121話 国難の化身(3)
「この茶番はドスト男爵一家の企みでしょう」
「エグバート王子殿下は何故ドスト男爵の言いなりになっていらっしゃるのかしら」
ドスト男爵家とは、マルシャ妃の生家である。
ドスト男爵一家が、マルシャ妃のお見舞いと称し頻繁にロスディン城を訪れていたことは、城内の者たちの知るところである。
ゴシップ紙の捏造記事により世間から批判され、ロスディン城を解雇された侍女長シェリンガム伯爵夫人をはじめとする侍女たちに、若い厨房女中たちは同情して憤った。
「男爵家だから疎まれてるんじゃなくて、ドスト男爵一家がロスディン城に入り浸ってるから疎まれてるのに」
「侍女長に訪問を遠慮するよう注意されたのを逆恨みしたのよ」
『ロスディン城の関係者』からの密告と言う形で、ゴシップ紙に捏造記事が掲載されていた。
侍女長たちを悪者に仕立て上げ、マルシャ妃を悲劇のヒロインのように語る密告者『ロスディン城の関係者』なる人物の正体について、ロスディン城に勤める者たちには容易に推測ができた。
「養父のフラウド伯爵は来ていないというのに、生家のドスト男爵家の者がどうして我が物顔で出入りするのかしら」
フラウド伯爵がドスト男爵令嬢マルシャを養女にした理由が、優秀さを見込んでのことだったという話は、いまやロスディン城の誰もが疑うところであった。
マルシャ妃の無知と野蛮は、彼女を目の前にすればすぐに解ることである。
「フラウド伯爵はドスト一家に何か弱味でも握られていたのかも」
(そうとしか考えられんな)
若い厨房女中たちのおしゃべりに、普段であればロジャーはやんわり苦言を呈しただろう。
だがこのときはロジャーも内心穏やかではなく、ロジャーが言いたい事をすべて代弁してくれている若い厨房女中たちの言葉に溜飲が下がる思いだった。
だがその数日後、この時に厨房女中たちを諫めなかった事をロジャーは後悔する事になる。
数日後、この時におしゃべりをしていた厨房女中たちはエグバート王子により解雇された。
「彼女らは有能な厨房女中です。何故理由もなく解雇なされたのです」
厨房女中たちの突然の解雇について、ロジャーはエグバート王子に説明を求めたい旨を侍従長に伝えた。
ロジャーの希望はすぐに叶い、エグバート王子と話し合える機会を得た。
だがその話し合いの場には、何故かマルシャ妃の実父ドスト男爵がいた。
何故か、というより、予想通り、と言った方が正確だろうか。
ドスト男爵は痩せた骸骨のような男だ。
ギラついた目は死相のような隈で縁どられ、やせぎすの体躯も相俟って不吉な死神のように見えた。
「理由はあるとも」
ロジャーの問いにドスト男爵が答えた。
「主人の陰口を言うようなメイドは叩き出されて当然だろう」
ドスト男爵は、お見通しだとでも言いたげな笑みを浮かべていた。
「厨房には主人の陰口を言うような者はおりません」
ロジャーは厨房の真実を述べた。
ドスト男爵を批判する者はいるが、ドスト男爵は主人ではないので嘘ではない。
ロジャーの反論を、ドスト男爵は鼻で笑った。
「間抜けな料理長だな。君が知らなくても、私は知っているのだ」
「ドスト男爵の言うとおりだ」
エグバート王子はふにゃりとした笑みを浮かべロジャーに言った。
「はしたないメイドはこの城にふさわしくない」
「私も寝耳に水だった。力になれなくてすまない」
エグバート王子の部屋を退室したロジャーは、侍従長アドキンズ子爵に招かれ、侍従長室で詳しい状況を知らされた。
「侍女たちを解雇したばかりだというのに、すぐにまたこのような暴挙に出るとは、まったく予想していなかった」
侍従長とロジャー以外は誰もいない侍従長室で、侍従長は誰かの耳を気にしているかのように声を落として語った。
「新しく雇われた侍女たちが怪しい動きをしていることは知っていたが……」
「怪しい動きとは?」
「常に城内のあちこちをふらついているらしい。侍従や下働きが目撃している。城内を嗅ぎまわっていたのだろうな」
「侍女にそのような暇があるのですか?」
マルシャ妃の侍女たちといえば、朝から晩までいつでも忙しく動いていた。
