第六話 空を繋ぐ塔
「さて、お楽しみのユニークスキルってのは……」
「私もちょっと気になるな、アレンのユニークスキル」
ステータスウィンドウに目を滑らせる。お目当てのそれは、ご丁寧に用意されたユニークスキルの項目に赤字で書かれていた。
「ブラスト……グレネード?」
——『爆風赫破』。ユニークスキルの名は、確かにそう記されてあった。
しかしそれだけだ。他にはなにもない。消費するSPの値もなければ、スキルの具体的な説明も。
だが、グレネードと言えばアレンには馴染み深い一品だ。もちろんゲームの中、画面の向こう側でだけの話ではあるが。フラググレネードやフラッシュバンのような投げ物は、多くのFPSタイトルで使用する機会のあるアイテムだ。
「……まあ、ここで使うのはよしたほうが無難か」
「そ、そうね。グレネードって確か爆弾よね? お部屋吹き飛んじゃいそう」
とはいえ、部屋の中で手榴弾を爆破させようなどとは思わない。
ボーナスウェポンを逃しただけに、ユニークスキルはどんなものかと試してみたかったが流石に自重した。部屋が壊れるのもそうだが、アレン自身やリーザに誤爆しても大変だ。ここで試すのは無理だろう。
その後、夜も更けてくるということで解散となった。
リーザがちらりと話に出した、「バベル」のことや世界の状況についてもう少し話したかったものの、アレンの疲労も相当だった。森や洞窟と、相当な時間歩いたせいだ。
体力まで子どもになっているのかもしれない。あるいはゲームの世界だからレベルが低すぎるせいか。
(バベルってのは大方検討がついてるけど)
ベッドに身を預ける。少し硬い感触だったが、全身に満ちる疲労は重く寝心地なんて気にならないほどだ。
天井の模様をぼんやり眺め、それからゆっくり瞼を閉じる。
いつもよりも少し低い枕、嗅ぎ慣れない部屋の匂いが、ようやく異邦の地に来たのだと実感を持たせた。
徐々に眠気が麻痺させていく思考の中、リーザに言われた事柄を思い出す。
継ぎ接ぎだというこのゲーム世界、キメラ。他の転移者。取り損ねたボーナスウェポン。ユニークスキル。
明日からどうなるのだろう。
元の世界に残してきたことは、あまりにも多い。
(そうだ……なにがなんだかわからないが、このままこの世界で生きていくわけにはいかない)
ゲーミングチーム<デタミネーション>の、アレンが所属する部門は夏の日本大会で優勝を飾った。
だから次は、来年の二月に行われる世界大会へ出場することができる。昨年も同じように出場し、その時は惜しくも二位で終わった。
今度のは言わばリベンジだ。だが、それもこの世界にいては果たせない。……転移が十二月で、最初の転移者から半年も経っているのだから、現実世界と時間の流れ方が同じであれば既にその時期は過ぎているのだが。
それでも、また来年がある。現実世界ならば。
大会のことだけではない。応援をしてくれている人たちや支えてくれている人、それにチームメイト。なによりも両親に告げぬまま、今生の別れにはしたくない。
——元の世界に戻りたい。
前触れもなく転移させられ、こんなわけのわからない世界で、それも背丈も性別も変わってしまった体で生きていくことはひどく理不尽で難しいことに思えた。
体が小さいのはヒットボックス(注釈:当たり判定)も少なくて強いかもしれないが。そこだけは良い。強そう。
「……目が覚めたら、全部夢だったりしないかな」
眠りに落ちる間際の意識で、そうぽつりと呟く。
無論、夢のはずがない。ゲームの世界であっても感覚は完璧なリアリティがあり、夢の中で感じるような不明瞭なものとは全くの別物だ。そんなことはアレン本人が一番わかっている。
だから、これは願いだ。叶わないと知りながら口にした願望。
遠い世界に思いを馳せるうちに意識はまどろみ、異世界最初の夜は更けていった。
*
