第五十二話 死の夜が幕を開ける
普段の月例よりも一週間ほど早い、突如ボードに貼られたイベント告知。
アレンたちの当初の予想通り、その内容は鬼のモンスターが町を襲ってくるものであるというのが転移者の大方の見通しだった。なにせ大きく鬼が描かれているのだから、順当に考えればそうなる。
<泰平騎士団>はそれに伴い、町がパニックにならぬよう、全力でイベントの対処にあたると声明を公表。連日町中に分隊で散らばり、すぐに動けるよう待機している。<ギルド>もだいたいの団員は協力する動きだ。
まだアレンは遭遇したことはないが、シリディーナを離れて北の王国近くには鬼、オーガ系のモンスターが生息するらしい。今回のイベントでやってくるのもそれ辺りだと思われた。
そして、『鬼』の告知から三日が経ち。
その日は前触れなく訪れた。
「……っ!」
ピピピピピピピ、とけたたましく響く電子音。異世界にそぐわぬ目覚まし時計に似た音でアレンはベッドから跳び起きた。
強烈な既視感が夢と眠気を消し飛ばす。果たして、目の前には半透明のウィンドウが浮かんでいた。
あの時の、前回のイベントと同じだ。『恐竜襲撃』の時と同様、イベント開催を知らせるウィンドウに違いない。
しかしウィンドウに目を落とす前に、アレンは窓の外に目をやった。周囲の状況を確認するためだ。
目覚めを促進させる、部屋に差し込むべき陽光はない。窓の向こうは未だ暗闇に包まれたまま、静やかな夜に沈んでいる。
(——夜中にイベント開始かよ……!)
部屋に時計がないため正確な時刻はわからないが、午前零時を回った辺りだろうか? 目覚めがスムーズだったのはアラームだけでなく、単に睡眠時間が短くて本格的な眠りに入っていなかったのもあるかもしれない。まだ体は重く、日中の疲労は小さな肩に乗ったままだ。
とはいえ事前認識として、ゲーム内イベントは言わば災害のようなもの。こうして夜中に突然始まるというのは想定される中での最悪ではあるが、逆に言えばギリギリで想定の内だ。心構えくらいはできている。
灯りに乏しいこの町で、夜闇の中で戦闘を行うのは困難が予想される。だが、来るものは仕方がないだろう。
夜中に叩き起こされて遺憾ではあるが、文句を言っても無駄なだけだ。アレンは腹をくくり、いい加減に騒がしいアラームを止めようとウィンドウに視線を向けながら手を伸ばす。
そしてウィンドウを閉じようとしつつ、目は自然とそこに書かれた『鬼襲撃』——そう予見されていたイベント内容を見る。
そこには、下部に詳細を引っ提げながら、大きなフォントではっきりとこう書かれていた。
——『ペナルティ鬼ごっこ』。
「……は?」
思考が硬直する。口内が妙に、急速に舌の根まで乾く。二度三度その文字列を読み直し、アレンはようやくその意味を呑み込んだ。
襲撃イベントじゃない。鬼は鬼でも、前回のように鬼型のモンスターが町を襲うものではない。
告知に描かれていた情報量の乏しい鬼の絵は、鬼の襲撃イベントではなく、『鬼ごっこ』だったのだ。しかもただのお遊びでないことは、それを飾るペナルティの五文字がはっきりと示している。
予想が外れた! 突如開始されたイベントは、この三日主流だった襲撃イベント説とはまったく異なるなにかだ。
アレンは冷や汗を滲ませながら、掻きたてられるようにウィンドウ下部に書かれた詳細文に目を通す。
『制限時間内 鬼から逃げきれ
最後のプレイヤーには ペナルティ
鬼は ミニマップが表示される』
書かれていたのはたったこれだけの、簡潔な三文だ。これまた詳細さに欠ける説明に、思わず舌打ちでもしたくなる。
まずここで重要なのは、制限時間とペナルティの二点だとアレンは考えた。
鬼ごっこをさせられるのは勿論、アレンも含むシリディーナ中の転移者たち。
時間に制限が設けられているのなら、おそらくは『最後のプレイヤー』というのは、言い換えれば『制限時間が終了したタイミングで鬼だった転移者』ということではないだろうか。
(最初の鬼は誰だ……? 最初だけモンスターやNPCが割り振られているなら、犠牲者は出なくて済むかもしれない)
ペナルティは文字通りだろう。これは言わば爆弾ゲームに似ている。割を食うのは最後に鬼だった者だけだ。
このゲームにおいて科せられるペナルティがどれほどのものか、想像はつかないが——最悪は死だ。その程度の一線、キメラは軽々しく超えてくる。
ミニマップというのは鬼だけに与えられる機能のようだ。周囲の地形や、ひょっとすれば他の人間の位置も把握できるのかもしれない。FPSプレイヤーのアレンには馴染み深いモノだ。
あまりに理想論が過ぎるかもしれないが、最初の鬼が非転移者なのであれば、うまく制限時間いっぱいまで全員で逃げ切ることができれば誰がペナルティを受けることもなく終われるかもしれない。
鬼ごっこというのなら、鬼に触れられたら鬼が譲渡されるとか、そんなだろう。
俗に言う増え鬼——タッチした人物は鬼のまま、された方も鬼になってどんどん鬼が増えていくタイプのものかもしれないが、その可能性は低い。何故なら、そうなると鬼が他人をタッチするメリットがなくなる。ただ道連れ仲間を増やすだけで、ペナルティを逃れることはできないからだ。
「なるほどな……肝心の制限時間ってのがどんだけかわからないのがクソほど不親切だが、せめて夜が明けるまでには終わってくれよ……!」
終わりの見えない戦いは精神を疲弊させる。これから始まる恐怖の鬼ごっこに既に辟易としつつ、アレンはウィンドウを閉じた。アラームがぴたりと止む。
だが仮に最初に鬼とやらになるのがNPCやモンスターであれば、そのまま上手くどの転移者にも鬼が譲渡されないまま制限時間を迎えた場合、きっとペナルティもナシだ。希望はある。
とにかく、リーザやマシロ、ユウの様子を見に行こう。鬼とやらが来るなら、みんなを連れて安全な場所に逃げたり移動する必要がある。
そう思ってアレンがドアの方へ向かうため、一歩踏み出した時だった。閉じてもう出ないと思っていたはずのウィンドウがもう一枚、ポップアップして表示される。
「——は。……おいおい、マジかよ」
足を止めた。同時にぐらりと、視界が傾ぐ錯覚を覚える。
アレンの口角が笑みを作ろうとぎこちなく引きつる。悪い冗談だと思いたかった。が、瞬きをしても目を逸らしても、そこに書かれた一文は変わらない。
窓の外と同じ、暗澹とした雲が頭上に立ち込めていく。足場にしていた薄氷が砕け、奈落じみた真っ暗い海の底へと沈むような気分を抱く。
新たに現れたウィンドウ。そこには真っ赤な文字で、こうはっきりと記されていた。
『最初の鬼は あなたです』
つかの間、仮初の平穏はここに崩れさり。
マグナを撃ち殺したあの日と同じ、長い夜がその幕を開けた。