仕事を覚えねばならない新任ならば尚更、呑気に城内を散歩する暇があるとは思えない。
「今までの侍女とは毛色が違うのだ」
侍従長は難しい顔をすると、眉間に皺を深く刻んだ。
「新任の侍女たちは女王陛下のご命令でここへ来た者たちではない。ドスト男爵の推薦でエグバート王子殿下が直接採用した」
「女王陛下はご了承なさったのですか?」
ロスディン城の主は、確かにエグバート王子だ。
だが独立した王子が年若いうちは、国王あるいは女王が、お目付け役として信頼のおける家臣を派遣するのが慣例である。
「女王陛下はお許しになっていない。だがエグバート王子殿下は、女王陛下に良い返事をもらえないと解ると、茶会を中座なされた……」
侍従長アドキンズ子爵は、遠い眼差しをした。
「茶会と言うのは、王室の定例の茶会ですか?」
「そうだ」
女王は定期的に、結婚によりマーグンキブ宮殿を出た王子や王女を招き、茶会を開いている。
いわゆる家族会議である。
「その件に関して、女王陛下とエグバート王子殿下は、平たく言えば親子喧嘩中なのだ」
「なんと……」
「何にせよ、ロスディン城の主はエグバート王子殿下だ。主の命令では我々にはどうすることもできん。……エグバート王子殿下をお諫めしようとしたセドリック・カートライトは絶交された」
「セドリック様と絶交?!」
セドリック・カートライトとは、カートライト侯爵の三男でエグバート王子の学友として選ばれた子息の一人である。
学友として、王子と共に学院や大学で学んだ子息たちは、将来は側近として王子を支える。
エグバート王子はセドリック・カートライトとは特に仲が良く、親友と言えるような間柄だったはずだ。
(エグバート王子は、家族とも親友とも離れてしまわれたのだろうか)
ロジャーは言い様のない不安を感じた。
エグバート王子は重要な選択を常に間違え、大切なものを次々と手放し、まるで転げ落ちるように悪い方向に進んでいる気がした。
「これから厨房にも新しく採用された者が行くだろうが、おそらくドスト男爵の息がかかった連中だ。気を付けたまえ」
「ドスト男爵には、それほどの人脈があるのですか?」
新しく採用された侍女たちは、伯爵家や子爵家の出身の者がほとんどで、侯爵家の娘も一人居た。
社交界で高位貴族には全く相手にされていない、新興貴族の男爵風情の人脈とは思えなかった。
「……あまり深く知らないほうがいい……」
侍従長は言葉を濁した。
「ある意味、解雇されたメイドたちは幸運かもしれない」
「どういう意味ですか?」
「そのままの意味だ」
侍従長は渋面で語った。
「もし危険を感じたなら、躊躇う必要はない。逃げたまえ」
「何か危険があるのですか?」
ロジャーの質問に、侍従長は少し考えるように押し黙った。
そして重々しく口を開いた。
「侍従や侍女たちに、脅迫状が届いている」
「脅迫状?!」
「文面に多少の差はあれど、内容は大体同じだ。ロスディン城から出て行け、辞職しろ、さもなくば痛い目を見る、という脅迫だ」
「警察には知らせたのですか?!」
「もちろん知らせた。城の警備も強化して貰っている。だが……この脅迫状を受け取った者たちには共通点がある。皆、ロスディン城でのドスト男爵の行いについてエグバート王子殿下に苦言を呈した者たちなのだ」
「そ、それは……」
侍従や侍女たちは、エグバート王子を守るために仕えている。
そんな彼らを、エグバート王子は背中から撃っているという事だろうか。
守るべき対象が、敵に味方している状況で、どう守れば良いというのか。
「つまり、そういう事だ」
侍従長は暗い顔で、深い溜息を吐いた。
「我々貴族は王室の盾となる覚悟があるが、厨房で働く君たちは平民だ。危険に身をさらす必要はない。王室の盾となる仕事は我々に任せておきたまえ。もし脅迫状が来るようなことがあったり、誰かに脅されたりしたら、身の安全を最優先に考えて行動して欲しい」
その翌月。
侍従長アドキンズ氏は暴漢に襲われ重傷を負った。
彼は侍従長としての勤務を継続する事が困難となり、ロスディン城を辞した。




