11話 性悪侍女と悪魔憑き
「厳密に言うと、奥様はファウスタを疑ってるわけじゃない。奥様の疑いは旦那様の交友関係にある」
ユースティスは悠々とお茶を口に運びながら、ファウスタに言った。
ネルが給仕を申し出たので、ユースティスは椅子に座っている。
ティムは「こいつやっぱり休憩してるじゃん」とぶつぶつ言っていた。
「だからファウスタは心配しなくていいよ」
「は、はい」
返事はしたものの、ファウスタは不安をぬぐい切れなかった。
それを察したのかユースティスはもう少し詳しい説明を始めた。
「一ヵ月程前に旦那様が雇ったメイドが色々と問題を起こしたんだ。旦那様は知人に世話を頼まれて、その女をメイドとして雇ったらしいけど、要するに騙されたんだよ。それで今回も旦那様が良からぬ連中に騙されてるんじゃないかって奥様は心配していらっしゃるんだ」
「俺がリンデンに手紙を書いてファウスタをメイドにしたのに、何でそんなふうに疑われてんだ」
ティムは不服そうに口を尖らせた。
「問題のメイドは神秘主義クラブの知人が連れてきた女だったからさ。ティムの手紙を見た旦那様が、守護霊から手紙が来たってはしゃいでたから、また神秘主義クラブの連中に騙されてるんじゃないかと奥様は警戒なさったんだ」
「ふーん」
ティムは不味いものを食べたかのように眉を歪めた。
「ファウスタは神秘主義クラブとは何の関係もないんだから、奥様の杞憂だよ。疑いは晴らしておくからファウスタは何も心配しなくていい」
ユースティスはそう言うと、ネルの方を振り返った。
「ネルも、そういうわけだから、ファウスタの事は奥様に上手く執り成しておいて」
「畏まりました」
そのやり取りをティムは面倒臭そうに見ていた。
「なあなあ、ヴァネッサは心の病でも患ってるのか? リンデンがやらかしたのは解ったけどさ、だからって偵察を潜り込ませて探るなんて、いくら何でも神経質すぎじゃないのか」
「失ったものは戻らないからね。損害を未然に防ぐために神経質になられてるんだ」
「損害っていったって、メイドのやらかしなんてたかが知れてるじゃん。ウチはそこそこ金持ちだからメイドが何か壊したくらいじゃどうって事ないだろ」
ファンテイジ家の財力に自信があるティムに、ユースティスは苦笑した。
「解りやすく言うと、オズワルド様もオクタヴィア様も婚約が白紙になった。失ったのは名誉」
「ほぁ?」
ティムは変な顔をして、椅子から体をずり落とした。
「それで奥様が心労で今日倒れたところ」
「変なメイドが一人居たくらいで、なんでそうなる?」
ティムは内心の混乱を表現するかのように両手でボサボサの髪をかき回した。
給仕をしているネルは顔を強張らせ、目玉だけを動かしてティムとユースティスの様子を窺っている。
「仕込みだったんじゃないの?」
「全然解りやすくない。もっと解りやすく説明してくれ」
「問題のメイドは『ファンテイジ家の関係者』を名乗って新聞の取材に応じたんだ」
「どこの新聞?」
「デイリー・ブラスト紙」
「あのゴシップ紙か」
ティムが嫌そうな顔をした。
「デイリー・ブラスト紙は関係者の証言を元にファンテイジ家の屋敷には悪魔がいると書き立てた。令息令嬢は悪魔憑きだとも。その悪評を受けて婚約者たちが逃げ出した、というわけ」
(悪魔憑き!)
