第四十五話 バトル・チュートリアルⅡ
「ここが……バベル?」
「ああ。ちなみにマシロが倒れてたのがその辺」
この日、朝早くからアレンたちはバベルの冷えたロビーに足を運んでいた。まだ人のいない早朝、静謐の中、壁に掛けられた微かな明かりが薄い影を四者分伸ばす。
物珍しいのか、物静かさに僅かな好奇心を覗かせてマシロはきょろきょろと藍色の円筒を内部から見回す。人と言えば、二人だけ店の準備をしている者がいるが……動きがどうもぎこちない。
バベルに限っては物好きな転移者が屋台を出すこともままあるが、今いるのは単なるNPCのようだった。
(物好きってか……ま、やることないってのが一因なんだろうけど)
学校も仕事もなくなり、義務が廃された時、人が取れる選択肢は大別して二つ。
新たな義務を身に科すか、道楽に走るかだ。
ゲーム内イベントの対応に重きを置く町の自警団や、現実世界への回帰を目標としてバベルを登る攻略組。彼らは前者で、アレンもそうだ。
しかし、かといって後者の人間を非難しようとも思わない。<泰平騎士団>も<ギルド>も危険を伴う以上、入りたくないと思うのは当然のことだし、それが普通だろう。それに露店は人のためにもなっている。
「なんだかんだ僕も久しぶりに来たよ。だけど代わり映えしないね、ここは。ゲートも相変わらずだ」
カードをくるくると回すユウ。その視線の先には、変わらぬ石の枠組みがあった。もうアレンもすっかり使い慣れた、バベル内の転移装置だ。
今日、わざわざバベルに来たのにはいくつか理由がある。大体はマシロのことだ。
一つは、単純にレベル上げ。アレンたちも上げておきたいが、やはりマシロも念のためレベル1からは少し上げておいた方がいい。バベルや町の外に行かずとも、いつゲーム内イベントで危機に巻き込まれるかわからないのだ。
二つ目はマシロの戦闘の適正を見るためだ。
マシロにはボーナスウェポンがない。気づいた時、インベントリは空で、ボーナスウェポンが中にあるという宝箱も当然バベルには見当たらない。
もっとも、マシロが倒れていた時は焦っていたものだから、気づかなかっただけという可能性もあるが……ユウの説を推すのであれば、彼女のボーナスウェポンはここには無いか、そもそもこの世界に存在しない。
しかしボーナスウェポンはなくとも、ユニークスキルならばある。
ブラックアウト。字は、『凍化陥穽』と言うそうだ。それがどれほどのものなのか見てみたい。
後は、ユウの戦闘にも少し興味があった。紙切れがボーナスウェポンの以上、実質アレンやマシロと同じ言わば『武器無し』だ。
パーティメンバー四人中まともにボーナスウェポンを持つのがリーザ一人で、少なくとも見た目上は幼女が二人とは、なんだか人数の割に頼りない感じだが。まあ仕方あるまい。
「最初だし、もうまずは第一層にしようと思うんだが、どうかな」
「いいと思うわ。マシロも戦闘経験ゼロでしょうし」
「僕も賛成。ちょっと過保護すぎかもだけど、最初はユニークスキルとか試すんだしちょうどいいでしょ」
マシロは「すべてお任せ」と言わんばかりにただ見つめてくる。異論もなく、まずは一番イージーな第一層へ向かうことになった。
「じゃ、それで。いいかマシロ、第一層って念じながらゲートをくぐるんだぞ。間違っても四十三層とか思っちゃダメだぞ。最前線の四十三層とかだけは思い浮かべちゃ駄目——」
「こらっ、そんなに言ったらかえって考えちゃうでしょ。駄目よアレン」
「あれ……そこはかとなく理不尽を感じるぞ」
同じことをマグナにされていた時リーザは特に触れなかったのに。
ややもやもやしたものを抱えつつも、ゲートを満たす淡色へ身を浸す。温かな感覚が全身を通り過ぎると、途端に空気が変わる。
目を開けるよりも先に、爽やかな風が頬を撫でていく。景色の一変を肌で感じる。
「いつ来てもいいところね、ここは。全部の階層がこんなだったらいいのに」
「はは、この次が砂だらけの荒野だもんな」
瞼を開き、視界に飛び込んできたのは無限に広がるかのような草原だった。時折なだらかな起伏が見られる、見晴らしのいい草の地面。なんならゲートから一歩も動いていないのに、少し先の丘に既に次の階層へのゲートが見えている。
一から十階層までは爽やかな平原が続く。アレンも一応、どんなものかと興味本位で訪れたことはあるため知ってはいるが、今更こんな低経験値の場にうま味もないため見慣れてはいない。
それでもどこか馴染んだ感じがあるのは、場所の清涼さゆえか、それともシリディーナの周りに広がる平原に似ているからだろうか。
「……すごい」
ゲートによる転移を経て、眼前の若緑が踊る牧歌的風景に対し、マシロはつんのめりそうになりながら黄金の目をしばたたかせた。
その降雪を思わせる流れるような長い白髪と、同様に白いチュニックワンピースが吹き抜ける風にさらわれてなびく。服に関しては、リーザが適当に見繕ってきてくれた。一応は装備扱いで防御力もあるらしい。
