第五十九話 凶弾は銀雪を散らせて
「アンティル……!」
「ちまちまと援護射撃をされては厄介だからな。銃持ちは早めに潰しておくに限る」
影は、アンティルの両腕をもやのように覆っていた。
色の濃い暗雲にも似た、空を塗りつぶす黒色。ユニークスキルだ。それも瞬間的なものではなく、スイッチのようにオンオフを切り替えて長時間発動するタイプ。もやに触れた銃弾は掻き消されたと見ていい。
黒いもやは接触したものを掻き消してしまう、あるいは削り取ってしまう。そういう類のものだとアレンは一瞬で推察した。
「だが今の正確無比な射撃……お前はやはり、<デタミネーション>のアレンか。よもやそんな姿になっていようとはな」
「は……お前、俺を知ってるのか!」
「まあ、職業柄な。ただその見た目……街でアレンと呼ばれていた時は流石に偶然の一致だと思ったものだが。イメチェンか?」
「こんな派手なイメチェンがあるかよ……!」
アレンを知っている。が、アレンの方はアンティルの顔など知らない。シリディーナで偶然ぶつかって目の前でゲロをブチ吐いただけの間柄で、現実世界でのアンティルなど名も顔もまるでわからない。
だが一方的に知られているのもそう不思議ではない。アレンもそこまで配信活動なんかをしていたわけではないが、アレンのしていたFPSタイトル——オーバーストライクのプレイヤーならば、競技シーンを見ればアレンを目にする機会もあろう。なにせ<デタミネーション>は国内トップレベルの強豪チームだ。
アンティルはFPSプレイヤーだったのか?
「アレン、私も戦う。アレンを一人になんてしない」
「リーザ……すまん、助かる」
ローリエへの攻撃を防ぎ、アレンに矛先を向けるアンティル。そこへ今度はリーザがアレンの援護に入る形でやって来る。右手にはボーナスウェポンの波打つ黒い剣、左手にはあの日一緒に買ったバックラー。
ちらりと横目で確認すると、ユウはローリエと対するレイブンの援護に入っていた。シンリもやや距離を置いているがそんな感じだ。レイブンにユウがいればあちらは問題ないだろう。
(なら問題は俺たちだ。俺とリーザがアンティルを倒す……少なくともレイブンがこちらの助勢に回れるようになるまで耐えなくては)
相手は一人で、見た目も華奢というほどではないが細めの体格。それでも臓腑が浮くような緊張に全身を掴まれているのは、アンティルの眼差しや佇まいに宿る底知れない威圧感のせいだった。引き金を迷えば簡単に殺される。ナイフを突きつけられているかのような緊迫が喉を締め、決定的な予感に震える。
人を撃ちたくないだとか、命を奪うことだとか、そういう倫理の枠を今だけは頭の外に置かねばならない。事が済んで死ぬほど悔もうと、今ここで死ぬよりはまだマシのはずだ。
「気を付けろよリーザ。あいつの腕、触れたものを掻き消すか削るかするみたいだ」
「あの腕のもやもやよね? あれがアンティルのユニークスキル……っ」
「ご明察。銃と併用できないのがちと不便だがな」
ある種無防備な気軽さでアンティルは歩み寄る。素手ではあるものの両腕は渦を巻くような色濃い闇に覆われ、それは銃弾すら容易く防いだ驚異の盾だ。そして、おそらくは異形の鉾としても。
あの手で触れたものが消されてしまうのなら、それで人体を触れればどうなるか。流石に即死ではないと思われるが無事では済むまい。
ならばやはり、近づかせないのが一番だ。
意表を突くような突然の動きで、アレンは銃口を引き上げた。骨身に沁みた動作でその顔面をめがけ弾丸を撃ち放つ。
が、先と同じ。顔の前に上げたアンティルの腕にまたしても弾丸は吸われ、貫通することなく闇に吸われる。
普通、撃たれてから弾丸を防ぐことなどできはしない。超人的な反射速度を誇るアレンでさえ、発砲された弾丸を見て防ぐのはどう考えても物理的に無理がある。完全にマンガや映画の世界だ。
ならばアンティルがこの一撃を防ぐことができたのは、単に手足は被弾覚悟でせめて弱点判定になる顔や頭を守ったか、頭を狙うアレンの射線を読まれたか。<デタミネーション>のアレンを知っているのだからおそらくは後者だろう。
——やりづらい。
歯噛みしながら、距離を詰められたアレンは次の行動選択を脳内で演算する。
(彼我の距離は約三メートル。右方にリーザ、その向こうにはレイブンたち。ローリエと交戦していてカバーは期待できず、遮蔽物までは二歩を要する。こちらの手札は見せていない爆風赫破、そして潜ませたマシロ。しかしここで切るべきではないはず、情報を与えないままやり過ごす)
思考は一瞬。焦点は敵に合わせたまま、碧色の眼球が空間を俯瞰する。
視界外すら捉えるその把握力の助けになっているのが、鬼の権能——すなわち視界の左端に浮かぶミニマップだ。
地形自体は地上のものを描いているから部屋の構造を把握するのには一ミリも役立ちはしないが、転移者の位置を直感的に測ることはできる。
目で捉え、得た情報を脳が整理して状況を判断するまで一秒足らず。
人を撃つ恐怖と人に殺される恐怖、どちらもを胸の奥底に沈ませる。今にも薄い膜を突き破って表出してしまいそうなその恐れを、今だけは別の思考で上書きする。
地下に潜る前、団長室のブリーフィングを振り返って。アレンらにとっての勝利条件とはアンティルを倒すことだけではない。
今はイベント中、『ペナルティ鬼ごっこ』の真っただ中というのが前提だ。そして現在、『鬼』をアレンが所有している。それをアンティルに移し、その上で倒すのが理想なのだ。内容のわからないペナルティを回避するために。
全体マップ機能を活かしたアレンたちの襲撃を予期していた以上、<エルピス>側にも転移者の動向を俯瞰できる鬼がいたのではないかと思われるが——それはいい。その対抗策は既にある。アンティルが鬼の可能性が高いが、どの道アレンも鬼だからさして影響はない。リーザに移された場合はアレンに統合させればいい話だ。
アンティルに鬼を押し付けるには、団長室でシンリがアレンにしたように体にタッチする必要がある。ならば、距離を詰める『爆風赫破』はその時に備えまだ見せないほうがいい。そういう判断だ。
「っと、あぶねえ」
故に、スキルも奥の手も使わぬまま、伸ばされた影の腕をアレンはシンプルな回避行動によってやり過ごした。まさに鬼ごっこさながらの、手から逃れる後ろに下がるような足さばきだ。
しかし腕そのものは当たらなかったものの、それを覆うもやによって僅かに延長されたリーチが掠ったらしい。特に痛みはなかったが、視界の左上でHPバーがほんの僅かに削られた。
(敵に触れた際はじくじくとHPを削る感じか。アンティルが鬼であればこれで俺に鬼が統合されたか……?)
