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第六十三話 海なき世界の赤い海

「——、なるほど。ならば迎え撃つまでだ……! 斬り伏せる、『閃光斬裂』!」


 レイブンの握る剣、その透き通るような刀身が眩い白に発光する。

 <セイバー>クラスのクラススキルにして、第四十層のボスを断ち切った超火力の一撃だ。多大なSPを食いつぶして放つ光の刃は、物理耐性を有していたあのボスモンスターの堅牢ささえ打ち破ったほど。

 触れようと近寄って来るのなら好都合。手で触れる前に、その目論見ごと両断する——そんなレイブンの気迫を前にしてもローリエは怯むことなくさらに一歩、踏み出した。


 白く輝く死が放たれる。狙いは仮借なく、人体における弱点判定。彼女の細い首。

 高レベルの高ステータスによって放たれる高攻撃力のボーナスウェポンに、さらに超高威力の大技クラススキル。その威力は言うまでもなく尋常ではない。

 転移して間もない転移者プレイヤーであれば二度三度は殺して余りある火力。それが白い首に触れ、

 

「——『絶対観測者ナイトシュラウド』」


 そして、パキン、と軽い音とともに弾かれた。


「え——」


 信じがたい光景だった。どんな盾も、どんな鎧も、どんなモンスターの鱗だって貫くであろう最強の一撃は、ただの細首一つ刎ねられず弾かれた。

 その異常さは、ローリエにダメージがないことよりも、『弾かれた』という一点に尽きる。言うまでもなく通常、皮膚を斬って弾かれはしない。人体とは大体がやわいものだ。かといって首を断てどもキメラにおいて断ち切れず、ダメージは与えても首はついたままだが。


 要はあれが彼女、ローリエのユニークスキルに違いない。それもおそらくはユウと似た、自身へのダメージを無効化する類のもの。こちらはそもそも刃自体を通していないので痛みもなさそうだ。

 そのままローリエはがら空きになったレイブンの腹部に一撃、掌底を食らわす。威力などほぼ皆無だろうが、手での接触により鬼が譲渡されたはずだ。


「よくやった、ローリエ。ストレインたちの時間は稼いだ、ここが潮時か。一人くらいは殺せていたら御の字だったのだが」

「逃げるつもりかっ? ここまで来てさせるかよ……!」

「そうか」


 やってみろ、と言わんばかりに銀の銃口が跳ね上がる。銃声が耳朶を打つのと同時に弾丸はアレンの肩に命中し、思わずアーガスを取り落としそうになる激痛が走る。そこへさらに二度、若干の間隔を置いて銃弾が撃ち放たれる。


「っ!」


 避ける手立ても防ぐ遮蔽もない。再装填リロードの隙ができるまで、続く射撃を受けなければならない——そんな予測に歯噛みしつつ、体を硬くして痛みに備える。


「く、待てッ」


 しかし、二発目からの標的はアレンではなくレイブンだった。弾丸に動きを取られ、その間にローリエがアンティルの方へと駆けていく。変わらずレイピアは黒い鞘の中へ収めたまま、だ。

 本当に撤退するつもりらしい。アンティルの後方にはストレインらが出ていった、北側通路に面するドアがある。


「申し訳ありません、仕留め損ないました」

「いや、三人を相手によく粘った。鬼もレイブンに押し付けられたしな、オレがアレンから受けたせいで交換じみた形になってしまったが……」

「アレン、とはあの金髪の少女ですね? ずいぶん幼い子ですが、アンティル様が労するほどの相手なのですか?」

「あれの中身は十八の男だ。それもFPSのプロゲーマー、どうしてあんな見た目になっているのかは知らんがな」

「オトコ……えっ⁉」


——年齢まで知られているとは。

 ここはゲーマーたちが転移する世界。ボーナスウェポンが銃なのだから、おそらくアンティルも<ガンナー>のクラス。そしてアレンと、アレンが所属するプロゲーミングチーム<デタミネーション>のことも知っているのだから、奴はきっとFPSをやっていた人間だ。


「ファンだってんなら大人しくしててほしいけどな」

「生憎だが別にファンではない。今日のイベントは痛み分けといったところだな、<ギルド>!」

「俺も別に<ギルド>の一員ってわけじゃないけど——むざむざ逃がすかよ……!」


 扉に手をかけ、去ろうとする二者。だが見逃がすわけにもいかない。<ギルド>や<泰平騎士団>の人間を殺してまでこの世界に留まろうとする危険な人物を野放しにしていては、犠牲は増えるばかりだ。

