第四十四話 ぐだぐだシュガータイム
「……で。それを俺たちに伝えるのが、今日の集まりか?」
「そうだけど、まだ続きがある。<エルピス>に横のつながりが薄いのか、そもそもバニットさん自体が末端だったのか、あまり深い情報は得られなかったけれど……リーダーの名は知れたよ」
「団長のプレイヤーネームか! なるほど」
「あるいは指導者と言ってもいいかもね。ともかく、その名は『アンティル』。そう名乗っているそうだ」
アンティル——これもまったく知らない名だ。本名ではなく、アレンのようにハンドルネームなのだろうが。現実でもキメラでも見聞きしたことはない。
「覚えとくよ、ありがとう」
「関係上、アレンさんたちも無関係ではないからね。なにかあったらいつでも言ってくれ」
「ああ。遠慮なく頼らせてもらう」
レイブンが知らせてくれなければ、わかることのなかった情報だ。現実へ帰ることを拒否する勢力があるなどアレンには考えもしなかった。
<エルピス>と、そのリーダーのこと。レイブンが伝えたかったのはこの二点だろう。
そして、解散の前にレイブンはもう一度、アレンの青い瞳をじっと見据えた。
「……恥を忍んで言う。アレンさん、もう一度<ギルド>に入ることを検討してはくれないか?」
「え?」
かつて断った問い。それを再び発せられたことはまったく予想だにしていない、アレンにとって青天の霹靂だった。
レイブンは座したまま、ただ無言で目を合わせ、アレンの返答を待っている。
だが、驚きはしたものの、その答えは既に決まっていることだ。若干の罪悪感はあるが安請け合いはできない。
「そこまで買ってくれてたなんて意外だな。だけど悪い、俺は現状どこのギルドにも入るつもりはない。ゲーム内イベントに手を貸すのは問題ないが」
ユウと同様のアプローチからキメラの情報を探る。そう昨日決めたばかりだ。
ギルドには入れない。リーザを置いていきたくないというのもあるが、今はマシロのこともそうだ。アレンだけどこかのギルドに所属する気はなかった。
「そうか……いや、うん。残念だがわかっていたことだ。無理を言ってしまってすまない」
「いいよ。ちょっとびっくりしたけど」
今更バベル攻略にアレン一人が加わったところで総戦力にほぼ差はないはずだが。いささか買いかぶりすぎではないかと、そんなことを思う。そもそもレベルで言えばリーザのほうが上だし、ボーナスウェポンもある。アレンよりよほど適材のはずだ。
「ゲーム内イベントについては、そう言ってもらえるなら手を借してもらえるとありがたい。元々<泰平騎士団>メインで、我々と互助の関係だ。今更助力に抵抗感のある者もいないだろう」
「ああ……まあ、そもそも起きないでくれれば助かるんだけどな。月イチだったか?」
「明確な日付は決まっていないが、これまではすべて月末近くに行われている。だから開催は約三週間後だろう」
「三週間か。近いと見るか、遠いと見るか……」
またあの『恐竜襲撃』のようなイベントがやって来るのかと思うと憂鬱ではある。
とはいえ、前回被害が出たのは厳密にはイベントではなく、それに乗じたマグナの働きだ。恐竜モンスター自体は多少建物の倒壊はあったものの、さして問題なく防衛しきれていた。
「なら告知までは約二週間。あれこれ考えるのは、ボードに告知が張り出されてもいいんじゃないの? アレン」
「あ。そうだった、告知が来るんだったな……」
頭から抜け落ちていたが、イベントが始まる数日前に、シリディーナにいくつかある広場のボードへイベント告知が張り出されるのだった。
前回の告知はアレンが転移する以前に張り出されたものだったが、幼児の描いた絵のような読み取りづらいものだった。リーザはあれでもまだマシ、などと言っていたが。
「リーザさんの言う通り、内容が読めないうちは対策もなにもない。マシロさんのこともあるし、しばらくは落ち着いて過ごしてもいいんじゃないかな?」
