126話 守護霊たち
「デュランの風魔法か!」
ロスマリネ侯爵が大興奮して叫んだ。
風など吹かなかったが、ロスマリネ侯爵はデュランならば風魔法だと思い込んでいるのか決めつけているようだった。
「デュランさんが剣を振り回したのです」
剣を鞘におさめたデュランにようやく安心して、ファウスタは状況を説明した。
「あの風の魔石の剣かね?!」
「はい」
ロスマリネ侯爵はまだ何か誤解をしているような気がしたが、ファウスタは説明を続けた。
「最初はデザートたちに切りかかって、その後は壁の絵に切りつけていました」
壁の絵が斜めにずれている光景を見て、ファウスタはぞっとした。
壁の絵を動かす威力で切りかかられたら、デザートの薄い皿などひっくり返っていただろう。
(本当に危なかったのだわ)
「バクスレイさんがデュランさんを止めてくれて、それでデュランさんはデザートを狙うのをやめて、二回目は壁の絵に向かって切りつけたのです」
「うむ。そうか。サー・ロジャー、お騒がせして申し訳ない」
ロスマリネ侯爵はサー・ロジャーに謝罪した。
「デュランは我が家の守護霊なのだ。私に免じて、どうか守護霊の無礼を許してやってくれまいか」
「……はい……」
見えない守護霊の無礼についての謝罪という奇妙な状況に戸惑っているのか、サー・ロジャーはロスマリネ侯爵に歯切れの悪い返事をすると、首を傾げた。
「ねえ、ファウスタ」
ロスマリネ侯爵夫人シンシアがわくわく顔でファウスタに問いかけた。
「バクスレイ氏はこの店の守護霊なのかしら?」
(そういえば……?!)
シンシアの言葉に、ファウスタは気付きを得た。
言われてみれば、最初は出された料理を自慢していたし、先ほどは料理を守るためにデュランに立ち向かっていた。
この店が自慢で、この店を守っていたと見ることができる。
「そうかもしれません。バクスレイさんはデザートのテーブルを守るために、デュランさんに抗議してくれました」
「きっと守護霊なのよ!」
シンシアは祈るように胸元で両手を組み合わせ、夢見るように言った。
「うむ。きっとそれだ。サー・ロジャー!」
ファウスタとシンシアの話に頷くと、ロスマリネ侯爵はサー・ロジャーに向き直った。
「幽霊は恨みがあって出て来る者だけではない。我が家のデュランのように、味方となり助力してくれる守護霊もいるのだ。バクスレイ氏はこの店を守護しているのだろう」
「この店を……?」
サー・ロジャーは盛大に首を傾げた。
「恐れながら、閣下、私はバクスレイ氏にとっては弟子の一人にすぎません。バクスレイ氏がもし守護霊となったならば、まずはご自分のご家族を守るためにご実家へ行くのではないでしょうか。この店に現れる理由としては、その、いささか突飛であるかと」
「すみません、サー・ロジャー。私もロスマリネ侯爵様のおっしゃるとおり、バクスレイさんはこの店を守っていると思います」
ファウスタは今が好機とばかりに主張した。
デュランがひと暴れした後、サー・ロジャーの雰囲気は幽霊の存在を認める方向に大きく傾いたように見えたので、今なら言葉が伝わるかもしれないと思った。
「バクスレイさんはデザートを守ってくれました。その前も、肉詰めパイが凄く自慢みたいで、声は聞こえませんでしたが絶対自慢していました。このお店が好きで、守ってくれてるんだと思います」
「……料理を守り、料理を自慢していたのですか?」
サー・ロジャーはファウスタに問いかけた。
「はい、そうです」
「……そういうことであれば……解ったような気がします」
サー・ロジャーは納得が行ったというふうに軽く頷いた。
「バクスレイ氏はイングリス料理の伝統を守る事に熱心でした。鍵は店ではなく、料理のほうでしょう」
そう言うとサー・ロジャーはふっと微笑を零した。
「伝統的イングリス料理に引かれて、この店に現れたのかもしれませんね」
その眼差しは遠く、微笑はどこか寂し気であったが。