 一殺多生。そんな言葉が頭に浮かぶも、今のアレンが口にしたとてその場を取り繕うための詭弁に成り下がるだけだ。

 だが、それでもよかった。今この場だけでも銃を撃つことを、人を殺めようとすることを肯定したくて、そんな薄っぺらな取って付けた言葉で自分を誤魔化す。

 そしてトリガーの指に力を込めると、


「っ⁉ 痛ッ——ぁぁあああッ!」


 ボン、と聞き慣れた銃声とはやや違うものが響く。なにが起こったのか理解する前にまず、ウッドグリップを包む両の手のひらを、ジュウッと真っ赤に焼けた鉄板を押し付けられたような激痛が裂いた。

 突発的な、意識を白く染める苦痛。

 特に親指の付け根と人差し指は焼け溶けてしまったのではないかと本気で錯覚し、アレンはつい手の容態を目で確認してしまう。しかし今更言うまでもなく、HPは減ろうとも肉体そのものへダメージはない。

 指は問題なくついているし、火でも噴いているかのように皮膚が熱く痛む手のひらだって無傷のままだ。

 代わりに、塵が上がり始めていた。


「……‼」


 手から、ではない。異常なのは手ではなく、それが持つ獲物アーガスの方。硝煙に混じって上がる微かな粒子は、人や物が消えていく時の証だ。

 見れば、銃身は弾けて歪に穴が開き、黒いボディもひび割れている。


(——耐久値の、限界か……!)

 

 元々アーガスはマグナが使っていた武器だ。それをアレンが引き継いで使い倒し、さらにさっき一瞬でインベントリに逃したとはいえアンティルのユニークスキルを受け、耐久値は限界に達していた。

 そして今の発砲が止めとなり、いよいよゼロとなって腔発こうはつし、自壊した。

 次第に塵と失われていく、世話になった相棒ぶきを見てアレンはそう理解する。なんて間が悪い、今日は厄日に違いない。

 思わぬダメージを負い、HPは三割弱といったところ。SPはもう尽きている。


「アレンさん!」


 アンティルたちは扉の向こう、通路の闇に消えた。

 追えるか、と意思を込めてレイブンの強い視線が送られる。アレンは碧色の瞳で見つめ返し、負けじと強く首肯した。

 手の痛みは抜けないが、まだ動ける。メインウェポンは失ったが、HPがある限り体は動く。できることはあるはずだ。


「シンリさんはみんなを頼む!」

「わ、わかりました」

「マシロも、二人をみてやってくれ!」

「うんっ」


 素早くレイブンと指示を出し、アンティルたちを追う。一瞬だけ振り向くと、マシロはまなじりを決し、黄金色の双眸に決意を表す凛とした容貌でこくんと頷いた。

 リーザもユウも頭に大口径の弾丸を食らって倒れている。塵になっていない以上、HPは残っているから危険はないだろうが、それでもそのままにしておくのは心配だ。なのでシンリとマシロに任せる。


 扉の向こう、廊下を抜けてまた二重扉を出ると、入ってきたのとそう変わらない下水道の薄暗い風景とも呼べない風景が広がる。

 冷えた空気が肌に纏わりつき、微かに鼻をつく悪臭が不愉快だが、そうも言ってられない。アレンは小さな足を必死に動かし、先導するレイブンに置いていかれぬよう走る。


 自然とレイブンが先を行く形になっているのは単純な歩幅の差だけではない。彼が今、鬼の権能であるマップ機能を手にし、アレンはそれを手放したからだ。

 アレンにはもう見えないが、レイブンが開くマップには逃亡するアンティルらが赤点として映っているはずだ。


「……まずいな」

「っ、え? なにが、だ」


 走りながら手元でウィンドウを確認して、レイブンは呟く。表情は斜め後ろのアレンにはわからないが、明らかに苦々しい響きを伴っている。芳しくないものを見た、と。

 全力の走りで息を切らしつつ、アレンは問いかけた。


「出てすぐ、地上で張っていたジークさんたちの位置がおかしい。やけにバラついているし、負傷者らしい後退した赤点もある」

「⁉ それは……」


 どういうことか。酸素の十分でない頭をなんとか回し、思考を巡らせる。

 そもそもストレインたち、<エルピス>の一部がこの下水道を通って北口へ逃げたのは当初から予想できていたことだ。だからこそ、ジークとギルドハウスにいた転移者プレイヤー、あとは騎士団の仮面少女、シグレが両ギルドの人間に声を掛けて向けていてくれたはず。