「……そうかもな。悪い、今日は色々世話んなった。元の世界に戻るのを拒むなら、<エルピス>が一番狙うのはレイブンたち<ギルド>だろう。気をつけてな」
「ああ。そちらも達者で」
落ち着いて過ごす。
当初の方針とは少し反するところではあったが、それも致し方ないことかもしれない。しばしレベルを上げたのち、イベントが来る前に未踏地域の探索へ乗り出す——そういう予定ではあったが、変更せざるを得ない。
なにせ、マシロを連れて行くわけにも、置いていくわけにもいかない。
元の世界には必ず帰るつもりではあるが、今すぐに動かなければならないほど鬼気迫ってもいないのだ。
どの道いきなり別の現実へ戻る手立てが見つかるほど楽観視もしていないので、未踏地域を目指すのはひと段落付いてからでもいいだろう。
*
「お待たせしました」
NPC特有の抑揚ない声。淡いピンクのエプロンを着た女性店員が、四角いテーブルの前にカップや皿を並べていく。よどみない所作はいっそ機械的ですらある。
淹れたてのコーヒー特有のナッツに似た香りと、菓子に使われるシナモンの微かなシナモンの匂いが鼻孔をくすぐった。
「……いい匂い」
マシロがぽつりと呟き、興味津々といった風に目を輝かせる。
——昼には少し早い時間帯。<ギルド>のギルドハウスを出たアレンたちは、そのまま四人でカフェで先の談合の整理を図ることにしたのだった。
「へえ、雰囲気いいねココ。割りと目立つところにあるのに、町を出てることが多いから全然知らなかったよ」
アレンの向かい、ユウは片手でカードをくるくると弄っている。少し子どもっぽい。一応カードはカードでもボーナスウェポンの一種ではあるが、特に攻撃力とかも上がらないそうだ。
せっかく手に入れたボーナスウェポンが本当に紙切れとは、ある意味ボーナスウェポンを取り損ねたアレンよりかわいそうかもしれない。一応、ユニークスキルとの兼ね合いで役立ってはいるようだが。
アレンの隣にはリーザが座り、その向かい、つまりユウの隣でマシロは座っている。自然とそうなった。
「これ……おいしい?」
眼前のプレートに見目好く並べられた、茶色い生地。比較的ゲーム内の世界観とも相反しないものだからか、このカフェで提供されているフランス由来の菓子。それに対する期待と不安が混ざった気持ちを、マシロはおずおずと視線で投げかけてきた。
美味しいか、否か。訊かれたからには答えねばならない。訊かれたからには。子の質問には望む答えを返す、それが親代わりとしてのあるべき姿だろう。
軽く舌で唇を湿らせると、アレンは悠然と口を開いた。
「美味しいかそうでないかは個人の味覚によって左右されるが、甘味が好きであれば大抵は楽しめる味だと思う。パンデピスにも種類があるが、ここのはバター入りのしっとり目だ。特にこの店の特色はとにかくはちみつなんだ。生地の隅々にまでしみ込んだはちみつがしっとりさを増して重く甘く、それでいて存在感を失わないスパイスの風味が後味を陳腐にさせない……フルーツやナッツに飾らせず、ある種素朴な外観だが一口味わえば気づくね。衣ばかりで和尚は出来ず、小手先で着飾るものよりもこういった生地の強さのみで勝負できる菓子こそが『本物』であり真に価値ある姿なのだと——」
「え、なにこれ。アレンちゃんかつてないレベルで饒舌なんだけど。こわっ」
「……お菓子が絡むと、たまにヘンになるのよね、アレン」
「奇特すぎない? 僕もアレな方だけどさぁ、こういうたまにだけ顔見せてくるタイプが一番ヤバいんだってホントに」
おかしな人を見るような、憐れむのに似た二者の視線に、妙に座った目で延々と語り続けるアレンは気づかない。
質問をしたマシロはと言えば、
「はむっ……おいしい……」
アレンの発作は早々に聞き流し、銀色のフォークで小さな口へその菓子を運んでいた。普段表情に乏しい彼女だが、珍しくも目を細めて頬に手を添えている様は大層ご満悦と思われる。
