131話 三人の魔女
「タニス氏、大丈夫ですか? 少しは落ち着きましたか?」
「はあ……。これが、緊張、というものなのですな」
吸血鬼ギルドから指名を受け、面接に行く旨を通達され、タニスは何百年ぶりかで緊張することになった。
ここしばらくタニスは、魔眼の子ファウスタの近くに侍るという夢のために全力で邁進し、ふさわしくないと指摘された欠点を是正するため日夜努力して来た。
その修行の成果がついに試される時が来たのだ。
吸血鬼ギルドの面接に合格すれば魔眼に近付ける。
タニスが夢に向かって大きく一歩を踏み出せるか否かの瀬戸際であった。
通達を受けたタニスの異様に緊張した様子を見て、少し外の空気を吸うべきだろうと、ブリギッドとハーミアは空の散歩に連れ出した。
タニスは箒の飛行が好きなので、気晴らしになるだろうと思ったのだ。
まだ日は高かったが、認識阻害の外套を羽織れば人間の目には映らない。
三人はひとしきり箒に乗って空を流した後、貧民街を見下ろす『終わりの塔』の尖塔の屋根に降り立った。
戦争時代であれば、この三人がつるんでいる様子を見たら怯える者もいただろう。
街を一つ落とすくらい、らくらくとやってのける上位魔道士なのだから。
だがそんな時代はすでに遠い。
「考えてもどうしようもないことです。当たって砕けろですよ」
「砕けてしまっては元も子もないではありませぬか。それゆえ緊張しているのであります。失敗は許されませぬ」
「タニスの作法は中流として通用するレベルに達しています。上位貴族の家の作法までとなるとまだ足りませんが、探偵業者として働くのであれば充分でしょう。私が保証します。自信を持ってください」
尖塔の上を吹き抜ける風が、魔女たちの外套をはためかせた。
足元には東タレイアンの風景が広がっている。
街並みの中を流れる雄大なレイテ川は、上流からの工場排水と生活排水で濁り切っているが、尖塔の上から眺めるそれはきらきらと日を反射して輝いて見えた。
「それにしても、吸血鬼ギルドからタニスが指名されるなんて驚きました。何か裏があるのでしょうか」
首を傾げたハーミアに、ブリギッドはにやりと笑って見せた。
「言わぬが花と申します。さてさて、ハイホー地区には今日も美しい花が咲いていることでしょう」
魔女ヘカテがハイホー地区から利益を得ていることは、彼女たちヘカテ派閥の魔女たちの知るところである。
そしてハイホー地区にヘカテが勢力を持つ以前、そこは吸血鬼の縄張りだった。
「なるほど。秘すれば花ですね」
ハーミアは得たりと頷いた。
そんなブリギッドとハーミアの含みのあるやり取りを、呆然と眺めていたタニスがぽつりと呟いた。
「やはり『死の天使』は吸血鬼ギルドを左右する権限をお持ちなのですな」
タニスの発言に、ブリギッドとハーミアは失望の色を浮かべた。
「タニス氏、はっきり言ったら駄目ですよ」
「口は災いの元です。思っても口に出してはなりません」
「そうです。個人的な感想や思い付きをぼろっと口に出さないよう注意してくださいね。意見や感想を不用意に口に出すのは危険です」
「使用人や部下となるならば、発言は意見を求められた場合のみにしておいた方が無難です」
「ハーミアの言うとおりです。面接にはあのヴァーニーも来るらしいですから、重々注意してください」
ブリギッドはタニスの顔を覗き込み、念を押した。
「小童とか、負け犬とか、左遷とか、思っている事を言ったら駄目ですよ。例えそれが真実であってもです」
「言いたくなる気持ちは解りますけれどね」
ハーミアが皮肉っぽい微笑みを浮かべた。
「だから私はパスです。ヴァーニーの下で働くなんて嫌ですから。バジリスクス様の顔を立てるために一応は出席しますけれど……」
エーテル防護眼鏡の整備員として、また呪術に素養のある魔道士として、ハーミアはバジリスクスの推薦を受けている。
「面接に合格したらヴァーニーと一緒に例の心霊探偵社で働くことになるのでしょう。まっぴらごめんです」
串刺し公が人間社会で心霊事件を専門に扱う探偵社を設立した情報を、一部の世情に敏感な魔道士たちはすでに入手していた。
その探偵社は、串刺し公が経営する珈琲館が窓口になっている事から、吸血鬼ギルドが深く関わっていることが明白だ。
呪術事件を調査するための表向きの業者であることは容易に想像できた。
