第五十七話 浅慮の代償
周囲の者たちと同じかそれ以上に光のない、暗い洞のような双眸。黒衣に包まれた身は高く、線は細いが虚弱そうには見えない。いささか老けても見える眉間にしわの刻まれた険しい顔つきだが、歳自体はユウとそう変わらないくらいだろうか。
この間、例の吐瀉物をポラリスに魔法で洗い流してもらった日。その切っ掛けの一つとなった、あの時偶然にもぶつかった男だった。
「……面識があるのかい? アレンさん」
「いや、面識って程じゃない。ただ道で偶然ぶつかってゲロ吐いただけだ」
「なるほど」
かなり端折った上に相当謎な説明だったが、レイブンは頷いた。
……思えばこの男——アンティルとぶつかったのは町の西側だ。路地から出てきていたから、ひょっとするとアレンたちが入ってきたハッチを通って街に抜けてきていたのかもしれない。
ならばその時にひっ捕らえていれば、というのは言うだけ無駄だろう。素性などわかるはずもない。そうも堂々街中に出ていることも。
「たかだか五人、しかも精鋭ですらない女子供を連れ立ってだ。どうやらレイブン団長はよほど凝った自殺をしたがっていると見える」
「そう見えるのなら試すことだ。どの道こうも待ち構えておいて、見逃すつもりもないんだろう?」
「ああ、無論そうさせてもらう。——総員、かかれ」
号令一下。両団長の様子を見て動かずいた<エルピス>の面々約三十名が、堰を切ったように声を出して獲物を手に殺到する。その鉾が向けられるのは当然レイブンやアレン、リーザとユウ、そして足を震わせるシンリだ。
「相手するしかなさそうだねぇ、やるしかないか……!」
いつか見た、ドロップアイテムの剣を手にユウも前へ出る。アレンも倣い、アーガスの銃口を近寄って来る者たちに構えた。
「ガキの来るところじゃねえんだよ、ボケが!」
「っと」
赤黒い色の鉈を持った男が、脳天をかち割らんとその獲物を振りかぶる。体の太い、筋肉の鎧を着こんだ巨大な男だった。
だからそんな大きな的、アレンにとっては外すことのほうが難しい。手は勝手に引き金を絞り、その頭蓋を撃ち抜く。
「ぎゃぴっ」
とはいえボーナスウェポンではないハンドガンの一発では弱点を撃とうとも一撃とはいかない。だがそれでも痛覚は本物だ。男は脳髄をぶっ叩かれるような衝撃に立っていられるはずもなく、床に四肢をついて呻く。
同じようなことをアレンは手近な三人にもやった。
休んではいられない。味方を援護しなければ。
振り向こうとするアレンの隣を、ふと白銀の影が走る。
「がふッ」
「……え?」
影の正体は剣の刀身だった。それはアレンの目の前で、今しがた動けなくしたはずの男、その首を迷いなく断つ。血こそ出ないものの、床で痙攣する男はその一撃を最後にぴくりとも動かなくなる。
アレンのヘッドショットと合わせ、剣の一撃が止めとなったらしい。HPがゼロになり、やがては塵に変えるだろう。
剣の持ち主は、混戦の合間にアレンの方へと抜け出してきた金髪の美丈夫。冷えた意志を瞳に宿すレイブンだった。
「レイ、ブン……お前ッなんで」
「甘い。敵は殺すべきだ」
「はぁ⁉ 別に命まで奪わなくたっ——」
「後ろだ」
アレンが抗議を言い終えるより先に、再びレイブンの腕に白刃が振るわれる。暗闇を裂くようなその一閃は、頭部への弾丸によって地へ倒れ伏しながらもせめて一矢報いようと、短刀を手にアレンの足元へにじり寄ろうとする小柄な女性の顔面を叩き割った。
「……!」
「アレンさんがやっていたFPSは知らないけど、ここじゃ頭を撃っただけじゃ終わらない。塵にするんだ、必ず」
「でもそれは、人殺しだろうが!」
「感情論で合理を見失うな。キメラでは弾丸を受けようが心臓をナイフで抉られようが、HPがさえあれば動作に支障はない。だからHPを削りきる。人同士で戦うっていうのはそういうことだよ」
「理屈があれば殺人が許されるのかよ……⁉ そんなのは——」
「今は言い争ってる場合じゃない。ただ、引き金を引くことを戸惑えば、代わりに君か君の大切な人が死ぬだけだ」
言いながら、側面から振り下ろされる大剣を躱し、がら空きの胸に白銀の切っ先をねじ込む。赤いエフェクトが出て、さらに返す一刀で首をも斬った。
大剣の男は白目を剥いて倒れ、ダメ押しとばかりにその背をレイブンは串刺しにする。これで間違いなくHPはゼロだろう。塵なるのを待たず、アレンと問答を続けることもなく、レイブンは次の敵を死神の元へと送りに向かう。
反論もできぬままその背を追うこともできないでいると、
「きゃあっ!」
「リーザ!」
少し離れて、リーザの悲鳴が響く。見れば巨大な戦斧を振るう大男に盾を弾かれ、地面に片膝をつく無防備な体勢を敵に晒していた。
——助けに行かなくては!
