129話 吸血鬼ギルド王都支部の受難
「ファンテイジ殿に異常はないか?」
吸血鬼ギルド王都支部。
支部長であるデレク・ブラックモアは、ギルド会館に出勤すると、開口一番にそれを職員に尋ねることが最近の日課となっていた。
マークウッド同盟の盟主代理であり、吸血鬼ギルドの名誉理事でもあるセプティマス・ファンテイジの身柄を預かって以来、ブラックモアには気が抜けない毎日が続いていた。
ギルド長である竜公から、セプティマス・ファンテイジを外へ出すなと厳命されているからだ。
「はい。異常ありません。ファンテイジ殿は今日も自転車の練習をしておいでです」
「もう始めているのか……」
まだ午前の早い時間である。
「警備体制は万全か?」
「はい。いつも通り、世話係三名、死霊騎士団十名が随行しております」
セプティマス・ファンテイジを守るための警備ではなく、脱走を防ぐための警備である。
セプティマス・ファンテイジには、吸血鬼となったブラックモアにも理解できない不思議な力がある。
彼の不思議な力に興味を持った有志により研究が進められ、人間の目にその姿が映らない現象は認識阻害あるいは隠密の能力ではないかと仮説が立てられている。
その研究の副産物として認識阻害の衣服が発明された。
だが彼の認識阻害あるいは隠密は、エーテルや術式によるものとは異なり、個性ともいえる非常に特殊な能力である。
人の目だけではなく、魔物の感知能力さえ誤魔化すからだ。
彼はどんな監視の中にあっても、ぬるりと脱走する。
すぐに捜索隊が後を追い、即日捕獲されるが、これを幾度も繰り返されるのでブラックモアをはじめ王都支部の者たちは日に日に憔悴していった。
彼が毎日脱走を繰り返した理由は、ロスマリネ侯爵邸へ行くためだ。
ロスマリネ侯爵邸に現れたという隻眼の黒騎士デュランの幽霊に興味があるらしい。
一度見学に行かせれば満足するのではと竜公に進言してみたが、残念ながら認められず、現状維持となった。
貴人に対して無礼とは思いつつ、最終手段として部屋に鍵を掛けて見張りを立てたが、これも脱走された。
世話係がうっかり鍵を掛け忘れ、見張りがうっかり一瞬持ち場を離れ、皆が建物を出ていく彼をうっかり見逃すという、万が一の有り得ない偶然が不自然に重なって彼は難なく脱走した。
彼の膨大な魔力は実は幸運に使われており、能力は隠密ではなく幸運ではないかという突飛な仮説は、もしかすると正しいのかもしれないとブラックモアは考え始めている。
(トリテミウス殿がいなかったら、どうなっていた事やら。おかげで助かった)
骨董品の蒐集家である吸血鬼ブラックモアは、本の収集家である魔道士トリテミウスと知己を得た。
コレクター同士すぐに意気投合した二人は今ではすっかり親友だ。
数々の珍しい蒐集品を気前よく見せるブラックモアに、トリテミウスはいたく感動したらしく、お礼に何かお手伝いをと申し出てきた。
ブラックモアはそんな彼に、セプティマス・ファンテイジの脱走に困っている話をした。
手伝いを期待してのことではなく、愚痴を聞いて貰えればそれで良かった。
だがトリテミウスは素晴らしい解決策を持って来た。
トリテミウスは、セプティマス・ファンテイジの親友である魔道士ギルドの長バジリスクスの協力を取り付けてくれたのだ。
――遊びに熱中している間は、脱走しないだろうとの事です。
そしてバジリスクスから、セプティマス・ファンテイジに自転車がプレゼントされた。
その妙案はまんまと大当たりした。
自転車を手に入れたセプティマス・ファンテイジは、すっかり夢中になり、ここ数日は脱走のことなど忘れて、自転車に乗る練習に明け暮れている。
ブラックモアは、バジリスクスの機転に感心した。
(バジリスクス殿は非常に優れたお方だ。竜公は強靭な知性をお持ちだが、バジリスクス殿は柔軟な知性をお持ちだ)
「ブラックモア殿、竜公より指示書です」
ブラックモアが支部長室に入ると、ドラキュリア直属の死霊騎士団の一人が一通の封筒を持って現れた。
ブラックモアはその封筒を受け取り、開封して指示書に目を通した。
そして頭を抱えた。
(……ファンテイジ殿と、ヴァーニーと……魔道士タニス……?!)