吸血鬼ギルドにおいて、そういった事件調査に当たるのは吸血鬼ヴァーニーが指揮する夜警団だ。
事件調査に魔眼の子ファウスタが参加することが予想されるため、これに選ばれれば魔眼の子に近付ける可能性が高まるが、その代わりヴァーニーの指揮下に入る事になる。
「そこは私もハーミアに同意せざるを得ません。お坊ちゃんのヴァーニーを上司として仰がねばならぬなど悪夢です」
ブリギッドは舞台役者のような大げさな身振りで、天の暴虐を嘆くかのように言った。
「失恋して吸血鬼になるような甘ちゃんとは、話も合わないですし。考えただけで憂鬱になります」
ブリギッドが小馬鹿にしたように口の端で笑い肩をすぼめると、ハーミアも暗い微笑を浮かべた。
「貴族のお坊ちゃんには失恋程度でもショックだったのでしょう。馬鹿々々しい事です」
「どれだけ微温湯につかって暮らしていたのやら」
ブリギッドもハーミアも中世の時代に平民として生まれ、魔女狩りで捕らえられた過去を持つ。
そんな彼女らにとって、貴族に生まれ婚約者を奪われて吸血鬼になったというヴァーニーの経歴は笑い話である。
「吸血鬼になったら、なったで、調子に乗ってツェペシュに勝負を挑むくらいお馬鹿だったんですから。世間知らずもあそこまで行くと才能ですね」
「お花畑に住んでいたのでしょう」
三人は終わりの塔の、高い尖塔の屋根の上にいる。
誰かに会話を聞かれる心配がないためか、いつもは礼儀正しくしているハーミアまでもが言いたい放題であった。
「タニス氏、本当に良いんですか? 引き返すなら今ですよ」
「私の決意は固まっております」
「今のまま、気楽に自由にやっていくほうが幸せではないですか? ずっと我々と共にいれば苦労も忍耐も必要ないのですよ?」
「気楽な生活はもう充分なのであります。正直、代わり映えのない日々に飽きたのです」
「ここで人馬宮の業が発動しますか」
占星術において、十二宮の中で人馬宮は熱しやすく冷めやすく、飽きっぽい性格であると言われている。
飽きっぽいがゆえに新しいものを求める心が強く、探求心に溢れる星でもある。
「ヴァーニーが上司でも耐えられますか?」
再度、念を押したブリギッドに、タニスは固い決意を表明した。
「はい。我が主ファウスタ様のお近くに侍るためとあらば、どんな苦難にも耐えてみせましょう」
タニスは天を見上げ、高らかに宣誓した。
「ヴァーニーのような左遷された負け犬の小童が上司であろうとも、我が主のため、私は耐えてみせまする!」
「……誰が、左遷された負け犬の小童ですか?」
ふいに男の声がして、三人はギョッとして振り返った。
三人が立っている尖塔の屋根の裏側から、ひょっこりと顔を出していたのは金茶色の髪の青年だった。
「ヴァッ! ヴァーニー卿!!」
「ぎゃあああー!!」
「……タニス……終わりましたね……」
それは吸血鬼ギルド夜警団団長、吸血鬼フラン・ヴァーニーであった。
ブリギッドは盛大に顔を引きつらせ、タニスは言葉にならない声を上げて混乱に陥り、ハーミアは半目になり表情のない顔で固まった。
「悪口が聞こえてきたと思ったら、また、貴女たちでしたか」
ブリギッドとタニスを見やり、ヴァーニーは不機嫌そうに言った。
「い、いつからそこにっ! いらっしゃったのですかっ!」
「わ、わ、わ……!」
「……」
聞かれてはならぬ話を聞かれてしまい、三人の魔女たちは三者三様に動揺した。
「この際です、貴女たちにはっきり言っておきたいことがあります」
不愉快そうに眉を歪め、ヴァーニーは三人の魔女たちを睨め付けた。
「はい!」
「よ、よ、よろこんで!」
「……」
「私が失恋したショックで吸血鬼になったという噂があるようですが、それは事実ではありません。たしかに婚約者を奪われましたが、政治的な陰謀に巻き込まれての結果です。生前の私の身にふりかかった災難は政治的陰謀です」
ヴァーニーは尖塔の屋根の裏側から歩み出ると、三人を見下ろすように立った。
「私が吸血鬼となり、力に溺れ、調子に乗ってドラキュリアに勝負を挑んだという噂も、事実とは異なります。私がドラキュリアと一戦交えた理由は、彼がどのような御仁であるか確かめる目的でした。私がドラキュリアに負けて尻尾を振ったなどとも言われているようですが、それも違います。ドラキュリアの信頼を得て王都の治安を任されたのです」