ここで悪魔という言葉が出て来たので、ファウスタの耳が反応した。
ユースティスの話はファウスタには縁のない世界すぎて、いまいちよく解らず耳をすり抜けていたが、悪魔という解りやすい言葉は耳に飛び込んできた。
そして大量の疑問符が落ちてきた。
「あ、あの……すみません」
ファウスタがおずおずと言うと、ネルはぎょっとした顔で、ティムはぼやっとした顔で、ユースティスは笑顔で振り向いた。
ファウスタは三人の魔物の視線に一瞬怯んだが、思い切って疑問を口にした。
「この科学の時代に、悪魔がいると言って、そのメイドの人はどうして大人の人たちに信用されたんですか」
ファウスタは今よりずっと小さい頃から幽霊が視えていたが、大人たちは誰も信じてくれなかった。
視えていない人たちにとっては、それは存在していないものだから、嘘つきだとか幻覚が見える病気だとか子供の妄想だとか言われ、怒られたり哀れまれたり笑われたりした。
この屋敷の人たちが精霊や悪魔のことを話しているのは、目の前で不思議なことが起こって、それを見たからだろう。
でも世間は違うのだ。
孤児院でも先生たちは誰も信じてくれなかった。
「私が幽霊がいるって言っても大人の人は信じてくれません。新聞社の大人の人はどうして悪魔がいるって話を信じたんでしょう」
「良い質問だね」
ユースティスがにっこり笑った。
「新聞社はね、信じる信じないで記事を書いてるんじゃないんだ。商売だからね。信念のある記者も皆無ではないけれど、大抵の新聞社はお金になるかどうかで記事を決める。売れなければ商売にならないからね」
「悪魔の話はお金になるんですか?」
「悪魔が登場する怪談として、マークウッド辺境伯の知名度も合わせて一瞬は売れるよ。でも長い目で見れば損だ。悪魔の話を一面に載せるような新聞は嘘つきだと思われて読者の信用を失うから、そのうち買う人がいなくなる」
「損なのに、どうして……」
「たくさんお金を貰ったからだろうね。お金を貰って命令されて悪魔の記事を書いたんだよ」
「!?」
「そういうことかー!!」
ティムが頭を抱えて叫んだ。
「メイドは最初から新聞社とグルだったんだな!」
「今頃……」
ユースティスが呆れたような視線をティムに向けた。
「ファウスタはともかく、君はもっと早く気付けよ。最初に僕が言っただろう。仕込みだって」
「今解った。全て解った」
ティムはお茶の残りを一気に飲み干した。
すかさずネルがおかわりの有無をティムに確認して二杯目のお茶を煎れる。
ティムは二杯目のお茶に砂糖とミルクを入れると、スプーンでカチャカチャ音を立ててかき混ぜてカップの中に渦の流れを作りながら言った。
「リンデンは変な連中とは手を切ったんだろうな」
「お茶をぐるぐるカチャカチャするのはやめたまえ」
「今そんなのどうでもいいだろう。大事な話が先だ」
「行儀が悪すぎる」
ユースティスは苛立たし気に眉を歪めたが、ティムは全然気にしていないようで話を続けた。
「リンデンを神秘主義クラブに行かせるなよ」
「奥様とアルカードさんに釘を刺されて、旦那様は神秘主義クラブには行かなくなったよ。でも占星術クラブ、錬金術クラブ、霊能クラブには通ってる。あと霊媒師や儀式魔術師のサロン」
「あいつは馬鹿なのか?」
ティムは眉間に皺をよせ、両手で頭を抱えた。
「狙われてるのあいつだろ。労働法と奴隷禁止法の改正案で議会が揉めてるから。最近、貴族院議員の醜聞が増えてるのは庶民院か急進派の陰謀に違いない」
「君でも新聞を読んだりするんだ?」
「いや、珈琲館で聞いた」
「……庶民院とか急進派とか、そういう単純な派閥の問題じゃないと思うよ。何にせよ物騒だから、旦那様には外出を控えていただきたいんだけどね」
「社交期にそれは難しいだろ」
「外出は公式行事だけにして欲しいんだけど、旦那様は趣味のクラブにご熱心だから、おかしな奴と知り合ってしまう機会が多いんだ」
ユースティスは困り顔で笑うと肩をすぼめた。
「さすが君の子孫だよ。気の向くままふらふら動き回ってる」
「俺の子孫じゃない。兄貴の子孫だ。あいつは兄貴に似たんだ」
「血筋を感じるよ」
ティムとユースティスのやり取りを見ながら、ファウスタは話しかける機会を待っていたが、終わりそうになかったので思い切って話しかけた。
「あの、すみません!」
また三人の魔物が一斉に振り向いたのでファウスタは一瞬怯んだが、質問ができる機会を逃してはいけないと思った。
「新聞社がお金を貰って悪魔の記事を書いたなら、本当は悪魔はいないって事でしょうか」
「うん、そうだよ」