突き抜ける青空に無際限の緑、そして精巧な人形のようですらある現実離れした白の少女。カメラでもあれば是非シャッターを切りたいところだが、残念ながらそれは叶わない。
加えてこの絵画めいた光景も、美しきを汚すシミのようにところどころにノイズが乗る。
モンスターというノイズが。
「この緑は……どこまでも続くの?」
「いや、どっかで見えない壁にぶつかるはずだ。無限なのは見た目だけだな」
「……そう」
平坦な声音に少しだけ残念そうな響きが乗っている。が、嘘を言っても仕方がないことだ。
アレンは答えつつも、平原にぽつぽつといるモンスターたちを目で確認する。
第一階層に湧くモンスターは僅か二種。
一つはデビルシープ——赤黒い角が生えた山羊。近づけば少しばかり危険だろうか。ただ所詮は第一階層、動きもノロマでHPもそう多くない。
二つ目はブルースライム——いかにもな雑魚敵。と言うと流石にかわいそうではあるが、事実そうだから仕方がない。全長一メートル程度の、ぷるぷるとしたゼリーのような、生物かどうかすら怪しいモンスターだ。
おそらくはキメラ界最弱のモンスター。つまり実験相手にはおあつらえ向きだ。
「マシロ、あれが見えるか? あのぷるぷるがブルースライムだ」
「……うん、見える」
手近な、十歩くらい先に佇んでいる青い半透明のそれを指差す。目や耳がないからこちらに気づけていないのか、ただ日光を浴びながら微かに震えている。
マシロが頷くと、アレンはインベントリから一丁の拳銃を取り出し、手渡した。
マシロにはボーナスウェポンがない。だから、とりあえずアレンと同じで銃を持たせてみようという判断だった。剣や槍よりは距離を取れる分、まあ安全だろう。
そもそも、マシロのクラスがわからない以上ステータス的に適正のある武器もわからないのだ。
「そう、そこを握って……正面に構える。フロントサイトに敵を捉えて、後は引き金を引けばいい。少しとはいえ反動もあるから、しっかり握るんだぞ」
「ぅ、ん。でも……マシロ、なにもされてない。ちょっとだけ、かわいそうかも」
「そうかもな。でも戦場は残酷なんだ」
「ざんこく……? わ、わかった……」
人を撃つならともかく、相手は理性なきモンスターだ。
おずおずと目を向けてくるマシロに、アレンは無情にも首を振った。慈悲はない、撃て、と。
「うーん、なんだかいたいけな少女に悪事を教えてるみたいな光景だねぇ」
「そ、そうね……」
外野二名の声は無視した。もっともな意見かもしれないが、いざという時に身を守れなければ命の危機に陥るかもしれないのだ。この世界では特に。
そして、アレンは短く「今だ」と指示を出す。それに応じ、小さな指が引き金を絞った。
銃声が一つ、草原に短く響く。しかし弾丸は標的を捉えず、明後日の方向へ飛んで行ってしまった。ターゲットであったブルースライムなど、自身が狙われていたことにすら気づかず未だぷるぷると震えている始末だ。
「はずした……」
「まあ最初はそんなもんだよ。もうちょいチャレンジしてみようぜ」
「……うんっ」
目標に当てたい。撃ってみたことでその気持ちが芽生えたのか、マシロはぎゅっとアーガスのウッドグリップを握り直した。
それから、数十発ほどマシロの射撃訓練を見届けた。何度も銃声が轟き、微かな硝煙が穏やかな風に揺られては消える。
しかし——結果から言えば、目標のブルースライムに着弾することはなかった。
「ぜんぜん……あたらなかった……マシロはへたくそ」
「ああっ、落ち込むなマシロっ。俺が悪かった、銃なんていきなり握らせるもんじゃなかった! マシロは悪くないっ」
派手な落ち込み方ではないが、表情を曇らせて俯く姿はどうしても庇護欲を刺激される。
ただ口には出さないが、忌憚なく評すればマシロの射撃は散々なものだった。
ガク引きというやつだろうか。トリガーを引く際に力を入れ過ぎているようで、どうしても銃身があらぬ方向へ向いてしまう。弾は標的から外れた方向へ向かっていき、虚しく空を裂くのみ。
アレンのような一般人から見れば異常なほどの射撃精度と比べるまでもなく、マシロにははっきり言って銃の才はなさそうだった。
が、それも想定済みだ。
「そうそう、落ち込むことないよ。武器なんてどうとでもなるし、それよか次のステップに進もう」
「次の、ステップ?」
相変わらずの軽い笑みを張り付けるユウ。隣のリーザは疑問を露わに目を丸くした。
「この実験のさ。次はユニークスキルを試すんだろう?」
「……そうだ。マシロ、今度はユニークスキルを使ってみてくれないか? さっきと同じあのスライムに」
「わかった……マシロも、実は少しどんなか気になってた」
不器用な射撃のおかげで、あれだけ狙ったブルースライムは未だ健在だ。もう少しマシロの実験に付き合ってもらうとしよう。
少し距離があるためマシロはとてとてと短い歩幅でブルースライムへ近づく。手が触れるにはまだ遠いが、一歩か二歩も歩けば届くくらいで止まった。
そして、すっと小さな手を青いソレにかざし、
「——『凍化陥穽』」
森林の奥に広がる湖を思わせるような、澄んだ声でそう告げた。