そう思うのと同時に、二人の新手が行く手を阻む。黒光りするダガーナイフを構えた痩せぎすの小躯と、ギザギザとしたノコギリめいた刃の鎌を手にした鋭い目つきの男。相手が童女だからと舐めているのか、どちらも瀕死の虫をいたぶる子どものように残虐な笑みを帯びている。
「邪魔だ、くそ!」
障害となる二人。排除すべくアレンは即座に射撃を開始する。
乾いた銃声が二度、外す距離でもない。弾丸はそれぞれ的確に二人の膝を撃ち砕いた。脚を狙ったのはほとんど無意識だが、アレンが培ってきた戦闘のセオリーからは外れる行為だ。
狙えるなら頭。そうでなければ胸。それがすべてにおける基本のはず。
「いッ……てえな、オイ!」
膝が砕ければ人は動けまいが、それは現実の話だ。痛みはあろうとも、この世界ではそれさえ無視すればいくらか動くことはできる。一歩踏み出し、手にした凶器を振りかぶるくらいは。
無意識の忌避は言い逃れできない手心であり、戦場に持ち込むには無防備すぎた。代償は重く、致命的な機会を与えてしまう。
視界に走る黒い影。
「あぐっ」
「ガキのくせに銃なんざ撃ちやがって、死にやがれッ!」
横殴りの衝撃が視界を揺らす。
目つきの悪い男が手にする鎌がアレンの側頭部に命中していた。皮膚に粗い刃が突き立てられる痛みとともに、ザクリと嫌な音が左耳から聞こえる。
そして、それで終わりではない。
「——づぁぁぁああああああッ⁉」
「どうだ、自慢のノコギリ鎌の味はよぉ⁉ 全身ズタズタに引き裂いて苦しめながら殺してやるよお!」
乱暴に引っ張られた鎌の横挽きの刃が、頭から頬にかけての肉をミンチのようにして抉り取る。血や傷口の代わりに出るのは赤いエフェクトのみだが、アレンの体感では確かに顔面を無理やりに剥ぐのと同等の、泣き叫びたい程の苦痛だ。
HPバーが四割程度、肉の代わりに削れて失われる。
「おい待て、ぼくにもやらせてくれ」
「あ? チッ、しょうがねぇなあ」
「ふふ……痛かったよ? 悪い子どもだなぁ……お兄ちゃんがしつけてあげようね」
さらに痩せぎすの男も、まだ痛みが抜けないのか片膝を引きずるようにしながらアレンを見据える。
その瞳に宿るのは苛烈さを隠そうともしない、触れれば焼き尽くす報復の火だ。倍返し、程度では済まないだろう。命を取るまでは。
「ぅ——あ」
アレンはたまらず、一歩後ずさった。
怯え。獲物の怯みを見て取って、二人の男は薄っすらと嗤笑を浮かべた。馳走を前に舌なめずりをする捕食者の笑みだ。
肉をずたずたにして引き裂く悪趣味な鎌に、光を呑むような純黒を湛えた短剣。アレンの柔い肌を食い破り、痛苦を与えるための武器をこれ見よがしにちらつかせる。恐怖を引きずり出すための威嚇だ。
しかし。肉を貫きHPバーという命を削るその凶器や、増してやそれを操るいかにもなドロップアウトの者たちなどは、アレンが真に恐怖するところではなかった。
本当に恐ろしいことは、それから身を守ることだ。
——引き金を引くことを戸惑えば、代わりに君か君の大切な人が死ぬだけだ。
今しがたのレイブンの言葉が耳の奥で反響する。その通りだ。甘かった。
(……ああ、そうか。甘かったのか、俺は)
見通しが。やり口が。想定が。なにより考えが。どうしようもなく浅くて、薄っぺらい思考でここに来たのだと、アレンは事ここに至ってようやく自覚した。