ファウスタは誤解を解くことができたように感じた。
ファウスタたちは無事にデザートを食べ終えた。
「今日は我が家の守護霊デュランが店を騒がせてしまい、すまなかったね」
帰り際に、サー・ロジャーが挨拶に現れると、ロスマリネ侯爵は幽霊デュランの騒動について何故か少し得意気に再度謝罪を述べた。
「まさか私に憑いて来てくれているとは思わず、申し訳ない事をした。デュランは戦争時代の家臣なのだが、武人なので少々武骨なところがあるのだ。こういった都会的な店は初めてで、勝手が解らなかったのだろう。許してくれたまえ」
「戦争時代の英霊に来店していただき大変光栄に存じます」
信じているのかいないのか、話を合わせているだけなのか、サー・ロジャーは営業的な微笑でロスマリネ侯爵に応対した。
「ファウスタのおかげで守護霊の存在を知れたのだ。デュランは我が家を守護してくれており、人知れず呪いと戦ってくれていたのだ」
「呪い、ですか?」
サー・ロジャーは少し顔色を変えた。
「そう、呪いは存在するのだ。呪われた品が多数、我が家にあり、それが皆の健康を害していた原因だったのだ。ファウスタに呪いの品を発見してもらい全て除去したら、家族も使用人たちも皆、あっという間に健康を取り戻した」
「病の原因が、呪いだったのですか?」
話題に興味を引かれたのか、サー・ロジャーはロスマリネ侯爵に問った。
「うむ。そうとしか考えられん。呪いの品を屋敷から運び出したら、皆がすぐに健康を取り戻したのだからね。呪いの品が原因だったとしか考えられぬ」
「呪われているかどうか、このお嬢さんに視ていただけば解るのですか?」
サー・ロジャーの問いに、ロスマリネ侯爵はファウスタを振り向いた。
「ファウスタ、どうかね?」
「はい。呪いであれば、黒いモヤモヤが視えるので解ります」
ファウスタの答えに、サー・ロジャーは少し深刻な表情をした。
「では、貴女は、エグバート王子、タレイアン公爵をご覧になったことはおありですか?」
「いいえ。タレイアン公爵様のお名前は存じ上げておりますが、お会いしたことはありません」
ファウスタの回答を聞きながら、ロスマリネ侯爵夫人シンシアは微笑しながら頷き、同意を示した。
「そうよね。ラシニア孤児院の慰問はタレイアン公爵夫人の単独公務ですもの。いらっしゃるのはタレイアン公爵夫人だけで、タレイアン公爵はいらっしゃらないものね」
(タレイアン公爵夫人?)
シンシアは、まるでファウスタがタレイアン公爵夫人を知っているかのような物言いをした。
だがファウスタはタレイアン公爵夫人に会ったことはない。
(知らないのだけれど)
「このお嬢さんは、ラシニア孤児院の子なのですか?!」
サー・ロジャーは酷く驚いたように目を見開いた。
その驚きの表情は、まるで恐怖に慄いているかのような強張った表情だった。
「マークウッド卿はファウスタの霊視の才能を見出し、ラシニア孤児院から引き取ったと聞いている」
「マークウッド辺境伯は大変な篤志家でいらっしゃるのです」
ロスマリネ侯爵夫妻がファウスタについて説明を述べたが、その説明が耳に入っていないかのようにサー・ロジャーは固まったままだった。
「では……では、タレイアン公爵夫人にお会いになられたのですか?」
サー・ロジャーは深刻な恐れの表情でファウスタに問いかけた。
「いいえ。お会いしたことはありません」
ファウスタの答えに、今度はシンシアが顔色を変えた。
「え? でも……。え?」
ファウスタは知らなかったが、タレイアン公爵夫人はラシニア孤児院の名誉理事であり、慰問は公務であった。
ラシニア孤児院の名誉理事は、王族女性が任される伝統的な仕事の一つであり、王太子妃タレイアン公爵夫人が担うことが慣例になっていた。
タレイアン公爵夫人が存在しない場合には他の妃や王女がこれを任される。
現女王は先代タレイアン女公爵であり、女王に即位するまではラシニア孤児院の名誉理事であった。