ファウスタの質問にユースティスが答えた。
「だったら人形部屋の変な声は何なのでしょう」
「それそれ!」
ファウスタの質問にティムも便乗して来た。
「オクタヴィアが悪魔に取り憑かれてるって話じゃなかったのか?」
「それぞれ別件なんだけど、同時期に起こったから微妙に関係してるんだ」
ユースティスは考えをまとめるかのように言葉を切って目を伏せた。
「まず一ヵ月前、問題のメイドが雇われたのと同時期に、お嬢様が部屋に何かいると言い出した」
「おう」
「ちなみに問題のメイドは名をナスティ・グロスと言う。偽名だろうけどね」
ティムはテーブルにぐっと身を乗り出しユースティスの話に耳を傾けた。
ファウスタは膝の上で手を握りしめた。
「ナスティはグロス男爵家ゆかりの令嬢という触れ込みで、行儀見習いのために奥様の侍女になったんだけど、貴族の令嬢とは思えない躾の悪い女でね、侍女としてはあまりに不適格だった」
ユースティスは嫌な事を思い出したのか眉間に皺をよせた。
「奥様はナスティの解雇を要望なさった。でも旦那様は知人への建前があるからすぐに解雇するのは無理だとおっしゃり、お二人の間で問題は宙ぶらりんになったんだ。それで解雇までの期間、ナスティは侍女の身分のまま、しかし侍女の仕事はさせず、三階の空き部屋の掃除を仕事として与えることになった」
「子供部屋か」
「子供部屋じゃなくて空き部屋だよ。一、二階は貴重品が多いから、壊れて困るような物が置いてない三階の空き部屋の掃除を任せたんだ。でもナスティは勝手に屋敷の中を歩き回った。お嬢様のお部屋へも頼まれてもいないのにお茶を持って行ってカップを三つほど割ったらしい」
「不器用な奴だな」
「お嬢様が悪魔がいると言い出したのは、そこからさ」
ユースティスは肩をすぼめた。
「解った! その性悪侍女が犯人だ!」
先読みをして前のめりになるティムを、ユースティスは手で制した。
「まあ聞いて。お嬢様が言うにはカップが勝手に砕けたとの事だ。それから部屋の中のものが揺れたり落ちたり、いわゆる騒霊現象が起こった」
(それがカップを割ったり部屋をめちゃくちゃにしたりする悪魔かしら)
ファウスタはテスが言っていた悪魔の話を思い出した。
「それから何度か同じような事が起こった。僕は一度も見てないけど。ネルは見たんだよね?」
ユースティスが問いかけると、ネルは頷いた。
「はい。奥様のお供でお嬢様のお部屋に伺いました際に騒霊現象に遭遇いたしました。私には幽霊の姿は見えませんでしたが、魔力の流れを感知いたしました。奥様がお怪我をなさったのはその時です」
「怪我?」
ティムが少し驚いたようにネルに質問した。
「そこまで凄い霊だったのか?」
「いいえ、騒霊現象そのものは大きなものではございません。ですが奥様は驚かれて転倒なさいましたので、軽いお怪我をなさいました。足をくじかれ、割れた硝子の破片で手を切ってしまわれたのです」
「ああ、なるほど。ヴァネッサは霊とか信じない人だから、さぞ驚いたろう」
「はい。奥様は大変混乱なさいました。しかし落ち着かれましたら、カップが割れたのは経年劣化が原因であり、窓からの突風を幽霊と勘違いしたのだと独自解釈なさいました」
「幽霊絶対いない思想もヴァネッサくらい徹底してると尊敬を禁じ得ん」
ティムは腕組みをして感慨深く呟いた。
「ですがお嬢様が、奥様のお怪我を気に病まれて、危ないから近付くなと……」
ネルが物憂げにそう言うと、ユースティスが続きを語った。
「その事件以来、お嬢様はお部屋に閉じこもっていらっしゃるんだ。自分には悪魔が憑いていて危険だから近付くなとね。お世話をするために家女中が日に数回出入りするだけで、ご家族との接触は避けていらっしゃる」
「性悪侍女の出番は?」
ティムは悪魔の話にナスティが絡んでいると思ったのだろう、ユースティスに疑問を投げかけた。
「お嬢様は最初、ナスティが悪魔だとおっしゃっていた。騒霊現象はいつもナスティが居るときに起きていたから。ところがナスティがいなくなってからも騒霊現象は続いた」
「性悪侍女は関係なかったのか」
「さあ、それは解らない」
ユースティスは自分の髪を弄びながら、お茶のカップを見つめて瞑想的に言った。
「僕も最初はナスティが関係あると思ってた。でもナスティは人間だったし何の魔力もなかった。本当にただの人間」
「アルカードの目で見ても人間だったのか?」
「アルカードさんが見ても、誰が見ても人間だった」
窓の外はすっかり暗くなり、ランプの灯りが魔物たちを照らしていた。
家政婦長室の部屋の扉の向こうから、使用人たちが動き回る生活音が小さく聞こえている。