「な、なるほど。はい。それは、それは……」
ヴァーニーの説明に、ブリギッドは固い笑顔で頷き、相槌を打った。
タニスは驚愕の顔のまま、ハーミアは無表情でその場に控えていた。
「それから、私が事務仕事ができなくて左遷されたというのも違います。私が支部長の座をブラックモア氏に譲り夜警団に移動したのは、私自身が移動を希望したからです。左遷されたのではなく、私の希望で移動したのです。私は事務仕事よりは戦闘のほうが性に合っていますから」
ヴァーニーは険のある視線で三人の魔女を見回した。
「ご理解いただけましたか?」
「はい、ヴァーニー卿!」
ブリギッドが三人を代表し、慇懃な笑顔で応答した。
「噂に惑わされておりました愚かな我らをどうかお許しください。大変な誤解をしておりました。お詫びの申し上げようもございません」
「ヴァーニー卿、わ、私も、深く、お詫び申し上げます」
表情を強張らせたままタニスは進み出ると、ぎこちなく謝罪した。
「大変失礼つかまつりました。深く反省しております。二度と噂に惑わされたりなどいたしませぬ。ですから明日の面接は、どうか、どうか、よしなに!」
実質面接である吸血鬼ギルドからの招待状には、先方の参加者としてヴァーニーの名前が挙がっていた。
そのことからヴァーニーは面接官の一人であると予想された。
「反省しております! ぜひ公正なる面接試験を!」
「残念ながら、それは上の方々が決めることです。私の一存で結果を左右できるものではありません」
少し不服そうな表情でヴァーニーは答えた。
その回答に、ブリギッドはきらりと目を光らせた。
「気配もなく我々に近付くとは。認識阻害系のアイテムの新作でしょうか」
ヴァーニーが飛び去って行く後ろ姿を見送り、ブリギッドは疑問を口に出した。
「吸血鬼ギルドは認識阻害系のアイテム開発が盛んですからね。その可能性は高いです」
ハーミアは相変わらずの無表情であったが、ヴァーニーが消えたらその雰囲気は軟化していた。
ブリギッドは尖塔の屋根の天辺まで上り、屋根全体を見渡せる位置に陣取った。
「ここで話しましょう。ここなら見通しが良い」
周囲に誰もいないことをしっかりと確認すると、二人の魔女を近くに呼び寄せ、ブリギッドは話し始めた。
「タニス氏の面接、成功の確率を上げる手段があるかもしれません」
「本当でありますか?!」
「ヴァーニーのあの口ぶりでは、上の者に強力な決定権があるようでした。ヴァーニーの反論など意味がないほどに」
ブリギッドの話を、タニスは食い入るように身を乗り出して聞いた。
ハーミアも思案気な表情になった。
「今回、面接にはマークウッドの悪魔が参加します。マークウッドの悪魔が話し合いの場に出て来ることは今まで皆無でした。先日のギルド会談が初めてです。それもツェペシュの腹案のために引っ張り出されてのことで、失態も多かったと聞いております。その失態の実績のあるマークウッドの悪魔を再び引っ張り出す、という事は……」
「奴に決定権があるのですな?!」
「そうです。少なくともツェペシュは何らかの意図があってマークウッドの悪魔を出席させています。そしてヴァーニーのあの態度と、面接の場を設けるという状況から、マークウッドの悪魔の存在に大きな意味があると見て間違いないでしょう」
ブリギッドの推測に、ハーミアも頷いた。
「もともと彼はマークウッド同盟の実質トップですからね。彼の一声で決まる可能性は大いにあるでしょう」
「そこで!」
ブリギッドはタニスを見据えた。
「贈り物を用意しましょう。マークウッドの悪魔が喜びそうなものを」
「賄賂ですか?! しかし面接の場に堂々と賄賂を持って行くなど、さすがに非常識ではありませぬか?!」
「おお……」
タニスの口から『非常識』などという、常識人が言うような言葉が飛び出したので、ブリギッドは思わず感嘆を漏らした。
「大丈夫です。目的は面接には違いありませんが、『庭のロゼリアが見ごろなので是非いらしてください』などという体裁の招待状です。そういった招待を受けた場合、客が贈り物を持参することはおかしな事ではありません」
「おお! 社交ですな!」
「そうです。社交です。マークウッドの悪魔が喜びそうなものを贈り、心象を良くするのです」
「さすがはブリギッド氏!」
ブリギッドの提案に、タニスは顔を輝かせた。




