100話 報告
「ただいま戻りました」
屋敷に戻ると、ファウスタは侍女ヘンリエタと共にマークウッド辺境伯夫人ヴァネッサに報告をした。
ジゼルとピコは地階だ。
ジゼルは家政婦長マクレイ夫人に、ピコは執事バーグマンに預けられた。
ファウスタがこの屋敷に初めて来た日のように、今頃二人は使用人部屋に案内されているだろう。
「みんな差し入れに大喜びでした」
孤児院での様子をヴァネッサに尋ねられ、ファウスタは答えた。
「孤児院では焼き菓子はお祝いの日にしか食べられないのです。それにあんな果実がたっぷり入った焼き菓子なんて出て来たことがないので、みんな吃驚していました。塩漬け肉の塊も大人気でした」
「そう。喜んでもらえて良かったわ」
ヴァネッサは笑顔でそう言うと、二人を労った。
「それでね、ファウスタ、ちょっと心苦しいのだけれど、貴女に少し残念なお知らせをしなければならないの」
憐れむような顔でヴァネッサがそう言いだしたので、今まで浮き立っていたファウスタの心に瞬時に暗雲が渦巻いた。
(まさか、運命のしっぺ返しが来るの?!)
良い事ばかりが続いていたので、そろそろ不運が襲い掛かってくる頃合いのような気がしていたファウスタはビリッと緊張して身構えた。
「貴女の午後の休憩時間のことよ。今まで地階の午後のお茶への参加を認めていたけれど、新しい人たちが入ってきたから、これからは遠慮して欲しいの。席順の問題とか色々あって、融通することが難しくなったのよ。だから貴女は午後のお茶の時間、これからは侍女たちと一緒に過ごしてくれる?」
「はい。解りました」
午後のお茶の時間にまたジゼルとピコに会えると思っていたファウスタは少しがっかりした。
だが襲い来る不運が、それほど深刻でなかったことに安堵もした。
(同じお屋敷にいるんだから、会う機会はあるよね)
「お友達にはしばらく会えなくなってしまうかもしれないけれど、理解してちょうだい」
「はい、奥様」
「その代わり、休日が合うよう配慮するわ」
「休日……ですか?」
予想外の単語にファウスタは目を丸くした。
ファウスタのその様子を見て、ヴァネッサは休日について説明した。
「うちは使用人に毎月四日か五日くらい休日を与えているの。貴女とお友達の休日を合わせるようアルカード氏に頼んでおいたから、お休みの日にはお友達とゆっくり過ごすといいわ」
「ラシニア孤児院の毎月の食費は決まっており、少なくとも十年前から変更がないようです。職員たちも質素な賄いに不満のようでした」
ファウスタが退室すると、侍女ヘンリエタはヴァネッサに内密の報告をした。
「それはおかしいわね」
「はい」
もともと貴族にとって慈善は義務であるが、ここ数年は人気小説の影響もあり慈善が流行のように過熱している。
特に孤児が主人公の小説が人気を集めており、孤児院への寄付は増加傾向にある。
「ラシニア孤児院への寄付は恒例行事ですもの。皆、貴族として恥かしくない金額を寄付しているはずよ……」
ヴァネッサは言葉を切り、考え込んだ。
戦争時代末期、パトリシア王女は戦争未亡人たちと協力し合い、貴族たちの寄付を募りいくつかの王立孤児院を設立した。
王都タレイアンのラシニア孤児院もその一つだ。
時代とともに地方の王立孤児院は、教会運営の孤児院に合併吸収されたり、領主に運営権が渡されたりなどして消えていったが、国王のお膝元である王都タレイアンのラシニア孤児院だけは王立孤児院として現在まで残っている。
その慈善活動の伝統は今でも続いており、貴族のラシニア孤児院への毎年の寄付は恒例行事となっていた。
戦争時代に比べ豊かになった今の時代では、かなりの金額が集まる。
ラシニア孤児院の運営費を差し引いた余剰分は、他の教会運営や地方運営の孤児院に分配されているはずだ。
寄付金集めの旗印であるラシニア孤児院が、食費を切り詰めるほど貧しいわけがない。
「タレイアン公爵夫人がラシニア孤児院を慰問したことは、職員たちが知る限り一度もないそうです。少なくとも過去十五年間、タレイアン公爵夫人はラシニア孤児院に一歩も足を踏み入れておりません」
「それは……良いんだか、悪いんだか……悩ましいわね」
ヴァネッサは眉間に皺を刻み、額に手を当てた。
ラシニア孤児院の慰問は名誉理事であるタレイアン公爵夫人の責務である。
しかし現在のタレイアン公爵夫人は、身分の低い者や弱者に心無い言葉を投げかけることで密かに有名である。
それを表立って批判する者はおらず、暴言が公にされる事もない。
しかしタレイアン公爵夫妻の慰問を望む施設が年々減り、今ではほとんど無くなっていることが静かな証明となっていた。
王太子夫妻としては絶望的な不人気である。
「……あの禍々しい女に会い、心無い言葉で傷つけられる負担を思えば、会わずにいられる方が幸運なのよね」
「お帰りなさい、ファウスタ。待っていたわ。お友達は無事到着したかしら?」
「はい、お嬢様。ジゼルとピコは地階にいます」
ファウスタはヴァネッサの部屋を退出すると、オクタヴィアの部屋へ向かった。
帰ったら報告するようにと言われていたからだ。
オクタヴィアも孤児院へ同行したがり、変装するとまで言っていたのだが、ヴァネッサに反対されて断念していた。
ジゼルとピコを迎えに行くついでに差し入れを渡すだけであり、二人を連れてすぐに帰ってくるのだからと説明され、しぶしぶ了承したのだった。
「私も貴女のお友達に会いたいわ。午後のお茶の時間に、私も地階へ会いに行こうと思っているの。もちろんアルカード氏たちが退出した後よ」
「お嬢様、私は地階での午後のお茶に行かれなくなってしまいました」
「どういうこと?!」
ファウスタはヴァネッサから言われたことを伝えた。
今日から侍女たちと午後のお茶時間を過ごすこと、休日を貰えること。
「じゃあ休日までおあずけって事ね」
「はい」
「でも大丈夫よ。二人の様子はデボラに訊けばいいわ。ね、デボラ」
オクタヴィアは控えているデボラの方を振り向いた。
「はい。おまかせください」
「もし二人が幽霊を怖がっていたり、まさかとは思うけれど辞職を考えていたりするようだったら、すぐ私に知らせて」
「かしこまりました」
「ジゼルとピコは、幽霊は大丈夫だと思います。孤児院でも騒霊現象はよくあったので二人とも慣れています」
「そういえば、ラシニア孤児院も普通に出るんだったわね」
オクタヴィアは思い出したように言った。
「今日も幽霊はいたのかしら?」
「はい。居ました。前よりちょっと大胆になっていました」
「大胆に?」
ファウスタの報告にオクタヴィアは首を傾げた。
「いつも昼間は地下室にいたのですが、今日は昼間から外に出ていました。窓から外を眺めていました」
「外に何かあったの?」
「解りません。空を眺めているようでした」
「随分と感傷的な幽霊ね。女の子の幽霊なの?」
「いいえ、男の子の幽霊が二人です」
「男の子? じゃあ空に何かあったんじゃないの? 飛空艇が飛んでたとか。男の子ってそういうの好きよね」
「空に……」
オクタヴィアのその言葉で、ふいに空が気になり、ファウスタは窓の方を見た。
相変わらず灰色の雲がどんよりとした空が見えていた。