名誉理事時代、女王はラシニア孤児院に心を砕き、聖誕祭には孤児たちに手ずからプレゼントを渡していた。
世の子供たちが親からプレゼントを貰う日に、女王が孤児たちの親代わりとしてプレゼントを渡していたという有名な美談である。
タレイアン女公爵が女王に即位した後には、女王に手ずからプレゼントを渡されたという記憶は孤児たちにとって宝となっただろう。
「慰問をしていないのかもしれません」
表情を曇らせたシンシアに、サー・ロジャーは謎を解き明かすかのように推測を述べた。
「ご結婚された最初の年にはラシニア孤児院を慰問なさっておいででした。しかしその時に不測の事態が起こり、タレイアン公爵夫人はショックを受けられたようで、次の年には精神的負担で体調を崩し行かれませんでした。そのままずっと行かれていないのかもしれません」
「そんな……」
サー・ロジャーの推測に、シンシアはますます顔色を変えた。
ロスマリネ侯爵も何か思い当たることがあるのか顔色を変え、少し気まずい沈黙が流れた。
「むしろ、幸運かもしれません」
サー・ロジャーの言葉が沈黙を破った。
「関わらずにいられたほうが幸運と言えるでしょう」
貴人の訪問、ましてや王国で最も尊いといえる王族の訪問ならば、幸運と受け止めるべきである。
その逆が幸運であると言うその発言は、不敬とも受け取れるものだった。
しかしそれを非難するものは誰もおらず、むしろ皆が同意するかのような微妙な表情を浮かべていた。
「失言でした。申し訳ありません」
サー・ロジャーは謝罪を口にした。
「いや、気にしないでくれたまえ。我々貴族にも責任の一端はあるのだ」
ロスマリネ侯爵は気まずそうに言った。
「恐れ入ります」
サー・ロジャーは畏まったが、ふいに顔を上げた。
「閣下、申し訳ありませんが、そこの少年に一つ尋ねたいことがあるのですが、お許しいただけるでしょうか」
サー・ロジャーはユースティスに視線を向けた。
「え、ああ、いや、私は構わないが?」
ロスマリネ侯爵はユースティスを振り向いた。
「ユースティス君、サー・ロジャーが君と話したいそうだ。いいかね」
「はい」
ユースティスがサー・ロジャーの前に進み出た。
「お初にお目にかかります、サー・ロジャー。ユースティス・ヴァインです」
「ユースティス……という名なのか……」
「はい」
サー・ロジャーは何かを確認するようにユースティスを見た。
「その、おかしな事を聞くようだが、私たちは以前に会ったことがないだろうか」
「いいえ。お会いした事はないかと存じます。サー・ロジャーほどご高名な方にお会いしていたならば忘れることなど有り得ません」
「そうか……。すまない。おかしなことを聞いた」
(ユースティスさんは吸血鬼で百歳以上だから、サー・ロジャーはもしかして昔、出会ったことがあるのかもしれないわ)
真相を知るファウスタは、ユースティスに疑惑の視線を向けた。
人間たちのやりとりの傍らで、幽霊のデュランとバクスレイ氏が歓談していた。
最初は喧嘩する勢いだったが、すっかり仲良くなったようだ。
(最近の幽霊はよくおしゃべりをしているけれど……)
幽霊同士のおしゃべりをファウスタは最近見かけるようになったが、それまではおしゃべりし合う幽霊は見た事がなかったように思った。
(流行なのかしら)
「ユースティスという名に覚えはないかね」
その日、サー・ロジャー・シスレーは帰宅すると妻に尋ねた。
「どこかで会ったような気がするのだが」
「クリスのお友達じゃなかったかしら」
ロジャーの妻は記憶をたどるように思案気な顔をした。
「そうよ。ほら、昔住んでた下宿の隣りの、グレイブスさんのお屋敷の子よ。ちょっと毛並みが違う綺麗な子」
「毛並み……ああ……」
ロジャーは毛並みを思い出した。
過去に出会った少年の灰金髪を思い出し、今日出会った少年の既視感が腑に落ちた。
「もしかしたら、彼の息子さんに今日出会ったかもしれない。どこかで見たことのある少年だと思ったのだ」