会談の場を設けよという指示書だが、その会談に召集される者が問題だ。
問題児の名前がつらつらと挙げられている。
吸血鬼ヴァーニーと魔道士タニスは最近諍いを起こしたばかりだ。
少なくともヴァーニーはタニスを酷く嫌っている。
しかも二人は武闘派だ。
そこにセプティマス・ファンテイジも加わる。
ブラックモアには酷い混沌に思えた。
(まあ、双方のギルド長が同席するなら、大丈夫、なのか……?)
不安を抱きながら、ブラックモアは魔道士ギルドに連絡を取るべく羽根ペンをとった。
(まだ乗れないのか……)
セプティマス・ファンテイジは王国の魔物たちの頂点に君臨する。
暗がりの森同盟の下部組織の一支部長でしかないブラックモアより、よほど身分が高い存在である。
そのため支部長ブラックモアが直々に、セプティマス・ファンテイジに予定を知らせるため、彼が自転車の練習をしているダウンゲイト墓地まで赴いた。
ギルド長ドラキュリアの最初の指示は、セプティマス・ファンテイジをギルド会館に軟禁することであったが、自転車の練習のためということで、ダウンゲイト墓地に出ることは許可された。
ギルド長ドラキュリアは死霊術師である。
彼の死霊術により蘇った不死者である死霊騎士団の者たちは、やはり死霊術を使う。
墓地には地の利があるため許可されたのだろう。
ダウンゲイト墓地は、吸血鬼ギルドの正面向かい側、道一つ隔てた場所にある。
何百年も昔から埋葬地であったダウンゲイト墓地は、死者の街と呼ばれるほど大規模な共同墓地だ。
美しく整備された区画もあれば、鬱蒼とした木々が生い茂り雑木林のようになっている場所もある。
(自転車とはそれほど難しいものだろうか)
小綺麗な墓石が並ぶ区画の、整備された石畳の道で、セプティマス・ファンテイジは自転車の練習をしていた。
世話係に後ろを支えさせて発進し、そして世話係が手を離すと、よろよろと少し進んでドシャッと倒れた。
セプティマス・ファンテイジと世話係の三人の下級吸血鬼たちを遠巻きにして、墓石の影や木立の間に全身黒づくめの死霊騎士団の騎士たちが立っている。
「恐れ入ります、ファンテイジ殿」
セプティマス・ファンテイジが転んで起き上がったタイミングを見計らい、ブラックモアは声を掛けた。
「お知らせがございます」
「えー、また説教か?」
自転車を起こしながら、セプティマス・ファンテイジは面倒臭そうに口を尖らせた。
「心霊探偵の件です」
「おん?」
「呪術の素養がある魔道士に協力を要請するという提案がありまして、そのためにファンテイジ殿に魔道士の面接をしていたきたいとの事です」
「面接?」
「はい。魔道士側の付き添いで、バジリスクス様もいらっしゃいます」
「まじか! バジリーも来るのか!」
(よし! 食いついた!)
セプティマス・ファンテイジは面倒臭がりですぐにイヤイヤをするので、説得するのも一苦労である。
だが親友であるバジリスクスの名前を出せば、すんなり了承するのではないかというブラックモアの目論見は成功した。
双方のギルド長が出席するので嘘ではない。
吸血鬼ギルド側からはドラキュリアとユースティスが同行すると言えば、顔色を変えるかもしれないが、それはギリギリまで伏せておいたほうが良いだろうとブラックモアは計算した。