「お嬢様はナスティが連れて来た悪魔が自分に取り憑いたとおっしゃっている。確かに何か居る気はするんだけど誰にも解らないんだ」
「よし!」
ティムが椅子から立ち上がった。
「今から三階に行ってみよう! ファウスタに視てもらおう!」
「却下」
浮足立つティムの意見を、ユースティスは瞬殺した。
「物事には順序がある。ファウスタはメイドだから勝手に動くことはできない。まず旦那様に面会して許可を得てからだ」
「お前の催眠術を使えばバレないように行けるだろ」
「万能じゃないから」
「何とかなるだろ」
「無策でどうやって何とかするんだ」
「ちょこっと見に行くくらい良いじゃん」
「そう思うならどうしてファウスタをメイドにした? 客人として迎えれば直行できただろう」
「客は帰っちゃうじゃん。魔眼は珍しいから手元に置きたかったんだ。それに……えーと、……そう、何かの役に立ちそう」
ティムは何やら言葉を濁した。
ファウスタは何となく道具のような扱いをされている感じがして、気分がもやもやした。
「ティム、君がこの子をメイドにしたいって言うから、アルカードさんは孤児院までの道を二往復したんだ。僕も手紙を持って行ったし、旦那様は寄付金を出し、奥様は心労が増えた。他の使用人たちにも予定外の仕事が発生した。ネルだってファウスタの身支度のために針仕事をしている。ぜんぶ君の我儘のせいだ」
「お、おう……」
まくし立てるユースティスから目を逸らし、ティムは少し身を引いて体を縮こまらせ、そろりとカップのお茶に口をつけた。
「周りに尽力してもらってファウスタをメイドにする準備が整ったのに、どうしてそのテーブルをひっくり返そうとする。メイドにすることを希望したならメイドの領分を守らせるのが筋だろう。明日、旦那様に面会したら三階に行けるんだ。たった半日待てばいい。たった半日だ」
ユースティスは完全に笑みが消えた無表情で、淡々とティムを糾弾した。
叱られているのはティムだったが、ファウスタは自分がここに来るまでに色々な人の尽力があったことを覚り、申し訳ない気持ちが湧きあがってきた。
孤児院でメイドの仕事を紹介されたとき、即座に断ってしまった自分はなんて傲慢だったのだろうと、ファウスタは昨日の自分を反省した。
(皆さんの尽力を何も知らずに、アルカードさんが魔物だったから断ろうとしたなんて、私はなんて我儘な子供だったのかしら。院長先生が怒ったのも当然よ)
アルカードは魔物だったが、暴れたりせず常に紳士的だった。
魔物だというだけで怖がってしまった自分をファウスタは恥かしく思った。
(私は魔力は見えていても、本当の姿が見えていなかったんだわ)
いつのまにか部屋の中の空気はエーテルで薄青く煙っていた。
ランプの光さえも青ざめていて、まるで水の底にいるようだ。
給仕として立っているネルは、何か恐ろしいものでも見たかのように目を剝いて顔を引きつらせたまま固まっている。
「それにファウスタはずっと様子がおかしいよね」
ユースティスは言いながらファウスタに視線をやった。
ティムがファウスタを振り返った。
ネルも目玉だけを動かしてファウスタを見た。
(!!)
三人の魔物の視線を受けて、ファウスタの体に再び緊張が走った。
「ティムの我儘で、ファウスタはいきなりこの屋敷に連れて来られて人生が狂ったんだ。動揺して当然だけどね」
(人生が狂った……!)
ファウスタは運命の残酷な宣告を受けたような気分になり顔が強張った。
「よ、よし、ファウスタ、お菓子食べていいぞ」
ティムは少し引きつった笑顔を浮かべ、焼き菓子の皿をファウスタの前に移動させた。
「好きなだけ食べろ。今みんな食欲がないから食べ物はたくさん残ってるんだ。食べ放題だぞ」
「……ありがとうございます」
ユースティスはそんなティムの挙動にじっとりとした視線を向けた。
「ティム」
「お、おう、なんだ」
ティムはユースティスの呼びかけに、びくっと反応した。
「アルカードさんの部屋にデイリー・ブラスト紙がある。ファンテイジ家がどんな風に書かれたか知りたければ読んでみるといい」
「まじか! ちょっと読んで来る!」
ティムは椅子から立ち上がると、逃げるようにばたばたと部屋から去って行った。
ティムが扉を閉めたのを見届けると、ユースティスはネルの方を見た。
「ネル、もしティムの我儘で困ることがあったら僕を通すよう言えばいい」
「はい、ユースティス様」
ティムがいなくなったら、急に部屋の空気がまったりした。
青く煙っていた部屋は元通りになり、ランプの火も温かい色に戻っていた。




