117話 料理人の幽霊
「この店に縁のある料理人ならサー・ロジャーが知っていよう」
ロスマリネ侯爵は店の経営者であるサー・ロジャー・シスレーと話しがしたい旨を給仕に伝えた。
「こんな明るい場所に幽霊がいるなんて……」
ロスマリネ侯爵夫人シンシアが、不思議そうに周囲を見回しながら言った。
華美ではないが明るい雰囲気のこの個室は、幽霊という言葉から連想されるような薄暗い雰囲気は全く無い。
「怖い感じはしないので、悪い幽霊ではないと思います」
ファウスタが幽霊の料理人についての感想を言うと、ロスマリネ侯爵が少し身を乗り出すようにして質問をしてきた。
「良い霊ということかね」
「はい。にこにこしていて、良い人そうに見えます」
「では我が家のデュランやサイラスのように、この店の守護霊という可能性はあるだろうか」
ロスマリネ侯爵の言葉に、ファウスタは少し考え込むことになった。
守護霊という存在がよく解らなかったからだ。
(守護霊って、どういう霊なのかな。ティムさんは守護霊と呼ばれているけれど、警備のお仕事をしている様子はなかったし……)
ファウスタが知る限り、ファンテイジ家において守護という言葉が似合うのはアルカードを始めとする『上の三人』と呼ばれる上級使用人だ。
守護霊ティムは家の警備も管理もまったくやっていない上に、使用人として働く魔物たちに叱られたり世話を焼かれたりしていた。
「遊びに来ているのかもしれません」
ファウスタがそう言うと、幽霊の料理人は『違う』とでも言いたいのか首を横に振った。
何かしゃべっているが声は聞こえない。
「……何か御用があって来たのですか?」
ファウスタが問いかけると幽霊は頷き、何か説明するかのようにぽつぽつとしゃべっていた。
「……ぜんぜん聞こえないです」
何もない空間に向かい語り掛けるファウスタに、ロスマリネ侯爵夫妻は目を見張り、三人の吸血鬼は曖昧な笑顔で目配せをし合った。
「老人の料理人ですか? はて?」
ほどなくして経営者のサー・ロジャー・シスレーが現れた。
元は茶色だったのだろう髪はだいぶ白くなっているが背筋はしゃんとしていて、白い上下にエプロン、頭には円筒形の白い帽子を乗せている。
詰襟の白い上着の胸元には、角のある鹿の頭部を象った模様と『黄金の鹿』という文字が金糸で小さく刺繍されていた。
どこからどう見ても料理人だった。
(このお方がサー・ロジャー。経営者だけど料理人なのね)
経営者と聞いて、葉巻を手にした偉そうな紳士が出て来ると思っていたファウスタは、完全に予想を裏切られた。
(経営者にも色んな人がいるんだ)
「この店で老人は私くらいですが……」
ロスマリネ侯爵の質問に、サー・ロジャーは首を傾げた。
「その、おかしなことを聞いて大変申し訳ないが……過去にこの店で働いていたお年を召された料理人で、亡くなった方はいるだろうか」
「今も昔も、この店の料理人で最高齢は私です。料理人を志す若者を主体に受け入れていますので……」
「……そういえば、そうだったな」
ロスマリネ侯爵は何かを思い出したように頷くと、質問の主旨を変えた。
「この店に縁のある料理人で、頭髪がなく、ふくよかな老人の料理人に心当たりはないかね」
「……!」
サー・ロジャーの表情が揺らいだ。
「心当たりが無いことは無いですが……。それだけでは、その、断定はいたしかねます。そのような老人は世に数多おりますので」
「ふむ、たしかに」
料理人は知識と技術と経験を必要とする専門職なので、寄る年波に第一線からは退いても後継者の指導役や補佐役として現場に残っている高齢者は多い。
ロスマリネ侯爵はサー・ロジャーの言葉に同意して頷くと、ファウスタに視線を向けた。
「ファウスタ、幽霊に他にも何か特徴はないかね」
「幽霊……?」
訝し気な顔をしたサー・ロジャーに、ロスマリネ侯爵はファウスタについて説明した。
「この子は霊能者で幽霊が視えるのだ。この部屋に老人の幽霊がいるというので、店に縁のある人物ではないかと思ってね。君に来てもらったのだ」
「……左様でございますか」
サー・ロジャーは珍妙な話にどう対応すべきか戸惑っているのか、歯切れの悪い曖昧な相槌を打った。
(眼鏡を外したら、色とか、もっと解るかしら)
他の特徴を求められ、ファウスタは眼鏡を外してしっかり霊視しようと思い、一同を振り向いた。
「あの、ちゃんと視たいので眼鏡を外したいのですが……」
ファウスタがそう言うと、得たりとミラーカが頷いた。
「幽霊さんはどこにいるのかしら?」
「さっきと同じ場所にいます。今はサー・ロジャーの隣りです」
「では私たちは霊視の邪魔にならないように移動するわね」
ミラーカがそう言い席から立ち上がると、ルパートとユースティスも席を立ち、サー・ロジャーがいる方とは反対側に移動した。
「そういうものなのかね?」
吸血鬼たちにつられてロスマリネ侯爵夫妻も席から腰を浮かせた。
「障害物がないほうが正確な霊視ができるのです。人間の生気などが視界を妨げることがありますので」
侯爵の問いに、ルパートがすらすらと嘘の説明をした。
「まあ! そうなのね!」
珍しい座興をこれから見物するかのように、ロスマリネ侯爵夫人シンシアも少し興奮気味になり、いそいそと壁際に貼り付いた。
「サー・ロジャー、君もこちらへ来たまえ」
ロスマリネ侯爵に促され、サー・ロジャーと給仕も首を傾げながら移動した。
「では、霊視をします」
ファウスタは皆が、というか吸血鬼たちが移動したのを確認すると、幽霊の方を向いて眼鏡を外した。
その様子をロスマリネ侯爵夫妻は固唾を飲んで凝視した。
「背の高さは後ろの絵の果物くらいの高さです。頭のてっぺんがつるピカで、耳の辺りに薄く残っている髪は白髪です。目の色は青です。ほっぺと鼻の頭が少し赤いです。鼻の下にチョビ髭があります。チョビ髭も白髪です。服もエプロンも真っ白で、それから……」
ファウスタは幽霊の料理人の服の胸元に、何か刺繍があることに気付いた。
サー・ロジャーの上着の胸元の小さな刺繍が、店の象徴である鹿の模様と店名だったので、幽霊の服にももしかしたら店名の手がかりがあるかもしれないと思った。
ファウスタは幽霊の服の刺繍をもっとよく見ようと首を伸ばしながら近づいた。
文字は書かれていなかったが模様があった。
「上着の胸に刺繍があります。金色の刺繍で、果物のような模様と王冠です。果物はマリユの実かもしれません」
「……っ!」
「!!」
ファウスタが刺繍を説明すると、ロスマリネ侯爵夫妻とサー・ロジャー、そして給仕の男性も驚いたような表情になった。
「王冠にマリユの実。王宮料理人の制服でしょうか」
艶然と微笑みながらそう言ったミラーカに、ロスマリネ侯爵夫人が何度も頷く。
「そのとおりです。王冠の意匠を使えるのは王室のみ。王冠の刺繍のある服を着た料理人は王宮料理人だけです。果物は豊穣の秋を象徴するマリユで間違いないでしょう」
「バクスレイ氏……」
サー・ロジャーは呆然とした表情で、神に祈るような声でその名を口にした。




