狐色の髪の魔道士プロスペローは様子は良いが、ぼんやりしているようにも見える、ひょろりとした弱そうな青年だ。
一方、末裔だというジョナサン・プロスペローははっきりした目鼻立ち、茶色の髪と髭はまるで獅子のたてがみのようで、王者のごとき迫力のある風貌だった。
二人のプロスペローは、狐と獅子ほどに違った。
「畏れながら、プロスペロー殿、質問をお許しいただきたい」
ジョン・ディーこと本物の大魔術師プロスペローが、ジョナサン・プロスペローの前に進み出た。
「言ってみるが良い」
「魔術師ジョンディ・プロスペローに子供はいませんでした。プロスペローの家名を継ぐ子孫は存在しません。出家して姓を捨てたジョンディは、還俗して宮廷魔術師の地位を受けるにあたりプロスペロー家を創設しましたが、後継者がいなかったプロスペロー家は一代で断絶しています」
「なるほど。ジョン・ディー氏はジョンディ・プロスペローの名をもじって名乗るだけあり大魔術師プロスペローについてそこそこ研究しておるようですな」
ジョナサン・プロスペローは探るような目で魔道士プロスペローを見た。
「公にはされていないが、大魔術師プロスペローには隠し子がいたのだ」
「それは初耳です」
「大魔術師プロスペローは息子に魔術の奥義の全てを継承させた。我がプロスペロー家には大魔術師プロスペローが残した数々の手記があり、代々の当主がその秘伝の術を守ってきたのだ」
「ほう。それも初耳です」
(プロスペローさん本人が知らないってことは、ジョナサン・プロスペローさんは偽物の子孫なのかしら?)
ファウスタは二人のプロスペローのやりとりに聞き耳を立てた。
孤児院の子供たちの間では、隠し子かもしれないという妄想が流行することがあったので、この手の話にはファウスタも興味があるのだ。
「プロスペローが子孫に伝えた奥義とは一体どんな術なのですか。ぜひご教授いただきたい」
「秘伝をおいそれと教えるわけがなかろう」
「プロスペローの魔術の殆どは書籍化され流布しております。公にされていない魔術についても文書化されており王室が管理しています。プロスペロー個人が秘匿していた術は存在しません」
「プロスペローには密かに研究していた術があった。彼は宮廷魔術師を仕事としていたが、魔術の全てを王に捧げていたわけではない」
「たしかに彼は個人的な研究も行っていました。それは天使召喚の降霊術です。ですが天使召喚は一度も成功せず、術は未完成に終わりました。未完成の術は奥義とは呼べないでしょう」
「公には未完成とされているが成功していたのだ。秘密の研究の成果を世間から隠すのは当然であろう」
「プロスペローが天使召喚に成功していたと?」
「そうだ。だがそれは大きな危険が伴う術であるゆえ、一族の秘術として守られているのだ」
「術を守っているということは貴方も魔術師でいらっしゃるのですか?」
「もちろんだ」
「では秘術ではない凡庸な魔術であれば見せていただけるのでしょうか?」
「ここで魔術を実演してみせろというのかね?」
「貴様、無礼であろう!」
「奇跡は見世物ではない!」
簡素な長衣の者たちが魔道士プロスペローを睨み、声を上げた。
「良い良い」
ジョナサン・プロスペローは簡素な長衣の者たちを手で制した。
「それでディー氏が納得するというのなら、お見せしても良い」
「しかし、師よ……」
「このような場所で奇跡を授けるのは、いささか寛大すぎるかと……」
(魔法を見せてもらえるの?!)
ファウスタはヴェールの下でわくわく顔になった。
「ディー氏は大魔術師プロスペローについてなかなかに良く研究しておられる。プロスペローの末裔である私が、プロスペローを研究するディー氏と出会ったのも何かの縁だ。書物を読むだけでは魔術の何たるかは解らぬものよ。実際にプロスペローの魔術を体験することで得られるものもあろう」
堂々とした態度で魔術の実行を了承したジョナサン・プロスペローに、簡素な長衣の二人は不服そうに顔を歪めた。
ジョナサン・プロスペローは、ウォッホンと咳ばらいをした。
「これより魔術の炎をお見せしよう。スクラブ卿、部屋のカーテンを閉めていただけるかな。暗いほうが炎が良く見えるだろう」
「かしこまりました。……おい、お前たち」
スクラブ男爵は使用人たちにカーテンを閉じるように命じた。
「まさか我が家でプロスペロー様の奇跡を拝見できるとは」
「なんという栄誉でしょう」
スクラブ男爵夫妻は感激した様子で喜びをあらわにした。
カーテンが次々と閉じられ、応接室の中は薄暗くなっていった。
全てのカーテンが閉じられると、ジョナサン・プロスペローは落ち着いた様子で、重々しく開始を宣言した。
「では、古の魔術、原初の炎をとくと見るが良い」