 それが乱れているということは、ストレインたちと戦闘になったということだ。それでジークたちが無事に制圧しきれていたらいいのだが、そうでないのなら事だ。犠牲者が出ているかもしれないしアンティルとローリエにも逃げられる。

 聞くだに恐ろしい、危険な状況であることが推察できた。


「ヤバそう、だな」

「ああ、激ヤバだ。悪いが僕は先に見てくる。アレンさんは念のためHPを回復しておいた方がいいかもしれない」

「え、先に……って」


 深く訊く間すらなく、アレンを置き去りに速度を上げていく。てっきりぎりぎりでレイブンの最高速度に付いていけていると思っていたが、そんなことはなかったらしい。もしアレンが元の肉体だったとしてもとても追いつけなかっただろう。

 ならば、仕方がない。

 アレンはややペースを落とし、言われた通りインベントリからポーションを取り出した。この間、ゲロを吐いたあの日、リオネラやサトシたちと道具屋に行った時に買った品の一つだ。バベルに向かう時は準備をしっかりすべき、という話だったがイベントで使うことになってしまった。


「ぷはぁ、よしっ」


 マラソンランナーの給水みたいに、走りながら緑っぽい色をしたガラス瓶の中身を飲み干す。こんなじめじめして少しばかり悪臭のするコースで走るのは二度とごめんだ。

 アレンは隣の低まった水路に空のガラス瓶を投げ捨てる。濁った水面は衝撃を受け止めるほどのかさを持たず、水がはねるのに混じってバリンッとガラスがひび割れる音がした。

 ごみの不法投棄は立派な犯罪、もちろん良い子でなくとも真似してはいけない行為だが、使用後のポーションの瓶は銃のマガジンなんかと同じで勝手に塵になって消える。咎められはしない。


 ついでにSPも回復しておきたかったが、単純に胃が苦しい。ポーション一杯は思ったより多いのだ。走りながらのおかわりは、水路の汚水を増やすことになりかねない。胃の中の液体で。

 ゲロ吐きももう、この前ので十分だろう。SP回復のポーションは飲まず、急いでレイブンの後を追う。

 既に姿も見えなくなっていたが、ほぼ一本道だ。方向音痴のアレンでもなんとかなった。


「はぁっ、はっ」


 体感時間では三分と経たず、しかし実際はもう少し長かったかもしれない。

 ゴールが見えた。突き当たりの壁に金属のはしごが設けられ、その上から微かに明かりが注いでいる。地上の明かり。ハッチが開いているからだ。

 しかし、月光にしてはどうにも強すぎる気もする。灯りの乏しい夜の街、いささか不可解にも思えたが、深く気にせずアレンははしごに手を掛けて登る。とにかく急がなくては、ジークや先に向かったレイブンも心配だ。

 南側のよりも少し大きめのハッチ、開けっ放しのそこから顔を出すと、途端に熱風が吹き抜けた。

 思わず目を閉じ——そして、再び瞼を薄く開ける。それから愕然と見開いた。


「…………なんで」


 金色の長髪は流れるようになびきながらも、その表面にオレンジ色の光を受けて眩しく輝く。

 急がなくてはと思ったばかりのはずが、アレンは動きを止める。思考も同様に停止し、疑問符が頭の中を埋め尽くす。

 呆然とする二つの青い瞳に、対照的な赤が映された。目を疑い、視界を否定したくとも、肌に伝わる熱の実感がそうさせない。

 ぱちぱちと辺りで音がする。ハッチは通りに面した小路に設置されていたようで、眼前には軒を連ねるいくつかの建物たち。

 そのすべてが、家も道も、狂おしいほどの真っ赤な炎に侵されていた。


「なんで、町が燃えてるんだよ……!」


 紅蓮が踊るように、舐めるようにぱちぱちと音を立てて広がる。

 舞い散る火の粉が赤い熱の浸食を謳い、夜風は吹けども生温く、汗ばんだ肌を清涼からは程遠い心地で撫でていく。

——街は、火の海に沈みつつあった。

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