翌朝。アレンは宿屋——黄金の鉄の塊亭の一階で簡素な朝食を摂る。
思えば昨日からなにも食べてはおらず、空腹を満たすには朝から並々ならぬ量を胃袋へと詰め込まなければならないと危惧したものの、思いのほか一食で事足りた。
普段であればこの三倍は食べるところなのに。そもそもゲームの中ですら食事を摂らなければいけないとは何事か。
「……胃袋まで幼女になったのかな、俺」
「あはは。ま、気にしないでいこうよ」
それから、リーザとともに街へ出た。
朝陽に照らされる街並みは、昨日訪れた時間帯よりもずっと多くの人々が行き交う。それらの人影と比べれば、NPCたちの見た目は幾分没個性だ。
いかにも冒険者という風なマントを纏う者もいれば、杖片手のローブ姿もいる。ユニークウェポンらしき物は、人にもよるが大体はインベントリに仕舞わず持っているようだった。
「てか、悪いな。今日も付き合わせちゃって」
「いいわよ、ほっとけないし。こんなちっちゃな女の子のこと、ふふ」
「いや、だから俺は……」
いたずらをする子どものような、にやにやとした目で見つめられる。
「……からかったのかっ。よしてくれ、一応これでも年上だぞ?」
「ごめんね。でも年上には見れないかなー」
「ぐぬぬ……」
それはそうだろう。
朝、鏡を見たときも鏡面に映ったのはいたいけそのものの女の子だ。年上の威厳もなにもあったものではない。
「くそぉ、幼女になってエイム力とか反応速度落ちてないよな……⁉」
「あ、心配するところそこなんだ……」
街の東から中心部に向けて歩くと、次第に聳え立つ塔の姿が大きくなる。中心の方が賑わいもあるらしく、それにつれ他の転移者らしき人たちも増えてきた。
すれ違う人や遠くにいる人にその都度見つめられるのは、その容姿のせいだろう。銀髪のリーザに金髪のアレン、それも片や幼い少女。目も引くというものだ。
(NPCらしき人を除けば、みんな日本人だな……転移者は日本限定なのか。中にはリーザみたいな、日本に住む海外の血を引いた人もいくらかいるんだろうけど)
他者を見るほどに、なぜか姿形が変質しているアレンの異常さが際立つ。が、理由は考えたとてわからないことだ。
人を見るたびに知り合いではないかと確認してみるのだが、今のところは見当たらない。
元々、現実で顔を知っているプレイヤーなどチームメイトくらいのものだ。あとはオフライン大会で目にしたいくつかのチームもそうだが、顔まで正確に覚えているかは微妙なところだった。
「それで、この日照権でもめそうな塔がバベルってやつ? 近くで見るとなおさらおっきいな」
「合ってるけど、日照権に目を付けてる人は初めてみたなぁ私」
真下まで来ると、その大きさは壮観たるものだった。
藍色の塔。雲まで裂かんと、空を穿たんと伸びるその姿に圧倒される。もはやその高さは測ろうとすら思わないが、壁面に空けられた窓の穴を見るに、だいたい百前後の階層で構成されている。階層一つの直径もかなりのものだ。
「ものすごいデカさだけど、これなんなんだ?」
「……うーん、なにかと言われれば難しいわね。ダンジョン? みたいな」
「ダンジョン?」
話す間も、その暗い入口に向かって何人かの人々が集まっていく。整った装備を見るに町のNPCではない。
「一階はロビーって感じなんだけど、そこから上はモンスターがウヨウヨのダンジョンになってるの」
「へー。一番上に行くとなにがあるんだ?」
「それを確かめるのが、塔を攻略する人たち……<ギルド>の目的。ゲームクリアになって元の世界に帰れるかもしれない、って。確証はないんだけどね」
「なるほどな……そうなるといいんだが」
元の世界に帰れるというのなら、ぜひともそうしたい。
<ギルド>がどういうものなのかはわからないが、かといって他人任せなのも後ろめたい。軽率ではあるが、ある程度落ち着いたら、協力できるのならしてみたいとアレンは思った。