どうだろう。アンティルが<エルピス>側の鬼だと仮定しても、鬼を譲渡する意思がなければ触れても渡されないかもしれない。シンリでそこも検証しておくべきだったか。
それに触れたのは手ではなく、厳密にはユニークスキルの黒い影のようなもや。鬼の譲渡にはならないと判断するのが妥当か。
「やあっ!」
「チィ、邪魔だ女——!」
リーザが波打つ剣を振りかぶり、側面から叩き込む。日頃バベルで背を預け続けて築かれた、敵の追撃を阻止させるいい連携だ。防御を強いられたアンティルは、ユニークスキルを纏わせた腕でそのまま刀身を受けた。
弾くような音もなく、だがリーザの剣は腕を斬りぬくこともなく止まる。例のもやで攻撃を止めているのだ。
しかし、代わりにリーザの剣が削られることはない。ひょっとすると弾丸が消えたのは耐久値がゼロになったからで、あのアンティルのユニークスキルはもやが触れている物の耐久値——転移者であればHPに相当するとして——を削るものなのかもしれない。
だとすれば、リーザの剣であれば壊されることはないだろう。ボーナスウェポンは耐久値が設定されていない、不壊の存在だ。
「ナイス足止め……! 盾を壊されないよう気を付けろ!」
「うん!」
「くっ……女子供が厄介な真似を! オレの手で塵に分解してやるッ」
「生憎、俺は正真正銘の男、だっ!」
動きを止めている好機、見逃す理由があるはずもない。斜方からアーガスの射線を通し、引き金を絞る。
対するアンティルは片腕でリーザの剣を止めつつ、もう片方の腕でまたしても顔を守ったが——
「——ッ」
狙いは腹だ。腹部を弾丸が撃ち抜き、血の代わりに細い衝撃のエフェクトが刹那の宙に舞う。顔を守るとわかっているのなら、肩でも胸でも腹でも手でも足でもアレンならば簡単に狙い撃ちできる。
アンティルは被弾に怯むも、すぐに横薙ぎに迫るリーザの黒い刃を寸前で避け、反撃とばかりに腕を伸ばす。触れるだけでダメージの凶器要らずだ、予備動作もなくノーモーションで攻撃を仕掛けられる。
「きゃっ」
「リーザ!」
まさかこのタイミングで反撃を受けるとは思ってもみなかったのか、リーザは剣を振り抜き切ってほぼ無防備な体勢にある。迫ろうとする魔手に翡翠の瞳は凍り付き、ぎゅっと四肢をこわばらせる。
カバーに入らなくては! 焦燥とともにアレンが次弾を撃ち込むため銃口を向けた時、既にアンティルは身を翻して傍の柱へ身を潜めようとしていた。
「なっ」
リーザを攻撃するのはやめたのか——そう疑問に思うと同時に、アンティルのその腕を覆う黒い影がほどけていく。ユニークスキルを解除した? 目論見を理解できず、アレンは戸惑った。
「来い、ムーンレイカー……!」
そうしているうちに、アンティルの左手に一丁の拳銃が収まった。
——銃と併用できないのがちと不便だがな。
敵の言葉を思い出す。銃を手にするためにユニークスキルを解除した、ということか。
先ほども手にしていたその銃は、よくよく見てみれば特徴的だ。まず自動拳銃であるアレンのアーガスとは違いどこか古めかしい回転式拳銃、つまりリボルバー。
サイズもアーガスよりは一回り大きく、大口径と呼んで差し支えない。金属のボディがむき出しの銀のフォルムには、一本の赤色のラインが入っている独特の意匠だ。
「まずい、避け——いや、防げリーザ!」
「防ぐって……ぁ」
「もう遅い、脳漿を散らせッ!」
ともかく突如取り出された巨大な拳銃に、アレンは注意を叫ぶ。弾丸など避けようとしても避けられるものではなく、遮蔽物も彼女の近くにはない。
ならばせめて盾で防ぐのがベストだが、体勢を崩していたリーザはアンティルがユニークスキルを解除し、リボルバーをインベントリから取り出していたことに気が付くのが遅れた。
茫然とした彼女の視線が、その男の手が握る銃に向く。
それと同時だった。
ドンッ! と重い響きがアレンの鼓膜を強く揺らす。アーガスのものとは遥かに異なる、体内を突き抜けて乱す、意識を焼く轟音。
それが銃声なのだと気が付いたのは——雪を映したような長い銀の髪が風もないのにゆらりと動き、彼女が頭から地面に倒れた時だった。