なにせある意味、生まれて初めての甘味だ。宿の食事は甘さ以前に全体的に味がない。
「つまるところ、俺たちが甘いと認識するそれは主観的な感覚でしかなく、同様の感想を共有できているように思えても同じものを口に入れても感じる甘味には個人によって差異が——」
「ねぇ、これいつ終わるの?」
「うーん、たぶんあと三分くらいじゃないかしら」
「そっかぁ……」
未だ機関銃のごとく矢継ぎ早に言葉を発し続ける、中身は十八の金髪少女。彼を無視してユウは、手元のカップにガラス容器から茶色い砂糖をスプーン一杯掬って入れた。
世界観的な問題か、ガムシロップやらコーヒーフレッシュはそもそもキメラには無さそうだ。
ミルクは入れず、ユウはそのままカップに口を付ける。別にブラックでもカフェオレでもなんでもいい。コーヒー自体好きでもなければ嫌いでもないからどうでもいいし、なんなら水でもよかった。
食に関心が薄いのは、行き過ぎたゲーマーにはありがちなことなのかもしれない。アレンも……普段はそうだ。普段は。
強いて飲料を挙げるならば、リフレッシュしたい時はきつい炭酸でも欲しくなるユウだったが、まさかこの世界にコーラはないだろう。変なバグでも起きない限りは。
「——っと、ちょっと話しすぎたか?」
「ちょっと…? ま、まあいいや。あ、アレンちゃん砂糖使う?」
「ちゃんを付けるなちゃんを。でも砂糖はもらう」
ようやく我に返ったアレンへ、ユウは茶色の中身が透けるガラス容器をずいっと差し出す。
「あ……」
「? どしたのリーザちゃん」
翡翠の双眸が、なにかを察したような憂いを帯びる。疑問に思うユウをよそに、アレンはずいっと左手で容器を手に取った。
「……え? いや、手に取るものじゃなくない? それ」
声は届かず。シュガーポットそのものを左手で掴み、蓋を開けて傾ける。
ざざざーっ。
乾いた砂が崖から落ちるかのごとく、内容物がカップの黒い水面へ注がれる。もはやスプーンを介すことすらまだるっこしいと言わんばかりの野蛮な行為だった。
「ちょ……え、本当になに? アレンちゃんだけ今日は奇行大会でも開いてるの?」
「その……アレンは意外に結構甘党だから……」
「これ甘党とかいう域じゃなくない? 砂糖中毒は依存症とされることもあるんだよ? 完全に糖尿コースを突っ走ってるよね?」
コトン、とテーブルへ置かれたガラス容器。透ける内容のうち三分の一くらいは一気に減っていた。つまりそれだけの量がカップ一杯に吸い込まれたのだ。窺うことはできないが、底の方で小山になっているのは容易に想像がついた。
次いでミルクもどぽどぽ入れて、それをアレンはゆっくりと、掬うようにしてかき混ぜる。
「大げさだなあ。自分が砂糖ほぼ使わず飲める大人舌だからって、俺のことバカにしないでくれ」
「スプーン一杯は極めて平均的かちょっと少ないくらいだよ……⁉ しかもホラ、もうなんかジャリジャリ言ってるじゃん底で!」
かき混ぜるに際し、溶け切らない砂糖がジャリジャリと微かに音を立てる。
ユウは幼き日の砂場遊びを連想した。バケツで水をぶちまけ、砂を濡らしておもちゃのスコップで掬うのだ。
そんなユウの思いも知らず、アレンは躊躇なくその泥水——もとい砂糖泥水、でもなく甘ったるいコーヒーを躊躇なく口に含み、喉へ通した。
「うわぁ……本当に飲んだよ。どうかしてる」
「……アレン、それ……おいしい? マシロも気になる」
「んー、マシロにはちょっとまだ早いかな。コーヒーは苦い飲み物だから」
「すげぇ、マジでどの口が言ってるんだ」
苦みも渋みも、あれだけ砂糖と牛乳をぶち込んでしまえば彼方に消えている。だというのに平然と語るアレンには、さしものユウも驚嘆を隠せなかった。
リーザはもう、すべてを諦めたかのようにカップを無表情で傾ける。
かくして、話し合いはアレンの自覚ない奇行によって締まりなく始まり、そのままぐだぐだして進み、イマイチまとまらずやるせない感じで終わった。