これは掃討戦だ。潜む<ギルド>の敵を見つけ出し、一匹残らず皆殺しにする戦いなのだ。なぜならキメラにおける無力化は基本的に、その存在を抹消し塵芥へと変えてしまうことだけだから。
この世界においては腕や脚を斬り落とすこともできないし、転移者たちはそのHPがゼロになるまでは動き続ける。
先日のバニットの件は例外だ。あれは、彼がその精神の脆弱さ、稚拙さから戦意を喪失しただけ。逆にここでアレンが同じように失禁しようと眼前の敵は手を緩めないだろうし、むしろ喜々としていたぶる。
ならば彼らの戦意を折ることができるかと問われれば、そんなこと狙ってできるはずがない。状態異常で自由を奪うような手段も普通の転移者は持ち合わせていないだろうし、アレンも当然ない。マシロのユニークスキルでも精々数秒止めるのが限度。
つまり、覚悟を決めるべきだった。
レイブンの、ひいては<ギルド>の目的は現実への回帰。アレンと目指す地点は完全に一致している。ならば手を貸し、仇なす者を討つことに協力することが最良だ——そう思った。だから迷うことなくレイブンの誘いに頷いた。
そうすべきだと思ったから、そうすることにしたのだ。だがそこに深い意思はなく、真にその内容について仔細を考えることはついぞなかった。今に至るまで。
「おいおい、黙っちまったぜ? このガキ」
「こんなところに子どもを連れてくるなんて、<ギルド>も馬鹿な真似をしたなぁ……そうだ。どうせ殺しちゃうんなら、その前に楽しんでもバチ当たらないかな?」
「はははっ! いい趣味してんなあお前、なら俺もちょっとだけつまんじゃおうかなぁ~、へへ」
引き金を戸惑えば、自分か誰かが死ぬ。
リーザはまだ無事だろうか。レイブンは並大抵では死なないだろうが、ユウやシンリは。扉の前で潜ませているマシロも、長引けば万が一ということもある。
だが、なにより——
「あァー、でも駄目だ。まだ味方も戦ってんのにそんな暇ねえやな」
「……それもそうだ。またアンティルさんにどやされる、こんな上物を塵にするのはもったいないけど」
「ああ。気は進まねえがとっとと殺しちまうか。あーあ、首から下だけでも残ってくれりゃあなあ」
じり、と死と苦痛を携えた二者がにじり寄る。先程目の内で煌々と燃えていた赤い報復心は、今や冷えた理性によって鎮火されている。代わりに黒々とした双眸が孕むのは淡々とした、ある種穏やかな殺意だ。組織の一員が役目をこなす、義務としての。
——殺される。バニットのそれよりずっと濃く、足を取られるような死の空気。背を伝う悪寒は、あの日バベルでマグナに銃口を向けられた時のことを思い出させる。
「……っ」
撃たなければ死ぬ。
リーザやみんながどうとか以前に、なにもしなければここで死ぬ。脚を撃ったくらいでは収まらない。頭を。それか首、人体で弱点の判定がありそうなところを何度か撃って、動かなくなるまで。
「ぅ、ぁ」
「なんだこいつ? いきなり息荒くしやがって——」
撃たなければ死ぬ。
覚悟もなく、浅い義務感で死地に踏み込んだこと。人を殺めておいて、命までは取らずとも済むと甘えたことを漠然と考えていたこと。なにを後悔しても、今となっては遅すぎた。
撃たなければ死ぬ。撃たなければ死ぬ。撃たなければ死ぬ。
「あ、ああああああああ——っ!」
震える手は、気づけば引き金を引いていた。