「でも、別に<ギルド>の人だけが使うものでもないのよ? 最前線、攻略中の層に出るのは<ギルド>くらいだけど、そこ以下の情報が出てる層でお金と経験値を稼ぐのはみんなやってる」
「ああ、そうなんだ。やっぱお金とかドロップするんだな……いかにもゲームって感じだ」
「そうだ、せっかくだし行ってみる? ああでも、今武器ないんだっけ、アレン。先に武器屋に——」
リーザが言い終えるより先に、それに被さる形で、
「アレン? って、もしかして<デタミネーション>の……」
バベルから出てきた、すれ違いかけた人がそう声をかけてきた。
武器はインベントリに仕舞っているのか、武装はしていない黒髪の男性だ。しかしアレン、そしてチームの名を出したこと。それと単なるアクセサリーか、これも効果ある装備の一種なのか、首から下げた金属のドッグタグから同じ<ガンナー>ではないかとアレンは軽く推察する。
男性はアレンの顔を見るなり色を失い、困惑に口を開けたまま凍り付いた。
「?」
どうしたのだろう。
きょとんとした顔を向けるアレンに、リーザがそっと耳打ちする。
「……たぶん、見た目のせいじゃない?」
「はっ。そうだった」
幼女ボディのことをすっかり忘れていた。
「す、すいません。ちょっと人違いだったみたいで……」
「合ってる合ってる! オバスト部門のアレンだろ! 俺だよ俺っ」
「え、でもそんな子どもじゃ——」
「なんか知らないけど昨日起きたらこうなってたんだよ! 正真正銘、AR専のアレンだっ。本物だよ本物」
「ええぇ……」
めちゃくちゃ怪訝な顔をされた。
昨夜リーザが言っていた通り、転移の際に容姿が変わるのは普通ではないらしい。
「ほ、本物なんですか? 本当に?」
「そーだよ。……夏の日本大会、決勝で俺が<リローダー>にクラッチ決めたの見てたか?」
「え、ええ。配信生で見てました。フォレストマップの試合ですよね」
「ああ。証明になるかはわからないけど……あの時の流れは覚えてるよ。センター抜いて、報告されたサイト奥やって、ヘブン警戒でクイックピークで位置見て決め撃ち、最後は裏から来たのを足音で——」
「あ、合ってます……! じゃ、じゃあその前のラウンドで惜しくも落とした時の——」
「その時は、フェイクが通ったまではよかったんだけどさぁ、警戒はしてたのにうまくラークに乱されちゃって——」
興奮気味な男性の質問が、次々に問いを重ねていく。アレンはそれをすぐさま答え、道端での応酬が続く。
ヒートアップする問答に、次第に行き交う人々も何事かと遠目から集まっていく。アレンとリーザの稀有な容姿もあるかもしれない。
「な、なにを言っているのかさっぱりわからないわ……!」
その会話についていけないのは、輪に入れず一人佇むリーザだ。
それもそのはず、彼女はアレンらの話すオバストどころか、FPSのゲームタイトルをプレイしたことなど一度もない。生粋のMMORPGプレイヤーだからだ。右へ左へ飛び交う専門用語の数々は、リーザにとってもはや暗号に等しい。
「ほっ本物だ……! 本物のアレンさんだ! ロリになってるけど!」
「ようやく信じてくれたか。そうだよ、正真正銘<デタミネーション>のアレンだ。ロリになってるけど」
「すごい……! 日本トップのプロゲーマー、アレンさんがキメラに転移してきたなんて! ロリになってるとはいえかなりの戦力だ……!」
話し合うことで、男性もようやくアレンのことを信じてくれたらしい。感動すら覚えた様子でそう言うと、
「アレン?」「確かFPSゲームのプロゲーマーで……」「あれが伝説の逸話を数多く持つ……」「FPSってなに?」「銃で戦うゲームだよ」「でもちっこいよ?」「小学生かな?」
遠巻きに見ていた人たちが少しずつざわめきだす。元々バベルの前は人の多い往来というのもあり、いつの間にか人が人を呼び、それは群衆と呼べるまでになっていた。